新神話 第八章

第八章 新神話新たな模索の章

親愛なる子供たちへ ネアンおじさんより

わが親愛なる三人の子供たち。
イナンナ母さんの身体から分け出た子供たち。
君たちとは血は繋がらないけれど、ぼくは君たちのお父さんになりたい。
いまぼくは、君たちのお母さんとは、心の夫婦だと思っている。
それと同様に、君たちとは、心の親子だと思っている。
心だけでなく、その奥にある魂のレベルでの親子だと思っている。
魂の親子というのは、ぼくらが生まれるさらに前から親子であり、つながりがあったということだ。
そのように、イナンナ母さんとぼくは、古くからの魂の夫婦なんだ。
ぼくはイナンナ母さんをとても愛している。
過去から現在、そして未来に至るイナンナ母さんの全部。
そして、全身全霊のあるがままのイナンナ母さんを愛している。
イナンナ母さんも、ぼくをかけがえのないものとして愛してくれている。
もしぼくをなくしたら、ど う生きていけば良いか分からないほどだと言ってくれている。
どうしてこんなに愛せるのだろうか。
よくよく考えてみた。
どうやらそれは、ぼくらが神話に生きているからだと分かった。
神話は永久不滅だ。
この世が終わって、すべてをかき消しても。
ぼくらはずっとずっと生きてきたし、いまなお生きている。
これからもずっと永遠に。
人々が心の中にしまっておいてくれる限り生きている。
誰に言っても分かってもらえないだろうけど、ぼくらは神話の中に生きている。
いまあるぼくらの表向きの生活は、毎 日を生きるに必要なお金を得ることに費やされていて、何が面白いのか分からないように見えるだろうけど、ぼくらの心の中では、わくわくするような毎日なんだ。
イナンナ母さんもぼくも、汗水たらして働いて、たいした稼ぎにならないさ。
二人分合わせても、君たちを育てていくにはぎりぎりだろう。
そして、残念なことに、いつになったら結婚できるかというめども立っていない。
もしかしたらこのまま、二人とも結婚せず、独身のままかもしれない。
それでも、二人は心の夫婦であるには違いないんだ。
ムサシ君。
君とぼくは、はじめて夢の中で出合ったね。
ぼくは、あのころ、イナンナ母さんとは知り合って間もなしだったけれど、何度かのお付き合いのうちに、結婚したいと思うようになっていた。
君たちの世話も喜んで焼きたく思った。
でも、すぐには君たちに会えない。
この世の中のルールがそれを許してくれなかった。
それで、君たちが眠った後で、ぼくは遠いところにいながらに、君たちに意識を飛ばしてみた。
とくに君に、それはそれは、愛情の限りの想いを送ったんだよ。
すると、君がぼくを夢に見てくれた。
ぼくのことを、「竜のお父さん」と呼んでくれたそうだね。
君はぼくのことを、本当のお父さんと言ってくれたそうだね。
イナンナ母さんから、そのことを聞いた。
ありがとう。
とても嬉しかった。
ぼくは君を、ぼくの息子にする。
君はもうすでに知っている。
イナンナ母さんとぼくのお付き合いは、た だ表向きのことだけではないんだということを。
そうなんだ。
二人は、目に見えない世界で日々会っている。
君たちと、本当に正式に親子になるのは、まだまだ先になるだろう。
だけど、ぼくは君たちを魂の息子や娘と思っている。
血のつながりはなくとも、このつながりは、もっともっとはるかに強いものなんだ。
とおいむかし、君はぼくのことを知っていただろ?
君がこの世に生まれる前の時代のことだ。
おぼろげだ。そう、おぼろげであいまいで、どうしても思い出せそうもないだろう。
でも、ぼくは君をすごく可愛がっていたように思う。
だからこそ、君はぼくのことを本当のお父さんだって思えるんだよ。
それを魂の絆と言うんだ。
ぼくはまたもういちど、君のお父さんになりたい。
ラナちゃん。
君は、ぼくがイナンナ母さんと、みんなが寝静まった時刻に会ったとき、こんな夢を見たね。
お母さんが、子猫になって、君のお手てをかんだ。
それからお母さんは、小さな竜になって、そのあとで鳥になっただろ?
そして、鳥になって飛ぶお母さんのそばに、大きな鳥が連れ添うように飛んでいただろ?
その大きなお鳥さんは、ぼくだったんだよ。
イナンナ母さんとぼくはね、そのころ、御伽草子という神話の世界に遊んでいたんだ。
大きくなったら、調べておくれ。
むかしむかしの物語だよ。
ぼくらは、その神話の中の主人公になって遊んでいた。
その中で、愛し合う仲むつまじい二人は、「比翼の鳥」、「連理の枝」と形容されている。
つまり、並んで飛ぶ二匹の鳥とか、枝が重なり合って一つになった二本の樹のようだと言うんだ。
君は、その中の「比翼の鳥」になったぼくらを夢に見てくれたのさ。
そう。それに君のお母さんは、竜宮城にいたときに、可愛らしい竜だったことがある。
竜王様の娘さんだったんだよ。
そして、ぼくはもともとが鳥だ。
あのとき、お母さんはぼくに合せて、鳥になって飛んでくれたんだよ。
そのときの鳥の姿がどんなだったか、いちど思い出して絵に描いてもらいたいな。
君は、神様の姿が見えるそうだね。
そんな君だからこそ、ぼくらの本体が見えたんだ。
ありがとう。
ぼくは君のことをもっと理解したい。
そして、すばらしい才能をもっと開かせてあげたいと思う。
イナンナ母さんとぼくがうまく結婚できたら、二人の子供でいてくれるかい?
ぼくは、君のお父さんにもなりたいんだ。
ルナちゃん。
君が物心つかないころ、初めて会ったね。
そこは鹿島さんというすばらしいところだった。
君はお母さんに連れられて、ぼくら三人で神社に参拝して、公園でお昼ご飯を食べたとき、君は地面に落ちている落ち葉を拾って、一枚一枚丹念に、お母さんの次はぼく、ぼくの次はお母さんという具合に交互に、何枚も落ち葉のプレゼントをしてくれたね。
ぼくはこの時のことを克明に憶えている。
お母さんへの落ち葉は、まだ若々しい葉っぱ、ぼくへの落ち葉は、やや黒ずんだ葉っぱだった。
君は知らず知らずのうちに、二人を気遣ってくれていることに、ぼくはとても嬉しかった。
ありがとう。
ぼくはこのとき、もし君のお母さんと結婚できなかったとしても、君に養子になってもらえないかなと思ったほどだ。
理由はこうだ。
君が生まれてくれたために、ぼくはイナンナ母さんを見初めることができた。
君は、ぼくらの出会いの神様なんだよ。
詳しいことは、また大きくなってからお母さんに聞いておくれ。
そして、葉っぱを交互にプレゼントしてくれたことの中に、君がいずれぼくらのどちらにも関わってくれるだろうことを見て取ることができた。
もしかすると、ぼくはイナンナ母さんとは結婚できずにいるかもしれない。
でも、君は、ぼくら二人を仲立ちする子だとぼくは信じている。
ぼくが君のお父さんになれるなら、何も言うことはないんだけどね。
どうか、これからもよろしく頼みます。
三人の子供たち。
君たちには、血を分けた実のお父さんがいる。
イナンナ母さんと離婚して、別 のところに住み、と きおり会いに来てくれているだろう。
このお父さんは、君たちを生み出すという役割を持って君たちの前にしばらく居て、去って行った人だ。
ぼくがもし先にイナンナ母さんとともにいれば、君 たちを生み出せたかどうかは分からない。この役目を、実のお父さんが果たしてくれたんだ。
君たちだけでなく、ぼくも感謝しなくてはならない。
いま、お父さんがいないという日々、とても寂しいだろうと思う。
将来、ぼくが代わりをつとめられたらいいと思う。
いつの日か必ずお父さんになるからね。
ただし、いつになるかは分からない。
待っていてほしい。
長い時間のうち、君たちもあきらめたり、もうどうでもいいと思ったりするかもしれない。
ぼくがお父さんになっても、疎ましく思うようになるかもしれない。
でも、ぼくは、イナンナ母さんがいる限り、協力していくつもりだ。
イナンナ母さんとは、神話の世界でともに生きている。
心の中ではいつも夫婦でいる。
この世でたえず支え合っているし、これからもそうしていくつもりだ。
ぼくが必要なくなるまでは、共にいてあげるつもりだ。
君たちも、それにはオーケーしてくれたまえ。
子供たち。
次は君たちへのお願いだ。
よくお聞きよ。
イナンナ母さんは、一見したらちっぽけに見えるだろ?
仕事だって、苦労ばかり多いわりに、お金をたくさんもうけているわけでもない。
それでもイナンナ母さんは立派な人だ。
君たちを一人前に育てようと、朝から晩まで一生懸命になって働きに出ている。
これからずうっと、君たちが大人になって、自分の手と足と頭を使って仕事ができ、君たちが新しい家庭を築くことができるようになるまで、お 母さんは働きつづけるだろう。
そんなお母さんは、少しもちっぽけじゃない。
ただし、君たちもときおり病気をするように、お母さんだって病気をすることだってあるだろう。
そんな日でも、君たちのために、働き、買い物に出て、食事の用意をし、みんなをお風呂に入れ、寝床につかせて、みんなが寝静まってから、お休みするだろう。
ひととおり、家の仕事もこなさないと一日が終わらないのがお母さんなんだ。
雨の日も、風邪の日も。
そんな時、ぼくが代わりに君たちの面倒を見てあげられたら、イナンナ母さんはどれほど楽だろうかと思うけど、大人の取り決めというものは、そんなことを容易に許してくれない。
だから、君たちが、お母さんの毎日の苦労を思って、手助けしてあげてほしいんだ。
イナンナ母さんの表向きの体は、決して強くはないからね。
お母さんに長生きしてもらいたいと思ったら、ぜひ、いたわってあげてね。
そうすれば、お母さんは、君たちをもっともっと慈しんでくれるだろうし、長生きしてくれるだろう。
イナンナ母さんの仕事はね、保険外交員というお仕事だ。
人の将来の安心という目に見えない品物を売っている。
お母さんがお金を得ようと思えば、人にその品物を買ってもらわなければならない。
今の時代、不景気といって、買ってもらうことがだんだん難しくなっている。
なかなか苦労のいるたいへんな仕事なんだ。
だから、お母さんが家に戻ったら、体も心も楽にさせてあげてね。
以上は、ぼくからのお願いだよ。
さあ、次はぼくのことを言っておこう。
みんなは知っているように、ぼくはサンドイッチマンだ。
少ないお金を得ながら、人さまに楽しんでもらっている。
人から見れば、かわいそうな部類の下積みの人間ということになるだろうね。
でも、違うんだ。
ぼくらは、表 向き、た とえそんなふうであっても、神 話の世界では、す ごくえらいんだ。
それは心の世界で、と言い換えても良い。
そこでは、ぼくとお母さんは、二人とも英雄なんだよ。
というより、神様だといって良いかな。
ムサシ君にはじめて会ったときにマクドで言ったよな。
ぼくは、この世には工作員としてやってきていると。
そう。特殊工作員なんだ。
こんなことを言えるのも、君たちがぼくの魂の子供であるからこそだ。
他の人にしゃべったりしたら、いろんなことがばれてしまうから、内緒にしておいてくれよ。
じゃあ、どうしてそうなのか、話してあげようね。
これからするのは、なかなか信じることはできないだろうけど、本当の話なんだ。
長い話になるけど、ゆっくり聞いてね。
ぼくのまだ若いときのことだ。
ぼくは、ずっと長い間、誰か求めている人がいるに違いないと思いながら待っていた。
その人と会えば、何かができる。
その人の持っている何かに合う鍵をぼくが持っていて、二人協力すれば、何かができるに違いないと思っていた。
ときおり夢に見たような見なかったような、夢 から覚めれば思い出せないという感じでもあった。
憧れの中に佇む人といった感じの誰かがいると思っていた。
もしかしたら、その人は、見えない世界にいる霊のようなものかもしれないと思ったりもした。
そんなとき、ぼくは初めて愛しい女性をみつけた。
それはたづえさんといって、ぼくより2つ年下の人だった。
自然に同じ場所に集まり、自然にお互いが必要としあった。
彼女は、いずれぼくといっしょになることを予感していたに違いない。
勤めるようになっても、他に気を許すことはなかったんだから。
しかし、ぼくは勤め先を半ばリストラされたようにして出てしまっていた。
それから深く付き合おうとしても、もうぼくには自信が持てなかったんだ。
こうして、お互いの磁石が弱まるようにして、離れていったんだ。
その後は、何度か見合いをしたし、恋愛に結びつきそうな相手もいたけど、深く付き合えなかった。
それでも、きっと誰かが待っているように思っていた。
死んでから会えるのかもしれないと思ったりもした。
その人は霊かもしれないからね。
ぼくはけっこうあっさり、誰かと結婚しようという気を捨てていた。
36歳を過ぎるころには、一生誰とも連れ添わず、ひとり孤独にどこかで人知れず死ね
たらいいやと思うようになっていた。
ただ、母 親の最後だけ看取ったら、そ の三日後には死んでもいいとさえ思っていたんだ。
だから、どんな仕事につこうが、どんな生き方をしようが、自由気ままに暮らせたら良かったんだ。
お金が乏しかったら、余分に買ったり食ったり飲んだりしなければ良いだろ?
人は一日や二日くらい飲まず食わずとも、死んだりはしない。
そこまでひもじくなることも、ぼくの場合は、あまりたくさんの欲がなかったから、な
かった。
人生50年という昔の人の寿命程度しか生きられないと思っていた。
それだけ生きたら、もうたくさんだと思っていた。
そうするうちに、ぼくは、死ぬんじゃないかと予感していた50歳を超えてしまった。
体調は確かに変なところも出てきた。
心臓が不ぞろいに動悸するという変調が起きるようになっていた。
医者は、死ぬような不調ではないと言ってくれた。
普通人と変わらず、生きている人はいくらでもいるというんだ。
そこでぼくは、これからも生きておれるのなら、ぼ くの半身になるべき人を与えてくださいよと、神様に熱心にお願いしてみたんだ。
約束は50歳だったから、これ以上延ばされるのなら、人並みのこともしたいと申し出たんだ。
そんなとき、淡路島に行き、世界平和観音像という博物館に入った。
七福神の銅像が並ぶ中、金色の弁天様の前に立ち、その美しさに見とれて思わず、お嫁さんになってほしいですと言ってしまった。
きっと、ぼくを待ってくれている人は、こんな神様みたいにきれいな人だろうと思いながらね。
そして、この神様にだけお線香を特別に供えたんだ。
こんなこと普通の人が聞いたら、笑ってしまうだろうな。
君たちも笑うだろうな。
でも、それからほんの少し後のことだった。
君たちのお母さんが、ぼくの出していたホームページを見て、ぼくを探し当ててくれたのは。
それからなんだよ。
いろんな不思議なことが起きるようになって、君たちのお母さん、つまり、イナンナ母さんとぼくは神話の世界に出入りするようになったんだ。
なぜなら、イナンナ母さんこそが、弁天様だったんだから。
そっくりなだけじゃあない。
いろんなことを総合して、そうとしか思いようがない結論に至ったんだ。
驚くのは、まだ早いよ。
イナンナ母さんも、まだ小学生のころに、ぼくのことを夢に見て、探すようになっていたんだってさ。
イナンナ母さんも、ムサシ君やラナちゃんのように、小さいころから夢見ができたからね。
ぼくはその点、夢見は苦手だった。
ぼくが漠然とした思いしか持てず、とうにあきらめていたのに、イナンナ母さんはずっと探していてくれたんだ。
でも、イナンナ母さんも、夢は夢、そんな人はこの世にはいなかったとあきらめて、君たちの実のお父さんと結婚してしまった。
ぼくに似ていた歌手にあこがれながらね。
そして、君たちを生んだ。
それだけ、イナンナ母さんとぼくが会うのは、難しかったんだよ。
どうやったら会えたというの?
一目見たら分かるとしても、満員電車の中で、どうやって見つけられる?
車と車がすれ違う程度で、どうやって見つけられる?
人口、一億人以上もいる日本だ。
もし会えたとしたら、本当に奇跡だろう。
でも今の時代、インターネットという、遠くにいても即座に人と人を結びつける方法ができたために、ようやく奇跡のようなこともあたりまえのように起きるようになった。
インターネットの普及という奇跡は、ぼ くらの不思議の世界の開幕を飾るに相応しいファンファーレだったんだ。
新しい世界は、ぼくらにやさしい態度をとるようになったような気がした。
ぼくらが必要になったからこそ、ぼくらを会わせて、この世にとって何か役立つことをさせようとしているように思えた。
謎の箱を開ける鍵を二つ合わせて、何 か大きなことをやらせようとしているように思えた。
ぼくは少なくとも、そ のために遣わされた特殊工作員だという想いを昔から持っていたからね。
気の遠くなるような時間の経過の中から、よ うやく二つのキーワードが結びついたような感じだった。
何か大きな目的を達成するためのね。
それが何なのか。
いずれ目撃するのは君たちになるだろう。
じゃあ、みんな。
イナンナ母さんとぼくが関わる不思議な世界を案内しよう。
これは二人が出会って、いろいろなことから謎解きをして、間違いないと思い至った結論だ。
ムサシもラナも(ルナはどうかな。確認できていないなあ)、ここに生まれてくる以前に、別の人生を生きていた覚えがあるだろ?
イナンナ母さんもぼくもそうなんだ。
あんまり昔の話をしても、難しくて分かりにくいから、これだったら分かるという話をしよう。
浦島太郎の話は聞いたことがあるだろう。
むかしむかし、浦島太郎は、船を沖に出して釣りをしていて、大きな亀を釣り上げた。
船に乗せていると、亀はきれいなお姫様に変化した。名前を乙姫といった。
乙姫は、浦島を誘って、竜宮城に連れて行って結婚して、しばらくともに楽しく暮らしたという。
しかし、浦島が、故郷に残した両親のことが気になり、いちど別れを告げて帰ろうとしたときに、乙姫が渡したのが玉手箱だった。
向こうでこの箱を決して開けてはなりません、ここに戻って来れなくなるから、と言って渡したんだ。
浦島が元の故郷の丹後の伊根というところに帰ってみると、そ こには知らない人ばかりだった。
元あった家も見当たらない。
地元の人に聞いて分かったことは、浦島がここを去ってから、何と300年が経ってしまっていたということだった。
浦島は途方にくれて、持っていた玉手箱に何が入っているのか見ようと、乙姫の注意も忘れて開けてしまったんだ。
中からは煙が出てきて、それとともに浦島は一気に老けて、死んでしまったという。
300年の年の経過を封じこめた箱だったんだよね。
話を聞いて哀れに思った村人たちが浦島の亡骸を葬ってやろうとして焼いたとき、それは鶴に変化して、空に向けて飛んで行ったという。
鶴が去った先はどこだろうかとみなは気がかりになったが、天 から、浦 島は鶴となって、いまや蓬莱山で、亀になった乙姫様と遊んでいるとお告げがあったという。
浦島は、そう、仙人になったんだ。
みんなよくお聞き。
ぼくは、かつてその浦島だったんだ。
乙姫様こそは、いまのイナンナ母さんなんだ。
どうしてラナちゃんが、お母さんのことを竜として夢に見たかと言うと、乙姫様はもともと竜王様の娘だから、本体は竜神さんなんだよ。
そして、水をつかさどる女神である弁天様でもあるわけなんだ。
また、ぼくはもともと鶴だった。
そして蓬莱山で共にいるときは、イナンナ母さんは、あのとき浦島を誘ったときのように、五色の亀になっている。
ぼくは鶴となって、白浜の松の周りでともに仲良く暮らしているんだ。
ぼくが若いころ、たづえさんといっしょになっていたら、鶴のつがいになっていただろう。
たづえの「たづ」は、昔の言葉で言う「鶴」のことだから。
鶴とはいっしょになれなかったが、今頃、鶴と亀がいっしょになろうとしている。
どうだい、不思議な人生だろう。
ネアンおじさんは、どこまでもすごいんだ。
ぼくと共にある限り、イナンナ母さんもすごいんだ。
人はこう言う。
鶴は千年、亀は万年。
鶴と亀が共にいる光景は、とても縁起が良いと。
だから、古くから、鶴と亀をともに絵に描いた。
結婚式には、鶴亀をあしらった引き出物が出されるほどだ。
ぼくらのための謎めいた童歌も作られている。

かごめかごめ
かごの中の鳥は
いついつでやる
夜明けの晩に
鶴と亀がすべった
うしろの正面だあれ

ぼくも物心ついたころに、この歌を歌いながら、友 達と輪を組んで遊んでいたことを憶えている。
まさか、ぼくらのことを歌ったものだとは気がつかなかったけど、ぼくがいちばん最初に口に出した歌でもあったんだよ。
浦島はけっきょく、玉手箱を開けてしまって死んでしまったけれど、魂は乙姫とともに蓬莱にあって楽しく遊んでいるのさ。
でも、この世この時代もそろそろ満了するときが来ている。
そのような気はしているが、君 たちがせっかくの人生を楽しむくらいの時間は十分あるはずだ。
そう、ぼくらの世代がひととおり過ぎたころに、世 界はいったん幕を閉じる可能性があるということだ。
その前に、この世に残したことはみんな清算しておこうと、いまぼくが途方に暮れてさまよう浦島のようにしてこの世に現れ、イ ナンナ母さんがそんなぼくを探し出して乙姫として連れかえろうと、遅れてこの世に現れている。
その年の差は、16年。
めでたくイナンナ母さんとぼくは巡り会った。
これからぼくらが出会った意味が分かってくることだろう。
まだまだすることがたくさんあるような気がする。
でも、16年の差は、ぼくにとっては辛いものがある。
物事の順序として、天国に先立つことになるだろう。
イナンナ母さんは、私のもらった寿命の半分をぼくにあげると言ってくれているが、ぼくは君たちのためにも、そんなことを誓ってはいけないと言っている。
ぼくの命が満了すれば、亡 骸は灰にして、イ ナンナ母さんが手元においてくれるだろう。
そして、イナンナ母さんの命が満了するとき、どうか君たちにお願いがあります。
二人の灰を、ほんの一部で良いから少し混ぜ合せて、海に流してください。
それにより願いは果たされ、二人は再びこの地に帰ってくることはない。
向こうの世界から、君たちの活躍を見守り、守護するだろう。
愛している。みんな。
イナンナ。
どうしてぼくらはこれほど愛し合えるのだろう。
いろいろ考えてみたよ。
そしてこう言うしかないことに行き着いた。
なんだと思う?
それはね、この宇宙が始まる前から、ともに暮らしていたに違いないということ。
君とぼくはひとつの卵から生まれた兄妹だったに違いないこと。
あたらずもがなと思う。
たくさんのドラマを演じてきたね。
やっとひとつの場所にたどり着いたように思う。
鹿島の空は澄み切っていた。
あの境内で誓った。
君を永遠の未来にわたって愛するということ。
もういちどひとつに収斂するまで限りなく。
そしてその後も。
今はつつましやかに歩いていこう。
フィナーレがすばらしいだけに。

決別のとき

ネアンは新神話に組み込むべき、2 002年4月某日に作り上げたイナンナの子供たちとイナンナに対する手紙文を改めて読み返していた。
この頃は、ネアンはまったくイナンナの変化に気がついていなかった。
二人の将来に向けて、何の疑惑も持っていなかったのだ。
8月27日に一方的に離別を宣告されるそれ以前に、何 日間かの無連絡の期間があった。
奇妙に思い、何か胸騒ぎのする期間でもあった。
そんな26日に、彼女の家出騒ぎがあって、夜遅くにイナンナの母から電話で問い合わせがあったのだ。
だが、このときイナンナは家族に反抗して、上司のもとに身を寄せていたのである。それはちょうどネアンに連れられ最初に家出したケースに似ていた。
だが、そんなことはつゆ知らぬネアンであった。何 か最近イナンナは悩んでいることがあって、連絡もできないのだと思っていた。
それが時々聞く家庭の厳しさによるものと思っていたネアンは、こ の母に彼女に対してあまり厳しくしないでほしいと抗議してしまったのである。とんだ見当違いだった。
ネアンはさらに良くないことに、も しかするとイナンナが自殺でもしかねないかと思い、K市まで捜索しに行くという携帯メールをイナンナに送った。このために、イナンナは逢引を中断して家に帰らざるを得なかったのである。
その晩、イナンナは両親から散々説教された。それも、私に恥をかかせたネアンと別れなさいというピント外れな説教に終始したのである。
しかし、イナンナにとってみれば、このピント外れは渡りに船であった。
不倫上司との関係など話せるわけもない。すべての問題をネアン一人に押し付けて、この場は落着した。
翌日の昼間、両親からの言い分と自分の言い分を、昨夜の上司とのせっかくの時間を潰したてんやわんやの事態への怒りを込めて、ネ アンに対して一気呵成に決別宣告したのである。
ネアンは事情が完全に理解できないままにいた。
一時的な喧嘩トラブルと踏んでいたネアンに、今 度は無視攻めをかけてくるイナンナであった。
ボデーブローを何発も受けて、しだいに決別が現実のものとなったことを知るネアン。
苦しい言葉を連ねて問い合わせても、返 事は離別を正当化する何通りもの理屈の言葉で満ちていた。
さらに、ネアンのしていた救世計画の問題を指摘しだした。
その計画が気に入らないので、こ の6月6日の肝心の日に神話破りをしたとまで宣言したときには、ネ アンはしてきた一年半もの神話推敲の努力が無に帰したことを知らされたのである。
別れることはいつかあることかも知れないが、そ こまでの仕打ちをしてでも別れねばならないものなのか。
結婚までする必要はないことを何度も言ってきた。
年齢的にも体力的にも不釣合い。
経済的にも、三人の子供を大学まで出すというには、かなり努力が要る。
それゆえ正当な見込みある男性が現れたなら、喜 んで二人を祝福すると言っていたのに、上司の奥さんの困惑も省みず、不 倫相手でしかない上司との赤裸々な関係を伝えるイナンナに、それは君の魂にとって良くないからやめておけと反対したわけであった。
非常に危険な行為でもあったから。
このような不倫が他の同僚知られたら、この両名共に会社におれるわけがない。
それさえも可能にしてしまうのが恋愛というものなのか。
ふざけるな。
すべての努力は水泡に帰した。
迷妄の世界に満ちる有情の魂はどうなる。
彼らに対する罪と責任を君は負えるのか?
二度とない良縁をだめにしたことだけでなく、有 情救済という鶴亀の瑞祥をも反故にしたという喪失感がネアンを襲った。

とはずがたりの悲しみ

イナンナは離別を宣告後も、ネアンに友達ではいてほしいと言っていた時期があった。
ネアンも神話遂行には欠かせないイナンナの存在に、別 れられないという気持ちがあった。
3ヶ月ほどそのような暫定期間があった。
その中で、ネアンはやはりイナンナにどうかして尽くそうとする。
彼女の足代わりを勤め、昼代を負担して仲を取り戻そうとしたが、緊張ばかりが先立ってうまくいかない。
車の中でイナンナが上司のことをときおり口に出すとき、過 去世の思い出かもしれないと、平安時代の禁中における変質愛を書いた「とはずがたり」の話をした。
イナンナは自分を二条の君になぞらえ、天皇の妾として、様々な男に関わらされる自分の境遇と、変質愛に馴染んでしまったことにむしろ喜びを見出すと話した。
これほどストレスの多い仕事をしていると、普 通のセックスでは我慢できないのだという。
あれほど純朴であったイナンナが、こんなことを言い始めた。
それがいったいどういう理由によるのかの手掛かりはあった。
2002年6月の二度目の八角堂訪問以来、イナンナは変わってしまったのである。
その日、スサノオの祭壇のある集会所に寄付金を届ける用があって、イナンナを同行したのだった。
その後で、中華街にある中華博物館に行き、入場料を払って閲覧した。
そこに八角堂の創建者の写真や記事があり、二 人して狭い範囲であったが時間をかけて見て回ったのだった。
ところが、自宅まで車で送り届ける最中に、突然イナンナが霊懸かりしたのである。
熱病にうなされるようなイナンナの口をついて、まったく違う人格が現れた。
それが八角堂に行けと命令してきたのだ。
その要求を満たしてやらねば、回復しそうになかったため、以前の通り車を駐車場に停めて、八角堂へと歩き出す頃、イナンナは普通に戻っていた。
だが、イナンナは八角堂に入るや、なぜか開かずの間であるはずの三階を目指したのである。
追いかけるネアン。
ところがこの日、三階は階段の先で施錠されずに開け放たれていた。
そこに吸い込まれるように入っていくイナンナ。
ネアンもたまたま、デジタルカメラを所持していたから、イナンナの背後から写したほか、室内のあちこちをフラッシュをたきながら5枚写したのであった。
この写真の中の4枚に、リアルなオーブが写り、し かもひときわ鮮やかな短髪女性の横顔を思わせる一回り大きなオーブが、2シーンに渡って捉えられていた。
初めの1シーンは、誰かを探しているかのように暗闇に浮かび、次の1シーンには、ついに出会えたか、も っと大きいうらなり顔に目のついた中国帽を被る顔だけのオーブとはもはや言えない淡い発光体と、頬を寄せ合っているふうに写っていた。
鮮やかな女性顔のオーブはおそらくイナンナの生霊であろう。
それは後に、イナンナの口をついて、ファンナンという八角堂に閉じ込められていたという高級娼婦であることが分かった。
イナンナには、この娼婦の性格が半ば支配した感じで、そこに元あったイナンナの古典知識が乗っかっているような感じであったのだ。
娼婦は若くしてここに連れてこられ、中国的伝統の纏足を施されて、高級要人の相手をさせられていたらしい。
その身に刻まれた変態嗜好の傷跡が、激しい恨みと情愛を錯綜させて、いとも複雑な心を呈していたのである。
だが、まだネアンが真相に気付かないとき、イナンナがネアンを突き放すきっかけが訪れた。
変質愛でなくてはもう満足できないというイナンナの言葉を真に受けて、ネ アンがある日、イナンナに対して上司がしているようなことを試したのである。
するとイナンナは、そのときは耐えていたものの、次の同じ機会に露骨な拒絶をして見せたのだ。
あきらかに、ネアンへの復讐が見て取れた。
ネアンはそのとき、もはや修復不可能を思い知った。
ぼくはもうこれ以上、君の心の迷路には踏み込めなくなった。

君は常々、過去世探訪にいそしんでいたが、過去世はみつかったのか。
「とはずがたり」の時代がそうで、その作者がそうなのか?
ならば、院がみつかったのか?
そうなんだね?
だから、あんな問いかけができたんだね?
ぼくは純粋で、君は不純だとか。
なんでやさしいのとか。
縛ってもらいたかったとか。
初めとはまったく相反する希望が君の口から聞けるなんて。
西園寺実兼よりも強引で、強い指導力でレール引きをしてくれる人がみつかったんだね?
ぼくは最近、君への指導力を発揮できず、精力の鈍りもめだつようになった。
会った時がすでに遅かった。
会うまでに何の準備もなかった。
院以上に縛ることなどできるだろうか。
君は、実兼役も見た。
配役の七百年前と寸分違わぬ一致を見たのかもしれない。
そして不可抗力を悟ったのではないの?
悲しいのは、その過去をまたもやなぞらねばならないことだ。
「つばさこそ重ねることの叶わずと 着だてに慣れよ鶴の毛衣」
ぼくは鶴の毛衣の形見を君に渡すにとどめねばならないのか?
なぜ、過去の歴史をなぞらなくてはならないの?
過去は反省され、克服されるべきものとして、調べられねばならなかったのではないの?
繋ぎとめる碇がなくなったの?
ぼくは神話の失敗を見た。
鶴亀は有名無実となったのだろう。
ならば君はもう神話に束縛されることなく、自由だ。
現実に立ち戻って、自ら信じる道を行ったらよい。
君の複雑な心がこれでいいと指し示す道に行けばよい。
ぼくの願いは、君と一生を送ることだった。
過去世もそうだったように思う。
だが、過去世がそうであったように、今生も同じ道をたどるのだろう。
ぼくはお先に心を出家させるよ。
君も出家してもいいし、院のもとに帰ることもできる。
同じ歴史を繰り返す必要はないし、繰り返してなんかいたら、進歩などどこにもないと思うし。
そうは思うが、君がいいと思う道を行きなさい。
行けばいいんだ。
だが、相手が誤解を抱えた悪霊であったとは知る由もなかった。
空しかった。
イナンナの魂はいつしか、イナンナの中にはいなかったのである。
そこには恐るべき天仙の企みが隠されていた。
天仙でしか知る由もない事実を探り出し、先回りして罠を仕掛けていたのである。
いままで多くの善神善人をそそのかしたぶらかし、悲嘆の中に叩き込んできた者たち。

罪さらに倍加さすべし天仙よ終はりの日には無間地獄ぞ

困難化するばかりの見通し

ネアンの嘆きはすさまじい。
かのイザナギが、妻イザナミの死に際し、発した嘆きにも匹敵するものであったろう。
そして今、イザナギのもう一度やり直そうとの提案に対して、イザナミは黄泉神と不倫を続けたくて、もう戻らないと言っているのだ。
それはそうだろう。イザナミもこのとき、天仙仕込みの邪神である黄泉神を懸からせていたのだ。
ネアンの衝動の中には、今 まで生み出されてきた世界すらも滅ぼしても良いというほどのものはなかったが、神すらも惑わせ狂わせる黄泉の世相の暗愚を憎み恨んだ。
国生みはイザナギイザナミがしたこと。
彼らはその作られたものが黄泉に転落して苦悩している状態から救うことに関わっていた。
その鍵を握るイナンナに会うために彼は、孤独に置かれてきたのではなかったのか。
それがイナンナの裏切りにより、計画の途中から頓挫していたこと。
事実を知ったネアンの怒りは、単 なる恋人が相手を求めて遍歴する課程で生ずるタイプのものではない。
すべての有情の、最も簡単にできる救済計画が頓挫した。
個人の救済については、死者の書にもある。
魂が解脱するのに、死後の最初がいちばんシンプルでたやすいこと。
そして魂は最も純粋なダルマカーヤという仏の状態となる。
それが実現できず、時間を経るごとに複雑化し、面倒な手続きを要するようになり、それに耐えられなくなった魂は、結局再誕生の道に脱落していくのである。
世界も個人も救済にかかる方法は同じである。
初動の救済はいとも簡単なのだ。
それが混迷を深め、二 度目以降になると修飾が入ってきて次第に困難になっていくのだ。
この時代だけでの救済もしだいに困難化する。
しかも、もう先が何年も残されていないという話も聞く。
いや、今の時代がたとえまだ続くとしても、人はいっそう霊性を失い、心を動揺させてやまない種族となっていくことだろう。
次の時代に持ち越すとするなら、より周到な計画が必要となるだろう。
世界は滅んだ後、いっそう困難化する世相を築いていくはずだ。
次の時代は、何と呼ばれるのだろうか。
鉄の時代の次は?鉛の時代か?
まだこの世界が救済を受けるまでには機根が熟さず、時間が足りていなかったのか。
悲しみの連鎖と困難な課程がまだこれからも続くのか。
ネアンは自分ではもう再建は不可能だと思えるほど意気消沈し、こ の世を去って再びこの世に関わるまいとのみ決意した。
そうすれば、誰を恨むこともない。
自らの非力を悟るだけで事足りるのだ。
ネアンは深夜、眠っている最中に胸苦しさを感じ、毎夜の不眠にさいなまれた。
いよいよ、終わることができるのか。
心筋梗塞とか心不全などの死因がつくのかもしれない。
粋な計らいだと思うようになった。
たとえそれが、天仙による残党の粛清の一環であったとしても、ありがたく思えた。
数ヶ月もつだろうか。
いや、一月も持つものか。
イザナギが、イザナミの醜態にあきれて黄泉の国から脱出するイメージを持った。
死んだとき、三途の川を泳いで向こう岸に渡る。
そのときに黄泉の国で付けてしまった毒物を洗い流すのだ。
身奇麗になって、この世界から完全に遠離する。
そうネアンは、自らの心に決め、ようやく安心感を得た。
そうして眠りに就こうとした。
ところが、イナンナも世界も何もかも救えなかった慙愧の思いが込み上げてくる。
何も達成できなかった悲しみがまるで怒涛のように心に叩きつけた。
わずかな貞節さえ守れないイナンナへの失望。
貞節の固い扉をこじ開けるようにして入り込んだ男。
そして居座った男に対して、もっともらしい理由をつけて擁護に回るイナンナ。
この大事な時期に、よりにもよって。
誰がこんな風にした。
イナンナがしたのか。そうでないなら、誰がした。
そいつを捕まえて、必ず断罪してやる。
そうかと思えば、もうどうでもよいという気にも振れる。
波状的に繰り返す躁鬱の波。
そうして、またも胸苦しさで目を覚ます。
このような繰り返しに、彼はついに病気を悪化させ病院通いを始めた。
イナンナだけでなく、ネアンにも悪霊の魔の手が伸びていた。
ネアンは、まだ生きていた。
生きていかざるを得ない理由から、生きている。
そう思うと、現実に対して何かせねばならないものがあるのだろうと思えてくる。
あるに違いない。
イナンナは、たとえ男の職権を嵩に着た強要から始まったこととはいえ、まだ平然と関係を続けている。
それは人道的に許されてはならない不倫のお相手なのである。
どこまで悪辣な女なんだ。
それを怒鳴り散らしもせず、どこまで自分はお人好しか。
イナンナは独自の意義付けを男に与えてする関係であるだけに、人 間界のルールも何も眼中にない。
いっそ、すべてをこの女の会社にばらして、自分も含め奈落に落ちてしまおうか。
まて。会 社は情け容赦なく首を切る。職 を一瞬に失った結果、彼 女の子供らはどうなる。
そこまで残酷にはなれないネアンであった。
それに比べて、イナンナはどれほど残酷な女なのだろう。
イザナミが黄泉大神とすさんだ不倫の契りをイザナギの目の前で結んで、黄 泉の国での
うのうと暮らしているに等しいのである。
ネアンは、神話にはさほど上ってこないイザナギの心の悲しみが痛いほど分かった。
古事記によれば、彼 らと黄泉の軍団を、時 空の断絶をはかる大岩で黄泉路の道をふさぎ、ふたたび彼らが地上に顔を出せないようにしてしまった。当然の怒りに違いない。
だが、イナンナは、一人や二人の男を振ったとて、悪気を感じるような人間ではなかった。
恋愛の数を競い合う世代の人間であったからである。
また仕事に順調であれば、神にも祝福されているものと思い込み、痛みを持つ者に対して鈍感にもなるのである。
しかも自分と身内さえ良ければよいという、利 己主義の砦にこもった人間としての性格を如実に現していた。
とにかく、見込みのないと自分で判断した人間に付きまとわれていることが、忌まわしかったのである。
そもそも前の主人との離婚自体、困難を押してやっと乗り越えた壁だった。
そのためにネアンを当て馬に見出したとも言える。
どんな優れた縁も、利用できて始めて価値がある。
婚姻という契約を解除するだけでも、大変な戦いになった。
ならば婚姻もしていない口約束だけの者を振るなど、戦 うほどでもない出来事であった。
また、こうも思った。
これだけの時間をネアンのために割いたのだから、そ の程度の苦しみは嘗めてくれてもいいではないかと。
加えて、九年も前の主人との忍耐生活に比べれば、ネアンの苦労などどういうこともないではないかと自分に言い聞かせた。
問題は、ネアンがどういう態度に出てくるかだ。
当の上司に相談すれば、問題があらば、上司を含め全社が一丸になって救済に当たってくれるだろうと請合ってくれた。
なにしろ、法律を扱う立場の会社がバックだから怖くはない。
たとえネアンが会社の顧客であっても、セ クハラする顧客という印象を周りに与えておけば、非はネアンのほうにあることになる。
この点からも、逆訴訟さえ可能にしておける。
不倫の上司も、入れ知恵をして応援する。
こうした場合は、こうしておこうと口裏を合わせあってくれた。
もしものことがあったとしても、自分の側に万全の状態を築きつつあったのだ。
また、イナンナは眠りに就いたときに、天界に赴いて天尊一行と出会っていた。
「イナンナ、よくぞ見つけ、奴の計画を阻止したな。でかしたぞ。これでお前は、晴れて自由の身となるだろう。代わりにこのネアンが虜囚となるのだ。こいつは大物だ。さすがお前が生まれる前にやりたいと申しただけはある。差配の神に伝えておこう。あと残るは、両親のために生きる。そのことのみで、この煉獄地球を去ってよいであろう」
「本当にそうですか? 長い長い虜囚生活でした。そこから出られるなら、これほど嬉しいことはありません」
「ネアンに対しては未練はないな」
「ございません。私には不釣合いすぎました」
「ならば一切の関係を切るように」
「かしこまりました」
よくぞ謁見の場に参った帰ってよいと、引き取らせてから、側近と話す天尊。
「ふははははは。ネアンはどれほどダメージをうけるであろうな。これで工作員として役立たずになってしまえば、梵天の計画など取るに足らぬものとなる」
真の工作員を見つけ、天仙に知らせただけでなく、足を引っ張る役目を見事果たしたイナンナに、邪 神ならではの現世利益という褒美がもたらされた。仕 事は順調にはかどり、年収も大幅に向上した。
不倫の上司は関東に栄転となった。彼女を肉体的に束縛できなくなったが、連絡は取り合っていたが、天仙はこれに替え、同じような子持ちのバツイチ男性で会社社長という人物をイナンナのために褒美として送った。
できる女とできる男の均衡の取れた組み合わせであった。こ れでいっそうイナンナの未来は開けたようであった。
イナンナは思った。これもネアンが移情閣の青年であったればこそ。自分の身に仕組まれた行程は遂行した証として今がある。
ネアンには感謝はするが、哀れな犠牲者でしかない。この世界は怖い神様によって掟が打ち立てられている。その中で生きていくためには、これぐらいのことは仕方がない。
古来から、哀れな犠牲者は、鬼とかの範疇に入れられ、封印されてきた。ネアン、あなたも鬼になりなさい。私はそんなもの平気よ。
イナンナの心には昔から幾度となく培ってきたことのある残虐性が膨らんできていて、それに現状を照らし合わせるだけで快感を催していた。
イナンナの心情を、心を見る装置にかけてつぶさに見てにやにやする天尊であった。
「よくぞここまで心変わりした。こ れぐらいの褒美はしてやって当たり前の功績であろうとは思わぬか」
「まあ、それでも一時は何をするや分からん女でした。ひやひやさせられたぶんだけ、仕置きしてやることも必要ではないのですか。たとえば、この生だけで煉獄を終わらせるという部分には反対です」
「それはわしも同じだ。ただ、お前のような感情的な問題ではないぞ。当初からの計画なのだ。この恨みを持ったネアンと、今後の生において戦い続けることによって、この宇宙はなおもまだ存続が保証されねばならないのだからな」
「やはりそうですか。後で知ったイナンナが約束を違えたことを怒りはしませんか?」
「それは大丈夫だ。この宇宙存続の鍵は、二人の対立と戦いによって維持されるような原理であると話してあるから、これが大命題となら涙を呑んででも従うことであろう。
今生ではせいぜい優遇してやれ。といっても、もうさほど幸福感に浸る時は残されてはいないがな」
「はははは。どんなものも他愛のないものですな。意識を持つものとはまったくどうにてもなる。霊をかからせても、催眠術にかけても、ちょっとした恋愛に導いても、我らの思い通りになる。はははは」
「そのために、ひとつ合理的な仕掛けをしてやれ。イナンナに解脱の意志を削ぐためのな」
「分かりました」

ネアンの復讐

さて、ネアンの作った新神話は、未だ機能を停止してはいなかった。
ネアンの励起された魔術力は、彼 自身の作った神話の効力を達成するために彼自身を取り巻く環境を大きく捻じ曲げていたのである。
彼自身、今やこの世を支配し差配する神、邪神にとっての仇敵であり、孤立無援となりつつある彼は邪神の格好の標的であった。
ネアンは運命への無力感が彼を苛んだ。
何をやってもうまくいかない。
世界がしだいに彼の敵となり、嘲笑を浴びせる観客のようにふるまった。
心不調を基調とする体の変調は、命の残り少なさを痛感させた。
彼の持つアリマキのような独特の力に群がる直感に優れたアリたちは、彼 からある程度の恩恵を受けると、彼をそこに残したまま去っていった。
何度も孤独に苛まれることにも慣れてくる。
不思議なことに、ネ アンはそこに新神話が健在して関わっていることを逆に認識していたのである。

「天仙は今後も封じ込めと嫌がらせを続けてくることだろう。
だが、殺すところまではようしない。
邪神は自分が今死ぬと、魂 を解放して宇宙に遍満した火の鳥にコントロールを与えることになると懸念している。
火の鳥というわけのわからぬ聖獣は、邪神が決めたサイクルに従うようでそうでない。
今までは問題なく大文明の滅亡と再生に歩調を合わせていた。
だが、今回はコントローラーである私の考え方が良くない。
このままでは火の鳥は天仙邪神たちの一掃に働くことは間違いない。
だから、火 の鳥がおかしな励起を受けることなしに自然に通り過ぎるのを待たねばならない。
地球がその初期界面に入れば、ネアンの出る幕はなくなるから、その時に抹殺すればよいと図るはずだ。
その後に私の魂を捕縛して、次の過酷な輪廻に赴かせ、従順になるための教育を施せばよいと考えている。
それは今まで多くの義憤に燃えた反逆精神の持ち主たちを更生させるに効を奏したであろう。
だがまだ、国祖の魂や古代神の魂たちは音を上げない。
私も人魂ながらかなりかたくなであり、封 じ込めようとすればするほど反骨をむき出しにしてくる。
だから、今は仕方なくも温存しなくてはならないと考えているはずだ。
私はその間隙をつき、新神話を建て直さねばならない」

ネアンの脳裏には、天仙たちの思いがとめどなく木霊した。
自然に火の鳥が過ぎゆく中で文明は、火と灼熱にまつわる事象で滅亡している。
文明で生産されたあらゆるXXXXも、そ のとき焼かれて重濁した放射性廃棄物となり、地球の中心殻に溜められる。
そして火の鳥が過ぎ行くとき、次の時代の種まきが始まる。
かつてシュメール人たちに、人はこうあるべきと道を示唆したように、掟の教育指導を与える。
その後、邪神たちが人口を増やしつつある中に、群がるハエのごとく降り立ち、婦女をものにし、新しい性格をもたらす遺伝子を新人類に組み込む。
そうしてできた新人類は、邪神の与える次のシナリオを演ずべく、トップダウン的にコントロールされる。
まったく前と変わらぬやり方が踏襲できる。
そこに何かより良い工夫などある必要はない。
以前同様、確固たる体制の上に胡坐をかいて献上品だけ待てばよい。
人々の賞賛と崇敬の思いが甘露の蜜として我々を満たしてくれる。
弱い者は権力に媚びへつらってこそ、浮かぶ瀬もある。
反逆者には容赦はない。
これがまたぞろやってくる邪神支配の文明のありかたなのだから、知る者は心せよ。
思ってもみよ、天にあるごとく地にもある。
地を見れば、天がいかなるものかが分かろうというもの。
識者のみならず、ネアンも然り。よく目を見開いてみよ。
イナンナを見れば、いかに頑固に準備してきた工作員とて、自らの安寧を思えば天意に逆らい得ず、むしろ反逆児を差し出すほどのことも是としておろう。
あわれな孤立者よ。お 前たちの企ては崩れ、古 代の神々はこの宇宙から撤退の途にある。
人にあるお前に逃げ道はない。
ネアンは肝を冷やして、自分がもし助かるにはどうすればよいか問うことにした。
すると、その神の曰く。
「お前の目論見をくじいた者たちに復讐せよ。
お前の運気という運気は、彼らによって堤防が破られ、そこからとめどなく流れ出し、彼らの運気に加算されている。
お前はひとりでに運気を失い、このままでは没落の一途を辿る。
この世は、我々が仕組んだとおり、加減算で成り立っている。
取らざれば取られ、与えれば取られる。
自ら与える癖を直し、取る者に変わるには、取ること、穴をふさぐこと、勝つことが必要となる。
あいまいな生ぬるい者には、我々は加担せぬ。
激しくあれ。たとえ死塁を築くとも、勝ち残る者に我々は花輪をかけるだろう」

ネアンの中には、いつまでも悟りきれぬ悔悟の思いがあった。
忘れたくとも、どうしても脳裏をよぎる。イナンナとの日々とあの男にされたこと。
そして計画の頓挫と世界の有情を救済できなかったこと。
「そうだ。そのたびにお前の決壊した堤防から運気があふれ出し、口惜しくもあいつらの懐に流れ込んでいるのだ。
あいつらはお前のことなどもはや眼中にない。
それでいて無形の自動預金をお前からいつまでもいただいているのだ。
お前が死んで、魂魄をこの世に残し、あいつらへの恨みを晴らそうとしたとて、お前の魂魄から運気は流れ出て、いよいよ霊界に旅立つ力を失い地縛霊化する。
そうなのだ。そのような冷酷非情な世界像に我々がした。
腹立たしかろう。だが、我々にかなうはずもない。
やるなら、お前たち奴隷同士仲間内で殴り合い、やりあい、取り合い、簒奪ゲームを展開するしかない。
そうだ、やれ。お前にはそのための知恵をつけてやろう」
いきなりネアンの元に「ヤクザに学ぶ交渉術」という本が友人からもたらされた。
ネアンにとっては、いきなりのシンクロだった。
かつて正神の側からシンクロがもたらされたが、今は邪神からのものとなった。
と同時に、正神陣営の撤退を感ぜざるを得なかった。
「私も取り残された人間でしかなかった。
人間として生きるなら、人間界のルールに従わねばなるまい。
それがたとえ邪神が作ったルールで唾棄すべきものといえども」
ネアンはこう自分に言い聞かせて、恨みを死後を含む来世に持ち越さないために、彼らへの復讐を決意した。
「唾棄とは、よっぽど嫌われたものだな。
お節介ついでに、もうひとつ良い方法を教えてやろう。
今生でもし、恨みが満足に果たせずとも、これから先、幾度も輪廻転生を重ねることができる。
もし、お前が望むなら、あいつらとの果し合いの場をどの生にも設けてやろう。
敵討ちを何度でもやればよい。相手が恨んだら、今度はお前が討たれる。
お前の恨みに分が生じれば、相手を討つことができる。これでどうだ。
うん。あいつは解脱を目的にしていた。だが、それをまずさせないことだ。
我々も協力してやろう。まず来世に、辛酸を舐めさせてやればよい。
それが初動となって、この宇宙がお前たちたった二人を残すとも、戦い続けることにすればいいのだ」

ネアンは復讐を決意して、短歌に決意の程をしたためた。
縁とはさんぬるものか二年の純情の恋いずこ散りたる
六条のみやすの心男にても痛く偲ばる鬼にもならめ
祇なるぞと我儘の末手ひどくも人苦しめて己が道行く
紛うなしあれは巳なり利己主義に片棒付けた非モラルの族
二枚舌誰が汝など娶りたきや汝の心見ば吐き気催す
遂へても終へてもなほ残るのは汝の裏切りへの恨みなりけり
笑止なりかつて公達使ひしは殺して祭る鬼と化す術
白赤に別れて我ら戦わん宇宙維持の大儀のために
この世界我ら二のみを残すとも戦はんかな大儀のために
悟りしか我悟りしか汝と我は悠久刻む敵なるなりと
人種見て黒白つけてシカトする一見如菩薩内面夜叉め
汝のみ一人で解脱させるまじ怨みのタックル受けて転がれ
始むべし次なる戦さ今直に生き恥注ぎ仇を取るべし
善悪の甲乙ところ替えてこそ楽しみもまた増すといふもの
神々よ我かく悟りたる良きや愛は恨みに及ばぬものと
鶴亀の千載一遇違えては時空輪廻の闇なお果てず
この我を嵌めて離婚の当て馬とその魂胆に汝の家系見る
無視攻めに針の筵の元旦那いたたまれずに家出しけるよ
昨日客今日は島かや明日は誰そその熱りたる体冷やすは

ネアンは、こうも思う。あいつとは過去世から敵対勢力にあった者同士だった。
すでに大過去から仇討ちを繰り返してきた仲だったのだ。
ベテルギウスとリゲルの誓い。あれはほんの一瞬ひらめいた友情であったに違いない。
それが尾を引いてたまたま味方同士になり、結ばれることは、本当に鶴亀が巡り合う稀に見る瑞兆だったに違いない。
それをやはり、反故にしたのは敵なればこそ。
それなら、元に返ってこちらも敵である。
ネアンは、まず今生では生き抜く道を選ぶことを考えた。
このまま没落し不遇の生涯を人知れず閉じるのではあまりにもひどすぎる。
来世から延々と続く敵対意識もまた良いかもしれないが、そ れなら今生から始めても良いではないか。
そう心が固まりかけていた。
邪神はこの決意を聞き、時間稼ぎができることに気をよくした。
火の鳥はもう間近に迫っていたのだ。
それが来て一通り馴染んでしまえば、ネアンなど取るに足らない。
いっぽうネアンは火の鳥のことなど忘れ、原 因になったあの男を追討することに傾倒した。
イナンナには、なるべく当たり障りのないように見せかける。
攻撃を集中させるのは、かの男。
こいつを没落させれば、邪神の手のものをひとつ平らげたことになる。
こいつに惚れたイナンナは責任を感じて苦しむというもの。
そればかりか、こ うしたアンモラルの下地を作った企業にも制裁を加えることができる。
ネアンはイナンナが魁としてやってきた可能性も残していることを考えたくなかった。
彼に引き継ぐべき何かを持ってきたではないか。
だがそのことだけで、お役目終了できるのなら、ど うして自分の窮余の計画を台無しにしていくことができる?
正神側は計画の頓挫した今となっては、そ のことを以てイナンナを忘れるようネアンに囁きかけたのであるが、邪神の提案を真に受けたネアンの眼中には、彼らへの追討計画しかなかった。

「これではいかん。
イナンナは彼に、単 に持ってきた宝を渡す役目だったことにすればまだ両名とも救われる。
ネアンに励起された力が宿ることになっただけでここは十分としておかねばならぬ。
ネアンにはこの計画が失敗したとしても、次に遭うべき人物が用意されているのに、過去にこだわれば、受け継いだ宝さえ捨ててしまうことになる」
イナンナは生まれながらの本名が、魁になる祝詞を意味していた。
つまり夜明けを謳う者である。
ネアンは本名が、秘密の深奥の扉を押し開ける者という意味を持っていた。
そして、前の計画が失敗したとき、次に用意された人は、戸のある国に日の出が見えるという意味を持っていた。それは、彼の友人である海幸彦が持ってきた縁談であった。
偶然にも、名前が言霊として驚くほどシンクロしているのだ。
総合すると、この新たなプロジェクトは、天の岩戸開きを意味していたのである。
さしずめ、ネアンはタヂカラヲの神であり、次に来る人は、天照大神もしくは神が岩戸から顔をのぞかせた情景を意味していた。
ならばイナンナは、夜明けを告げるトコヨノナガナキドリといったところか。こうすれば少しは痛みも軽減されよう。
旧神話でいえば、まさに現在の黄泉の国、狭蠅なす満つる暗黒状態からの脱却を意味するわけで、未だ正神活在の可能性を意味しているとも言える。
八百万の神はどうにもならない暗黒の状態になすすべもなくうろたえている。
しかし、智謀の長けた正神たちは、この大逆転劇に精魂傾けていたのだ。
そして、ここでも神々の所作を雛形である人間が演じている。
古事記の黄泉の国の段を取るか、天の岩戸の段を取るか。
前者が取られれば、また歴史が一から繰り返されねばならない。
だが、後者ならまだしも。
新神話がだめなら、旧神話を介しての逆転劇が試みられようとしていたのに、しかもこの頃ネアンはこの新しい人物の音信を聞いていたのに、会おうともせず、未だに復讐に心を傾けていたのである。
だが、ここにも新神話の余波が残っていたために、ネアンはたいへんな手続きを起動しかねない事態となっていた。
新神話も決して、機能を閉ざしてはいなかったからだ。
火の鳥などもその一環にあった。
ネアンが雛形として起こしかけた危機が、朝鮮半島の南北戦争である。
すなわち、孤立を深めるネアンがいつしか象徴している北朝鮮が、ついに行動を起こしかける寸前に至ったのだ。
時は2003年8月のこと。ち ょうど残酷な一方的離別宣告された1年目のことであった。
おりしも火星が大接近の最中にあった。
戦争のシンボルとも北朝鮮のシンボルともみごとなまでのシンクロ下にあった。
あとはほんのちょっと神話を演ずる立場の者がブッシュするだけで、歴 史は雪崩を打って第三次世界大戦へと突入することであろう。
灼熱の核兵器が飛び交うであろう。
それは紛れもなく、コントロールを失った火の鳥の作用に他ならない。
こうして世界文明は火によって滅ぶ。
その前に、雛型同士がいがみ合い、来世での復讐を誓い合う。
新しく来る時代は、こ うして再び戦争と復讐を基調とした文明形態を存続させるであろう。
ネアンはかの男の所在を調べ上げ、お前がきっかけで持病が悪化したのだから、損害賠償しろという内容の文面を送り付けた。
実際にかかった治療費の明細を添えて。
むろん男は根拠のないこととつっぱねるであろう。
しかし、逃げようとすれば、対会社あてに問題が転化する仕組みにしていた。
男は逃げるに逃げられない。会社と所帯と名誉もあり、払う犠牲は大きい。
男のとる方法とすれば、名誉毀損で逆提訴であろうが、事実関係がメールその他でしっかりしている以上、ネアンは折れたりはしない。
問題は紛糾する。男はその過程で社会的制裁を加えられて滅ぶことは必至であろう。
すると次にはイナンナが原因の半分であるとうわさが及ぶ。
イナンナもただで済まされる話ではない。
そしてなお、会社のアンモラルな体質が浮き彫りになり、この会社ももしかすると社内問題で一気に傾く可能性がある。
そもそも人間の命を軽視させるための商品を売って当たり前としているような企業など、潰れてしまえばいいのだ。
さて、ネアンという雛形が、もしもこの行動を強行に執っていれば、よりマクロに展開して、南北戦争が勃発したことであろう。
この二人は、新神話上ではそれぞれ玄武と朱雀で、北と南を顕わしていたからである。
ところがネアンの出した文面を読んだ上司は、イナンナと口裏を合わせて、元になる事実が無根であることをイナンナを通じてネアンに説明させたのである。
困惑した末の、窮余の一策であった。
すなわち、自分は不倫などしていないと。
そんなことを言われて立場を失わされるなら、名誉毀損で訴えるだけでなく、自分は華族であるから、敵対するものあらば、共産主義者として扱ってもいいのだぞと、卑怯にもイナンナの口を通じて通告してきたのだ。
イナンナもこの事態のこじれにはたじろいだ。
だが、上司の命で、自分がすべてネアンと別れるために作り上げた上司との不倫芝居であり、自分ひとりが悪いのだとまで言い切ったために、ネアンはたくさんの証拠を持ちながらも、激しくも悲しい冷たい怒りと共に、これ以上の追求をとりやめたのだった。
怒りが頂点に達しきると、逆にもうどうでも良くなるのは、ネアンだけであろう。
悲しみだけが、すべてであった。そしてひとつ大きな何かが吹っ切れた気がした。
「なんだ。思ったほどにもない軟弱な奴だったな。まあ、これならこれでいい。今までどおりのやり方をとれ」と天尊は部下に命じた。

ネアンの新たな役割

ネアンがぽっかり心に空洞を置いたとき、よ うやく毘沙門天はネアンに囁きかけることができた。
「王仁三郎の霊界物語も、霊界あるいは異界からの要請に応じて、古代からの神話のキャラクターの符合を取り、古代からの神話のあらゆる粋を集めて、古代からの神々の呪力を結集させて作られた新神話だった。
その比較的こなれた先轍を、お前が踏襲することによって、王仁三郎の果たせなかった理想を果たすことになったのだ。
お前の作った新神話は、確かに拙いものだ。
自在に霊界を探訪した王仁三郎とは、雲泥の差。
だが、太古の神々はお前にそれを行わせるために、鶴の印章を与えたのだ。
どうしてそうなったのか。
予め定められていたことと言ってしまえばそうなのだが、も のの因果を示さねば分からないお前のために言えば、こうなる。
お前は宇宙運行の原理をあるとき見出した。
私はそれを仲介の神の化身をして、そ の概念が正しいことをお前に婉曲的に知らしめたのだ。
サイババという者によって、二つの指でつまめる大きさの黄金の宇宙卵の中に、すべての宇宙の始まりから終わりまでが記載されているという寓意を語らせた。
そこでお前は、ひとつまたひとつと励起された力を得た。
またお前は、日本神話の解読に成功した部類の人間だった。
霊能者ルネ・バンダール渡辺が、古事記の神話を解読したものは、死なねばならないと看破したジンクスを、阪神大震災禍とともに潜り抜けて今ここにいる。死なねばならないとは、使命のために死なねばならないということだ。
旧神話を、まるでスフィンクスの謎かけを解くごとく解き、古代神話凌駕の呪力を得ただけでなく、宇宙原理さえも熟知したトータルバランスの元に、新神話創生の力を得ているのだ。
ただ、裏神業遂行のためには、その役割のあることを知らしめる協力者が必要だった。
それがイナンナである。
これもまた、遠 い過去から予め定められた役割の元に現れることになっていた協力者だった。
様々な準備を整えてお前と出会うための因果を作り、こ の世に生を受けた神話のエネルギーを循環させるためのお前の魂の巴のもう半分の勾玉のような協力者なのだ。
お前は、雷がぴかぴかと夜空全体を照らし回るとき、その中心点で巴の勾玉の二つの光が回転していたのをその目で見ている。
世界救済の力とは、そのような力である。
夜の闇の世界をそのように満遍なく照らし、太陽が照らす昼のようにするのだ。
その協力者の鍵を得て、お前は役割を遂行する力を得た。
その協力者は、自分の役割の分限を果たすと、この世から魂を去らせた。
困難な役割の下にあって、必要最小限のことだけは済ませたことになる。
お前がいつまでも、こだわることではない。
こだわるのは、お前が暗愚だからだ。
お前の信頼するイナンナは、2001年11月に意識を失い、半年のうちに死んでいるのだぞ」
「なにっ。それは本当か? もしそうだとするなら、あのベンツにはねられたのがその頃だから、それがそうだったのか?」
「そう考えればよい。
人の心は移り変わるからと怖がるお前もお前だ。
人の心は、操り人形。
入れ替わり立ち替わり出入りする魂の性向に従って、いくらでも変わる。
昨日平和だった心が、次の日には荒れすさぶ。
それもすべて、人が自分の魂だけではないものによって動かされるからだ。
憑いたり離れたりする邪霊のいかに多いことか。
それだけでも十分性向や嗜好は変化する。
成り代わられたのではどうしようもない。
脳だけは記憶として連続しているように捉えるものだから、同 一人物を装うこともできるというわけだ。分かったか。
後追いする愚かさが分かっただろう」
「待ってくれ。それはおかしい。なぜなら、彼女は2002年5月時点で、MOAの開祖が池に水を張る夢を見ているし、ぼくのパンを持ち帰ってしまっている。そのときに彼女の魂ではなかったとすると、ど うして開祖がそんな臨席を許すのか? 開祖たろう者の魂がそれほど暗愚なものなのか? それからイナンナは別れを言い出した後の9月にも、龍となって空を飛び、砂漠化した地上を見てきているんだ」
「お前も霊界物語を知っていよう。
正神邪神どちらも表向きは正しいように振舞う。
だが、心が邪に振れている者が邪神となり、いずれ裏切りと策謀を働くのだ。
その邪に振れる要素が憑依であり、そ れが神の場合は策謀めぐらす邪な天仙が罹っているというわけだ。
人間の場合に罹るのは邪神か邪霊だ。
イナンナの場合は、魂から天仙に罹られてしまった。
だから龍となったときの感想も述べるだろう。
それを邪龍と呼ぶかどうかの問題となる」
「そうですか。いずれ死んだも同じというわけですね。
もう蘇らせることはできないのですか?」
「天仙に術をかけられ捕り篭められているのだから、本人の目覚めしかない。
お前のしていること、裏神業に携わっていること、それらの総合的な意味が本人に認識できれば、思い直すことができるかも知れない。
天仙の性格はお前も知ってのとおりだ。
今でこそ、お前を意識下から遠ざけるために、天仙はふんだんな好運と利得をイナンナに与え続けているが、目論見が完成したと見計らうや、イナンナの生きる目的や利得の基盤のことなどどうでもよくなるだろう。
そのときに気付くかどうか。たとえそうだとしても、協力し合える時間はない。
かてて加えて、臨死体験で差配霊に生き返りの条件を痛いほど吹き込まれて、その中で差配霊を神と間違えて認識しているから、目指す解脱のためには、ただ人間として両親のため、子供らのためだけに慎ましく生きるだけで事足りると思っている。
たとえ、周りで戦争が始まり家族が次々と倒れても、最後まで面倒を見たという形作りをするだけで良しとするだろう。
洗脳はあまりにも強くなされている。
神業を捨ててなお、解脱が測れると思っているのだ。
神業を捨てた結果、戦争が世界を滅ぼそうとも、思い込みを改めることはあるまい。
そこまで人間にも成り切ることのできない奴でもある。
その前に、天仙が龍身としてのイナンナを利得を言い聞かせて抱え込むかもしれない。
そうなればどうあっても戻ってくることはない。
それにお前の元に還ってきたとて、還俗を表明した者に、新たな効果あるキーワードを与える力などはない。
思い返すのは、もうよせ。
どれだけ無意味な時間をそのために費やしたのだ。
それこそ、天仙の思う壺ではないか。
今までのことを堆肥にして、新たな次のステップに進むのだ」
「わかりました」
「このことは言っておこう。
我々が天仙と協定して送り込んだ二人のうちの一方に、憑 依という露骨な干渉がなされたことで、協定違反が明確となり、天界においてほどなく戦争が開始されるはずだ。
天仙もそれを承知でしていることであり、自分たちに勝ち目ありと見込んでいるのだ。
このことから、ネアン、お前のこの世における命の存続も保証の限りではない。
だが、お前の死後、火の鳥は間違いなくお前と行動を共にする。
火の鳥は、羽根をはばたかせるようにやってくる。それが味噌だ。
共に戦い、国祖の御世を招来してほしい。
「はい。必ず。
憎っくき天仙とそれに従う者たちを完膚なきまで殲滅すべくがんばります」

ネアンは完全に魔法モードに浸かっていた。
彼の周りで起きることはすべて彼の起こした戦さと関連して発生していた。
彼の運気の低迷は、明らかに天仙たちの仕組んだものであった。
運命差配の神がいるとすれば、それは彼の側につく神ではなく、天仙の息のかかった神であり、彼の前途に支障をもたらすだけのものでしかなかった。
彼の心は正神のものであったから、根源的には悟っている。
だが、対処すべきこの世での様々な営みはこの世のものであり、彼は自らが単なるピエロと化している現実に絶望し苦しむ。
時間だけが徒労しながら経っていく。
正神に組する者たちがしだいに身辺から遠ざかっていく気持ちはやるせなかった。
正神復活に向けての方向性だけは失うまいとは思いつつも、道標を失った今、すべきことが具体的に分からない。
兆しが再び現れるまで、この黄泉の国において孤立無援の道を歩まねばならない。
冥府魔道を行く一匹狼のようであった。
いっぽう、洋一もタクシードライバーの身で、とてつもない不運に見舞われていた。
露骨とも見えるほどのツキのなさは、周囲のドライバー仲間からすれば、鬼っ子ではないかと写っていた。
こいつがツイているときには我々がツカない。我々がツイていたら、こいつは一人沈みだ。こいつだけ沈んでいればいいのだ。
洋一も仲間とは別物だというそれだけでいたたまれなくなる日々の繰り返しであった。
人にとって最も悲惨なのは、他と際立って孤立無援になることだ。
周りにいる仲間と同じであるという集団意識が個人を助けている。
その中でひとり仲間はずれとなる状態は、社会全体が不況になったり、外部のかけ離れた裕福層と比較するよりはるかに苦しいものである。
その刑罰の効果のほどは、天仙がよく知っていた。
梵天の目となり、ネアンに新神話作りの情報をもたらした罪は、邪神たちによって碾き臼で少しずつ磨り潰されるように断罪されつつあった。
洋一はネアンと連絡が取れるわけではない。
梵天がいてのことである。その梵天は、畿内に敷かれた結界の中に封じられている。
2002年6月6日に出でませる九鬼の頭領大元帥明王と共に勇ましく出陣する手はずが、イ ナンナの裏切りでその機会を失い、今 や魂魄だけが外宇宙へと避難したものの、この次元で働くための体が結界に阻まれていたのだ。
だから、あれ以来誰の元にも姿を現せないでいる。
晴明はまたも贋の体制の護持に回ってしまった。
不届き者の梵天をついに捕らえたと、天仙衆が彼を褒め称えるのを、表情一つ変えずひれ伏している晴明である。
だが、洋一とネアンの心は一致していた。
退廃しつつある精神状態のいっぽうで、鋭 い感度の兆しを読む力だけは研ぎ澄まされていた。
自分たちにあるのは、神話作りだ。
この成功しか自分たちを救う手段はない。
両名の心は以心伝心的に決まっていた。

そんなある日、こんなネアンでありながら、親切にしてくれる仲間、海幸彦が、「お前も前の彼女にひどい目に遭わされて難儀なことだったな。そ ろそろ気分を変えて別の女性と付き合ってみたらどうだ。恋人を募集している女性がいるのだがな」と言ってくれた。
彼女の名こそが、何 かの戸がある場所に日の出を見るという意味を持っていたのである。
だが、そのときには特に何の感慨もなく、やり過ごした。
というのも、ち ょうどその頃、ネ アンには別の不思議な女性が接近していたからである。
かつてネアンをヤマトスクネそっくりだと彼女自らの神話空間に誘導したシノという女性であった。これによって、ネアンはヤマトスクネという神話の属性も得たわけであった。そのヤマトスクネは亀に乗った浦島太郎のような英雄でもあった。
彼女は、中国の神の名前をかもし、やはり霊能資質があって、神の意向で生きることに努めている人であった。
そして何より、この人の家で飼っている猫に、ネアンは強い因縁を感じたのである。
というのも、この猫との初対面の日、この猫はネアンが帰るのを長い通路の玄関先まで見送りに出たのである。
この猫の名はノラといい、彼女の名前と強いシンクロがあった
こうしたことがあると、ネアンはことさら敏感になる。
そして、いったん神話が頓挫しても、次に何かが布石されていることを確認する気がして、うつ状態がにわかに晴れるのであった。
猫は宿縁の者に違いない。ならば彼女はどういう縁の人だろうか。
今ここに立ち現れたことに、どういう意味があるのだろう。
この家に関わる神は中国の神であるに違いない。
私と関係があるとすれば、太古の植物神クロノスとの繋がりがあるのかも知れない。
かといって、農業の神というものは天仙と地仙の中間に位置する神でもある。
どちらにも着かねばならない立場の神ではないだろうか。
ならば、心情的に名残を惜しむ形で私の前に現れたとも言える。
この人は、ネ アンが探していた至高の松もしくはそこに居ついていた鶴だったかも知れない。
そのことに気付かぬままに、性格的なすれ違いが生じて、付き合いも中座ししばらく経った。
仲間がこの人はどうかと言ってくれた女性のことを思わないではなかったが、す でに半年は経ってしまっていただろう。
この女性に別の男性がすでにできたとかの噂で、諦めかけていたのであったが、どうしてもその名前が気にかかる。
イナンナがネアンの名前から、奥の世界の戸を押し開くという意味を見つけ出した。今度はネアンがこの人に、(戸を押し開いた結果)その世界の日の出を見る意味を見出したわけだから一連のシンクロとなる。
ネアンは、イナンナの裏切りに、古事記の黄泉の国の段、黄泉津神とイザナミの三角関係のシンクロを見ていた。
今度は道徳も貞操観念も廃れきった黄泉の国と比肩できる「狭蝿なす」暗黒を吹き払おうと奮闘努力する正神護持の神々の一員として自分が存在している観がなきにしもあらずである。
日の出嬢の名は、岩戸開きの結果としての太陽神のお出ましの状態なのである。
新神話が覆って、旧 神話である古事記がまたぞろ適用されるであろうとは踏んでいたが、旧神話でも主人公になっている自分を見た気がして武者震いした。
ネアンは期待を込めて、海幸彦の紹介に便乗し、8 月の下旬に戸の場の日の出嬢と逢った。
そこは彼女が勤め始めたというスナックであった。
事情を聞くに、彼女はたった今の今、この月初めに日本の命を象徴する会社を辞めたところだという。
その会社は、イナンナがしていた仕事と同質であり、彼女もイナンナと同質の営業員だったのだ。そして二人の生まれた年も同じだった。
さらに彼女は三人の子供を設けたのだが、離 婚して子供全部を父方に取られてしまったためにとても寂しいのだという。イナンナは逆に三人とも押し付けられている。
また会社を辞めたわけは、どうしてもお客に嘘をつかねばならない仕事の性質に、自分の心がすさんでいくのを感じたからだという。
それはそうだろう。命の代償に金が入るなどと、拝 金主義推進の先鋒を果たすような企業にろくなものはない。営 業員がどんなトラウマを抱えようが知ったことかと思っているのが、この手の企業なのだ。当然お客に対しても、カモとしての認識しかない。
ネアンは日の出嬢がイナンナとは逆の立場であることを喜んだ。正義感が強く、家庭に縛られない自由さがある。
正義感があって、離別の喪失感や絶望感にうちのめされた、まさに岩戸篭りのアマテラスにうってつけの感に、彼女で間違いないと思った。
だが、子供をすべて手放さねばならないというのは、何か彼女の側に問題があったに違いなく、心が荒むことの真意は、営業上のつきあいを男女の付き合いと混同してくる客を切る部分にあったことがしだいに知れてくる。
なるほど。ネアンも心当たりがある。イナンナは自分を最初、正式なパートナーとして見ていたが、就職して仕方なく上司と関係を持つようになって、そそのかされるようにして、自分に何本も新しい契約を申し込んできたのである。
ネアンは最初の一本は入社祝いの第一顧客を期して契約した。だが残るすべては、上司の差し金で行われた、騙された契約であったのだ。それに腹を立てて復讐しようとした愚か者もいる。そのような客をたくさん抱えたら、誰だって辞めたくもなるはずだ。
日の出嬢が会社を辞めた後に、偶然ネアンが付き合い始めたことの意味は大きい。
なぜなら、ここで二人が協力して岩戸別けがなされても、日本が舞台にはならないことを意味しているからだ。
それはそうもなろう。その当時、日本は経済危機の内憂を払拭しようと、ことさら軍備を推進し、外患への視界の転換を図ろうとしていたのである。こうなってしまえば、力のベクトルは戦争へと志向するしかない。
そして、またもや赤字国債の積み増し。日本はもはや自らの力で経済復興を遂げようとする良識ある国ではなくなっていた。
二度目の出会いは二人きりであった。ここでネアンは初めて彼女の手を握った。
かつてイナンナのときは、9日目に火の鳥が羽ばたいた。
案の定、日の出嬢との場合は、5日目にたいへんな奇跡が起きた。
親友のヒラサカが空に満天の白球UFOを目撃しながら、そ れをビデオに収録してしまったのだ。
その5ヶ月前には、ヒラサカの自宅におけるネアンの撮影中に、いつのまにか8機の白球UFOの旅団が捉えられていたが、その大量版となったのである。
ネアンがその話を聞くだけでもシンクロに結びついたであろうに、世界にもそれほど類を見ない実物が撮れてしまったのだから、たいへんである。
約三分間にわたって写っているUFOの数だけでも百はあった。
ネアンは古事記の神話の「黄泉の国」に書かれる「桃の実満つ」の状態であることを悟った。
イザナギはイザナミのいる腐敗した黄泉の国から脱出すべく、黄泉軍の追っ手をエビカヅラ、タカムナで注意をひきつけ、時間稼ぎする。
とどのつまりの黄泉比良坂で、その坂本というところに生る桃の実を三つ投げれば、黄泉軍は撃退されるというものだ。
三つとは満つであるとネアンは昔から解釈していたから、ま さに絵に描いたようなシンクロとなった。
ネアンはこの意味を、いよいよ地球が核戦争などで黄泉の惨状となるとき、UFOが聖衆として天空を覆うほど現れ、ふさわしい人々を救出するのであろうと捉えた。
撮影されたこの時点では黄泉軍の撃退などはなかった。
だが、いざ脱出のときは緊急を要するような成り行きになることは想像に難くない。
それもこれも、日の出嬢とのコンビネーションであるに違いないと思うネアン。
日の出に至る良い兆しとして桃の実の出現は捉えられた。
神話の雛形はすべて地上に用意されている。
とするなら、イザナギとは誰なのか。
黄泉神である上司と不倫の契りをしたイナンナ・イザナミに対して、自分がそれにふさわしいのではないかと思うのであった。いったい、一人何役を務めればいいのか。
シンクロとは、あらゆる局面で相似形の補完関係がなくてはならない。
神話を演ずる雛形は、まさに神話どおりの運命を辿らねばならないわけだ。
ネアンのいまある現実面での閉塞状態は、と どのつまりをめざして比良坂を上るイザナギに等しかった。
ネアンは新神話不成就、旧神話成就の不本意な成り行きとはいえ、これも世界が負った成り行く未来であろうかと思った。
だが、ネアンは新神話にもまだ在籍していた。
彼は最悪、自らの死によって、火の鳥を自在にコントロールできると書いた。
ネアン・イザナギは生きていればUFOによって地球をいったん離れるだろう。
宇宙の技術で病態から一転して不老となる。
地上にある間に死ねば死んだで、火の鳥となって宇宙を翔る。
だが二者の歴史は大きく異なる。
前者では、またぞろ次の時代を迎える準備をせねばならない。
だが、後者では、邪神天仙たちを焼き尽くし、宇宙全体を一新するのがひとつ、良いプランがなければ、実験炉宇宙を潰して廃絶してしまうことをも視野に入れる。
閉じ込められた梵天を救い、国常立神を救い、すべてをマグマの中に投げ込んで、宇宙の礎石の打ち立てから始めるか、もしくは物理宇宙を消滅させて、意識だけを残すかである。
天仙が目論む黄泉の国の独立などはありえない。また、そのようなことはさせない。
まず、すべては原初の状態になり、梵天に大政を還して宇宙創世記の頃に戻らせるのである。
梵天はそれでよしとするだろう。
ネアンはどちらかというと、梵天に早く目覚めてほしいと願っている。
梵天の見た夢。夢 の中に投入された観測装置としてのネアン自身の立場を嘆いているのだ。
目を覚ましてもらえたなら、宇宙も宇宙を生み出す力も、すべて幻の中に消えていくであろう。
少なくとも数年以内には、どのようなやり方にしろ解放されることを願い、ネアンは新神話を改訂しつつあるのであった。

日の出嬢と岩戸別けの神業にむけて詠った歌。

名にしおふ君と出会へりかすかにも御手を握りて合言葉受く
満天に星のごと出しUFOの白き光は岩戸のあかり
君の名は神々しくも示しける岩戸さし開け陽の射す様を
我請はむ岩の扉を開け放ち出したきかな天照大神
我投げる岩戸をはるか東へと受けて隠せや戸隠の山
恥ずるなく天の御衣着こしめせ素肌の君はまぶしきの由
輝きに御衣も透けけり程良くも高天原は夜明けとなりぬ
しかる後高天原に日は昇りさばへなすものことごとく消ゆ
言祝げや諸天善神集ひきて高天原は賑はひの時
然る後地上の闇も掃われて世に打ち立つは真の皇
すめろぎの下に憩へや諸人よ命育む傘なるゆえに

幾度か逢ひしが、思いが伝えられずに無力を痛感せしときの歌

かく思ひ君まぎたれどえにしなく時も力もはやうせてけり
空しさや世はうつろひて消え行くもたなびく雲ぞまた帰り来む

あまりに性格的にすれ違いがありすぎ腹悪しく思ひしときに詠みし歌

黄泉なれば高天原も質悪しく操もなければ手力もなし
ホピ族はマサウと見たりUFOの飛び行く姿に思いを馳せて
二人ともこの世を恨む者にして出せる結果は復讐の道
契りあへず岩戸は開かず黄泉のまま滅びのままに滅び去るべし
UFOの白き光は蜘蛛の糸イザナギ出せや黄泉津の外に
核使ひ地上に出る杭焼けば良しいずれ人類出る杭なれば
火の鳥よ核の炎となりて飛べ良きも悪しきも溶かし尽くさむ
我こそは宇宙を潰す摂理なり戦さ偽り絶望の果てに