新神話 第六章

第六章 救世神話夢見章

八角堂の主

現実の時間経過に対して、夢の回廊は時として長くなることがある。
イナンナとネアンの”共の夢見”は、中国の故事”一炊の夢”を彷彿とさせるものとなった。
だが、夢は夢、連想により生じ荒唐無稽な内容であることが多い。
お互いの眠る家の外は、強い雨となっていた。
それが二人に海鳴りを想像させた。
まどろみの中に、夢見が開始され、青い海を背景にした砂浜が浮かんできて、その真ん中に不思議な形をした松が見えてきた。
白砂の掃かれて波立つ上からそそり立つように、背の低い松が二本、幹を互いにクロスするように重なり合わせているのだ。
それはまるで、遠隔にいながらも、松葉くずしの体制を想起しながら夢見するネアンとイナンナの幽体を模しているかのようであった。
ところが、そのクロスしたあわさいから、不思議な老男女が、にじみ出るようにして現れ出た。
「さてもさても、鶴亀そろい、おめでたきかな」
「鳳龍の兆しすら見えまする」
二人は、いつのまにか着衣していて、少し離れて老男女に向き合っている。
老男女は、能衣装を着て、翁のほうは白髪髭をたたえた相好の良い人物であり、嫗のほうも、皺ぶかいながらにこやかな笑顔のやさしい人物で、決してこの二人の行為を見咎めている風はなく、むしろ喜ばしいことのように微笑んでいるのだ。
「自己紹介申し上げる。私は住吉の松が精、尉。こなたは高砂の松が精、姥でござる。
お二方の縁を祝い申し上げたくまかり越しました。
こたびは、鶴殿には高砂の松のゆかりをお聞かせしたく、亀殿には住の江の綿つ海のゆかりをお聞かせしたく存じます」
「ささ、こちらに」
仕方なく、いきなり行動を別にしなくてはならなくなった二人である。
ネアンは姥に引かれて、こじんまりとした清楚な庵に入った。
いっぽう、イナンナは尉に手を引かれて浜辺の黒紫の光沢をたたえる洞窟へと入った。
ネアンは庵に入るなり、自身の記憶を薄れさせていくいっぽう、べつの人格の記憶を取り戻しつつあった。
ちょうど、夢に入るとき、夢の中の人物に成り切るごとくである。
そのどちらの意識にも、公平な立場で見る者としての自分を、しっかりと認識しているネアンがいた。
最初の光景は、海辺の松林であった。
それとともに、自分のよってきたる記憶が一気に甦った。
彼は、夕日を受ける風景を愛でつつ物思いにふけりながら、松林の茂る海岸に佇む邸宅を中に含む山水画を描いていた。
中国浙江の地に生まれて育ち、一人前の男として志を持って商人の道を踏み出し、その誠実さと様々な人脈に恵まれたことにより、華僑として海運事業で成功を収めた人物の一生が思い出されていた。
名は、洪瑾董。洪瑾董は、自らの華僑事業の成功をもとに、故国中国の浙江に似た風景を日本に求めた。
それが、向こうに島を望む内海の浜辺であった。
資力にものを言わせ、まずは少し山の手に別宅を建てて普段憩う場とし、その南の白砂の続く海岸縁に、松の木を植え、白砂青松のたたずまいの中に、賓客接待のための青松邸なる別荘を構えていた。
そもそも瑾董は、自らを神仙になぞらえる傾向があった。
中でも、鶴にゆかりのある仙人として、過去に神話の時代を彩ったことがあるに違いないと思っていた。
万事意のままになり行く様に、異才のほどを感じ取っていたのである。
彼の人脈は政財界に及ぶ多彩さであったが、いっぽう彼の親友には、異能を持つ錬金術師や霊能者がいた。
友には、このような者がいた。
風水師、方術士、メーソンリーという顔ぶれであったが、そのそれぞれに人脈が控えていたため、瑾董は支援が様々に得られる立場にあった。
中でも方術士・孫権が人の才覚を見ぬく能力を持ち、瑾董を見立てては、常々「君は鶴である」と言っていた。
鶴は、縁起の良い鳥であり、止まり木として松を好み、その最も相応しいと思われる松に居つくという。
このゆえか、あるいは自らが好きであったゆえか、瑾董は好んで松を植えた。
形の良い松に心を寄せ、手入れするに関しては、資金をいかようにも注ぎ込んだ。
そして松林の中に別荘を建て、本宅よりも愛したのである。
そして自らはこの場所を心安らぐ庵、寧庵(ネアン)と称した。
ネアンの過去世の姿であったのだろうか。
客観的立場にいるネアンには、瑾董の商才が今生において発揮されていないことの説明をどうつけたらいいのか分からない。
だから、自分に縁のある人物を見ているのだろうという思いもあった。
目の前の光景はテープの早送りのようであって、それでも理解できないわけではなく、肝腎のところは鮮明にスローダウンするように展開した。
瑾董の人生に大きな影を投げかけた人物がいた。
1913年(大正二年)初頭、大陸から孫文が渡ってきた。
彼はまず、東京の政界関係者のもとに滞在したが、瑾董ら華僑の呼びかけで地方に入り、瑾董の青松邸でしばし過ごす。
孫文という名は当時、世界的であったため、彼と交友を結ぼうとする者は華僑に止まらず、日本人にも多かった。
しかし、すぐに彼は、大陸における大総統の実権を譲った清軍の統率者袁世凱に裏切られ、清の帝政はこの軍師によって引き継がれた形となってしまう。
孫文は戻って後、袁に反抗する第二革命を起こすが失敗し、大陸でのお尋ねものとなり、日本に亡命してくることになる。
世界情勢を知る華僑の瑾董は、それでも惨めな中国と国民を世界から取り残される原因である帝政から救うのは孫文しかないであろうと考えた。
孫文の理想と人物を評価していたのである。
それがメーソンロッジの世界の帝政を打倒し、世界統一という理想実現とも軌を一にするものであったため、彼はこのグループに属していた。
ロッジの働きが、孫文と瑾董を、互いに必要とし合う関係に至らせるこことなった。
ただし孫文を直ちに資金的に援助するというわけにはいかない。金の流れは、すぐに把握されるだけに、大陸の政権と華僑グループの摩擦を避けたかった事情があるからである。
そこで、彼を方術の面でフォローすることとなった。もとより神仙を自認していた瑾董。
自らの知識と、風水師、方術士の知識を合わせて、孫文を通して夢を実現させるための呪術工作を開始したのである。
それが八角堂の建立であった。
龍は、東の連山から西に、また西の高山を中心とする山塊から東に流れ出す。
この二つの龍脈を、ほぼ中間にあたる東播のグリッド的山体で出合わせ、それを南下させる。そして、青松の邸内に造る制御塔に導こうというものであった。
瑾董は、このために鶴海の地を早いうちから選んでいた。青松邸に閑居しながら、龍の通過に心地良さを感得しながら過ごしていたのである。
そして、このときばかりは、龍の力を最大限に使うことを思い立った。
それが決められた時の青松邸での会議の有り様である。決して、瑾董自身は主力になく、異能者たちの主導下にあった。
方術士:
「神仙が好む八角堂を作れば良い。それは、龍ならば最も好む建物だ。
中に龍にまつわる魂の記念物を置けば、龍は居残り、やがて八角の結界の中で眠りにつく。
そこに孫文を連れてきて、三日の間逗留させる。そうすれば、彼の体内に龍の息吹きが充満する。
孫文は、龍の夢にうなされるかもしれんが、まずは心をドラゴンに変えねばな」
風水師:
「真東に、聖徳太子が建てたという寺がある。そこにも八角堂があり、居住まいしていた聖徳太子の前に、金人が出現したとの伝説がある。
ここにも瑞兆が呼び込めるかもしれんぞ」
方術士:
「我々同様、目的とする者を呼び寄せる工夫をしていたのであろう。聖徳太子もたいした方術士だったかも知れぬな」
メーソンリー:
「孫文はいざという時の根性が弱い。力を十分に発揮させるには、中国古伝の龍の力も必要となると踏んでのこと。
本当に大丈夫なのだろうな」
方術士:
「人間は、気さえ充実していれば、何事もやり遂げることができる。すでにあなたには見せたではないか。
ここでは西洋贔屓はほどほどになされよ」
メーソンリー:
「まあ、その辺は任せよう。
望むらくは、彼がもう少し強運であれば、我々の一員にしても良いのだが、いま一つ気が弱い。
その辺も改善されるのであろうな」
方術士:
「気弱になるとは、気が萎えるのこと。その逆を行おうというのだ」
瑾董:
「当面、私は海運事業の関係上、内海航路の安全を図ることを名目としよう。
龍が地上から海に出ては、海の荒れるのを助長するから、内海の龍を鎮めるための祠堂を作るといえば、華僑仲間はみな納得してくれよう。
聖徳太子の寺の原意は、封龍寺だったとも聞き及ぶ。そこと等緯度にあろうとは、驚きだったが、道理にかなっている。
私は封龍ではなく、鳳龍閣と名付けるつもりだ」
風水師:
「良い名前であるが、見え透いているな。
だが、鳳を持ってくるというのは、なかなか良い。
ところで、明石海峡には八大竜王の一つが棲むという。
それに逢うために龍女が通い妻をしているとか。
それを途中で遮っては、余計に龍は暴れないのか?」
方術士:
「それは問題ない。
彼らは情交の時にこそ、前後のことを忘れて動きまわる。これが海のしけるということに繋がる。禽仙ゆえに純情なものだ」
メーソンリー:
「君たちの話の荒唐無稽さにはうんざりするが、効能が不思議に上がるんだからな。原理のほう、おいおい教えてくれよな、瑾董君」
瑾董:
「東洋の歴史が築いた知恵だからね。おいそれと西洋君には分からないだろう。
では、資金は当然ながら、私が負担する。設計のほうは、専門の方術士にお願いしよう」
メーソンリー:
「この際、お任せついでだ。私からもひとつお願いしておこう。
八角堂が出来上がったなら、その中で孫文にイニシエーションを行いたい。
中国の伝統に則った棺を用意してほしい。それも極上のものを」
方術士:
「なるほど。龍との親交に先だって、組織の洗礼を受けさせようというわけか」
メーソンリー:
「期待が持てるか持てないかは分からないが、彼も洗礼のことは良く知っているから、
我々の協力を取り付けるためにも彼のほうから頼ってくるだろう」
風水師:
「ところで、地勢上、問題の箇所がある。龍脈を合わせる山並みに、龍自体を招き難くしている部分がある。
チョウの測量調査では、山の高さに不揃いがある。この山を作った者は、風水を知った古代人のようだが、かなり昔のことらしく風化してしまっている。
よって、この山に盛り土が必要だ。また、龍は池を好む。ここが魅惑的な土地柄と思わせることが必要だ。
ゆえにこことこの辺りに、溜池を作り、その土を運んで盛り土しようと思う」
瑾董:
「私も一緒に踏査した関係で言うが、見積もったところ、難工事にはならないことが分かった。
地元民も農業振興のためになるので、協力してくれるようだ。農閑期の人手はたくさん集められる。
資金的には、200万円ほどかかるだろう。メーソン氏には、またひとつ商圏を増やしていただこうか」
メーソンリー:
「ま、お互い様だからな。さて我々は、とにかく中国を錬金術に掛ける。
そのためにまず、孫文にやる気を出させることに力を尽くしてもらおう」
そんなある日、瑾董は、後妻にこのように語った。
「私は、孫文を最初に一目見たときに、過去世から縁のある人物だと思った。
あの澄んだ瞳の奥には、深い愛情が感じられた。虐げられた人民を救いたいというひたむきな願いのようだった。
あれこそ、憂国の士というものかもしれない。私は、そんな惨めな故郷の実情に嫌気がさし、日本にきてしまったが、故郷を変えたいと思わない日はなかった。
私がもっと若ければ、私自身もう一つ政治にも関わろうものを、自由にならないままで今日を迎えている。
だが、陰から故国を良くするために力を尽くすことにおいては、誰にも負けないつもりではいる。
孫文に、それを実現する夢を移情し付託したい。ちょうど成連が伯牙に託したように。
彼が私の意志を継いでくれる息子のような気がしてならないのだ。実業の志を継ぐ子はすでにいるが、彼は魂の志を継ぐ子だ」
「魂の子なら、血の繋がりは関係ありませんね。私は彼を支える慶齢を、妹のように思いましたよ」
瑾董は、方術士の作った設計図をもとに、青松邸内に八角堂を作った。
それと並行して、北方のなだらかな二つの山のある辺りに、灌漑池を作り、その際に出た土砂を、二つの山の整形に用いた。
方術士が見立てて、龍の侵入する吉日が諮られ、溜池に水が張られた。
龍は、八角堂に興味したであろうか。そうして二ヶ月過ぎたころ、青松邸に孫文がやってくるという予定が立った。
そしていまや、二日後に孫文が来、三日目に密儀を執り行なうという予定となった。
そんな日に、瑾董は奇妙な思いに駆られた。
八角堂を建てはしたが、龍が捕捉されたという日から、組織の命令で立ち入りを禁じられ、北の別宅にときおり寝起きするに止まっている。
神仙としての私が、組織の監視によって何もできないでいるというのは耐えられない。
異能を持つ方術士だけが、事態を察する力を持っているが、彼は私の親友だ。
たぶん見逃してくれるに違いない。
彼は深夜十時も過ぎる頃、南京錠を開け、真っ暗な八角堂に入った。
窓は全部閉じられている。彼は、電灯をつけた。
当時の電灯は、白熱灯であり、燭光も大きなものではなかった。
二階に上がって中央に見た重そうな棺は、朱の赤さを血の色に染めていた。
瑾董は、その部屋の揺らめくような妖気を感じていた。
そして、三日後には孫文がその中に入るであろう棺の蓋の上に、身を横たえたのである。
彼自身の吐息だけが耳にこだましていた。
しかし、空間のエネルギーは重圧と共に、どこからともない空気の流れを彼の顔に吹きつけた。龍の吐息か?
龍よ。もしここにいるなら、私に力を貸してもらえないか。
しばらく無音が続いたが、耳に緊張のあまり聞こえなかったはずの潮騒の音が聞こえてきた。
心地よい。龍よ。君はやさしいんだな。
そうするうちに、瑾董は眠りについた。彼は夢を見た。
その夢の中にまでネアンは立ち入っていたが、ネアンは自分が何者か分からぬほどに、瑾董の意識になりきっていた。
ネアンにしてみれば、三重夢である。
潮騒の音の向こうに、湖があった。
そこは、かつて見たことのある懐かしい西湖であった。彼はそこで佇み、笛を吹いていた。
すると、にわかに雨が降ってきた。屋根のついた望観台でなおも吹く笛も、空の曇りを反映して憂いをふくむ調べと変わり、しばし時は経過した。
ふと、「がさっ」と音のした橋下を見ると、薄紫に桃色を配した打ち衣を、雨に濡れてしっとりと肌にまとわり着けた若い女性が、足場のぬかるんでいくのを心配そうにしているのであった。
上りづらそうにしていると見た彼は、濡れるのも押して小道を下り、女の上から声をかける。
「こちらにおいでなさい。こちらの草の生えたところから上ってきてください。早くしないと、水が上がってきます」
若い女性は、彼のほうに丸く切れ長の魅惑の眼差しを向けて、言葉に従った。
「さあ」
彼の差し出す手に彼女はすがり上がってきた。
間近に見る彼女に、彼はあらゆる想いを感じ取った。
かつて知っていた気がする。
また、これからの人生を関わる女性という印象を持った。
「どちらから来られましたか?」
「ここから遠く離れたクンルンのさらに西域です」
「そのようなところから、どうして?」
「人を尋ねてまいりました」
「人を?その人とは?」
そのとき三重夢の主人公の意識はにわかに遠のき、瑾董の意識に戻っていった。
そして、はあーはあーという非常に周期の長い息遣いのような音が聞こえてくると、心の中にいきなり言葉が飛び込んできた。
<その人とは・・探しましたよ。かつてあの時代に、あなたと命をともにしましたが、憶えておられますか?私は白蛇の化身、白娘だった者です>
<白蛇伝の・・ですか?>
<今また、私は人間と妖精の隔たりを持ちながら、あなたと会いました。
前のときは、私が強い願望を抱き、あなたを側に引き寄せました。
しかし、今回は、あなたがここを作ってくれたのですね。
私は、あなたの匂いに引き寄せられてここに参りました>
<ここは龍を招くところです。あなたは龍ですか?>
<そうなのですか?私は霊であるとは思っていますが、あなたにはそう見えるのですね?ならばそうなのでしょう。
私はかつて、あなたと同じ境涯に立たねば、伴に居れないと思い、法海の執拗な妨害を避けるため、わが父龍王のもとに至り、龍蛇の力を返上して人間になろうとしましたが、なお法海は妨害し、あなたを遠ざけ、私を法鉢に閉じ込めたので、ついに人間になれなかったのです。
そのようなことはもはやどうでもよいこと。このたびの楼閣は、あなたが私を呼ぶために作られたのでしょう?>
瑾董は、有名な故事であるため、白蛇の悲恋の結末を知っている。
その結末も、いくとおりかに、後世の人々によって作り変えられもした。
心打たれた人々は、白蛇に同情的な筋書きを用意したのだ。
だが、伝説とされるほどに長く語り継がれたのも、その悲劇性によってであった。
<いいえ。私はただ龍の力を利用したかったのです。私があの許仙なのですか。ならば、時代を超えた因縁というしかない>
<そうですか。あなたの無意識の恋がこうさせたのでしょう。それとも未だ法海の呪縛にあなたが囚われているのでしょうか。
私は、あなたの無意識の恋と思いたい。私は西湖の雷峰塔が朽ちて均整を失ったことにより、結界からかろうじて抜け出すことができ、東方の兄弟を頼っていこうと海を渡っていたところ、またもこの結界に捉えられてしまったのですよ>
<私が法海の指示にしたがって、あなたを閉じ込めようとしているというのですか?そんなつもりは毛頭ありません>
<法海は人間ゆえもうすでにおりません。でも、魂は幾重にも化身します。また、私の追っ手は、なにも法海のみにとどまりません>
<分からない。私の無意識に巣食う何かが問題というのですか。私の恋のなせる技なのか、それとも黒幕の指示による罠なのか。
とするなら、私の協力者たちがあなたの追っ手なのかも、よく分からないのです。とにかく、私はあなたに好意を持つ者です。その心には間違いない。どうか、協力させてほしい>
<ありがたい仰せ>
龍女は、瑾董を巻きつくように抱いた。
<ああ、懐かしいあなた>
抱き締めていても、”気”であるに過ぎないため、柔らかく暖かいエネルギーが、瑾董の数兆の細胞の個々に安らぎの明滅を与えた。
そして、心の中まで、充足した愛情が染み込んできた。
ふと瑾董は、自分の領分に気がつく。
<白娘である龍よ。私のやや後に、孫文という者が来ます。彼は革命家であり、祖国中国を専制と退廃の眠りから覚まし、欧米列強と互角の立場を獲得してくれるはずです。
その仕事のために、あなたの力を貸してほしいのです>
<私は、白娘の頃のように、人の身を取っていたときには、あなたの政策にも関与したでしょう。
いまは、何が行われているかまったく関心もなく、ただ私は頼るべきよすがを探しているだけなのです。
あなたが望まれるなら、そのようにもしましょう。ただそこに、三たび法海の罠がしかれていないことを望むだけです>
<分かりました。心しましょう>
<それから、またここで囚われの身になるのは不本意です。どうかここから出してください>
<事が終わった後でなくては、それができません。その後には、必ず>
<そうですか。また閉じ込められることになり、不安に思ったのですが、あなたに会えて不安が去りました。必ず解放してくださいね>
<約束しましょう>
<あなたに渡さねばならないものがあります。それは・・・>
そのとき、瑾董の置かれた空間がいきなり歪み、めまいがした如くなって、彼は目を覚ましたのだった。
大声が響き、耳ががんがん鳴った。
「お前はここに入ってはならんはずだ。おかしな妖気が漂っていたから、来てみたのだ。案の定な」
「孫権か。頼む。このたびは見逃してくれ」
「今度だけだぞ。すぐにここを出ろ。見ろ、この妖気のわだかまりを。ここで何をしていた?」
「寝ていただけだ。だからよく憶えていない」
「おまえ、龍と交わったな。掟破りめ」
方術士は、鎮魂と結界の呪文を連続して唱えて印を結んだ。
そして、重い扉を閉め、懐から護符を出すと糊を付けて扉を封印したのである。
二日後、孫文がやってきた。
その日の夜、早速メーソンリーたちが集まり、彼を棺の中に入れて、宣誓から始まる所定の秘儀参入手続きを経て、蓋を閉めた。
孫文は、これから三日間、八角堂に封じられた龍の力と交わるために、ここで寝ることとなった。
昼間は、八角堂で自らの行動計画について思索し、物を書いた。
四日目の朝が来て、孫文は青松邸の空気を思う存分吸った。
「瑾董さん。とても気分がいいです。何かこう、私の中に別の人格が宿ったような気分です。
何でもやれそうな気がします。中日連盟の実を結ばせる自信があります。
しかし、時に、すごい不安に刈られます。ごく短時間ですがね」
「どのような不安ですか?」
「袁の軍に捕まったりしたなら、永久に牢獄から出してもらえないだろうといった思いが頭にかぶさってくるのです」
「そうですか」
瑾董は、招いた龍が不幸な過去を持つ龍であるからという思いを持った。
龍が解放されたとき、孫文の理想にブレーキになる思いは断ち切られるに違いないとも思った。
<龍女を解放してやらなくては・・>
そのためには、せっかく建立された八角堂を取り壊さねばならない。
取り壊したりすれば、誰の目からも、奇妙な禺挙として映るに違いない。
方術士の孫権にそれとなく聞いてみる。
「何い?龍を逃がしたい?
龍は年のうち八度、出て行く機会がある。各方位に従った日付けだ。
対偶の窓の両方を開放しておけば、その日に出て行くだろう。
だからそのたびに清浄な平生の気に戻り、また龍を迎えるということを繰り返すことになる」
「そうか。ならばこの空気が新鮮になって良いんだが」
ところが、この龍の場合は結界というものへの思い込みが強く、いつまでも逃げ出せないでいた。
いや、元の原因である雷峰塔が未だ龍女の力を封じていたのだ。
鍵を握る孫権もやがて急用ができて中国に帰ってしまい、対処の仕様がなくなってしまった。
これには瑾董も困った。自分になじんで”飼い龍”になってしまったのだろうか。
龍の意を汲むなら、閣は壊すべきでないことになる。だが、当初の約束はどうする。
その他の方法は?
孫権が残していった神仙開闢録には、臥龍が神仙へと昇華するには、対極的な鳳の導きが要るとされていた。
それは、世界的に一つの機が熟したとき以外には、ありえないこととされていた。
まさかこのいつ来るか分からないときまで待てるはずはない。
だが、取り壊す損失は、その金額を超えて計り知れない。
瑾董は、この臥龍の気持ちを癒すために、よく八角堂で執務した。
龍も程よく瑾董になじみ、その傍らで小さくなって眠った。
また、瑾董にまとわりついた状態で彼が外に出るとき、力は限定されていたが龍女も共に外に出た。
そんな時、決まって赴くのは山の手の別宅だった。
そこには、幼くして纏足を施されて外出不能となった後妻を住まわせていた。
彼女の面倒は召し使いがみて、外との接触といえば、訪問客を椅子に座ったまま接遇して話する時と、瑾董の寵愛を受ける時に限られていた。
夜、燭光をともしながら、階段をこつこつと上るあの足音の響きを心待ちにする彼女。
いつしか、龍女は同じ身の上の彼女に同情し、乗り移って、より激しい人間同士の情交を味わうようになっていた。
瑾董もそうとは知らずこれに応ずる。
寝台の側にある薬箱の鍵を開けて、二枚貝に入った軟膏を指にとる。
「ごらん。これは鮠湛という媚薬だよ。この周りに塗ると、すごくよくなる」
「ああっ。熱くなってきます」
「蜜もたくさん出てきたね。じゃ、入れてあげよう」
「ああーっ。いい。すごくいいです」
「愛してるよ」
「私もです。あなたーっ。ああーっ」
それは二人分、いや何人分もの増幅された喜びのときであった。
なじむに従い、龍女は後妻の視座と知識を手に入れて、不自由な身を少しばかり自由にした。
また、孫文もその後、八角堂をときおり訪れた。
そんなとき龍女は、この両者の間を喜んで飛びまわった。
ある日のこんな会話も、耳にした。
「孫文君。君も察しているだろうが、組織は決して、中国のことを考えてくれているわけではない。
組織は結果的に世界を一つの経済圏にしようとしているのだ。
専制君主の国によって、秩序が乱されることが少ないだけましといえるが、今度は経済という魔力によって人々を縛ることになるだろう。
さしずめ、白人至上主義によって、東洋人の我々は亜流にされることが目に見えている。
貧しい中国は、なおのこと搾取の対象とされないかと心配だ」
「阿片漬けにされることはもうないでしょう。理性が生まれますからね。
しかし、理性を前面に出した経済競争の中で、次第に植民地化されてしまうことでしょう。
すでに、シナリオがあるといいますから。
祖国を思う者として、その成行はとても座視できません。
そうさせないためにも、強い国をそれより以前に作り上げておかねばなりません。
たとえ、組織の掟がどうあれ、愛国心まで変えることは・・ゴホッ。いや、失言しました」
「大丈夫だ。私には何でも言ってくれたまえ。私は君を息子だと思っている」
「心丈夫です」
「早い統一が望まれるな。来年には、本土に戻るか」
「中華民国政府を広州で旗揚げします」
「勝てば良し。拮抗して長引けば、列強侵略の口実を作ってしまう。
頑張り給え。そのためにも、ここは頭脳明晰にする場所として好適だ。
しっかり、プランを練ってくれ給え」
「こんなに気の充実した別荘はありません。英気を養って本土に望むつもりです」
翌1921年、孫文は広州で中華民国を建国した。
しかし、どこからか、組織に彼の信条が知られてしまう。同様に、瑾董においてもである。
彼らが、組織に命を狙われる可能性が出てきた。
ちょうどこの頃、西湖の湖畔の白娘を幽閉していた雷峰塔が倒壊した。
これと同時に、八角堂に居付いていた龍女に転機が訪れ、八門の一つから逃げ出し、瀬戸内の眷族を頼って去っていった。
孫文と瑾董からは、牢に閉じ込められる不安も去ったが、覇気も去った。
孫文は、志半ばに四十八の生涯を閉じ、瑾董もその後しばらくして亡くなった。
その死に、組織が関与した可能性を残しながら。ただ松林と八角堂が残った。
ネアンは、一生を振り返るように、小さなカンバスに松林の中の青松邸を描き、そのとなりに八角堂を描き上げると、砂浜からそっと姿を消した。


乙姫と浦嶋  (ムー大陸と海没、蓬莱島竜宮の由来)

こちらは、尉に伴なわれて浜辺に突き出す岩場に開いた洞穴へと誘われるイナンナである。
「私を存じておられましょうか?」
「いいえ、分かりません」
「無理もありますまい。あなたが白蛇の化身としてご苦労なされたときより、さらに遡
りますからな」
「白蛇の化身とは?」
尉は目を細めて心を読み、イナンナの記憶が戻っていないことに気がついた。
「では、白蛇伝という中国の物語をご存知ですか?」
「知っています」
「やや筋書きは異なるかもしれませんが、あなたはその白蛇の化身でしたのじゃ」
「ええっ?それは作り話ではないのですか?」
「そう思う者にとっては、それでしかありませんがな」
「では本当のことなのですか?」
「はい」
「詳しく聞かせてもらえませんか?」
尉はゆっくりと頷いた。
「その昔、あなたは神界から流れ出る忘却の川を流れてまいられた双子の男女のうちの女の子でございました。
この川を流される御子はみな神の御子で、禁忌の御子であると決まっております。
私は仙術で、もう一方の男の子とあなたは、一つの魂を分け合った分身同士であることを知りました。
それはまた、遠い遠い過去のこと。
幾度もの転生を経て、あるいは出会い、あるいは別れ、あるいは離れて、それぞれにおいて自己実現なさった由。
その引き合う力は尋常ではなく、その力の強大さゆえに多くの者を利し、また多くの者を損なうことを無邪気に重ねて参られた由。
これゆえ転生の身では、功過に左右され、曲折に満ちた道を歩んでこられた由。
訳あって神界を流されたことも容易に察することができました。
そして、私が拾い上げ、お育ていたす段になり、お二人を共にしてはそれぞれに災いが降りかかろうと、
あなた様はかつて縁あったところの、わが旧友であるシャカラ龍王に預けたのでございます。
それより過去世において、あなたはシャカラ龍王の実の娘であったことがありました。
ゆえに、再びの縁に龍王はいたく喜ばれ、あなたを手放そうとはなさらなかったのです。
その愛情すらも恨めしく思われ、逃げ出されてしまわれたのも、かの引き合う力によるものと心得ます。
私は、またこれではいかぬと、男の子のほうをさらに人間界に修行に出しました。
ここまでは、神の身なるもの、あえて身の危険を冒してまでやりぬくものは僅少。
おそらくは時至るまで、我慢なさろうと存じたのですが不覚でございました。
あなたは旅の雲水仙から、人間界に下った分身に逢う方法を授けられ、西王母の蟠桃園を荒らされ三千年に一度なる桃を盗み出し、阿弥陀のもとでの仏道修行を中座した白蛇と合身なされ、追っ手に追われながら人間界に下られました。
お二人の引き合う力はかくばかりかと、龍王も私も目を丸くした次第です」
「何とはなしに親しみのあるお爺さんとは思えるのですが、記憶はなぜこうも残らないのでしょう」
「私は尉の役をしておりますが、鳳の翁という者です。双子の男の子の育ての親でございます。
あの時は双子が共にいては問題があろうと、引き裂くことを二度に渡って行ってしまいました。
申し訳なく存じます。
しかし、此度は大義も定まり、助力申し上げることとなりました。まずは、あなた様の拠り代をしらさむとてまかりこした次第です」
鳳の翁は硬く光る紫水晶の洞窟にしつらえられた能舞台に案内する。
松明が舞台の両脇に揺らめき、風の通り良さを感じさせた。
尉の姿の翁は舞台に上がるのではなく、客席にいて、イナンナに舞台に上がるように勧めた。
「まあ、上がってみられませ。客は誰もおりませぬ。此度はあなたが主役でございます」
イナンナは、上がってみるだけかと思い、階段を踏む。すべすべした檜の舞台の感触を足の裏に得た。
「ここで上演される新しい出し物は、”竜宮乙姫”でございます」
翁がそう言うか、舞台の光景は去り、イナンナが次に見た光景は、自らがあくまでも青い空と青い海を臨む高台に足を踏みしめている様であった。
イナンナの意志とは別に、イナンナの過去である女は、側にいる者に対して、振り向くことなく何かをしゃべっている。
「ラピュロス神よ。この島国を邪悪な志の者たちから守るというムー国民の意志はよく分かりました。
私は、海神としてこの海をいかようにもすることができます。しかし、邪悪でない者の処断はできません。
もし、彼らの船に、ただひとりでも正義の者がいたなら、私は風浪を起こすことはできません。
たとえば、千の邪悪の中に、一人の義者あらば、この地に上陸を許すでしょう。いかがなさいますか?」
「その場合は、仕方ありません。残る邪悪な者たちと本土決戦せねばなりません。
しかし、この島国に、おそらく国王は軍を置きますまい。替わりに私が、何らかの手立てを講じねばなりません」
「しかし、ラピュロス神。時の流れは次第に邪悪化の一途をたどります。これはまるで法則のようなもの。その理由は誰も未だよく分かっていないのです。
それに逆行するという意志を見せた国王。それに肩入れなさる御身。何ゆえ、困難をあえて行おうとなさいます」
「この島国が、この地球において、最後の聖地であったという一つの歴史を刻むことができれば、どれほどこれからの民人にとって励みとなることでしょう。
やがてここは、悪しき者の蹂躙する場所と化し、その時すべてが世の常のように瓦解したとしても、時の流れの記憶の中にこの国が暗黒の中の光明として浮かび上がれば、先の見通しのない霧の航海においても、人々は指針を見失わずに済みましょう。
それは国王の意志でもあります」
「お志、よく分かりました。極力、この地を守り抜いてみせましょう」
この国は島国でその名は、ムー。つまり、後世にムー大陸として語り継がれるようになった伝説の大陸である。
「ありがとうございます。シャカラ龍王にかねがね協力を仰いでいた甲斐があったというものです」
ラピュロス神は、ムー国の守護神である。
国王が海原の巫女を介して訴えかけたので、この神が海洋とアジア大陸部の龍王たちに呼びかけて、この国の内に巣食う拝金主義者たちを、ある策略を用いて一掃した。
アジアの山岳部に、龍王が大量の宝玉を埋蔵しておき、その情報をムー国内に広める。
航海に秀でたムー人たちであったため、欲得に目のくらんだ者たちの多くが出て行ってしまうこととなった。
残る者は、欲張ることのない堅実な者たちということに、ひとりでになってしまったのである。国の構成員は、国の平和と安泰の基礎となった。
しかし、故郷はまだしも広大であり、巨万の富を得て帰途に就こうとするものがほとんど。ムーを守ろうと約束した女神の名は、メデウサ。
気高く美しく、姉妹神とともに仙術武術と美貌を兼ね備えた、シャカラ龍王の娘であった。
女神は、外洋からやってきた場合、潮の加減で必ずたどり着くムー大陸のチョンドル砂洲の外洋出口の沖に陣取り、船舶の入航を見張った。
そして、大量の武器弾薬を積み武装した帰還集団の船が外洋に近づくと、女神は眷属の力を結集し、すさまじい風浪を起こし、ことごとく沈没させてしまったのである。
その船の数は1千隻。死者の数は、五万人を数えた。
どの船も一向に帰還できない。
あれほど難所の少ない穏やかな海洋であるにもかかわらず、これは何かの祟りと考え、アジアに残された者たちは、現地の神官を介してアジアの神に祈りをささげた。
そうすると、中央アジアの守護神であるスサノオ神が、用件を聞き届けたのである。
スサノオ神はこのとき、さらに西域に住む西王母の訪問を受けていた。
西王母:「人間にはさまざまな可能性を持たせてあるということです。
それをただ不正義であるからと言って封じてしまうというのは、文明の発展を阻害することになってしまいます。
初めは不健全であっても、人間に内在する幸福を希求する能力によって文明は漸次品格を向上させるもの。
最初から理想を維持しようなどと、ムー国王はじめ彼らに荷担する諸天の気が知れませぬ」
スサノオ:
「人間と同様のことが、私にも言えています。
初め荒くれ者だった私も、世の辛酸を舐めてかなり品格を向上させましたからな。
要は、初期には荒波に揉まれてこそ、苦労を舐めてこそ、世の全体に公平な目を向けることもできる次第。
それを純粋培養して人間を育てようなどとは。ひ弱な人間などこの世に必要なのですか?
そのような目的で作り出されたものではありますまい?」
西王母:
「時の流れがどういうものか、分かっていないのです。龍王が味方しているとか。
彼らは世の執政に直接関わらぬ旗本ゆえ、あのような愚行もできるのでしょう。
ひとつ、あなたの力で懲らしめては」
「相手は武力を用いているゆえ、こちらも話しがつかなければ武力を用いることになります。そうなれば、昔取った杵柄」
「頼もしいですこと」
こうしてスサノオ神は、アジアの東から、300名の元ムー国人を乗せた船とともに出帆した。船の舳先には、二本角の牛頭の木彫像が飾られていた。
これをチョンドル砂洲沖で見つけたメデウサ女神。異形の神が先頭に立っているのを見て驚いた。
「いずこの神や知らん」
すると、船の接近にともなって、声が呼ばわった。
「そこに潜む神は、ムー国を守ると称して、この海洋を荒らす神か?われはアジアを守護するスサノオの神なり」
<これが噂に聞く・・荒くれ者の・・>
「300もの悪人が乗船と見た。しかし、神がおられるとなら、義者一人たりとも乗船ならば風浪起こさずの誓いを守らねばならぬ。
そなたは、神とは言えど、真に義者と言えるのかどうか?」
「面白い誓いだな。我はかつて不義をなしたが、今は義者であるぞ。その辺までは読めぬか、メデウサ」
「神に及ぼす読心術は心得ていない」
「我は義者なり。同様に、ここに乗せ来る者も、今は不義なるかも知れぬが、いずれ義者になる可能性を持つ者たちである。
過去の罪状をもって、今を裁くとなら、また今の罪状をもって、将来を裁くとなら、我も同じ。いざ、ためらわず勝負するがよい」
「うぬ」
メデウサは腕を回して眷族に指示を与えた。
すると、雲にわかに沸き起こり、風浪がいきなり起き始めた。
人には見えないが、神や霊能者には、海原を大きな水かきのついた両手で海面を上げ下げする数十頭の巨大生物が見えたことだろう。
また空の雲の中には、大きなふいごのような口をした巨大生物が三頭、口をすぼめて息を船に向けて吹きかけていた。
船はいきなりのことに木の葉のように舞う。甲板からは振り落とされる乗員数知れずとなった。
そのとき、スサノオ神は、腰に帯びた剣を抜いた。
剣の光はそこから放射するようで鋭く、ただ空気にさらしただけで、妖怪たちは目をやられ、活動を停止した。
「何をしている。ならば海中からだ。シャチの軍、総出動せよ」
今度は船に体当たりするシャチの群れ。ぶつかられるごとに、堅牢な船底も破れていく。
そのたびに、激しい振動と、右揺れ左揺れする船。
船の中は危ないと甲板に出た者はすべて、海に落下し、シャチやサメに食われた。
そのとき舳先の牛頭が光った。スサノオ神が剣を伸ばし、海洋を撫で切っていったのである。
すると、シャチやサメの群れは、しびれたようになって、腹を背にして浮き上がった。
かろうじて数十人の疲労困憊した乗員を乗せて、浸水しながらも、船はムーの砂洲に打ち寄せた。
スサノオ神は砂洲に降り立つ。迎えるは、メデウサ女神。
「メデウサ。そなたと勝負じゃ」
「よし」
メデウサの背中に負った剣が抜かれる。スサノオはすでに抜かれた剣を正眼に構える。
「はあーっ」
短刀がメデウサから数本一気に放たれる。スサノオはそれらをたったひと掃きで打ち落とした。
その隙に打ってかかるメデウサを、次のひと掃きで剣もろとも断ち切ってしまった。恐るべき剣の威力。一瞬の太刀捌き。
さらに小刀を抜いて戦おうと向かってくるを跳ね除け、まるで俎板の上の鯉を切るかのように、メデウサの体に滑らかに刃をいく筋も入れていった。
血はほとばしる。衣は裂ける。
体を押さえ込み、胸元に剣の先を向けてとどめを刺そうとしたときに、切れた衣がはだけて、太腿をあらわにした。
その白さに驚くスサノオ。見れば、顔は左半分がざっくり斬られてはいても、右半分の美しさ。
押さえ込んだ胸の柔らかさにふと気づき、剣を引いた。
周りに集まる眷族は心配そうにしている。スサノオはかつて姉神と対立したときのやり過ぎを思い出した。
「まだ命はある。手当てしてやれ」
そう言い残すと、雲を呼び、それに乗って西の空へと去って行った。
以来、船の舳先に牛頭を飾れば、水難は避けられるとのことで、ムー大陸を目指す者が増えた。
ムー国王は、それからの治世20年の後に、荒み行く国情を見ながら、側近の大臣の手で毒殺された。
国は、わずかに残った良識ある者たちが居留地を形作るにとどまり、残りの大半は、豪奢な暮らしと競争に明け暮れる体制作りに日夜を費やした。
シャカラ龍王の嘆きは、激しいものだった。
ようやくさまよう国王の魂を竜宮に招いてからは、落ち着きを取り戻したものの、廃れ行く国情を見てはおれんと、竜宮に引きこもる日々となった。
それから60年後、地上では戦争が大陸を隔てて起きた。強力な核兵器までが、飛び交って戦われた。竜宮も、その振動に大騒ぎとなった。
ムー国民も大半が命を落とすに至り、決められた量の破綻があればと条件付けられていた大地殻変動を、龍族が力を合わせて起こすこととなった。
ラピュロス神はじめムーの諸天たちも同意した。
こうして、巨大な地震と火山活動が勃発し、あたかも核兵器使用による弊害を醸しながら、ムー大陸はほとんどを海没させてしまったのである。
このとき、居留地にあった人々はそのまま居留の大地とともに異次元空間に移動し、蓬莱島となって異次元の海原に浮かんだ。
また、竜族に縁の深かった人々は、海没した南東部にあった地下空間に運ばれ、竜宮の入り口の里人として、諸龍との交流をはかりつつ残ることとなった。
アジアの神々は、これを見て快く思ってはいない。
ただ、大陸がなくなり、人が生きる下地がなくなったために、人のことにかこつけて干渉していた理由も見当たらなくなった。
それも、人々が互いに滅ぼしあってした結果である。
スサノオも、思っていたような品格の向上が果たされるどころではない結果になったため、とても口出しできたはずもなかった。
この変災で、地上の人々の9割以上が死に絶えた。
しかし、魂はまた輪廻し化身する。この空白期に、また新たな人類教化の法則を作りだし、次の人類のために用意する。
アジアの神々にとっては、さほど難事業ではなかった。

乙姫と浦嶋

新たな時代の初期、メデウサは竜宮で、傷だらけの肢体を横たえて、その日も泣いていた。
ムー国内に外国からたまたま入り、のんびりできると逗留していたアブラム道人。
その医術で、メデウサの身体は日増しに良くなっていた。
ところが、道人は人間の身。老齢であり、やがてこの世を去り、功過に従い、新たな輪廻に旅立つ。
それを嘆き哀しんでのゆえであった。
「ああ。人の身にありながら、恋しい人であった。何よりも風悠を好む風流人でした。
あのような方こそ、この世には必要なのです」
龍体に変じても、左目に傷を負い、左側の肉髯が途中で切られた様は、とても痛ましいものがあった。
神剣で斬られた傷は、神といえども容易に治らない。
しかも、男スサノオに露な白肌を見せ、また乳を図らずも掴まれたことに、女心を乱れさせるメデウサであった。
良い殿方たちは、他の姉妹に心引かれている。とても傷だらけの者には振り向かない。
この頃、活動を止め、もはや人間の崇拝の対象ではなくなった彼女は、普通の龍女となり、閑居する竜宮で乙姫と呼ばれていた。
そんなとき、南太平洋のとある島から、小船で釣りに出た人間にいたく興味をそそられた。
<何と、かわいらしい男>
深い腰蓑をつけてはいるが、日の暑さのせいか、さかんに太腿を間から覗かせている。
汗ににじんだ褐色の肌の光沢の良さ。興味したのもそのはず、後にこの男がアブラム道人の生まれ変わりと知ることになる。
乙姫としては、はじめて人間をかどわかしたくなった。人間に対してならば、化身を使えるゆえ、どんな美女にもなれる。
こう考えて、隙をうかがった。
海に出ていたのは、18才になる浦の嶋子という者。
その日は釣り果がまったくなく、海も凪いで日照のため、うんざりしてただ糸を垂れていたのであった。
それもそのはず、このあたりには妖気が漂っていたため、近づく魚がいなかったのだ。
ただ、小ぶりの海亀だけが、船の下を行き来していた。
<なにか下にいるな?よし。餌をその前でちらつかせてやれ>
浦嶋は何かの影の動くあたりに釣り糸を垂らし、餌を上下させた。
すると、それはパクッと食いついた。竿はしなる。
大物かと慎重に糸捌きをしたが、案外下の物は素直に上がってきた。見れば、海亀。
<まあ、これでもいいか。今日は亀汁でも作ろう>
浦嶋は、亀を船に引き上げた。亀はばたばたもがくでもなく、しげしげと浦嶋を見つめていた。
「はあ。今日はお前だけだが、おいしい料理ができるだろう。さあ、帰るぞ」
櫓を手にしようとして、向こうを見て、再び亀のほうを見やったとたん、浦嶋はびっくりして腰を抜かした。
薄桃色の軽やかな衣装をつけた美女が、はべっているのである。
「あ・・あんたは・・」
「私は乙姫と申します。あなたがあまりに麗しいゆえ、ここにまかりこしました。
どうか私とともに、私の住む竜宮にいらしてください。なに不自由ない暮らしをさせて差し上げましょう」
父母はいたが、独身だった浦嶋は、美女のあまりの申し出に何も疑うことなく付き従った。
その日から、二人の蜜月の時が刻まれた。
根が龍女の激しい恋は、とても粘く、若い浦嶋の体を快楽で潤した。
浦嶋もこれに応えて、乙姫を快楽の海におぼれさせた。
食べて、呑んで、踊って、そして交わり、ともに眠った。
眠りの夢の中で、二人がかつて辿った過去世の逢瀬の状況をつぶさに見た。
浦嶋は龍に見初められるだけの格式であり、むしろ浦嶋が乙姫の窮状を見て、アブラム道人になり、漁師浦嶋として化身していたことも分かった。
いよいよ、恋は愛の高まりも加わり濃密なものとなった。
そんなある日の二人の夢の中に、天帝が現れ、二人に一つの夢を見せた。
先に書いた蘇民将来の話である。この最後に、スサノオが改心して、正義というものに厳しくなっていく様を二人して眺めていた。
そして夢が覚めてから、乙姫はこう言った。
「もしかして、スサノオ様は、正義と邪悪を別けていくお考えになられたのでは・・」
この夢のストーリーは、東アジアのとあるところで実際にあったこと。
スサノオは、噂や陳情で動いたいい加減さを反省し、龍族と戦ったことさえも申し分けなく思い、かつて斬り裂いたメデウサの行く末を案じ、彼女を娶ってやらねば行く所もなかろうにと案じているのであった。
その後しばらくして、スサノオは竜宮もうでして、メデウサすなわち乙姫をもらい受けようとやってくる。
それを事前に知った乙姫は、浦嶋がすでにいる手前、またも戦になるかもしれないことを憂慮して竜宮を離れ、蓬莱島に至り、乙姫は亀に変じ、浦嶋は鶴に変じて、ともにむつまじく隠れ住んだのである。
スサノオは、乙姫と間違え、よく似た三女のハリナメを妻にして、竜宮での濃厚な恋のひとときを過ごし、二人の間に八人の王子を設けた後、みなともにアジアへと帰還していった。
思い出の場面は、しだいにおぼろげになっていった。
「いかがでございます。イナンナ様」
はっと気がつくと、そこは洞の中の舞台であった。尉は、すでにそこにはいない。
イナンナは洞窟をふらふらと出た。自らがどこから来たか、思い出せないのである。
そうするうちに、大きな地震が発生した。先ほどの岩場の洞は、その揺れによって崩れていった。そのとき、尉の声だけが聞こえた。
「あなた様が動くときには、地も動みます」
まるでそれは、空間すらも地割れさせるかのようであった。
そして眼前が、ちょうど画用紙に書かれた絵が真ん中から破られるごとき様相で、別の背景が現れたのである。

神話の伝授 (洋一からネアンに)

いつしかイナンナは森を見ていた。そこに声がした。
「イナンナ。ここにいたのかい」
見るとネアンである。そこでようやく、自分の来た道を思い出したイナンナ。
「ああ、会いたかった。どこに行ってたの」
「いろんなことを見てきたぞ」
「そうだ。まだ夢見てるんと違った?」
「そうなのか?これで普通なのと違うのか?」
「続く限り、夢見しよう」
「うん」
二人はそのとき、妙な立て札を目にした。
孔雀堂と書いてあった。いわくありげに思い、二人はそこに向かった。
朱色と緑と白の鮮やかな四角堂があった。その扉に、何か看板がかけてある。
「孔雀懇談会会場か。なんだか、つまんなさそうだ。違うところに行ってみる?」
「だめよ。この夢は啓示夢だから、成行に逆らわないで」
「まだ夢の中だからな。じゃあ、入ってみようか」
「うん」
ネアンが扉をノックし、押し開けて中をうかがおうとした。
「どうぞ」
ネアンはまず中に入ると、イナンナも続いた。
自然木でできた大きなテーブルがあって、その上に木製の等身大の孔雀の置物があった。
その向こうに男の人がいた。
「こんにちは」
「はじめまして。私は小菅洋一と言います」
「私はネアンと言います」
「イナンナです。よろしく」
しげしげとお互いを見詰め合った。
ネアンと洋一はよく似ていた。
眼鏡をかけているやや面長で鼻の下の長い顔。まるで双子の兄弟と見てもおかしくはない。
「どっちがあなた?」
イナンナがそう言うと、みなしてはーっははと思わず吹き出していた。
「ここで待っていました。ここで待っていると、やがて来る人が神話のまとめをする人
だと聞かされてきたのです。そういった話は聞いてますか?」
「神話をまとめる?そんなことは聞いていないですが」
「ならば、私がお話ししないといけませんね。まとめをすべき人がたぶんあなたがたなのです。
神話としてまとめて世に出すとき、その神話が世を変えるべく動き出すというのです。
私はまとめをする人に、背景になっている事実を書いたこの資料を渡さなくてはなりません。
ネアンさんでしょうか。それともイナンナさんでしょうか?」
「でも、そんな話、知らんですよ。ただぼくらは、自己探索のために夢を見ていたんです」
「あなた。それはきっと、神の経綸のことじゃないかしら。私の恩師はそのことに心を砕き、志半ばで亡くなっているのよ。
誰か志を継ぐ者が現れるだろうという話を、周りの人にして亡くなっているのよ」
「君が受け継ぐべき仕事なの?」
「いいえ。あなた。あなたがお引き受けしてください。私は母子家庭を抱えていて、ただでさえたいへんだから」
「分かるよ。し、しかし・・ここに来たのは、そんなことなの?人違いってことはない?」
「いいえ。私は梵天特使の目としてついていきながら、あなた方の姿を見ています。間違いはありません」と洋一。
「あなた。神話をまとめることで、自分たちの存在理由がわかるかもしれないじゃない」
洋一はテーブルにルーズリーフノートを広げ、ぱらぱらとめくって見せた。数十枚はあろうか。びっしりと書きこまれている。
「これは私が見聞きした話です。これにあなたがたが神話を追加するとき、神話が効力を持つと言われています。どうです?読めますか?」
「うわあ。なんたる汚い字」
洋一は、困ったような顔。
「清書しましょうか?」
「いや、よく見たら、ぼくの書く字によく似ているよ」
「ほんとだ。もしかして、あなたたち双子と違う?」とイナンナは笑う。
「あほ言うなよ。ぼくに男兄弟はおらんよ」
そう言いつつ、洋一の顔を見て、昔のふっくら気味の自分を思い出すネアンであった。
「もしかするとあなたは、昔のぼく?それとも、分身?」
「さあ、私には分かりません。
私にはできないと梵天特使に素直に申し出たため、今日ここに来て引き継ぐように言われたのです。
とにかく、神話を書く必要があります。それを作り上げたら、孔雀に持たせてください。
そうすれば、孔雀が運び、神話が起動するということです」
「えっ、どういうことですか?」
洋一は、梵天特使から頼まれたことを一部始終語った。その中で、神話がどれほどの効果を神界に与えているかも語った。
いろいろと言付けを聞いたネアンとイナンナは、孔雀堂の洋一のもとを後にした。
「しかし、このノート見ろよ。とても憶えて目覚めるというわけにはいかないぞ」
「ここに何度も足を運ぶことかな」
「同じ夢を何度も見るなんて、できるのか?ぼくには無理だよ」
「私にはできるわ。だからあなたをここに連れてくる。そうだ。洋一は孔雀だけはずっとあそこにいると言っていたよね。とすれば・・」
「あのお堂もあそこにあるんだ。だから、あそこにノートを保管しておいて、あそこで作業することもできる」
「いいえ。やはりノートは持ち歩いたほうがいい。
私は、八角堂に袋に入れた光るものを、必要な人に届け終わるまではいつも持ち歩いたよ。
それはあなただったけど。届け終わったら、もう持っていなかった。
そういえば私があなたに届けたものって何だったんだろう。あなた、今はもう持っていないの?」
「ぼくはもらったという記憶はないよ。ほんとうに渡してくれたの?」
「もしかしたら、この夢で探せるかもね。夢で渡したんだから」
「今はそれどころじゃない。これを持っておくこと自体が大変なんだぞ」
「大丈夫。そのときにはね、あえてノートを意識すれば自然にノートを手にしてるわよ。
それが夢見というものなの。
ただし、よほど力がないと、ノートの形が変わったり、もしかしたら書いてあることさえ変わったりするから、私がガードしてあげるわ」
「しかし、そういつも会ってエッチしておれないぞ」
「エッチをしたから夢見が出きるわけじゃないよ。遠くても、寝る時間が同じであれば、一緒の場所で出会うこともできるようになる」
「そんなものなのかなあ」
そうするうちに、二人はそれぞれに目が覚めてしまった。
おかしなやりとりはしたが、肝心のノートに思いが及ぶ。ノートはもちろんあるはずがない。
大丈夫だろうかと、二人して夢見の成果を電話で話し合った。
そして次回は、ノートばかりでなく、イナンナが持っていたという袋の中の光り物を探してみようと約束しあった。
それから4日後であった。二人は夜半から夢見をして、同じ場所である孔雀堂の前に来ていた。
といっても、夢見に秀でていたイナンナがパワーをかけて、ネアンを呼び寄せたかというと、そうでもないらしい。
というのも、イナンナは不規則に床につく子供たちに翻弄され、事前に意識することなく眠りについてしまっていたからである。
どうやら、どこか超次元の力あるものが加勢してくれたか、この場所が二人を呼びつけたもののようである。
ネアンとイナンナは、お堂の中で、洋一の書いた資料を見た。
その日記のような、メモ書きのような中身は、洋一が乞食方士と出会い、大震災の神話を聞かされたことに始まり、雌岡山で見聞した世界創生から、この実験炉宇宙創生と汚濁化、梵天の介入、さらに梵天の密命を帯びた特殊工作員としてのネアンやイナンナの素性に至るまでが書かれていたことにより、二人は梵天の計画に組み込まれている存在であったことに大いに驚いたのである。
それはまるで、自分たちの拠って来たる一部始終が書かれたアガスティアの葉を見る如くであった。
「震えちゃうよ。これを洋一さんは神話物語として補完するよう言っていたなあ」
「このメモの冒頭にあるように、神話として立ち上げたなら、神々が現象界にその内容を投影すべく舞を舞うというわけなのね」
「それも、ノイズのような幾多の神話を凌駕するものとなるらしい」
「じゃあ、あなたやってください。あなたは、神話を作る資格のある人間として生まれているみたいだから」
「だが、神話の効果があまりにも強いということなら、よほど慎重にかからないといけない」
「ハッピーエンドが必須条件ね」
「君はそれを望むのか。うーむ。子供のこともあるしなあ。
でも世に知られている予言や神話は、世の終わりを語るものが多い。
ぼくもいい加減、終わらせるべきかと思ったりするんだが」
「だから、それを良い方向に建て直して、存続させるという神話にすればどうなの?」
「それをするなら、悪の種を蒔いて省みない連中を処断することが必要だ。
つまりここに書かれている天仙をどうにかしないと・・。
ぼくらに対して、際どいほどの危害を加えようとしているんだぞ。
そうだ。天仙をどうにかしなくちゃいけないんだ。まず悪の根を絶つ。
そうしなくては、いくら末端の悪を掃除しようとしても、いたちごっこになる。
ぼくはまた、このどうしようもない世はいったん終わらねばならないと思っていたが、それだとまた同じことが繰り返されてしまうんだ。
君の言うとおり、原因を作ってきた者を一掃して、世界の方向付けを良いものにするほうがいいに決まっている」
「じゃ、新しい神話で、今まであった終末神話を塗りつぶさなくてはならないね」
「そうだ。黙示録ですらも怪しいもんな」
「やろうよ。具体的にどうするかは、私、結構今までの臨死体験の時の夢なんかから、ヒントを得てるんだよ。私がヒントを教えるから、あなたが書くというのはどう?」
「君のほうが文章はうまいけど、忙しすぎるもんな。暇のあるぼくが書こう。君はそれを見てオーソライズする役だ」
「オーケー。それで行こう」
「じゃあ、ぼくはこの内容を確実に読んで、物語風文章に書き上げるよ。ここにあることは、新しく書き替えられる神話の前置きとして物語化しよう。
このあとに続けて、実現すべき神話を書くという具合だ」
「お任せします。ところで、ここでまだ残ってやる?私はもうすぐ子供がおしっこに起きるから帰るけど、あなたも適当に切り上げてね。まだ何度も来れると思うし」
「分かった。君は先に帰って。ぼくはもう少しここにいる」
「じゃあね」
「うん」
ネアンは、動かない孔雀にそれとなく言った。
「お前は何か食べてるのか?いつからここにいるの?」
「・・・・」
「言っても答えないよな。でも、何で孔雀なんだ」
孔雀は、梵天の娘を玉若が救出した際に、追尾するはくもん王の車を弾き返す役目をした。
この孔雀も、神話を介して、あくどい天仙たちを撃退する力を発揮するのではないか。
そんなことはまあいいかとばかり、ネアンはメモ書きを繰って読んで、理解を深めた。
それから幾日経ったか、またも二人して孔雀堂に来た。
不思議なことに、ネアンが前にこういうことだと理解できた筋が、一巻の巻物にびっしりこまかくネアンの字で書かれていた。
「どういうこと、これ。ぼくがメモを見てこうだと解釈したふうに、書いてあるよ。誰が書いたの?ああ、ぼくの筆跡だあ」
「夢の中では、理解したとたんに実現してしまうのよ」
「それは便利だなあ。これを現実の世界に持って行くことはできないのかなあ」
「無理でしょ。思い出しながら書くしかないよ」
「それは不便だ。夢から覚めたとき、かなり忘れてしまうもんな」
「そうね」
「また会えたことだし、新しい神話をどうすればいいか考えようよ」
「いわゆる、世界の建て直しだよね。ひどい破壊に遭わずに、世の中全体が正義に立ち返ることね」
「今の利益主義、利己主義、拝金主義なんかとともに、それを成り立たせている仕組みを直す必要がある。
そのためには多少の犠牲もやむをえないんじゃない?」
「やはり痛みを伴なうのか。生活ができなくなると困るな。なるべく穏便にお願いします。私もアイデア出すから。私は臨死のとき、地獄の最下層まで行ったけど、黄金の鳥に掴まって脱出し、地獄の各階層からどんどん上がって行って、天国の直前まで行ったのよ。
天国は、まだそのとき建設途上で、入れなかった。ただ、光が満ちた空間があっただけ。
きっとそこに、私たちが創る光景が入ることになるんじゃないかな」
「そうだ。君がいいヒントを出してくれたよ」
「えっ?」
「まあ、見ていたらいい」
ネアンは巻物の空白に新しい神話の筋を書き始めた。
それは一気呵成であり、夢の中では現実と違って、いかに自由にまた想像性豊かに事が成就して行くかの特長を見せてくれるひとこまであった。
イナンナは興味深くそれを覗き込もうとしたが、そのとき何かに吸引されるようにして、小屋から消えてしまった。
後でネアンが聞いたには、たまたまむずがって起きた次女に、無理やり起こされてしまったということだった。
こうしていつしか、ネアンを主体にして神話の製作は進捗していった。

火の鳥効果

さて、こちらは天尊の宮殿である。
天尊は主たる裁定の仕事のため、調査結果の逐一が上がってきていても、検分がややおろそかになっていた。
そんなとき、山積になった報告書の一つを目にした天尊は、直ちに太公望を呼んだ。
「ははっ、お召しで」
「太。いったいこれはどういうことだ」
そこには、宇宙連盟側からの報告で、地球に調査もしくは工作に入った調査船のすべてが、昨今の電磁異常により行方不明になっている。
至急上位からの調査を依頼するという旨の依頼が書かれてあった。
「ああ、これに関しては、噂を聞き、すでに調査員を地球に送っております。これだけの船舶が行方不明になっているとは・・。
もしかするとこれはすべてがすべて、こうなっているということかもしれません。緊急命令に切り替えます」
その中には、ネアンを拉致検査するはずの工作船も含まれていた。程なく調査員からの報告が入った。
「原因不明の電磁異常が地表を覆っており、地球だけがちょうど宇宙から隔離された状態に等しくなっております。
このため、ここに新たに立ち入ろうとする物理的物体は、位相の違うところに侵入する形になり、そこにひとりでになじむまでは一時的に物理法則の埒外に置かれることが判明しました。
宇宙船などは、高速飛行するゆえに、なじむまでにいたらず、すべて操縦不能となり墜落したものと考えられています」
「なぜこのようなことが起きた」
「おそらく火の鳥の保存処理といわれるものかと思われます」
「またか」
「エルモナイトプレートによりますと、火の鳥は復活時、およそその時点におけるすべての状態をそのまま保存しようとするそうです。
すなわちそこに含まれる魂の構成要員を把握し、地球からの脱出と侵入を阻止するように動くもののようです。
それをファイアーウォール効果と言うとか。そして文明再生の効果を、保存した範囲内のものだけに及ぼしていくらしいのです」
「ではなにか。我々が新たな人選を他系から持ち込もうとしても困難というわけか」
「そうなるかもしれません。まだ私は行っていないので、何とも申せませんが」
「いいや。妻にその任務を与えておる。闇太后を呼べ」
「ははっ」
やがて飛行艇に乗って闇太后が到着した。
「何ですか?私の人事には何の支障も出てはおりません」
「おそらく、魂の構成要員の数に乗らないからでしょう。それは逆に有利となります。
クロノスの頃には杖の種族が存在しなかったゆえ、考慮できていないと思われます」
「太公望よ。お前はいささか失礼だぞ。新しい型の魂の登場と言い換えろ」
「すみません」
「火の鳥に居座られたのではかなわん。火の鳥を退治する者はおらぬか?よいアイデアは?」
「もう少し火の鳥の性質をプレートから見極めることが先決です」
「あなた。地球の守護者に任せれば良いでしょう。スサノオです。
あの者は最近、世界の動向にブレーキになる行動が目立ちます。
あと、あの者に同調する面倒な神々と共に火の鳥の討伐に向かわせればいいでしょう」
「なるほど。よかろう」
こうして、スサノオが呼ばれ、直ちに火の鳥の征討に赴かされたのである。
さて、宇宙の果てでは、ときおり梵の全系との境界付近で小競り合いが起きるようになっていた。
クラッキングツールの運搬船が梵の系内で見つかり、乗務員ともども拿捕されるまえに自爆して果てた。
その逆に、パスルートジェネレーターの持ち込みが発覚し、戦闘になり破壊される事件も起きた。
こうして両者の緊張が一気に高まったのである。
そして、境界線上は通行時の持ち込み物の検問がなされ、軍備が対峙して置かれるようになり、一触即発の印象を与えていた。
実験炉宇宙を梵の全系側から見れば、かつて白い瓢箪型をしたきめこまやかな繊維でなる軟らかな弾力性ある繭であったものが、強酸液につけたように硬くなり、灰色に変色していた。
いっぽう、梵の全系に設置された天尊側の交易基地やテーマパークなどのファウンデーションといわれるものは、すでに戦闘状態にあった。
とはいっても、ミサイルや核兵器が使われているわけではない。考えようによっては最も強力なのはパスルート装置である。
これは、その当たる範囲内で反作用の蓄積があれば、直ちに反動が呼び起こされるという点で、圧倒的に天尊側に不利であった。
こうしてファウンデーション内部で内乱が生じたりして、もっぱら自壊作用によって天尊の推進した宣伝基地やテーマパークが壊滅しつつあるのである。
それはあたかも宣伝行為を禁止するもののように捉えられ、文句をつける対象ともなった。
梵の全系の側にも、こうしたテーマパーク存続の希望を持ち、梵天に抗議するものもいたからである。
だが、ことごとく問題が内部に生じたことによる内部崩壊であったことから、天仙も追求を断念せざるを得なくなっていた。
同じことを実験炉宇宙でやられたらたまったものではない。
自然のあるがままを逆手に取った攻撃に、人為で塗り固めた天仙内部には焦りが見えてきた。

天仙の緊急会議 (ハーデース計画発令)

元始天尊は、七人仙会を召集した。トップテンの天仙が集まってする秘密会議でもあった。 
秘密とはいえ、きらびやかであること限りなく、それぞれに玉石や金銀瑠璃の七宝をあしらった召し物で着飾っていた。
だが、そこで話し合われることは、焦りに満ち精細を欠いたものになっていた。
東天仙:
「東方遠征の慧盂仙の申しようには、ファウンデーションのことごとくで伸長が困難になっているとのことです。
それもクロノスが築いたパスルートジェネレーターにより、反作用の直撃を受けているとのこと」
西華仙:
「西方でも同様です。いや、それ以上かもしれません。半ば完成していた中型実験炉567基がすでに崩壊しました。
完成に至っていた35基のうち、21基までが機能をなしていません」
南泰仙:「南方も悲惨なありさまです」
北天仙:「北方のファウンデーションは半減です」
天尊:
「ばかもの!!維持する努力が足りておらん。それを棚に上げて、みながみな不景気な報告をすれば事足りると思いおって。
魅力的なテーマパークの推進という宣伝は効果がないのか」
太公望:
「そんなことはありません。ただ、梵天が推進するシステムのおし着せに対して、どれほどが反旗するかが鍵かと思われます」
天尊:「もちろんあたりまえのことだ。より多くに、魅力を吹聴し、賛同者を増やしていくしかない」
後背玉:「まったく、梵天は面白くありませんな。これほど魅惑に富む功過格システムをいやがろうとは」
天尊:
「全系の秩序が保てなくなると思っておるのだ。新しい秩序を我々の手にゆだねれば良いものを。そうすれば、全系を責任もって作り変えてやろうに」
闇太后:
「そうですよ。あなた。戦いに利なくば、こちらの力をいかに大きく見せて、交渉を有利に運ぶかです。
もっと交渉を優位に運んでくださいな。そうすれば、せめて全系を分割し、いっぽうを私たちの運営するに任せてもらい口出しさせないようにもできるでしょう。
要は、取り引きです」
天尊は、各方面へのプロパガンダ策を強化した。
しかし、クロノスのシステムは、大には大、小には小なりに効き目を見せたため、宣伝に乗せられて魅惑のテーマパークに至った者のうちの多くは、その中で反作用による体調不良やトラブルに遭遇し、していることの非を悟らされたのであった。
魅惑に後ろ髪引かれながらも、多くの者がそこを後にして再び来ることはなかった。
またファウンデーションの運営者すらも、災難にあうなどして、テーマパーク自体が閉鎖の憂き目を味わっていった。
そして、梵の全系からすれば、これらの宇宙群は総じて不健全、生命に巣食う癌組織のように見なされてしまったのである。
天仙側の魅惑宣伝に対して、梵の側はこれらの壊滅に向けた動きを、免疫強化作戦と言うようになっていた。
こうして、当初、天仙優位に運んでいたかに見えた宣伝合戦は完全逆転の様相を見せた。
梵天には第五回目の会談からこの方、分割割譲案を梵天に提案してきている。
しかし、構成要員あっての世界を主張する梵天がそれを許すことはない。
杖の眷属による支配世界となれば、一国独立も認められることであろうが、ごく少数でも魂あるものの取り込みがあるのが許せない梵天である。
それは、天尊をも魂あるものの中に含んでの意味を持っていた。
逆に梵天の側から、たびたび特使が訪れた。このままなら、まだ学問の場として存続が可能であるから、その天尊の功績を残すことと引き換えに、管理を委任せよとの姿勢であった。
それに対して、気分の良くない天尊である。
天尊はまだ、最後のどんでん返しの切り札を隠し持っている。
梵の全系を震撼させる核兵器とも言うべき、クラッキングツールを用意しているのだ。
いぶされて黒光りする節くれだった杖が、闇太后の金庫に何段重ねにも積み上げられていた。
そのうちの十数本は、輸送時に発覚するまでに、手分けして東西南北のファウンデーションに運び込まれていた。
すでにこれだけでも、十分に梵の全系を破壊できると計算されていた。
ファウンデーション壊滅の折には、ツールを起動させてしまえという命令がいつ出されてもおかしくはない状況が醸成されつつあった。
天尊はいよいよ最後の砦になった感のあるこの実験炉宇宙の中の、象徴的な戦いの場である地球を、腹心の天仙数十人とともに雲湧く泉を通して見ている。
周囲には、杖の力による激しい波動の防御スクリーンが結界として張り巡らされていて、梵天さえも知る領域ではないとされていた。
天尊:
「我々の当初の計画では、20地球年の後に、地球の生命系は、功過の負債に耐えきれず滅び去る。
再び清明になった、より過酷な条件下で生命系は動き始め、またも面白おかしい歴史が縦横無尽にこの地球という籠の中で執り行なわれる。
またも生産された功過が負債の許容量に耐えきれなくなるまで、続々と目新しい展開が伸長される。
そういう計画であった。考えてみれば、少しも悪くないではないか。なあ、みなのもの。
どんどんレベルアップしていくゲームに、なじんだ参加者は小躍りして喜ぶことだろう。
喜ぶ者の顔が目に映るというに」
外泰仙:
「梵天は、試練に負けてだめになる者を、よう介護できないもので気にしているのです。
そんな者たちを矯正する施設は地獄だけでなく、いくらでもあるというのに」
天尊:
「だめな者はだめで放逐すれば良いのだ。
試練に負ける者など、梵天に返してやれば良い。ごみはごみ捨て場に行くのがふさわしいというものだ。
淘汰のうえ強靭な魂を作り、ここに住みここを楽しむ種族を生え抜かせねばならぬ。
梵の全系を遥かに卓越するものばかりの世界にするのだ。俗にいうスパルタ教育というやつだ。
このために、みなで図ったように、より過激に高度に展開しなくてはならない」
妙義仙:
「もう少し加減しなくては、圧力も強くなりませんか。せめて脱落者は早めに見つけて返してやるとかいたしませんと、向こうも感情的になりましょう」
井堂仙:
「お前はまた、気弱なことを言う。そんなことを言っていたら、チュウチャクロウの二の舞いになるぞ」
天尊:
「この宇宙は、我々の計画の発足の地であると同時に、最後の砦にせねばならん。
いみじくも梵天が申しておった我々の反作用のリミットがどれほどに近づいているか、よく計らねばな」
計資仙:「それはまだまだでございます」
天尊:「だが、クロノスのシステムをここに持ちこまれでもしたら、容量は大幅に減り、すぐにでも命取りになる。
極限まで反作用を蓄積し、劇的に解放すれば、見事なリバウンドで新しい系が生まれるだろう」
妙義仙:「では、もっと反作用を重積させておいて破綻させるおつもりですか?それはで自然に逆らい危険では?」
井堂仙:「お前、今ごろ何を言っておる」
計資仙:「そうだ。親方様のリバウンド宇宙論が信じられないというのか?今まで小規模なものは何度も成功しているではないか」
妙義仙:「いえ、そういうわけではないのです。ここはもう少し長い検討が必要かと・・」
闇太后:「いいえ。この者は、梵の全系と分離されるのが怖いのですよ。このようなものがひとりでもいるなら、計画は台無し。
裏切り者は直ちに処刑しておしまい」
妙義仙:「まっ、まってください。私は分離が怖いのではなく・・・ああっ」
妙義仙は、天尊の合図で抹殺光線をみなから浴びせられて、ジュッと熔けてしまった。
結界から放り出される、魂の粘液。だが、魂は死なない。どこからともなく、黒い影法師が現れて、妙義仙のちろちろ瞬く魂を咥えて地獄の最下層へと持ち去った。
地獄の下層部ほど、政治犯の貯まり場であった。
天尊:
「あのような最新情報に疎いものがまだいたとは。もういちどみなに言う。
七人会議のメンバーには通達したように、我々は純粋英知からは程遠い者となる。
梵の対極に置かれる存在として、限りない永劫をこれから楽しみながら謳歌する種族となるのだ。
それが、梵天よりも先にあった如意宝玉の願いである。何も、如意宝玉は梵天の私物ではない。
宝玉は我々の意志を汲んで新たな魂を生じ、新たな世界を築くことを許してくれている。
どんなことにも寛容に許しを与えるのが宝玉である。
こうあらねばならぬと規定する概念などその中にはない。
誰も裁かず、誰をこうあれと強制することもない。それを真っ先に実現するのが我々である。
対極にある梵天の勢力と戦いやがて拮抗し、さらにいつか全世界を制圧することが我等の目的であり、真の正義である」
闇太后:
「そのために、梵の全系から分離するに足るだけの背反行為をあえて犯します。貯めて貯めて、積み立てたその負債をもって、その爆発的反動で分離を果たすのです。
旦那様のリバウンド理論によれば、貯めに貯め切られた反作用は、もはや自浄できずに、反世界を生む材料となるそうです」
計資仙:
「みなさん、ご安心あれ。その計算もすでにできております。
梵天による妨害さえなければ、我々はブラックホールと化して、ここからおさらばということになります。
行きつく先は、梵とは対極にある新系宇宙。その場所にて、我々の仲間を増やし、強大な帝国を築く予定です。
なあに、新宇宙の下地は、我々の思うがまま。如意法力により、下地がすぐに作りあがります。
天尊陛下のもとに中央集権体制ができあがることでしょう。今ここにある面々は、最低限その頂点を極める指導部に属していただきます。
ぜひ全力をもって邁進いたそうではありませんか」
西泰仙が北天仙に耳打ちしている。
「計画は当初、分割的に文明の亡興を宇宙全体で連鎖的に繰り返させるというものであった。
それが変わって、宇宙全体の滅亡と再興を一気にやろうということかと思ったが、それすらも飛び越して反世界なのか」
「そうだ。梵の全系に対抗する天尊の全系ができあがるのだ」
「ぞっとするなあ。なんとすごい目論見だ」
「がやがや」
天尊:「梵天の反作用解放の動きのほうはどうなのだ?」
外泰仙:「観測では、この世界に対するクロノスのシステムの痕跡はありません。
現在のところ、ファウンデーションにおける被害をもとに、クロノスの装置とそれに類した全パターンに関するチェックツールが導入されておりますから、もしこの宇宙のどこかに設置されたならば直ちに検出され、直ちに天仙の秘術を尽くした破壊作業がなされることになっております。
またいずれ近々、自動駆除ツールもできあがることとなっておりますから、どうぞご安心ください」
闇太后:「とにかく、万全の警護体制を取るように。そして、すべての計画と作業を早めてくださいな」
天尊:「うむ」
天尊は、煙る泉から浮き上がってきた蚊とんぼのような宇宙船を指でつまむと、地球めがけて放り投げた。
それは、海の上に青い光芒を引いて落ちていった。
天尊:「それに伴ない霧人仙のグループにさせておいた終局計画をとりやめにする。
切り替わったこの新たな計画を計画の最後に置く。次代はもはやない。
あるのは、分離を果たした先の未来。そこにいまこの世界で遊ぶ魂たちを可能な限り掻き集めて収容する。
いわば、彼らは人質だ。梵天はこれで手も脚も出ない。分離計画を早めるべく、ハーデース計画を濃縮して実施に移すこととしたい」
霧人仙グループとは、地球上の歴史の随所に、終局計画の神話を置き残した者たちである。
黙示録や末法思想などがそれである。彼らは、人間世には希望乏しく、人類には滅亡が必至であり、その先に輝かしい時代が来ることを述べ伝える役目を担っていた。
そしていずれ関連する別のグループが、天尊によってプログラムされたスケジュールをこなすことになっていたのである。
「ということは、最後の審判という、時代の最後を飾るフィナーレはないのでしょうか?」
天尊:「何を聞いておるのか。意趣を覚れん奴だな。最後の審判というもの自体、蓄積された反作用を帰零するものである。
だから、反作用の蓄積を利用する我々にとっては、そのようなものは無用のものとなるのだ」
かつて言われていた最後の審判とは、地球に限られたものであった。ところが、もしそれがあるとすれば、これからは実験炉宇宙全体を対象にすることになろう。
観測するいちいちのものにとっては同じように捉えられても、意味するところはまったく違う。天仙の意向に沿ったものたちは、反世界に行ってしまう可能性がある。
そこは階層構造でなるガチガチの闇の帝国となる。
外泰仙:「かつての最後の審判の行程に関わるよう命令されていたスサノオはいかがいたしましょう」
天尊:「地球の目付役の立場から、異存を唱えてくるかも知れぬから、いま火の鳥と戦わせているところだ。
何せ火の鳥は予定外の行動を取る不穏な節理だから、異常事態には断固立ち向かわせねばな。そこで忙殺されるだろう」
外泰仙:「では、面倒は起こさないですね」
井堂仙:「ならば、今からハーデース計画を行うということで・・」
外泰仙:「分かりました。では、実施グループの選抜を行います」
天尊:「うむ」
次の週の天仙全体会議には、千数百名の天仙が集まっていた。いつにない強力な結界が張られたことと、今回の天尊の決定を入場時の司会者からあらかじめ聞き、がやがやと興奮気味にしゃべりあっている。
「いよいよ地獄の釜の蓋を開くのだな」
「もはや次期計画は、地獄の名主を招請する程度ではなく、宇宙のカオス極大化を賭けて地獄の獄卒たちをすべて解放してしまおうというわけだ。
そして、世界全体に巻き起こる一気呵成の腐敗堕落により、すべての魂の腐敗を誘い、それをもとに反作用を一気に許容限度まで蓄積させてしまおうということらしい」
「それはまるで、なみなみとたたえられた汚物溜を実験炉宇宙にぶちまけるようなことになるだろうな。
この実験炉宇宙は、手のつけられない状態になるぞ。最後の審判があるとすれば、完全に系を分離する一大事となるわけだ。
これが人間なら、同じ最後の審判と捉えることであろうが、ちと意味が違う。
老いも若きも、高下貴賎を問わず、よほどこの世を嫌がっていない限り、みんな我らの支配下に置かれるのだ。
そのとき、わずかな罪を悔やんでも遅いというわけだ」
「獄卒たちの訓練された中には、まだ実験段階の残虐性を持つものが多いと聞くが、どんなふうなのか」
「それは目を覆うようなすさまじく凄惨で残虐な奴だ。いろんなものを見てきたわしでさえも、やめてくれと言いたくなるような奴だ。
だからこそ、今回のカオス極大化には欠かせないのだろう」
「あの臭いのはかなわんが、わしらも魂を糞まみれにして堕落するのかの」
「わしらが歴史の金字塔として建てた記念碑や偶像はもったいない気がするが、みんな打ち捨てていかねばなるまい」
「まだ我々は、高みの見物であるだけにましだ。しかも指導者であるだけにな」
「そうそう、付き従う人間どもは哀れだのう」
「馬鹿者。同情など禁物だ。チュウや妙義仙のようになるぞ」
「我々は、梵の全系とおさらばするのだ」
やがて議長が挨拶した。
「ええ、静まって。今回は緊急臨時会議であり、誰も欠席は許されておりません。
もし、この場にいないものあらば、後で報告願います。
さて、すでに噂が伝わっておりますように、ハーデース計画を実施します。
いよいよ、我々の分離独立に向けた運動も、佳境に入るわけです。
今ここで、皆様の士気のほどを確かめておきたく思います。ではみなさん、ご唱和を。
ハーデースプロジェクト、フレー、フレー」
「フレーフレーハーデース、フレーフレーハーデース、ワー」
パチパチパチパチ・・・・。

その間に元始天尊が中央の席についた。
天尊:
「みなの者。我々の主張は梵天によってことごとく退けられた。
それゆえいつ何時外部から破綻させられるやも分からぬ状況にある。
ファウンデーションの多くは壊滅寸前の状況にある。ここを最後の砦とせねばならぬ。
事は急を要することとなった。ハーデース計画を、直ちにこなさねばならない。
それによって新境を切り開く。すでに開いている地獄の釜の蓋は、一層から四層であり、わずかに開き、抜擢されたものだけを解放してきた経過がある。
だが、それはもはや全開とする。加えて五層、六層を開き、七層を小出しに開けて、少し長い時を刻ませるようにしたい。
過激に過ぎると、外野が動き出す。それゆえ、究極段階になって一気解放する。
この役目のうち五と六は、張林仙のグループに任せる。七層は、いささか手ごわかろうから、戎権仙に任せよう」
戎権仙:「しかし、七層の獄卒には力がありますゆえ、わずかに開ける程度で済ますわけには参りませんが」
天尊:「努力して出さぬように努めよ。剛力のそなたなればこそと思えばの抜擢だ」
戎権仙:「ははっ」
地球上の歴史を管轄していた錦織の里スペクトラムやロンバス四次元などに所属し、時空ディストリビューターの任務にあたっていた諸天たちは任を解かれ、替わって引き継ぎを済ませた天仙たちが時空の管理にあたることとなった。
言霊の海から龍神たちは締め出され、天仙たちがその任についた。このため、慣れない者たちがする制御は、勢い不安定なものとなった。
とにかく、すでに定まっていたと思われた歴史は、大幅な計画変更の手が加えられたのである。というより、計画性のない無秩序かつ未踏の時代が来ることになったのだ。

地球神界は杖の眷属のバイオモドキ神がスサノオ不在の中、主神となった。
彼は仏の顔を持ちながら、手足は無数の触手のようで、自在に伸び、血と汗という生け贄を求めてやまない神であった。
触手に触れられた魂は、縮れ萎えて、魂に発する良心を無くし、悪虐非道の行いをもろともしなくなるのである。
であるにもかかわらず、バイオモドキの触手から毒液をふんだんに浴びて狂人と化した者は、地上の法の加護により、野放しとなった。
中途半端な中毒者には、逆に狂気に徹底せよとばかり制裁がかかるほどであった。
マスコミやプロパガンダを通じて、大衆の上には毒液が降り注ぐ。
地球上では、理論的であるとか、科学的であるとか、合理的である、法的であるとかによって、事の善悪が測られるようになり、民主主義や人権尊重が詠われ、理性が主導的となった時勢の到来かと見えたが、それを頂点として、命というものが毛ほどの重さも、拝金主義の台頭の前には感じられなくなっていった。
若は老を虐げ、強は弱を虐げることを厭わなくなっていった。
巷には有毒物質が溢れ、次世代への存続の可能性がもはや断たれようとしていた。
有毒物質の作用でなおも容易に狂い、狂った者ほど巷で大手を奮うようになった。キレ易いという言葉が、正常人を表す常態語となった。
人間管理のしやすい宇宙文明においては、かつてのナチスやソビエトがそうであったように、強力な軍事共産体制が敷かれ、個人の自由というものはことごとく消え去った。
それでいて、能力優先主義が先鋭化し、力のないものはいつしか社会から姿を消していた。
人々はただ働くためのロボットと化することを余儀なくされていったのである。むろん抵抗するものは、自殺するに等しく、ひとりでにいなくなっていた。
世界を覆う良識なるものは、不合理な法でしかなかったが、それに口出すものも皆無となっていた。
良識で生きる者は、どれほど残されただろう。
良識あるものも、非良識な組織下では、生き延びるために、それなりにふるまうことを余儀なくされてしまったのである。
彼らはいずれ、闇の帝国の構成員となる手はずであった。
まずは前哨戦。いずれなる構成員たちを魂レベルで悲惨の坩堝に落とし込み、反作用を無尽蔵に生ましめることである。
そのプログラムは、スペクトラムなどの時空ソフトディストリビューターから発信されつつあった。

火の鳥の動き

その頃、2000年10月に解放されたはずの火の鳥は、片足を地上に残したまま溶けるように粉末化していた。
天仙の計画が急展開していく中、火の鳥の存在はあまりにも遅々として写った。
それは天仙の観測にかかってはいたが、ちょうど人がUFOを見るように、無力で現実味を持たぬものとして認識されつつあり、それに比例するかのように、赤橙色の火の粉となって、地上に、また空中に飛散していったのである。
ある防空関係の天仙が言う。
「案の定、火の鳥は暗闇に弱かったな。活動指針が得られぬ期間が長ければ、やる気をなくすものだ。
火の鳥の生命反応は乏しくなった。いわば自然界の中に溶け込んだ感じだ。
おそらく、この地球の自然界の滅亡と軌を一にするに違いない。おおかたぼんやりと迷った鳥族の精霊に変じたのだろう」
宇宙連盟の船舶が地球に立ち寄っても、電磁妨害が軽減していた。
そのため、続々と地球に出没しつつあった。人の目にもときおり捉えられるようになっていた。
といっても、1970年代の一時期ほどのことはなかったが。依然、八角堂の三階の窓は閉じられたままであった。
いっぽう、ネアンとイナンナには、監視の目がしっかりとついていた。
しかし、したいようにさせていないと、彼らに付いている梵天の側の検知機が梵天に危機を知らせ、新たな行動を起こさせかねない。
妨害と、定められた時までの俗事による忙殺が、彼らに与えられるべき運命となった。
「この者たちは、少し閑になって出会えば性行為ばかりしておる。羨ましいかぎりじゃ。
このたびのチュウチャクロウたちの不祥事が尾を引き、わしらは何もできん。これでまっとうな工作ができておるともおもえんが。
しかし、こんな鑑賞ばかりしていては、わしらの身が持たん。ええい、見ちゃおれんぞ」
「まったく仕方のない奴らだ。我々が物事をやらせんからといっても、これにふけるばかりでは、お前たちいい加減にせんと馬鹿になるぞと言ってやりたい気もするなあ」
「いいや、どうせ馬鹿者たちよ。先の世がどうなろうと、知ったことではないであろう。
あとは監視の目に任せて、しばしあちらで憩いましょうぞ」
「まったくじゃ」
四人プラス監視の目が二つもついていながら、逆にものぐさになっている様を、まだ若くしっかりした天仙が見てこう言った。
「四人もおられて、それでまともな監視ができているのですか。あの二人はいわば密偵。工作員です。
しっかりとすべてを両の目で見届けて、つぶさに上位に知らせないとなりませんぞ」
「そうは言うがな、あまり見咎めてなんでも制裁を科すようなことがあれば、逆効果なのだよ。だから、この程度でいいのだ」
「ああ、そうだ。そちも呑め」
「そんなことはしておれません」
「そんなこと言って、もしあいつらを見に行ったりしたら、若いお主のこと、毒気に当てられて、つい・・ということになりかねんぞ」
「ふぁっはっはっはっ」
若い天仙は、杖の賢者会議のメンバーであったため、ここで老監視たちのいい加減な監視行動について論じた。
「あの二人は、密偵ではないか。それを野放しにして、したい放題させている親方様も困ったものだ。
しだいに奴らの正体が鮮明になってきているというのに、制裁はおろか、警戒すら緩めている気がしてならぬ」
そこに、寡黙だったメンバーのバイオモドキ神が口を開いた。
「私が以前やったような方法で、ネアンに警告を与えれば良かろう。お前らは、大きな所から注視されているのだということを悟らせてやれば、恐くなり、計画していることを取りやめるだろう」
「なるほど。あの事件はネアンをかなりびびらせたからな」
あの事件とは、神戸で起きた酒鬼薔薇事件である。
ネアンが日本神話の真解釈をするときに、最古の祭祀霊場が作る幾何学図形を発見した。
その主たる発見図形に、生け贄の血を塗るために、バイオモドキは幽界に渦巻く大江山の鬼たちの怨念を、幾何学図形に沿わせるように下ろし、少年Aに懸からせ、千年前に実際あった大人の事件を、千年後の子供の世界にそっくりそのまま転写して見せたのである。
この猟奇事件の衝撃は、世界を駆け巡るほどのものとなった。
そして、当のネアンに暗に事件の原理を知れるようにすると、いきおいネアンは萎縮してしまったのである。
このときは、スサノオがネアンを助けた。事件解決を速やかにしたのは、異界のほうに鼻の効くスサノオが悪の種を見逃さず対処したからであった。
これによりネアンは、何かしらの異界の存在に脅かされるということは、していることに間違いがないからだと、むしろ逆に自信を深めることとなった。
「なにもせぬ監視たちのしていることよりはましとはいえ、親方様の方針に抵触しないか?」
バイオモドキ:
「だから、直接ではなく、婉曲的に分からせるようにすれば良い。ネアンは謎解きが得意だから、そのことを逆利用するわけだ」
「まさにまさに」
「いまは多忙でどうにもならんが、閑なときにまた方策を考えておこう。それと、闇太后様の策略がそろそろ功を奏するらしいぞ」
バイオモドキはそう言い、世相邪悪化のスケジュールが混んでいるからと、その場を去った。
「闇太后様が?どんなことだろう」
「分からぬ」
さて、四角錐をした監視の目は、ネアンとイナンナが抱き合ったままでいる様を、何の感慨もなく見つめていた。老監視たちにおいては、あの通りである。
ところが、問題はネアンとイナンナへの対処にあった。
ネアンは不景気の巷においてなお、変化する運気の流れに辟易していたもののまだしも一人身という気楽さがあり、たとえ周りの者より出来が悪くとも、対処できるものがあった。
ところが、イナンナの場合は、天仙の施策と弁天の性格があいまって、仕事に群を抜く出来の良さが続いていた関係で、巷の邪悪が露骨になるにつれ、せっかくできあがった実績が没になるという事態に見まわれた。このため、いきおい感情が不安定になった。
観世音のように老人たちの話を聞き親身になって将来設計し、その誠実さによって勝ち得た実績も、老人の心に忍びこむ邪悪な知恵や思いによって、わずかなことを不審に感じ、契約後幾ばくもたってから翻意するものだから始末に悪い。
そうしたことも、連日起きると、さすがのイナンナも何かがおかしいと思うようになる。
また、イナンナの同僚は、妬みと手厳しい非難を大人しい彼女に集中させた。おりしもネアンが神話を創作していた最中であった。
創作の途中経過をネアンから知らせてもらう中に、その内容が現実とシンクロすることがしばしばであったため、イナンナは未完成ながらもネアンの作る神話それ自体の効力の大きさを感じていたのであったが、そんなときたまたまネアンは天仙の終局前夜とも言える世相の邪悪化を記していたため、イナンナの非難をもろに浴びることとなった。
イナンナ自身にとって死活問題を扱っていると思っても不思議ではなかったからである。
「あなたがそんなことを書くからよ」
「すまない。必ずハッピーエンドにするから。もう少し我慢してくれよ」
「あなたの書くことはすぐに世の中に反映するから、私はほんとうに迷惑してる。とにかく一刻も早く丸く収めてちょうだい。今は本当に怒ってます」
イナンナはネアンのことを梵天の化身と思えばこそ、世界を治める力で早く何とかしてほしいと願ったのである。
だが、ネアンは力削がれた化身でしかない。封印がようやく解かれたといっても、未だ一つだけ。現実に力を持つかもしれないという神話を作ることができるだけであった。
後は何をするにしても、衷心より祈るしかない。疲れていいかげんな祈りになれば、効果は減ずる。ネアンはその日、イナンナの問題の解決だけを、衷心から諸天善神に祈った。
するとかなりの損失は出したものの、連続した二つの問題とも、形の上では収まったのである。
だが、危ない綱渡りのような感じは否めない。このままではイナンナが耐えていけないと考え、ネアンは愛するイナンナのために、神話の筋書きをより穏便なものにし、粗稿であるにしてもできあがりを急いだ。
そして、なるべくできあがるまで、イナンナには秘密にしておくにこしたことはない。
あとは本当に効果が上がるだろうか。

(このころ、イナンナの上司が窮地にあった現実的なイナンナの救済の対処をとった。
それがイナンナを思ってしてくれたことと感じ入ったイナンナは上司の要求に応えなくては申し訳なく思い、貞淑を明け渡してしまったのであった。闇太后は、イナンナをしばらく観察しつづけただけで、揺さぶりをかけて落としてしまったのである)
ネアンはまだ半信半疑だったとはいえ、ネアンの神話作りに向かう熱意が変わってきた。
すると監視の目も自ずと向けられてくる。
監視の目は隠れた次元に潜み、ネアンのパソコンを覗き込む。だが、不思議なことに、ディスプレイにはアダルト写真の類いばかりが並べられていた。
それらはネアンが合間に気晴らしする時のアダルトサイトへのアクセス結果の残像なのであったが、神話と神話を創作する過程には与えられた力により、格別のフィルターが掛けられていたのである。
ちょうど、彼らの目から見れば、肝心の神話のほうは、モザイクならぬにじんだようになって、写真とダブっているのだ。
いつものように感慨なく去る監視の目。天仙の影はたびたび立ち寄る。だが、同じようなものを見て、苦笑いして帰るのがいつもであった。
「あいつの頭の中は、あのことばかりだ」
「体位の研究に余念がないというか。そんなに数もないのにな」
「わしらは禁欲。おーい酒だ、酒」

そのようなとき、天尊の宮殿では、第二の不測の事態が生じていた。
張林仙が、身の毛もよだつ姿をした獄卒たちが地獄から人界に出てこようとした段階で、見えない障壁に阻まれ、進めないでいるというのである。
そして、出口に溜まったことで、互いに大喧嘩を始めてしまったと報告してきたのだ。
「親方様。何万という獄卒たちが、狭い通路の中で将棋倒しとなり、それがもとで肉片飛び散るすさまじい喧嘩が起きており、収束のめどがつきません」
「ばかもの!!お前に任せたのは何のためじゃ!!」
天尊が張林仙に抹殺光線を浴びせようとしたそのとき、地獄界の四層以下の任務にあたっていた千義仙も同じ報告をしてきた。
「なにい!?地獄界と人界の間すべてで起きているというのか。戎権仙はどうした」
太公望が、懐から丸く淡い気体でできた通信機を取り出し連絡を取る。
「はい。こちらは、立ち塞がる見えない障壁のようなものを獄卒どもが叩き壊そうとしております」
「やれそうか」
「はあ、これらの者、何としても外に出たくて、必死になっておりますれば、体当たりするたびに障壁から赤い火の粉が散っており、しだいに壁が向こうに押しやられています」
「七層の者はなかなかだな。とにかく恩賞は思いのままということで、一致協力させて事にあたらせるよう」
「ははっ。心得ました」
太公望:
「親方様。これはおそらく火の鳥の仕業でございましょう。赤い火の粉ということで、そう思いました」
「地球だけをガードしていたのではなかったのか」
「身体が雲霧消散したと見えたは、自然界つまり五界全体に拡散したということかもしれません」
「まだこの生き物の正体がつかめずにいたのか。ばかものめ!!敵の何たるかも知らずに、後で逐一その存在を知らされているようでどうする」
「はっ。プレートの解読を進めます」
地球上で発生し、その時点では最も強力なファイアーウォール機能を果たし、異種星間生物の侵入を阻止した力は、宇宙に拡散して、波動の粗雑な邪悪な異界からの侵入を阻止するモードに変わっていたのである。このため、同一界の交流は逆に容易になっていた。
天尊の主旨はすでに一本化している。それを臨機応変な形で運営するのが太公望である。
闇太后は、ファイアーウォールにかからない杖の眷属を、予定以上にすべての界に送りこんだ。
太公望は、闇太后の活躍で結果的に所期の予定とそう変わっていないことに安堵した。
天尊:
「そうか。ならば第二段階にはいる。星間戦争を先んじるか、それともまず地球にするかであるが・・」
太公望:「私は同時進行と思います」
闇太后:
「あなた。私としては、まず地球に全精力を傾け、次に宇宙です。
なぜなら、何を企むかわからぬ厄介者たちがいまだ地球にいて、先行きを危ぶませているからです。
まずこれらの者を見せしめに殺し、梵天をその気にさせてください。そして直ちに地球に大戦を。さらに宇宙へと波及させるのです」
太公望:「なるほど。当方のファイアーウォールもほぼ完備しておりますから、一朝一夕に陥落するものではありません。
その間に、すべての準備をいたすことになります」
天尊:「お前たちも、やる気満々だな。いずれ我々は、ここでは暮らせぬ者たち。あとは天運ぞ」
ところが、事はそう容易ではなかった。地球神界では、スサノオ神が、正義にもとる行為を糾弾しだしたのである。
異物火の鳥の処理にあたらせていたはずであったが、火の鳥の活動が拡散して弱まり、国の内情に目が向くや、欲得に目のくらんだ邪悪な者たちの摘発に乗り出したのだ。
地球上のおおかたの国々、特に日本においては顕著で、悪が構図ごと次々と明るみに出され、世間の非難を浴びるようになったのである。
その勢いは、末端の弱小組織から始まり、やがて政府へと進軍の動きを見せていた。
杖の眷属もしくはその息のかかったものたちが牛耳る悪の巨塔は、いくら邪悪といえども、世論の抗議にはブレーキを掛けざるを得なくなった。
しかし、彼らは法律と私権に満ちた警備組織を駆使して、難攻不落の多重の城を築いていた。
世論がいずれ敗北するとはしても、対処に時間を食う。スサノオ神はなおも、正義の心有る民衆という一見ばらばらに見える軍勢にインスピレーションと力を与え続けていた。
「ええい。何をしておる。元凶のスサノオを呼びつけろ」
やがて半時もたたぬうちに、スサノオが入ってきた。
「何かご用でございますか」
「お前は、我々天仙の命に従わず、なにをしておる。どうして火の鳥の始末を最後までせぬ」
「火の鳥は、私の力により、活力を削ぎ落としたのはご存知では?」
「何?お前がやったと?我々の監視によれば、あれはひとりでにそうなったものだ」
「では、これをご覧ください。これらすべて、火の鳥に対して行った処置です。
この結果、こうこうしかじかとなりまして、ところが結果の検証をしている最中に、予期しない事態が起こりましたもので、そちらに関わらざるを得なくなりました。
それはこのような事態です」
資料には、火の鳥の作用の衰退と共に、宇宙連盟の進入がおびただしくなり、それに伴なって異種、杖の勢力がどんどん流入し、彼らあるいはその息のかかった者が各国政財界の要職を占め始めたことが記録されていた。
その結果、世相は暗くなり、差別が著しくなり、公平であるべき分配がなされなくなったことを記していた。
楽する少数の者はなお楽になり、苦ある多数の者はなお苦に直面するようになっていると。
しかしそこには、やはり神のレベルである。楽するものと苦悩するものの履歴などは書かれているはずもなかった。
天仙の文書検閲係は苦言を呈す。
「これではあたかも、我々がえこひいきしていると言わんばかりではないか。
彼らおのおのの功過に基づき、厳正な計算の結果として受けている処置であることは、そちも存じていよう」
「えこひいきしていると言うのでは毛頭ありませぬ。私はただ、この世に正義を打ち立てたいだけなのです」
「だから、正しい功過計算がなされていると言っておろう。それが正義というものだ。
では聞くが、そなたはいちど、天神族と事を構えて、深く反省の色を見せたではないか。
いま、我々が天神ぞ。その我々が今の事態を良し、やむを得ぬこととしておるのに、どうして逆らう」
「逆らってはおりませぬ。私は、この下界を住み良くしたいだけなのです。私は、地球上の守護節理の任を、この文明開始のときにいただきました。
以来、不肖はままありましたが、必ずや良くせねばならぬと奮闘してきたしだい」
そこに、天照大神の姿を似せた闇太后が口を挟む。
「この国は、天神の知らし召すところ。わからずやのあなたの地球守護の任を本日限り解きましょう」
「そ、それは・・」
「以後、地上の成行に口を挟んではなりません」
「そんな。どう見ても、ひどい状況になりつつあるというのに」
「あなたは天神の大計りというものが理解できないだけなのです。所詮は地祇の分際」
「そうですか。そう言われてしまえば身も蓋もありません」
スサノオは、やはりかつてからの予測の一つではあった滅亡の方向を向いた人類のラインを、また今回も踏むのかと嘆息して、その場を辞した。
スサノオの去ってしまったのを見た天尊は、悪巧み顔をしてにんまりしながら、こんなことを言う。
「闇太后よ。今回の地球上の大戦は、当初、正義を気取る者たちと、我々の息のかかる邪悪と見なされる者たちの間で戦わせようと思っていたが、正義の出る幕をなくすことにしよう。つまり、国と国の戦い。大国と大国の戦いだ。正義はその中で、存在意義のなさを痛感するというのはどうだ」
「ほほほ。恨み骨髄となって、よろしいのでは」
「そうすれば、反作用も強まるというものだ。その場合、この文明の滅亡をいつにするか。太公望よ、直ちに計算せよ」
「ははっ」
「闇太后よ。お前は、クラッキングツールの残りをこの世界にセットしておけ。そしてタイマー仕掛けですべてのツールを作動させるように」
太公望は、天尊のリバウンド理論の結果がまだどうなるか分かったものではないことを思いつつも、計算機に注意を向けていた。
理論にもともと疎い天尊であったから、それが果たして、本物なのかどうかも不透明であった。
もしかすると、親方がときおりみせる単なる自殺願望かもしれないという思いを多少は持っていた。
それでも、成行上、従ってきた経緯がある。
<ええい。ままよ>
太公望の計算機を扱う手に、余計な力が入った。
「親方様。そうすれば、かなり早くなります。20地球年を待たずとも、4分の一のわずか5年で可能です。さらに宇宙においては、同じ方法を適用したとして、7地球年です」
「そんなに宇宙への効果は早いか」
「はあ。まだしもまとまっているだけに、波及は早いです」
「宇宙連盟と同盟、さらにダル宇宙の200連合組織を戦わせて、それか」
「きっかけはもうできております。そして何も全壊を狙う必要はありません。
限界まで蓄えて、時が満ちた時点で、全壊はツールのほうで土台から壊すということになります。それなら5地球年と半年。
この宇宙に来たはずの客たちは、一気に存在の基盤を失い、恐怖に駆られて我々に付き従い、我々の系を作るのに役立つことになりましょう」
「まさにそのとき、この世界のシステムに興味する者たちだけが集うことになる」
「そうなると思います」
「ふははははは・・」
闇太后は、それを聞き、この宇宙に配備されたクラッキングツールのすべてに、あと5年半で起爆するようにタイマーを仕掛けに行った。

場面は変わって、ここは地上である。
スサノオ神は地上に分身を降ろし、多くの人々の信仰を集めていたが、とんでもないスキャンダルに見まわれていた。
幼児に虐待を日夜加えているというものである。こうして、神の化身という噂に泥が塗られることとなった。
それは世界規模のスキャンダルとなり、批判する側とそれでも信奉する側に真っ向から分かれてしまう事態ともなった。
スサノオ神の真理と正義の打ち立て計画には、いきおいブレーキがかかることとなる。
地球守護の人事を更迭されたことと並行して、様々な国の元首への働きかけも頓挫することとなった。
そのようなとき、スサノオの分身はかつて恋した神の化身を探し当てた。
シノが、ネアンに何らかの影響を与えるべく接近したときに、よもやではあるが、スサノオから直にもらった二枚の写真を、お近づきのしるしにネアンに渡したのである。
ここでも、キーパーソンとなるものは、同じ目的に繋がる工作員である。
目指す方向が違うわけなら、せめてキー照合のカードを渡すことを怠っていない。
その一枚をネアンは、自分が以前から信奉し、祈っている神様だよと、乙姫の化身であるイナンナに渡す。
こうして、想念によって繋がりがついたのである。乙姫は、スサノオの心をそのとき知ることになる。
いや、もっとはるか前から神界では分かり合えていたのであるが、神話が成就するとは、地上における手続きがあってのことであるから、この表現で適切なのである。
スサノオは、喜び驚き、詫心も含めて、乙姫の化身しているイナンナを守護しようと、たくさんの祝福物を持って、ネアンが写真を渡したその夜、イナンナの夢に現れた。
「純粋な良い子だ。本当なら、直接写真の上に祝福を顕したいのだが、(お調子者のネアンもおり)評判が立ちすぎると良くないから、夢の中でたくさん祝福してあげよう」
そのように言い、祭ってある写真を蜜やお菓子や花束などで飾ったのである。
イナンナはそのような夢を見たもので、ネアンに翌朝すぐさま知らせた。
以後、スサノオ神は二人にとっての守護神となったのであった。
それまで、ネアンはスサノオ神への祈りによって、幾度も窮地を救われていた。ネアンはイナンナにそのことを告げ、イナンナに祈りを勧めた。
いっぽう彼女は、彼女ですでに信奉する神がいたが、あわせて祈るようになり、より精神を安定させ、日々の生活に仕事に励んだのである。
(ところが、イナンナは上司と関係を持つようになって以後、内緒でネアンへの裏切り行為に身をやつしていく)

着々と進む神々との親睦

神界において、スサノオ神は、方士の姿をした梵天と語らっていた。
方士:「神話は、最も良い状態でそのまま現れますから、土台不純な中では、どうしても勝手なように歪曲されてしまいます。
特にいまの下界のように、あの要砦のような化け物相手では、神話も中までなかなか浸透いたしません」
スサノオ:「狂牛病など、かえって弱い者を痛めつけてしまったようで、心苦しい。けっか、我が分身にも、辛酸をなめさせてしまった」
「なあに、そんなことはありません。いずれ時を経て、神話は表面的な作用を超えて、真の効を奏します。それより、地球守護の任を解かれたこと、お察しいたします」
「火の鳥の作業は、もう収束。雲を掴むようなものゆえ、それ以上何もできんのだ。結果を見てもらうしかない。
しかし、いささかショックであった。昔のわしなら、天神に立ち向かっていったであろうが。どうもこのたびは意気が上がらぬ」
「火の鳥は、それなりに功業を成したことをご覧じましたか?」
「そうだ。あれはあれなりに宇宙からの干渉を防いでくれたのだ。宇宙からのインベーダーたちは、ろくなものを持ってこなかったからな。
それが防がれただけでも、火の鳥の功業であろう」
「実は、私不肖不精ながら、火の鳥について情報を得ておりまして・・実は、こうしたすごい節理なので・・かくかくしかじか・・。
よって、真の正義樹立のためには、むしろこの節理の力を頼ることのほうがよろしいかと存じます」
「そのような作用を持つものとは、わしも雲を掴む気がするほどに、手強さを感じた。
ヤマタノオロチの比ではないとてつもなさを感じたぞ。
しかし、向こうからしおれるようにして去ったのには驚いた。さすが、この世のさらに裏に・・やはりそうか。
わしは今のお上のやりかたは、なにかおかしいと思っていたのだ」
「裏の奥にある梵天の世界は、永遠不滅の平和を保っているとのことです。単なる噂だけではないのです。邪悪はいささかも含まれていないとも。
いや、無邪気で普通であれば罪に見えることでも、咎めだてすることなく許せる世界なのです」
「邪悪とは、それを裁かねばならぬほど窮屈な空間がもたらす弊害なのだ。
私はこのまえ梵天殿に外部宇宙に連れて行ってもらい、こんなところがあるのかと思った。
というより、私もそこにいたのにここに来てしまったことを思い出した。
ゲームと称して様々なルールでがんじがらめにしてしまったのだ、この世界は。下位へと展開すればまたルールが要る。処罰のルールで新しいものが必要となれば、またぞろ作る。
邪悪とはルールに反するものをさして言うが、もともとそのようなものはないのだ。
邪悪と見えるものすらも、やさしく容認し歓迎する世界が梵天の世界だった。もはや邪悪は天神系の理屈から発していることは明白なのだ」
「テーマパークと称して空間を狭窄させ、ルールでがんじがらめにすることを取りやめれば、ここに閉じ込められたみなは元あったところに帰ることができます。
そのためには、段階を経ることが大切です。
まず真に正義をもって神々さえも裁き、矯正させることのできる神を立てて、公正と正義のもとに上位霊界の浄化から始め、それを下位に及ぼし、安定した管理空間を作っていきます。
そして治世を緩やかなものにし、自由意志が尊重された上で梵天の世界に出て行かねば、この世界になじんだ者たちには変化が強すぎますから」
「まさかわしがそのような任を受けるなど言われても、ちと力不足だぞ」
「かつて、善神が悪神に天下を奪われたことはご存知で?」
「知っておる。そうか、その神ならできるかもな。その最後には、立ち会ってもきた。
かつての良識ある天神は抹殺の憂き目にあった。
諸神たちは、圧倒的な不利を見てそれを黙認したのだ。業に入れば業。そうしておれば、いずれ良いほうに改革もされようと思っていたが、それもいっそう困難であることが分かってきた。
邪神は邪を生み出すしかないことも分かっている」
「では、協力願えますね」
「うむ。この時代、レジスタンスは困難かも知れぬが、わしの主義には合わなくなっておる。前々からわしが好意する者には支援を与えていたが、これからはむしろ積極的にいたしてもよいかとも思う」
「そうですか。お志は伺っておきましょう。しかし、まだ内密に穏便に動いてください。
いままでのようでけっこうです。ただ、あなた様のご威光で諸天に働きかけをしてくださいませんか」
「うむ。何をする?」
「梵天の用意する節理を設置したいのです。それはいま闇雲に地球に持ってきたとしても天神に自動的に感知され、破壊されてしまいます。むろん、宇宙にはどこにも隙はありません」
「ならば、どうする?」
「逆に、天神がよもやと思う結界のど真ん中に、置いてしまうのです」
「そんな露骨なことができようか」
「はい。実は・・」
方士はスサノオに耳打ちした。
「ううむ。そんな堅物に対して、わしが説得できるかな」
「今は天神が直轄せずとも、全幅の信頼を彼に置いて任せているいま、彼しかありません。
また、周辺も固めることが必要です。幸い、日本は、神々が善良。協力は自ずと取り付けられると思います。
私がおのおのに当たって説き伏せます。あなた様は地球における神のお立場ゆえ、お口添えくださいませ」
「更迭されてからは、けっこう社交パーティーなども開いておるし、それぐらいどうでもないことだ。分かった」
「それから、イナンナをどうか守護願います。私はネアンの立場からしか、イナンナを把握しておりません。
イナンナの本体、乙姫様の化身である五色の亀の身体には、新しい時代の予感、希望といったものが組み込まれて、日夜良いものに更新されているはずです。
どうか、それが壊されたり、更新が沈滞せぬよう、お守りください」
「よし。わかった」
スサノオ神は、地球守護の任の解任報告に事寄せて、地球の各国の神々のもとを周る旅に出た。
勢い閑になったとアピールする中に、いつもの豪放磊落ぶりを、まず最初の数カ国で振りまいた。そして、目的の日本に至る。
まずは礼儀として、天神系の神々に挨拶をしに周る。
天神系の神は解任の経緯を知るため、不合理を盾に暴力沙汰になることを避け、酒を飲ませたりしないように注意し、なるべく早く引き取らせるようにしていた。
白山系の神々は、上品に普通どおりもてなした。
「まあ、せっかくお勤めくださいましたのに。よい守護をなさってましたよ」
「みなさん、何も怖がらなくともよいのです。暴力して解任されたのでもなんでもない。
ごく、お上の方針であったまで」
「分かっております。早く次の任に就かれることを期待しております」
そして、二階層ほど降りたところに、地域警護の任に当たる神々がいた。その中でも、トップクラスに、かつて古代日本の中央として機能していた地域の司である安倍晴明がいた。
そこは京都の晴明神社であった。
「私はこの日本、中でも京都というところには、興味があったのです。日本文化は、かねがね良いものだと思っていたが、この京都はそのよさの原点とも言うべきところ。
少し、ゆっくりと見せていただきたい」
安倍晴明が日本庭園を案内する。
「自然の造化をそのままに凝縮して見せ、見る人の心を原点に立ち返らせたい想いで作られているものです」
「すばらしいものだ」
そのとき、スサノオの懐がごそごそと揺れた。
何事かと見やる晴明。晴明も、スサノオの何をしでかすか分からぬ行状についてはいちおう知っていたから、また何ぞかやと思ったのである。
懐からスサノオは、玉手箱のようなものを取り出した。あっけにとられて見る晴明の前で開けようとする。
「しばしお待ちを」
晴明は、両手を広げて制した。
「どうした?」
「これは玉手箱ではありませんか?」
「そうだ。私は龍王の娘ハリナメを妻にしておるので、こたび持たせてくれたのだ。それにしても、なぜこのようなところで、振動する?」
「おそらくそれは、私が師匠・伯道上人からいただいたものではないですか」
「馬鹿言うな。これはハリナメの化粧台にあった箱だ」
「なくしていたのです。お返しを」
「これは竜宮の玉手箱だぞ」
「いいえ。これは師匠の・・」
「ええい。埒があかん。何が入っているか、見ればよかろう」
スサノオが紐を解き、小さなつづらを開けてみると、そこからは白い煙が立ち昇った。
「ほら見ろ。浦嶋が使った玉手箱だ」
白い煙は、庭園を望む縁側に辿りつくと、そこで一人の白い仙人服を着た男に変わった。
それは、梵天の化身の方士である。
「何処の仙人?」
「いかにも、私は仙人。スサノオ殿に所縁あるものとも、貴殿に所縁あるものとも言えます。
それゆえ、懐を揺らして、開封を催促したしだいです」
「いきなりこんなことをされては、昨今の警護厳重な時勢、お上にも伝えねばなりませんぞ」
「この玉手箱は、確かに貴殿が受けた品であり、貴殿の将来を左右した品でもあります」
「それを知るあなたは?」
「私は、貴殿の師匠・伯道上人の友人で、許仙道人と申す者。貴殿に申したき儀あって、機会を待っていたのです」
「それというのは?」
「晴明の後を継ぐ機能が誰かにあるとすれば、それは・・。
あるいは晴明の再臨が成し遂げることがあるとすれば・・より符術を身につけた彼による・・」
「待て、(その謎賭けを)言うな。貴殿の考えは分かる。
だが私は、いまの体制を護持させなければならない人間だ。
過激な意見は差し控えてもらいたい。そして直ちにここを立ち去られたほうがよい。いまなら咎め立てはせぬ」
「いま幽界を観ずるに、夢とも幻ともつかぬ穢れた淡くおぼろげな業念があまた渦巻いている。
貴殿流に言うなら、形の定まらぬ業念ということになるな。
地上に生きる人々は、知らず知らずのうちに、それらと思考を同調させ、過去に辿った者たちの悲哀や恨みを幾度となく地上にもたらし輪廻させて気づこうとしない。
妄執、妄想、嗜虐、怨念、これらは意識ある者が振り撒いた種であり、それを身にまとった霊もあれば、ただ参照されるための手続きとして漂う想念(ソフト)のこともある。
鬱の者の妄念を増幅し、心を閉ざさせ、あるいは被害妄想させ、犯罪へと駆り立てる。
はまったら抜け出し難い心の迷路を設けてやまない幽界の業念再生産の仕組みと増殖する業念の累積。
社会の複雑化に呼応するかのように複雑化する業念。しかし根源は同じ無明。
根源には、少しも進化せぬ無明がいつまでもあるだけだ。
それさえ切り取ることができれば・・。いや、光を当てて氷解させることができれば・・。
その単純な無明をさえ克服できぬようにしているのは、何なのか。
たかが宗教としてまともに取り合わず、人々の霊性教育をおろそかにしているからなのか?
そうではないぞ、晴明。人間の遺伝子に、四万年前に組みこまれた人間性によるのだ。
争い抜きん出ようとゲームに興じる性質。人は強いものにはよう刃向かって行かぬ動物の性質。
また逆に、弱者を見れば心を安心させる性質。同じ檻に入れられた同族の間でのみ、勝ちぬき競争が行われるのだ。
楽しいときはそれで良い。だが、劣勢に立たされたと見れば、より劣勢の者をつぶしにかかる。
強い者にはかかって行かないが、弱い者にかかる。集団を作ってでも、弱い者が犠牲にされていく。
その接点から怨念が立ち昇る。不本意な弱者がなおも最後まで不本意を受けるは何ゆえぞと。
人の数だけ、疑心と怨念が立ち昇るのだ。こうして最後のひとりになるまで、業念の製造されてやまぬ下地をどうする。
貴殿がたとえ守護神となり、立ち昇るいちいちの怨念の鎖を断ち切ったとて、この努力はいつまで続くのだ。
弥勒が降臨する日までか?その弥勒は、何十億といる人間の遺伝子を総入れ替えするのか?
リコールするには、件数がいささか多いぞ。知られずにやるには、少し無理があろう。
いっそ、絶滅からしなおすことくらいしかない。だがそれは、貴殿の意図に反する。
そもそも、共同の場を競争目的で作っておいて、怨嗟の想いが立ち篭めるのを、換気もまともにしないで放っておくシステム自体に問題があるのではないのか?
この世が作られた時点に遡って、考えるべき問題があるのではないのか?
誤解するな。私は、いったんこの世を、大過去にそうであったように、つぶして一からやり直せと言うのではない。
体制は可能な限り存続させた上で、根底にあるシステムの性質を変えていくのだ。
このためには、痛みを伴なう者も多く出てこよう。体制に安住していた者には反発が生じるだろう。
だが、絶対多数の幸福には代えられない。いま進めなければ、それこそ一からやりなおす荒療治しかなくなるだろう。貴殿の協力がほしい」
「ふふっ。いまから1000年前に、そのような探求心や気概があったような気がします。
あなたの話は、ちょうどその頃の私の心のようです。だが、力が所詮足りなかった。
いまでは夢物語となった話があります。私には、むかし亀を助けたがため、竜宮に連れて行かれて歓待された経験があります。
そこで、”龍王の秘符”という龍宮に伝わる不老長生の秘符を授かり、地元に帰っても、若さを保ち続けることができたのです。
しかし、帰還のときに龍王から言付けがありました。あなたは、鶴である。
現世に帰ればいつの日か、私がもう一度亀となり、会いに参る所存。
そのときは、世がすさみ、荒れ果てて、人の心が微塵も感じられなくなる頃。
荒れ果てた世を、共に立て直すために参る。そのとき世界をあなたの見聞きした竜宮のように変えるのだ、と。
しかし、ついに亀は現れませんでした。それが象徴であると理解できたのは、師事した伯道上人によってです。
もし亀が現れてくれていれば、新しい時代へと導くための秘術を駆使いたしたはず。
そのために、私は永遠の寿命を捨てて、伯道上人の数ある秘術を体得いたしたのです。
必ずやの自信はあったのです。しかし、その残る半分の思いは果たせずじまい。私はそれが残念なのです。
それゆえまだ機会があろうかと、魂魄ここに留め、天神様の仰せ付けに従い、この結界を守っておりました。
しかし、かつてあった結界の土台が省みられず崩されていく様を傍観するばかり。
いや、ときおり呪詛しては妨害してはいたのですが、多勢に無勢、時の趨勢、もはやこれまでかと思っていたところでした」
「そうでしたか。分かります。貴殿の思い。
常に鶴は先立ち、亀は遅れて現れることになっておりますから。
その亀が時を選んで出てくるのに、果たして決まりがあるのかと思うほどです。
しかし、紛れもなく決まりはありました。鶴は千年。亀は万年。
鶴は亀の到来を当てにして、十回に一度の賭けを演ずるのです。
貴殿は、万を満ずるタイミングで言うなら、九度目だったのでしょう。
そのため、役割への当てが外れたように見えるのです。
が、この”九”という数は、また重要な意味を持っています。
此度十度目の秘儀を支える九神とは、それまでに空しく青春を散らしていった鶴たちを表しています。
そして、その”九”番目である貴殿は、この計画の旗頭に立つ者をも意味するのです」
「そうなのですか。そこまで知るあなたはいったい何者ですか?もしや伯道上人では?上人も同様のことを言っていたような・・」
そう言うが早いか、晴明は方士に向かって、金縛りの方術を放っていた。方士はその場に立ったままで、金縛りを甘んじて受けた。
一瞬晴明の手に手応えがあったが、次の瞬間、法力の宿った金の縄は、方士の身体を透過するように、するりと抜けて落ちた。
「私は立ち現れたがごとく、煙の身ですぞ」
「やはり上人では?」
「いや。私は鶴の印章をかつてあなたに付与した者です」
ええっ、と驚く晴明。スサノオも、固唾を飲んで聞いていた。
「では、このたび、十度目の鶴が現れているのですね?」
「その通り」
梵天の化身である方士は、晴明とスサノオに、今までの経緯を語って聞かせた。
晴明は泣いていた。鶴亀の時を演じようとして、満たされざる九神の境涯となり、世に伏在してこの方、ようやく真理に巡り合った思いであった。
「ならば私も、本当のことを申しましょう。
私が陰陽師になり、巷の人々の苦悩の治療に関わったのは、ひとえに亀に遭うためでした。
亀になり出てくる者は、我が対偶にあるなら、必ずや霊的な問題を抱えていると考えたからです。
それゆえ、陰陽の仕事は間口を広げるための算段でした。あとは、縁が引き寄せてくれようと。
実は私は、亀に出会ったのです。その名も、亀女という女でした。
しかし、亀女は、出会った当初、瘧と癩に冒されておりました。
川原に幾多曝される難民と、その次々と死んでいく屍の中におりました。
私は仲間に手伝わせ、山間の仮小屋に運びました。
仲間はむろん、いつもの私の奇行と笑い、転ぶように去りました。私は、自らに伝染るものは、普段なれば訃術と薬草にて直せます。
だが、亀女のほうは病重篤であり、余命幾ばくもありませんでした。そのようなとき、私は術を維持するための物忌みの時期を迎えてしまいました。
私はかつて伯道上人から、亀に会った時の交わり方まで教えられておりましたが、もしこのとき交われば、今まで培った術を捨てることになる。
思い悩み、術のほうを取ったのです。亀女のほうも、齢28にして、その生き様、堕落の果ての業病でした。
まだ生きるという望みはありましたから、諸葛孔明の宿星不動の祭儀を執り行ない、亀女の七日の延命を祈りました。これでもし命あるなら、まだしも縁あると。
しかし、六日目にして、亀女はこの世を去りました。
そのことをどれほど後悔いたしたことか。世を恨みました。自分のふがいなさも。
その慙愧の思いが、今この地に結界をうましめているのです。
術を維持し、神とはなりましたが、我が境涯は、この地にあって、私が対峙し続けた地縛霊と、何ら変わるものではありません。
上人は、我がたまきはるみぎりまで、試験したのです」
「こちらも実を言うと、このたびが十度目と言い切ることはできないのです。
というのも、その十度目すらも流れることがあるからです。
流れたときは、局地的に変革の嵐だけが過ぎ去ることでしょう。ちょうど貴族社会が武家社会に変わるように。
そうなれば、いったいいつが十度目、一万年目やらと考えても意味のないことになります。
二万年目かも知れず、あるいはまたそれ以前かも以後かもわからないのです。
要は人界は手順を踏み、神界に象徴として刻まねば、新たなことは動かない。しかし、どんな者も、失敗に見えてそうではない役割を持つことも確か。
あなたは人界には多大な功績をなされた。それを持って梵のもとに戻られたら良いでしょう」
「神の境涯も六道の一つにほかならぬことを知りました。何らかの役割を持ち、それに生きた。それをもって良しといたさねばなりませんね。気が晴れやかになりました」
<私が生涯をかけて見つめつづけてきた、鬼や怨霊。その闇の向こうにたえず存在しつづけていたものは、生きた人間の怨念だった。
人が人を呪い、人が人を恨んで死に至らしめ、その効果も、無念のまま死ねば、魂がさまよい、人が恨みを残して去れば、人を祟る。
恨みの念は、人にあらざる鬼を呼び、物の怪をこの世に生み出す。だが、結局は怨霊とは、権力闘争によって人が生み出し、人が育てたもの。
怨霊の生まれる原因も、鬼が現れる理由も、すべて人の心の中にあった。
怨霊たちの裏側にある、人間の業というもの。人が人を恨むと、その人自身が鬼に近づき、人を恨むほど、救われる機会を失っていく。
呪いは目に見えずとも、確実に相手に向かって走り届く。恨みの思いは目に見えずとも、大きなエネルギーを持ちつづける。
呪いを発すれば、必ず呪いとして帰ってくる。新たな恨みを生み、時を越えて連綿と続くことになる。
我々陰陽家が言う、相生、相剋とはこれのこと。すべてがそれぞれの因果でつながり、恨みもまた同じ。
その流れを誰かが断ち切らぬ限りは・・。自らがこの世に遣わされた理由は、それは恨みの流れを断ち切ることにあった。
それが私の使命だったのだ。そうだったと思うならば、天よ。雨を降らせてくれ>
晴明は天に祈った。すると、亀である弁天龍神の涙を誘ったか、雨は驟雨となってこの下位神界に降り注いだ。
<そうか。それで良かったのか。鶴亀の任は、我ただ一人のみでは、重すぎたのだろう。
さしずめ九度の努力が、我を含め取られてきたという。
だが、いま幽界では、満たされない恨み、果たされない呪いが満ちている。怨霊として魂をさまよわせている浮かばれぬ霊もあまたある。
すべて、この世に、この世の富や権力に、この世の射幸心あおることどもに、執着してなお目覚めぬ者たちと、彼らが振り撒いていった想いの抜け殻の集積である。
それらの影響を日々受けながら暮らす今を生きる人々。たとえ純粋に生きるものとて、その毒牙にかからずにすごせるわけはない。
神に師事する者でさえ、幽界と霊界の想いの層を貫いて神界へと回路をつなぐことができるかどうかは、不透明なのだ。
神々の元に、回路が曲げられて届かなければ、助けとうても助けられぬでは、大多数はどうなる。末端まで行き渡るべき守護霊、守護神の加護。
この世の理性と自己制御により、疲れと恐れにさいなまれながらも、かろうじて理性を保っている人々。
彼らが疲れ切ってしまったらどうなる。抵抗力をなくすのは、体だけではない。新たな新参霊がまたぞろやってくる。
免疫のない彼らがいったいどうなることだろう。どのような世相を作って行くのか。世が浄化されない限り、世はますます曇らざるを得ない感がある。
満たされぬ思いは、私にもあった。私怨にほかならぬものだった。いま過去の私怨を解き、鶴亀の儀を支える役に回ろうではないか>
晴明は涙を拭き、方士に向き直り、大きく頷いた。
「私が陰陽五行の結界の中で行う恒例の儀式には、天仙の五茫星の秘術を使うものがあります。
そのときにだけ、どんな仙も神も立ち入ることができなくなります。その日は毎年X月XX日からZ日間。
その開始の当夜子の刻から半時の間に必要なものを運び入れてください。
子の刻に始まる私の施術の進捗に従い結界は強まり、丑の刻には扉が完全に閉まります。
そうすれば、あらゆる検知の目からそれは隔離されましょう。
動かす折は、Z日後の亥の刻に術を解いてからとなります」
方士も涙しながら、晴明の手を取った。スサノオもその上に手を重ねた。

スサノオが次に出向いたのは、奈良であった。まずは法隆寺の夢殿で、聖徳太子と膳手郎女の歓迎を受けた。
「ここはいちおう、緩やかな結界になっております。ある面、筒抜けであり、またある面、秘密は守られます」
「そなたの理想として想い描いたことの実現が、近々起こることになっている。共に良い時代の創生に向けて力を貸してほしい」
「いつしか弥勒の世となると信じておりました。そのお役に立てるなら、喜んで。昔の想いはいつまでも持ちつづけております。昨今の世情を見ればなおのことです」
次は、キトラ古墳の被葬者の神格に会いに、三輪山に出向いた。
「私が生前に予感して絵師に書かせた、まさに朱雀の飛び立たんとする時代になりました。
この予感を介して、すごい神がお見えになることも予感しておりました。ぜひ協力いたしましょう」
次は葛城山の役行者である。
「晴明をよくぞ説き伏せられましたな。一部始終お手並み拝見しておりました。なに、鴨の系統は我が掌中を見るごとくであり、子孫への期待もしておりますから、ありがたく存知ております」
「同様に協力を頼めるか」
「承知しました」
次は高野山の空海である。
弥勒降臨のときには、肩にかけていただく袈裟を持って上がりましょうと言ってくれた。
(その後、2008年にはカンナオビが高野山詣でをした翌朝の夢に、空海が光る袈裟を持って現れ、まもなくおうまれになるとのお告げを授けている。ネアンはそれを解読する役を果たした)
そういった具合に、日本一円の神々に目通りを果たし、協力を仰げる場合はその旨言付けして周ったのである。
さて、着々と準備は進行した。
梵天とスサノオが協力して事に当たる段となったが、事は速やかに遂行される必要があった。
というのも、いかに日本という小域のこととはいえ、まず梵の密命者が揃っているという点からも、厳重な監視体制が敷かれていたからである。
また長く下位神界の神々に負担を強いるわけにもいかなかった。

地上世界のさらなる成行

天仙の仕組んだハーデース計画によって、地球上はいっそう混迷の度を深めつつあった。
ネアンの住むN国においても、訳のわからぬ犯罪が次々と発生した。
上が上であれば、下も下であるような、アンモラルかつ鉄面皮なゾンビとそれに準ずる者たちが現れるようになった。
人々の住む環境には有毒物質が溢れかえり、その面から健康と精神環境の悪化をいよいよあらわにしていた。
次の世代に何を引き継げば良いか、もはや大人世代は見出せずにいた。それに答えるように、子孫の世代は、大人世代を憎むことはしても、恩義を感ずることはなくなった。
荒廃した世相しか彼らに見せることができなくなったからである。歴史がこれ以上刻めるような雰囲気は、次第に乏しくなっていた。
そのようなとき、キタロウが、スカイフィッシュの所在が知れたとネアンに同行を誘う。そこに、シノが同行するという。
シノは、この世の成行に対する希望を胸に秘め、朱雀であるネアンにとって、玄武であるイナンナの代替的あるいは補完的立場の者として配置されたキーマンであった。
はじめての出会い、真名井のキーポイントで出会ったときに起きた事柄、世界の危機を招きかねない事態を惹起したことが思い出された。
次の出会いは、何を招くか。
おりしも、P国がI国によって激しい差別と軍事侵攻を受け、国民の大半が負傷し、死に瀕するという事態に至っていた。
E圏やA圏ではI国に対する非難の嵐が巻き起こっていたが、ネアンたちのいるN国では、政府もマスコミも邪神の圧力で、国民は事態知らしめられずの半隔離状態にあった。
政府は、対岸の火事を決め込むことにして、A国への追随を行っていたため、世界の暗黙の非難は、N政府に対してというより、暗愚な国民に向けられるようになっていった。
しかし、この国民が意に介していないことが砦となり、まだしもこの国を守っていた。
ネアンは、なりゆくままにシノと再会する。だが、キーパーソンの行動は国の枠を越えて地球上に影響を及ぼす。
世界を覆っていた憎悪が、その蓄積されたエネルギーのはけ口を見つけて、活動しだしたのである。
それは改訂された天仙の目論見に合致したものとなった。
世界大戦への機運の高まりとしたい天仙と、その配下のゾンビたち。I国のゾンビは、終局の誘導に熱意して、喜ぶように呼応する。
それを憎みながらも、理性で収めようとするAA。しかし、どこまで横暴に耐えられるか。
迫害を過去の歴史としてきた宗教的心情を、世界終末を望む空気へと変化させて行く。
I国親派によって牛耳られたA国は、世界平和を説きながらも、I国へのバックアップに終始し、これを非難する人々との割合は、1対9ほどとなる。
世界は、外面的穏健を保ちながらも、両極に分かれて、いざの時を待つことになるのである。
世界大戦は、核非使用の状態から始まろうとする。だが、I国トップは、保有核を使いたくて、うずうずしている。
世界世論と見合いの状態なのである。親派のA国、E国の力が勝れば、使用してもバックアップが強行になされる。だが、世論の面で弱ければ、核を使えない。
このために、I国親派はA国トップに、テロの芽をあちこちに萌芽させるように要請まで出すようになる。
A国トップはその要請に素直に応じて、わざとテロとテロの取り締まりの構図を装う。
こうして世界に疑心暗鬼を吹き込み、戦争を世界が是認するように向かわせる。
全面核戦争の事態となれば、宇宙連盟が彼らを救い出すという偽の契約がなされていた。
偽の契約に踊らされる者も者であったが、すでに地球上を見限っていた選民たちには、地球上のことはどうでもよかった。
後足で故郷に泥をかけて去ろうという、魂を腐敗させた者たちでしかなかった。
こうして、闇の世界から、世界は収拾のつかない混乱へと導かれていくのである。
闇太后が司令室から、究極の混乱を狙って上層部に配置したゾンビたちに指令を与えていた。
ゾンビたちは、魂の腐敗した配下たちに指示して、ただ一つの目的に就かせる。
速やかに反作用を蓄積するという目的である。
彼らの意図には、梵の全系からの独立分離しかすでにない。天上では、風雲急を告げていた。
天尊は、人間が不合理や差別、それに対する怒りや憎悪の感情が、背徳の行為よりも反作用の累積に効果があることを知っている。
この事実から、とかく独断に走りがちな闇太后に、人間が減少してしまう核戦争だけは思い止まるように要求もする。
苦々しい面持ちながら、闇太后はなるべく思い止まりましょうと答えた。
だが、勝ち気な闇太后のことである。どうなるや分からない。
その分、八つ当たり気味に、宇宙文明の中で圧政下、衝突が起こされ、軋轢を増し、菜種油を絞るごとく、反作用の抽出が図られることとなった。
そして遥かに巨大な宇宙文明側のほうでさえ期間圧縮されて、5年になると計算されるほどとなった。
地球上は、反作用が満ちるまで、4年と見積もられる憎悪の対立構図が、小規模戦争の繰り返しの中で維持されることとなった。
その後には、もはや核戦争を地上に画策する必要もない。むろんそれがあっても事態は変わらない。
ただ5年後にクラッキングツールを起爆させれば、地球どころか、実験炉宇宙さえも、核兵器どころではない破壊に見まわれるのである。
神話の完成を目前にするころ、次のような予測が神話には盛り込まれた。
平和だったN国も、世界の不協和音にさらされ、世界不安が再燃し、世界恐慌が始まると、経済破綻への道を進む。
N国と国民は世界資本の支配下に置かれて、第三世界の行程を辿らされることとなる。
豊かな飽食の時代は終わり、互いに無関心であった国民にあるのはサバイバル戦争である。
むろん、それは蘇民将来の本来あるべき家族への帰巣のチャンスであるかもしれない。
あとどれほど期間が残されているか分からないが、その時間内で、それぞれの配役がこの世界に寄って来たる理由を遂行せねばならなくなるのだ。
もちろん、新神話が軌道に乗れば、極端な無明に世界が覆われることなく、良識の回復が図られていくであろうし、5年というタイムリミットは、もはや何の役もなさなくなるのだ。
天下分け目の要の時が近付いていた。

完璧を期して (が、すれ違いが)

ネアンの手になる神話はほぼ完成し、いつでも新神話を起動させることができる段となった。イナンナもひととおり、その粗稿を見終えていた。
しかし、今ひとつ足りないものがあるという気がするのである。ネアンにはそれが分からない。イナンナもそれがなんであるか漠然としていて、表現できない。
そのことは、ネアンも聞かされ、相互の了解がなければ事は成就しないと、神話に穏やかさを持たせる努力をした。
ネアンは次のようなことを念頭に置いたからである。
イナンナは、母子家庭としてやっていく上で、仕事の面において目覚ましい成果を上げ、大きな希望を抱いていた。
女手ひとつで、三人の子供を育て上げる意欲をもっていた。それもこれも、世相がこのまま安定して続くことが必要であった。
もし、仕事の環境が変わるようなことにでもなれば、せっかくの見込みも、将来設計図も吹き飛んでしまう。
イナンナの考える現実の設計図と、ネアンが予定する宇宙全体の設計図が乖離してはならない。
それはおそらく、ほとんどの人々が望むことでもあるだろう。ならば、最も穏やかなソフトランディングが望まれる。
天上の神々は、激しく戦っていても、地上にはごく当たり前の成行として表現されなくてはならない。彼は神話をなるべくそのようにしようと企てた。
それでもイナンナは、ネアンに対して疑問を持っていた。心の底にある真意は何なのだろうかと。
ネアンの穏やかにすると言う言葉と裏腹に、神話を見る限りでは、現実に対して決して穏やかな成行にはしていない。
ハーデース計画の恐ろしい成行は、神話とはいうものの、それが世相に憑依する如く実現して行く様に、効力の程を認めざるを得ず、イナンナにとっては生存基盤を揺るがす大きな問題なのである。
それを平気でネアンは推し進めている。ネアンは本体である梵天に指示されて書いているのかもしれない。
その梵天にも愛されて今がある自分。ならば、より大きな計画の中で、私も動かねばならないのだろう。
私は、梵様の掌の中で遊ばされている。居心地が良いかわりに不安もある。
梵様のお考え次第では、どこに飛ばされるやも知れない身なのだ。
しかし、せっかく掴んだ今の幸せを失いたくはない。たとえ苦しくとも、今の積み重ねがあればこそ。
イナンナは、幾度も梵天と会う夢を見た。憶えてはいないが、その中で忌憚ない意見を述べたはずである。
イナンナを愛する梵天はそれを重々承知して、なおネアンに神話を書かせているようだ。
ネアンは確かに、ハーデース計画をセーブする要因を揃えたが、あまりセーブできているとは思えない。
そのままにしておけば、世界は退廃につき進むだろう。
それを出汁にして、火の鳥の発動によるハーデース計画の頓挫ならびに、急進的な変革を狙っているようだ。
確かにネアンは、世相の動きを見て、神話にいっそうの効力を持たせるために事実に忠実になろうとした。
帰納的に、ハーデース計画というものを想起しただけなのである。
現実を直視したがらないイナンナと、世相一般の成行を基準に置こうとするネアン。
理想をすでに内在させ、そこに集中しているイナンナと、退廃する世相を体現しようとしているネアン。
そんな中で梵天は神話に効力が付与できるのだろうか。
ネアンと梵天の間に起きた軋轢。イナンナがこの両者に対して持った疑惑。(そこにはネアンへの裏切りがもたらす効果への不安も重なっていた)

やがてイナンナは梵天を夢見なくなった。そして代わりにこんな夢を見た。
象徴夢として、恩師と先達が二人して、山上の大池に水をなみなみと張っている光景を見た。
イナンナがこれでは麓の集落が洪水にあって危ないのではないかと思ったとき、二人がこれは最後の審判の準備なのだとイナンナに語った。
そのとき、彼らと共にいたネアンが、イナンナにこれを食べなさいとサンドイッチを手渡した。
お腹がすいていたので、それを食べようと口に近づけると、心の内面に宇宙が広がっていく様が映った。
それを口から離すと、宇宙はすぼまった。その行為を二度繰り返してみて思った。
イナンナはこれを食べれば神話の計画が開始され、最後の審判が始まると、夢の中で思った。
そのとき、これは一大事、それを迎えるに際して、まだ家の一階の片づけが終わっていなかったと気付き、サンドイッチを食べずに持ち帰ってしまったというところで夢が覚めた。
次の日、ネアンは夢の内容を聞き、イナンナが神話の実行をためらっていると感じた。
原因は、現実生活における安定に水を差すようなことを避けたいということかと思った。
だが、神話はソフトランディング型になっている。それが理解できていないのか。それが信用してもらえないのか。
神話にそれほど効力を認めてくれる人が、実現力は認めてくれないのか。それとも、天仙の懐柔作戦、分断作戦にはまったのか。
(後に、イナンナはサンドイッチを食べたなら、つまりネアンの書いた神話に荷担すれば、宇宙は拡散してしまい、またも宇宙は流砂の中に飲まれて行くと思ったと、ネアンとの離別を露わにしたときに語った。だから、あなたの神話にはついて行けない、と。
だが、これによって問題はなみなみと湛えられた水源だけが決壊したことである。その
年の夏、アジアやヨーロッパで大洪水が発生した。これが最後の審判の開始とならなければ良いのであるが)
神話はなるほど、文章力もないし、構成力もない。これでなにか期待できるか、ネアンにも疑問であり、自信はない。
ただ、二人が協力し合えばこそ実現力も沸くものと信じられる。ようは、二人の力の合体なのだ。

ところが、そんなとき、ネアンはまったく久しぶりに夢見をした。
夢見とはむろん、ただ漫然と夢を見て、後でこんな夢を見たなあと思い出すことではない。
夢を見ているという認識があって、ある程度夢をコントロールする、いわゆる明晰夢と呼ばれるものだ。
彼はその中で、坊主頭の痩せ型の男を前に乗せて自転車を漕いで、水たまりが各所にできた山道を走っている。
リアルな自然の道を走っているのだ。そして、ネアンはこの夢見について、その男に質問をした。
「どうしてこんなところを走らねばならないんですか?」
「夢見の方法を忘れかけているから、教えに来たんだ。おまえが知らぬ間に大変なことが起きているから、とにかく急げ」
当のネアンは、さほど切迫感はない。やがて、男はいなくなり、そこは地下鉄のとある駅に繋がる地下街であった。
どういうわけか、ネアンは明るい喫茶店の中にいた。向かって右側に、髪の毛を後ろで束ねた可愛い顔のイナンナが座って笑っている。
左側に、イナンナのほうをじっと見ながらまっすぐ立っているグレー系のスーツ姿のがっしりした体格の男がいた。
その男は、ネアンの到来を知ったためか、立ち上がってそこを後にしようとしていた。
えらの張った顎をときおり噛み締めているのがネアンには分かった。
当のネアンは、内心穏やかではない。イナンナはそれからネアンと共に、帰ろうと地下街を歩く。
ところがネアンは、今日は車で来ていなかったんだ、電車しかない、と言ったところで夢が覚めた。
イナンナにさっそくその夢のことを報告すると、イナンナも実はその時刻に、かつてのウラジというボーイフレンドと出会って、いろいろ相談をしていた夢を見ていたのだという。
ネアンが話す男の特長は、紛れもないかつての彼氏を言い当てていた。ところが、当のイナンナは、ネアンを夢に見てはいないと言う。
ネアンは、夢見の顕著な成果が上がったこととは裏腹に、がっかりした。
イナンナの大学時代のウラジという彼氏は、当時のイナンナの考え方に共感し、また適切なアドバイスを互いに贈り合う仲であった。
だが、イナンナは、夢の八角堂の彼氏の存在を打ち明け、夢の邂逅が果たせるに違いないというロマンチストな側面があったため、ウラジはあえて関係を持とうとしなかった。
それほど、イナンナのことを真剣に思っていたとも言える。
そして彼は言う。君はきっとヒューに会えるよ、と。そして、イナンナの元から去って行った。ヒューとは、まだ見ぬ夢の人物、ネアンであったはずであった。
その後、ウラジは、うだつの上がらぬネアンとは違い、海外に渡航して外国籍をとって別の女性と結婚し、作家としても有名となった。
もし、あのとき・・だったならば、イナンナの運命は大きく変わっていたであろう。
そのウラジという男は、トルテックの戦士のようなイメージがあり、夢見もこなすことができるとイナンナは語った。
だから、遠い地球の裏側に暮らしていたといえども、イナンナと隠れて合うことは、できない話ではなかった。
天仙にも分からぬ夢見の場なら、ネアンにさえも分からぬ隠れ家であったのだ。
ただ、イナンナは隠し事をさほどすることなく、ネアンに伝えていたから、たびたびネアンは嫉妬を催すも、イナンナのするコメントにまだしも安心していた。
しかし、実際に自分の夢見でウラジに会ってしまったとすれば、夢すらも実生活以上に現実味を帯びてくる。
イナンナの過去から今まで直面してきた形而上世界に、真横から関わっている自分を認識しないわけにはいかなかった。
ところが、イナンナは、ウラジとの後で、ネアンと行動したことの記憶がないという。
ネアンは、これでほんとうに役割を遂行していけるのだろうかと考え込んでしまった。
それ以降のネアンは夢見らしい経験を持たなかった。
(ウラジは、おそろしいことに、上司のほうをよろしく頼むと、イナンナに言付けていたのである。イナンナは、上司にもトルテック戦士的な指導力支配力を感じていたから、
ウラジに似ていると思っていた。昔のことに思いを馳せ、ウラジのことをよく夢見るというイナンナであり、実際夢見の中でウラジは、彼女を思うままに操っていたのである。
不信感を抱き始めたネアンよりも、ウラジのほうの意見を取り入れて、彼の勧める上司との関係をためらわなくなり、その上司の意見を容れてネアンを軽蔑し見下すようになっていった。それは同時に、ネアンの作る拙い文章の新神話への見下しであり、協力の意志の翻意であった。ウラジのほうがよほど文章家。華族で学習院出の上司のほうがよほど身分が上。私は優れた短歌詠みだから、下賎なネアンより、貴族のほうがいいに決まっている。それがたとえ不倫であっても。私はトルテック戦士の道で自由に生きていくことができるから、ただでさえ窮屈な梵天の支配に属する必要はない、と。こうしてモラルというモラルをかなぐり捨てたのである。天仙は意に介さなかったはずの夢見の領域にさえ、邪霊を配置して干渉して来ていた)
いっぽうイナンナはときおりネアンを見ているとは言っていたが、梵天を夢見なくなっていた。
イナンナが寂しそうにこう言うので、ネアンはおそらく梵天が忙しくなったのだろうと察した。
神話の中に、すでにその部分がしたためられていたことを知るネアン。
それは時が間近であることをネアンに警告するには十分であった。
ネアンにしてみれば、ここは現実サイドで何とかイナンナの協力を取り付けねばならない。そうしなければ、計画それ自体が失敗してしまうと思った。
失敗すれば、ネアンが仕組んだ神話自体が逆に、梵天はじめあらゆる大政復古勢力の計画の足枷になってしまうことになる。
それでも、イナンナはなかなか、思い切りがつかないようだ。というより、やはりネアンと共にする夢見には、自信がなかったのかもしれない。
ネアンは強引に命令することなどできはしない。命令などすれば、イナンナは萎縮してしまうだろう。

ならば、どうするか。そこで思いついたのが、シナリオである神話のほうを書き換えることであった。幸いまだ粗稿の段階だった。
まずネアンは自らの死と、火の鳥発動の雷管を繋いで、最悪の場合の保険をかけた。
ネアンはこの計画遂行に、もしうまく行かなかった場合は、死をもって購うことを決意したのである。
そのうちイナンナが悟ったように、計画に従わなくてはいけないねと言うようになった。
だが、そうは言ったものの本人はどうすれば計画に従えるか知らなかったし、また知ったとしても自信がなかっただろう。
要である共に夢見すること自体、本当に実現できるかどうか、イナンナもネアンも自信がないのだ。
わずかな水の漏れで、妨害者の良いように変えられてしまうことは分かっている。
水も漏れない完璧を期さねばならない。実演者たちはてんでばらばら。一時固まったかと思えば、環境が少し変化しただけで、簡単に溶けてしまう。
ならば、シナリオのほうを完璧にするしかないと、ネアンは思案した。
イナンナは、ウラジを見て、ネアンを見なかった。これは、印象に薄いもの、空気のよ
うに感じられるものは、夢から覚めるときに記憶が乏しくなると解せる。
イナンナは、たびたびネアンに会う夢を見るが、ネアンはあまり記憶にない。これは、ネアンがいつも夢見ほどの鮮烈な夢を見ないからであると解せる。
真相を言えば、二人は、けっこう夢の中で出会っているということになる。お互いに印象が乏しいために、記憶に上がってこないのだ。
ネアンはこう思った。神話が起動しているから、世相がおかしくなっている。
神話が起動しているなら、並行して書かれる二人でする夢見のある程度までは進捗していると考えてもおかしくはない。
ただ二人とも、よく憶えていないだけなのだ。憶えておくことが難しいものに対して、そんなことが起きたと言えるかと問われたとしても、起きた可能性を否定できるものではない。
もしかすると、神話で火の鳥が起動するところまでスケジュールは進捗している可能性もある。それはイナンナが最近夢見たように、ためらっているところで終わっていると考えたほうが良い。ならば、こうすればどうか。いや、こうしてみよう。
騙す格好になるが、イナンナを神話のシナリオの中で、強制的に参加させてしまおう。
何せ、イナンナは、あまり事態の進捗が理解できている風がないから、そうするしか方法がないのだ。
後でイナンナは強姦されたようなものだと怒るかもしれないが、そのときはやさしく抱きしめてやろうとネアンは思った。
そうすれば、少なくとも、ネアン自身は死ななくても済むし、イナンナにとっても励みになるだろう。
ネアンは神話に次の筋書きを加えた。ただし、期日までに共に夢見が二人のしっかりとした了解の元に行われなかった場合に、ということでである。
この場合は、非常手段として行われねばならないのである。

夢見の自動創造神話

20XX年の吉日、イナンナとネアンの二人は、ファッションホテルでひとときを過ごす機会を得た。
簡単な軽食を買って、料金が高いから、両方の欲望をせわしなく満たしながら過ごすことになった。
「またいっそうきれいになったね」
「そんなことないよ」と、下着を脱いで行こうとするイナンナに、そう言いながら擦り寄るネアン。
すでに股間を硬くしているのを手で触れてみたイナンナは、「ああん。もうこんなにして」と、脱ぐ速度を早める。
ネアンが手を貸し、下着一枚になったところで、イナンナは膝まずき、すでに下着一枚になっているネアンのふくらみを下着の隙間から取り出して口に含んだ。
「もう十分大きいから、いいのに」
イナンナは、さもおいしそうにそれを頬張る。一度奥に入れすぎてむせ返ると、ネアンは、「もう十分だよ。さあ、今度はぼくが愛してあげよう」と、ベッドにイナンナを横たわらせ、そのまま体を重ねていった。
仰向けに寝るイナンナに、ネアンは唇への濃厚なディープキスを繰り返す。それだけで、
イナンナはもう息遣いが激しい。
次に、ネアンの掌が、胸から腹部、さらに足へとやさしくマッサージをかけて行く。
イナンナは、脚をさするネアンに合わせて、股間を広げ、手指を真ん中に誘致しようとする。だが、それを巧みに回避しつつ、さらにスキンシップとディープキスに励むネアン。
「ああん。いじわる」
「どうして?」
そう言いながら、今度は唇で胸にあるふくらみを口に頬張り、硬くなったボタンをすする。
「ああん。あっ」
指がそのとき、股間の湿潤を捉えた。
「ああっ。いいっ」
たくさん濡れている。簡単に、くぼみの中に指が入っていってしまう。
外側の襞の先にある核を、その抜きざまの濡れた指でこすり上げると、イナンナはのけぞりながら声を上げた。
しばらく声を押し殺していたが、イナンナはついに荒い息遣いの中で、「だめ、もう入れて」と懇願した。
「まだだよお。これで1回行かせたげようよ」
「ああ、そんな。でもあなたのを入れて欲しいの。お願い!」
「よし。分かったよ。じゃあ、いいですね、乙姫様。あなたがここに持っておられる玉手箱に、ぼくの作った神話を入れますよ」
「ええっ?なに、それ?」
「ほらここに、玉手箱が・・」
ネアンは、そう言いながらイナンナのふさふさとしたアンダーヘアーを愛しそうに掬い上げると、掌でふくらみのある丘を掴み揉みしだいた。
「ああっ。ここが玉手箱なの?」
「そう」
「でも、こうすると、どういう意味があるの?」
「意味?それは、ただ成行がそうなっているだけさ」
そう言いながら、割れ目への指使いの波状攻撃へと多彩に技を繰り広げるネアン。
「ああっ。いいよお。だめっ。やめないで」
「もっと大きなのは?」
「ああっ。入れて」
「じゃ、でっかい神話を入れるよ。いいね?」
「ええっ。神話なの?ということは・・」
「そう。神話の巻物だ。春巻きじゃあないよ」
「いいよお。もう、何でもいいから、入れてー」
ネアンは、イナンナの長い両脚を自分の肩に抱え上げ、太い神話の一巻を、イナンナの濡れきった玉手箱の縁にあてがい、ゆっくりと挿入していった。
そして、腰を上下運動に変える。下には、不安そうなイナンナの表情が見て取れる。
それを「可愛いよ。大好きだ」と言いながら、ディープキスの繰り返しで、イナンナの不安を取り去る。
イナンナはやがてネアンの下で、びくん、びくんと行く寸前の痙攣を繰り返すようになった。
「どう?いった?」
イナンナは少し首を横に振る。
「じゃあ、きちんと神話を容れ物の中に入れちゃおう。耳をそろえてね」
と、耳元で囁きざま、イナンナの耳たぶを口にくわえて舌で転がしながら、腰の上下運動を早めると、喘ぎ声とともにイナンナは一回目を行きかけた。
イナンナは、クンダリーニが上がろうとするときの痙攣を少し醸しながら、横臥しようとしたがったが、ネアンは繋がったままで上体を抱え上げて対面座位をとって、強く抱いたり、緩めたりしながら、気の上昇を抑えつつ、まっすぐな姿勢をとるようにした。
少しげんなり気味のイナンナ。目を瞑って疲れた様子である。
しかし、ネアンは気を抜かず、片手でイナンナのお尻の丸い曲面をさすりながら、「神話の玉手箱、確かに孔雀の前に奉げます」と唱えたのである。
「ええっ。何?」と怪訝そうなイナンナ。
「もう大丈夫だよ。イナンナ」
イナンナは、なにか釈然としない。
「ねえ。ネアン。いったい何をしたの?言って。私に何をしたの?言って」
賢く聡いイナンナが、ネアンのいきなりの行為に驚きを持っても仕方がなかった。
「君には、なにもしていない。ただ、時が来たから、神話のシナリオを前に進める必要があったんだ」
「それをしたら、どんなことになるの?」
「君とぼくが、万事順調に協力し合えて、火の鳥を使い、正義の神の復活を果たすという所期の神話のシナリオに合流することになる」
「待って。それって、最後の審判でしょ?」
「君は、世界が災厄で滅亡する式の最後の審判というイメージで捉えているかもしれないが、そうではないよ。
君は君自身が見た夢の印象を優先して語っている。それは災厄のようなイメージかもしれないが、水は浄化を象徴しているんだ。
それはなにも手段が災厄である必要はない。ぼくが神話に託したのは、表向き大きな変化がないように見えて、実質が根底から変わってしまうということなんだ。
だから、もしかすると現象として多少の変化の軋轢があるかもしれないが、このままなだらかに続いて行くように目撃されるはずなんだ。
多分それは、一部の急進的な人々にとっては面白くないだろう。
急進的に変わるのは、形而上世界のほうであって、この世界ではその波風の影響をやんわりとソフトに受けることになるだろう。
だから、逆になにも変わっていないじゃないかなどと言わないでくれよ。必ず良くなるんだから」
「そうなんだ。ネアンを信じる。梵様を信じる。私にはそれしか方法がないもの」
「ばかだなあ。これからの時代はみんな対等だよ。君が誰かに従属していたいのなら、そうすればいい。ぼくは、そんな君が愛しいけど」
こんな風に、二人の間の協力関係が円滑に行かない場合の非常手段として、玉手箱と、それに対応して、神話をそこに入れるという言葉が会話の中に出てくることをもって、ひとりでにその日もしくは短時日の内の夜の眠りの中で所期の夢見が果たされるべく、つまり次の章に書かれるところの共に夢見るという手続きが、この神話の力によって自動的に起動されることとなるのである。
(ところがイナンナは玉手箱を邪霊のかかった他の男によって汚してしまっていた。このため、次章の夢見の手続きは起動されたものの、曲折を孕むものとなった。当のネアンはそれを知る由もなく、彼の意識に介在する梵天も然りであった。ネアンはすべてうまくいったに違いないと思っていたのである。梵天の身には囚われの危機が)