新神話 第九章

第九章 結章

新たな宇宙の設計

幸せなある日の昼下がり、イイナンナはいちばん下の子の相手をするうち、その子が眠ってしまった合間に、うとうとして不思議な夢を見た。
夢の中でイナンナは大きな亀になって水に浮かんでいた。
自分の姿をよく見ると、背中の六角の甲羅のひとつひとつになにやら複雑な造形物が見て取れる。
それぞれは七色に輝いていて、直感的にイナンナは、それぞれに違う世界を構成する何かが詰まっていることを了知しているという按配であった。
ああこれが玄武、五色の亀とは自分のことなのだと、不思議なほど自然にそう思っていた。
ところが浮かんでいた湖が旱魃でどんどん水が減っていった。
あたりの村々ではたくさんの人々が餓えに苦しんでいた。
そのときイナンナは直感的にわかった。
イナンナがこの玄武の体を捨てて、背中の世界を解放すれば、皆を救えるのであると、ほぼ確信に満ちてそう思えたのである。
甲羅の中には、豊かな水と、地上天国の基になる世界の、細胞の元のようなものがいっぱい詰まっていることが分かっている。ならば、これを人々のために解放すれば・・。
夢の中の短いようで長い思考の中で、とうとうイナンナは自己の存続をあきらめた。
この肉体を捨てようと思った。
しかし最後に、愛しいネアンに会いたいと思った。
肉体をすてれば、ネアンにもう抱きしめてもらうこともできない。
再び、遭えるかどうかも分からない。
そこで、まるで人魚姫のように美しい乙女になって、イナンナは水から上がりネアンに会いに行った。
最後に、一目遭い、できれば抱きしめ合って、別れを告げようと・・。
ところが不思議なことに、捜し求めたネアンも実は朱雀の化身だったのである。
朱雀は傷みきったこの世界を火炎で焼き尽くし良い世界に立て直そうと思ってる、とイナンナに告げた。
自分もその火炎を解放する為に、体を捨てて解脱しようと考えていると。
そこで二人は話し合い、お互いの肉体を捨て、解脱することにした。
お互いが合意するや否や、鶴と亀としての、朱雀と玄武としての魂が交じり合い、そこから見る見るうちに新しい世界が生まれ、育まれていった。
ああこれが鶴と亀が統べるという意味なのだと、イナンナはおのずと了知していた。
☆☆
イナンナ!
ようやく分かった。
人間の身であることは浅ましい。
長すぎる時間を悩み通さねばならなかったのだからな。
怨みも募った。解脱などさせまじと唸った。未来永劫の怨敵ぞと見定めた。
だが、それは邪な支配神に操られる人間の曇った頭でする誤った思考に過ぎなかった。
君はすでに解脱を目指して、玄武の体を捨てていたのか。
2002年10月のあの日、私は朝に蛇を轢き殺し、真っ暗な夕べに亀を跳ね飛ばした。
よもやまだ眠りに入らずにいる蛇がいようとは。そんな生ぬるい日だった。
まさか対向車のために農道の左ぎりぎりを走らざるを得ないなど、どうして考えよう。
スサノオが君の守護を果たせなかったことを知ったときでもあった。
だが、君はスサノオにこう言っていたのだな。
もう私はここで死にますから、無理をなさらないで、と。
たじろいだスサノオは、結界を解いてしまった。
どこにいるんだ。
答えも寄越せないところに行ってしまったのか。
私はまだ最後の詰めを残しているが、もうすぐ迎えに行く。
どうか待っていてほしい。
この心、届いただろうか。
もし、それがイナンナの純粋さなら、いつか必ず戻ってきなさい。

洗脳されていたイナンナ

イナンナには生来のトラウマがあった。
「そもそも、一つの疑問からすべての旅は始まった気がしています。
それは、創っても創っても壊れてゆく宇宙。
気づかれぬように創っても・・・
気づかれると壊される。
あれは何だったのだろう?
腐った卵のように・・・
エントロピーの増大?
情報の海に飲みこまれる、統一というなの無?
男神様と、女神様の嘆き。
そしてそれに抗う為に、
旅をしている人たち、
戦っている人たち、
夜明けの旅人。
それは、私が生まれた時から受けてきたはずの、
宗教概念と真っ向から対立するといってもいい概念。
救世主という、統一者とは反対の・・・
悪さえも宇宙が続いてゆく為には必要だと、わざと調和を乱す為に、
調和は無に向かう道だと・・・
人だけがゆらぎを創れるのだと。
ゆらぎだけが、宇宙を存続させると。
なんで、こんなメッセージを受け取ったのか?
でも、確かに受け取ってしまった。
正しいのかさえもわからない。
混乱して、
だから耐えかねてあなたにぶつけてしまった。
悲しいです。
せめて、あなたとの出会いだけは、
一つの導きだったと信じていたいけど、
それも私が創ってしまった宇宙の出来事だとしたら、
いったい自分の何を信じればいいの?」
☆☆
それがイナンナの裏切りの元になっているなら、解答をしておく必要があろう。
これは反面、天仙邪神追討の最大の理由にもなることだからである。
善悪混交による宇宙の寿命引き伸ばし計画自体が邪な精神に満ちているのだ。
天仙邪神たちは相計って、彼ら自身の総帥権の安定という目的を果たしながら宇宙を存続させるために科学的理論を打ち立てた。
この実験炉宇宙は、正平衡となれば、自然消滅の方向に進んでいく。
物理的なエントロピー増大の傾向は、自然流砂の掟の原則が伏在し、何人にも変えることのできない摂理である。宇宙の開始時点から、宇宙の寿命が予め規定されて登場していることを示している。このために投入された「生成衰滅」という万象必在のパターンは、彼らには理解できない設計思想だったのだ。
彼らは宇宙を創造した古参の科学者たちを追い出し遺産を引き継いだものの、新たな宇宙を創るほどの力がなかったために、改造で対処しようとしたのだ。
天仙の科学者たちが様々な実験をして理解できたことは、寿命が短い物体に関して、それを支える意識体のほうが先に撤退するという現象があることだった。同じもので比較したときでも、意識体が逃げたほうで崩壊が著しく進んでいた。
物質は霊質とひとつのペアーで生じている。有目的的な物質が生じるに際して、自然発生的に自然霊としての意識体も生じる。その理由は、石ころのひとつにさえ、意識の目を宿す仕組みが備わっているからだ。宿る意識の目とは、「意識原理」すなわち、梵天(ブラフマ)から放たれた光(アートマ)のことだ。霊体は意識の目を宿す容器。よって、霊体である自然霊は、物質の寿命の原因にもなっているというわけだ。
根源的理由を知る者は知り、知りたがらない者は認めない。天仙たちはどちらかというと後者だった。なぜなら、意識原理の目は純粋観照するのみで、何の作用もしなかったからだ。彼らは、抵抗しない弱者いじめを繰り返すタイプの性向から、意識原理のことをも侮ってしまった。
ただ、力だけがどこからか(梵の全系からなのだが)流れてきて、寿命とパワーを賦与しているように見えたのだ。梵は賦活する者である。魂を永遠のものにしてやまないものであると同時に、純粋観照者。このポイントに天仙邪神の侮りと見落としがあった。すべては梵天に筒抜けであるということを。
彼らの問題意識は、賦活力の喪失とともに物質が急速に老化する局面のみに向けられた。
自然霊をとどめておけば良いのだが、霊は意志を持ち、情報習得のアンテナを縦横に張っているため、移り気な傾向がどうしてもある。
物質のような障壁はなく、気体のように物質を貫通してどこにでも現れる、同じ場所にとどまるのが苦手な存在なのである。譬えて言うなら、電子と陽子の関係だ。
かといって、原因になる対発生した物質に霊線を残し、その管理をさせられている側面もある。しかし、霊の側が気に入らなくなれば、離れていってしまう。
霊が流出していく先々で、より激しく物質の劣化老化そして消滅が起きていることを天仙の科学者グループは見出したのだ。
逆を言うなら、物質の消滅を避けるためには、霊がそこに居つくシステムが必要であり、たとえ霊が移り気に去っていったとしても、そこに別の霊が補完するように補充されれば総量的に安定すると考えるに至った。
そこで、霊の捕捉と誘致のために、実験炉宇宙はその魅力をいっそう増すことを余儀なくされだ。物質ひとつとっても、その単体のままでは面白くなかろう。
合成することによって新たな物性を発するシステムを作ったりもした。化学という分野の登場だ。この多彩な展開に、自然霊は同じ場所にとどまって事情を観察しだしたのだ。
このため、宇宙はそれ自体、予め定まった寿命が更新できると考えられるようになった。
その方向性を希求する方針が天仙会議で打ち出され、下位に通達されたのである。
といっても、永久的に自己保身したいという暗愚なトップの意向で、そう指図されたといったものでしかなかった。だが、お上の命令とあって、配下は従ったのだ。
いっぽう配下の科学者グループは、量的に拡張すれば宇宙が不安定になり、全体が崩れかねないため、中味を質的に拡充する方向を模索した。
様々な実験の結果、本来自由である魂が霊に宿ったとき、関心を示すのがストーリーであり、違和感ゆえに最も関心を持つのであろう、ストーリーの中にも善と悪、正義と不正義という要因の盛り込みが最適であることを見出した。
この二極が互いに優位を交替しあうストーリーが、自然界の中でサイクリックに行われれば、その中で霊はみずからの担当する物質を背負って、ついにはストーリーを担うのではないかと考えられ、実験が為されたところ、霊はまるで物質世界が最重要であるかのように振舞い始めたのだ。
この現象は極めて面白くまた重要視されるようになり、「集中現象」と呼ばれることとなった。
宇宙はあまりにも広い。だが、実験系の雛形を宇宙の要所要所に設け、そこで起きる集中現象によって宇宙を支えてはどうかという話になった。
だが、真っ向から異を唱える者たちがいた。それが自然の流れは変えてはならないとする、後に禽仙と呼ばれる者たちだった。そこで、これらを疎ましく思った改革者たち人仙軍は禽仙軍と大戦争をした。
壮絶な超能力科学戦争の末、禽仙が負けて封神処理がなされた。封神は一種の催眠術のようなものである。被術者に術者を視認できない処置を施せば、そのようになる。だから、禽仙たちは神々にされ、彼らにコントロールされる存在となった。
タネを明かせば、すべてはプログラムだからだ。梵が夢見に入ったのはプログラムの中にだったのだ。梵の全系とは、全系のプログラムを観測する一大情報系システムのことだ。
梵天は分霊の総力を挙げて夢を見ている。彼にしてみれば、分霊はすべて彼の触手である。
人界、神霊界、仙界などは、プログラム上で相互作用の形態が取り決められているにすぎない。意識原理にとって重要なのは、今現在どのプログラムを実行しているかどうかであり、当面している部分だけが個々にとっての真実なのだ。
こうして天仙の主導で宇宙が実験炉として運営されることになった。
まず、宇宙の中心部と外辺部の弱りかけたところにこのプログラムを置いた。結果は、普通でいるより、かなりましであるという結果で、寿命の延びは15%ほどと推定された。
あとは、宇宙内の約一万箇所に同様の仕組みを少しずつ要素を変化させながら置くという努力に二億年要して今がある。
30%ほど処理が終わったころ、銀河系に置かれる集中現象の実験系として選ばれたのが太陽系の地球であった。
神々とは、人間より数百年から数万年進んだところにいる科学者であり、肉体という時空のしがらみによらず生きる自由度の高い者と言ってもよい。世界の創生以来、観測する意識として登場を果たした者がほとんどであったが、ひとつ以上の宇宙の創生に関わり、一通りの文明の初穂から爛熟を経験した結果として、人間種の発展した形態の半神半人族的
な神もいた。
イナンナはそうした神々の一人であり、科学者グループに属していた。
彼らはプロジェクトチームを結成して、トップの指令によってその命令を忠実にかなえていく使命を持っていた。
特にイナンナの場合は、厳格な規律を課すチームの中にあって、トップの提示する要件の遂行にあっては、張り詰めた神経をもって事にあたった。
自由度を確保した退屈男的な神々とは雲泥の開きのある立場にあったのだ。
彼らの主目的は、200億年と予想された宇宙の寿命を限りなく永久のものにするための研究と実験にあった。
どうして、このようなプロジェクトの中で働くようになったのだろうか。それはイナンナが弁天の分霊として降ろされたからである。すでに梵天から生まれ、その妻となった弁天には何千もの宇宙の興亡を、外宇宙から眺めてきた経過があった。梵天が弁天を愛し交わるごとに宇宙が生まれた。その赤子宇宙にかける愛情は、母のそれであった。その宇宙の中で、幾多の意識が生まれようとも、その土壌となる宇宙そのものへの愛着には強いものがある。
だが、それが常に成熟した姿を見ることなく、壊れていく有様を見るに、ついにその中身がどうなってそうなるのかを見極めたく、また改善されるものなら、その方法を見出したく思ったのである。
さて、ここでもうひとつタネを明かしておかねばならない。プログラムには必然的にエンドがある。というのも、夢見をする者にとって、夢はいつの日か終わらねばならないからである。むろんエンドレスに設計することもできるが、それでは現実に立ち戻ることができなくなる。だから、弁天の願いは知りつつも、ひとつひとつの宇宙に夢見の目的をふんだんに盛り込むことでしか、愛妻を喜ばせることしかできないでいるのだ。特に火の鳥は、梵天が夢見のループから抜け出せなくなったときのために、非常処置として置かれている伝家の宝刀と言ってもいいものだ。宇宙が狂気の様相を呈したなら、火の鳥を起動しようとする者も出てくる。それは一連の手続きであり、最初の設計者梵天の周到な計画と言うしかない。
だが、弁天は過酷な任務を帯びた分霊を各地に派遣した。その一人がイナンナである。
そこで梵天は、弁天にもたらされる分霊たちからの情報を通じて、弁天自身が悟れるような環境作りを思い立った。ストーリーからの学びは、最高神にあっても同じと目されたのだ。
イナンナの所属するプロジェクトは、すでにひとつの結論を見出していた。宇宙は静平衡となったとき、エントロピー増大の摂理に呑まれて宇宙は終焉を迎えると。つまり、刺激とそれに対する反応が活発に為されれば、それだけ生命反応として生き延びようとする働きが宇宙にも生まれるという原理である。
彼らは、宇宙のみならず、あらゆる生命現象には、興亡すなわち、生・成・衰・滅もしくは生老病死のパターンが内在することを理解していた。その流れをいかに食い止めるかに焦点を絞って、宇宙の永続性を追及していたのである。これは邪なトップの思惑を別とすれば、しごく純粋な動機に基づいていた。弁天の意向を汲むイナンナは真摯に取り組んでいた。
そして、様々なエレメントに分解して調査研究が進められた結果、最も良いと判断されたのが、原因結果の因果律の自動生成法であった。
これは、原因がなければ、このような結果は生じないというありふれた話なのであるが、生成された結果が次のサイクルの発生原因となるような仕組みの確立が、ひいては寿命の増大、さらに半永続性の確保に繋がるというわけである。
その計画の移植が宇宙の随所で行われていった。
だが、あるとき、さらに残酷な方法が、邪悪な科学者によって考案され報告された。
それは、邪悪の要素の開発と実験系への過剰投入がはるかに物質世界を堅固にする事実が見出されたというものであった。霊たちの執着を高めることに成功したというのだ。
ここで科学者グループが対立抗争を始めた。邪悪の投与は二次三次的弊害を生み出すとして、彼らの計画を阻止したグループが生じたのだ。
計画星から計画星というスパンの大きい宇宙空間を背景にして、しのぎを削る戦争が起きた。
イナンナは、体制側に属する戦士として働いた。計画を潰そうとするテロリズムと戦うためだ。そのどちらにも、戦闘の理があった。
ある計画星において、イナンナはテロ戦士のネアンと一戦を交える。互角に戦った最後に、息絶え絶えの中で、たくさんのことを語り合った末、ネアンは死んだ。
イナンナは救出され、科学者としての任務に戻ったときには神としての処遇であった。
その後、実験がスタートすることになり、雛形の置かれたのが太陽系であり、地球であった。
人類はすでに因果律の実験のため生成されていた。敗戦者である禽仙たちがそこに宿らされた。これが俗に言う失楽園である。
カルマの法則が、そこに生きる人類のために付与された。
そして、第一人類が神としての似姿を生き、小さな実験系の中でエントロピーに増大をきたして滅んでいく姿を見た。イナンナはそれを高みから見下ろしていた。
第二人類には、鈍重さが性格に加えられたので、なおのこと短命に終わる結果となった。
第三人類には、獰猛さと好戦性が付加されたため、人類同士の戦いに明け暮れて、やはり短命に終わった。これが恐竜時代である。だが、彼らは文明の窮極において、宇宙に出るほどの高度な科学力と精神性を備えていた。彼らを滅ぼしたのは、彼らの闘争ではなく、あくまでも邪な計画のよこした巨大隕石の落下だったのだ。
ごく少数は宇宙に逃れて、様々な葛藤の末、邪神の意向に沿うことで生き延びた。これが爬虫類型文明星にまでなっている。
科学者たちは、今から四万年前の第四人類に、最も不完全な人間の性質を付与した。
それでも当初の人類の脳には、神霊とコミュニケーションする魂の活躍のエリアが大きく取られていたため、宇宙の秘密や、彼らのプロジェクトの秘密がいつしか漏洩し、反逆分子の登場でプロジェクトの活動が阻害されたため、クロマニヨンは滅亡させられた。
さらに遺伝子の改造を行い、第三の脳である社会脳を付与することにより、心霊能力の芽を摘んでいった。これにより魂の働きは著しく鈍重になり、半睡状態になってしまったのである。これがいちばん進化したとされているホモサピエンスの時代である。
そして、様々な能力にとって代わるように悲惨さの要素を投入していった。
陰謀、簒奪、戦争と悲哀、裏切り、ありとあらゆる悪徳が、かつてあった神性に代わり投入され、そのキャリアーとなるアウトロー魂が宇宙の随所からかき集められた。
そして、一種、流刑の地と地球は化していったのである。これが俗に言うパンドラの箱のいわれである。
この地球の生活の中から、いろんな教養を得て再誕生の道を閉ざした魂もいた。彼らは卒業者として他の星系へと旅立ったり、神となり神霊界だけで暮らすようになった。
同様に、この中で魂を進化させる者も数知れず。数々の経験で、争いの無駄を知り、無知の状態からの決別を図る人々が増えた。しかし、地上に平和を獲得させるわけにはいかなかった。去った者と同数以上のアウトローたちが地球に投入されたのである。これでは、いかに地上に理想を求めても仕方のない道理である。
トラブルメーカーが大半を占めるようになれば、文明を根底から覆して、人口の大激減を経て再び文明の初穂から始めるという計画である。
人類の滅亡という状態が生じても、次の時代の歴史に原因は引き継がれる。ストレスとカルマが多く生じたほうが、次の時代の大きな原動力となるというわけである。
だから、終末期の悲惨さは耐え難いものになる。魂の総合的な要望だとして、歴史の悲惨さの軽減措置が幾度もとられてきたが、逆に魂にとっては深手の傷を負うことになるものである。肉体の存続に関してのみなされる表面的な負担軽減策は、魂にとってはかえって悪いことが多い。
イナンナはその様を見て、しだいに地球人に対して同情的になっていった。
彼らプロジェクトが地球に関わるときは、チーム員個別には霊体そのものが用いられたが、多人数で調査する場合は、プラズマタイプの宇宙船が用いられた。このプラズマの容器の中に、彼らの霊体が繋がるのである。
そして、宇宙船は時間軸に沿っても動くことができた。つまり過去の歴史に介入することも、未来の歴史に介入することもできたのだ。
イナンナは地球に興亡する文明の数々を見てきて、悲惨さの犠牲の上に宇宙存続の手がかりを求め続けることに疲れを催していた。
そんなとき、イナンナは宇宙船による単独での探索の際、時空に妙な人間の存在を見つけた。
それはかつて戦ったネアンであった。だが、文明の終了間際において、プロジェクトのやり方とは別のノウハウを持っているかのように見えたのである。この者は、宇宙存続に異議を唱えた側の者なのに、その鍵を握っている感があるのはなぜなのか。
ネアンは何かのきっかけを待っているようであった。しかし、なかなか見当たらないでいるようであった。
イナンナは、かつての戦友ゆえ、プロジェクトに報告せずに胸にしまった。
そしてなおも探索を進めるうち、地球神界の第二時代に起きた国常立神の政変時における側近であったことが分かった。彼には王政復古の志が見られたのだ。それが宇宙存続の鍵になる?
邪悪を強く戒めることは、静平衡によって早逝するという原理に反する。復古行動も戦いだから、その意味ではいいかも知れない。神界でも特別な位置から見れば、ネアンら一味の計画にあるXXXXXXの領域も手に取るようだ。そこで下準備に余念のない者たちのうごめく姿があった。地球上へ転生しようとしているのだ。
神々にも兵役の義務がある。
つまり、下界に下りて、人間としての修行をしてくるというわけである。
過酷な環境ゆえに、修行になるという。
地上には、ネアンに寄り添うようにしている龍の霊体がいた。これは?土着の霊体か?
それこそXXXXXXで待機するカンナオビであった。意識を飛ばして、様子を見に来ているのだ。彼女も弁天の分身として別グループに派遣された者であった。
だが、イナンナは化身ゆえに、素性を定かに知ることができない。自分も龍、これも龍。とすれば、眷属の可能性はあると思う。
見たところ、情念が支配的だ。ならば、まあいい。
イナンナは兵役の場所を自分で決め、休暇を下界経験のシミュレーションに当てた。
そして、XXXXXXに至るや、しばらく予備者訓練を受けた後、予定された主役から強引に役を奪う形で、下生してしまったのである。
サポートが得られないことはむろんだった。
パラシュートはなんとか目的地に着いた。
だが、上界の負い目はたえず持ち続けなくてはならなくなった。
「だからあれほどやめておけと言ったんだ」という同僚の言葉が、ときおり脳裏に木霊して痛かった。
だが、持ち物の綻びかけた袋の中に、金色に輝く「玉」があった。パラシュートに結わえ付けられてでもいたのか?
竜宮にあった「玉」ではないか?いや、実際、それが何かは分からない。
今回の転生で、ネアンにこれを渡さねばならない。
そう思ったとき、上空の黒雲から鬼が青黒い顔を出して、こう叫んだ。
「お前は偽者だ」
とっさに「私は本物よ」という文句が、口をついて出た。すると鬼は消え去った。
XXXXXXでは、こうなっては仕方ないという感じになっていた。可能な限りサポートせねばと。
下生すると誰しも分かるように、神霊界にあったときの記憶を失くす。
渡すべき役割。それを誰に?誰なのかは分からない。象徴するは夢で導かれる八角堂。
そうして、見つけたのが偶然にもネアンということになる。
ネアンは言う。
君がこの宇宙誕生の秘密を知る立場にある高い位置にいたことは分かる。
そのグループに浴していれば、宇宙の存続を大命題として働いていたことも理解できる。
だが君はきっと、善と悪の坩堝に投げ込まれて延々とさまよう有情たちへの同情心をいつしか持ったのではないのか。
それが、私への過度の干渉となった。
同グループの者たちが驚くのも無理はない。
君の行き過ぎを反逆ととった彼らが妨害してこないはずがない。
だが、私は君からの宝のプレゼントを確かに受け取った。
それは危険なお宝であるとともに、ものすごい力を持つものでもある。
私の魂の進退をかけての戦いの力となるだろう。
実際、私は魂の存続を諦める覚悟がある。
君は私が成功しても私と遭う必要はないし、私が失敗して遭えなくても豊かに生きる道はある。神界では元の鞘に戻るという手がある。
あの一つ目ピラミッドの傘下で余計なことを考えず地道に生きればよい。
だが、どんなにあがいても、所詮宇宙の寿命が伸びるなどということはない。
必ず、ものごとには終りが用意されている。
万が一寿命に余禄ができたなら、せいぜい楽しみなさい。
その長さがどうであれ、私は損をしたとは思わないし、思うはずもない。
すべて夢の日々なのだから。
山が呼んでる。
あの白い雲が我を招く。
風が過ぎし日の香り運ぶ。
また帰る日を恋いてさすらう。
シュミセー、わがふるさと。
シュミセー、わが来し道。
ああ、すべて夢の日々。
心に抱きて今日もさすらう。
だが、その夢も終わりにしたほうがよほどいいに決まっている。
君が解脱を目指しているように、誰もがそうあるべきなのだ。
君だけ解脱しておいて、後の者は地獄に打ち捨てておけばよいというのなら、君は偽者もいいとこだ。
だから、私は君を最後まで疑っている。
☆☆
かつて、ムーには精神文明のみが著しく発展し、人々は意識を拡大し、魂の帰一を願い、本来わかれていくはずのものが、一つに戻ってしまい、崩壊したのだそうです。
それを調査に行かれたアトランティスのスサの王は、状況をわからず、その空間のひずみにぶつかり、(というかムーの魂は、彼さえも吸収しようとしたのだそうです。)大変な衝撃が発生し、アトランティスを同じく崩壊に導いてしまったのだそうです。
そのとき、塵に再び分散した、ムーの魂達は、アトランティスの魂達と融合し、2大陸両方の記憶を持つ魂が、誕生してしまったんだそうです。
私もそうかも?
そのとき、やはりいまだ発見されていない物質で作られた、竜の形をした水陸両用の乗り物、(変形、合体もし、水の中では、亀のようかもしれないと言っています。)おそらく神亀で、一部の人が脱出したそうです。
今はそれは鳴門の渦潮の奥深くに眠っているそうです。
ネアン。なんで創っても、創っても宇宙が壊れていったか、私少しつかめたんです。
それを今物語にしています。
もし、それが少しでも正しければ、
もっと前向きな方法で、エントロピーの増大を防げるかもしれません。

2002年3月にイナンナの見た夢。
梵天にストゥーパのような建物の中に招かれて、大きな部屋の中にたくさんの工作物がしてあるのを見た。梵天が言うには、これが新しい世界構想だとのこと。積み木のような感じの四角い箱を梵天は手にとって、これはどこに置こうかとイナンナに話しかけると、イナンナは笑って見ていた。
2002年4月にイナンナの見た夢。
梵天がイナンナに対して宇宙の構造について講義している夢であった。
エントロピーの増大を防ぐ方法。それは宇宙創生期からの設計思想を変えるしかない。
設計段階で生成衰滅を予定したものであるのに、どうしてそこから逃れることができようか。
だから、出来損ないはパッチを当ててややこしくしたりせず、廃絶して一からやりなおすことこそ大事となる。プログラマーの知識が少しでもあるなら、そのようなことはすぐにでも分かるだろう。残念ながら、君の属していた科学者グループふぜいでは、新たに宇宙を創り出すことは不可能だ。
だから、君は梵天に頼ろうとしたのではないのか。
ただ、プログラムがなぜ有限でなくてはならないか。その理由にも思いを馳せなくてはならない。
私は、真剣になってくれるなら、理想宇宙を共に創ってくれるパートナーを求めている。
梵天が私の理想を容れた国づくりのサポートをしてくれるだろう。
私は妻を捜している。
共に有情を育む宇宙の父母になるような妻を。
設計に参画してくれる妻を。
弁天がサポートする妻を。
物語を作るのはけっこうだ。
だが、邪な科学者たちの精神性で語ろうとするものなら、無意味だ。
正義と善意で理想を語るものであって欲しい。
新しい宇宙のプランであって欲しい。
そのような物語であってくれることを望む。
君の夢に現れた梵天は、すでに半ばできあがったプランの間に君を案内しただろう。
君のすることは、協力することではないのか。

イナンナの逝去

2001年8月、イナンナは、妻帯する上司に強引に関係させられてしまう。
以後、上司の性的奴隷となり、それを自らのストレス解消法と位置づけていく堕落ぶりとなる。
(この時点で二人での神業達成はかなわなくなり、イナンナはただ持てる情報のすべてをネアンに伝えるだけの伝令者となった)
2001年10月、イナンナはネアンと入った暗いホテルの中で、突然悪霊がいると騒ぎ始めた。それは間髪を入れず、イナンナにとり憑き、イナンナは失神状態から霊掛かり状態となった。
悪霊がイナンナの口を借りてネアンを威嚇した。
俺たちの世界をどうしようというのだ。悪いことをして何が悪い。こうしたことを好む者もたくさんいるのだ。放っておけ。そもそも、人間でもない者がどうしてここにいる。この世のことに関わるな。
ネアンは言う。人間として生まれている限りは人間だ。極端な悪は阻止されねばならぬ。お前たちのせいで、多くの苦しむ魂がいることを見捨てては置けない。
悪霊も言う。この女がどうなってもいいんだな。それが困るのなら、手を引け。
暴力的なアウトローであることで威嚇するしか能のない悪霊。
お前は天仙の差し金できたのか。
天仙?何だそれは。そんなもの知らん。
私は、みんなを救いたいのだ。お前たちも救われる対象だ。決して悪いようにはしない。だから、この者に憑くのはやめろ。
俺たちのしたいようにさせろ。救いなど必要ない。
水掛け論になろうとしたところで、悪霊は去っていった。
イナンナは霊媒体質である。自らコントロールのできない霊媒体質は、過去世に審神者があっての巫女だったことによる。生まれながらに霊体にぽっかりと空いたセキュリティホールを持っているのだ。ネアンはかつて巫女の審神者であった経験から、このホールを見つけて彼の幽体で埋めるようにした。だが、周辺環境の悪化で、簡単にホールは空いてしまい、そこに悪霊が懸かろうとした。それを防ごうと、のべつ愛念の気を送るネアン。そのような繰り返しの消耗戦の日々であった。しかし、遠隔であることの不利は否めない。いつしか、イナンナの霊体のホールには、いくつもの悪霊ウイルスが住み着いていた。そして、肉体を明け渡す日が来てしまったのだ。
審神者は巫女に掛かる相手を見極めるあまり、中核にいる神すらも審神してしまう傾向にある。これが今生のネアンの反逆精神の根にある。
イナンナは事故に相次いで遭うようになった。
2001年12月、イナンナは車に撥ね飛ばされるが、奇跡的にかすり傷ですむ。撥ねた側の女は、部落解放同盟に属する制度上の放楽者であったため、イナンナは警察官による事故のもみ消しに遭ってしまう。
イナンナはもともと損得で考える人間ではなかったが、イナンナの魂はすでに逝去しかかっていた。代わりにすでにとり憑いていた悪霊に取って代わられようとしていたため、損得勘定も強くなっていた。
2002年4月、名が鶴亀という世にも稀な名の人物の車と衝突事故。鶴亀側が非優先であったのであるが、鶴亀の使用人が司法書士であったため、話がこじれて解決に長期間要した。
この二件につき、ネアンへの相談のタイミングに乱れがあり、ネアンの出る幕はなくなった。イナンナはこれにより、ネアンを頼りがいのない男と見るようになり、イナンナの上司がこのとき貢献したふりを見せたため、イナンナとの仲をより深くしていった。鶴亀氏との関わりは、一見神業を放棄したイナンナへの制裁の感があったが、事実は天仙たちが仕組んだ、イナンナとネアン二人のシンボル的協力関係に対する露骨な妨害であった。
2002年7月、大本教の篤信者老人のバイクがイナンナの車と接触し、人身事故となる。
大本教の老人は知り合った契機に、イナンナに王仁三郎の「霊界物語」の本を貸す。
だが、イナンナにしてみれば、ネアンとの関わりが一連の事故の原因であることは疑いようもなかった。こうして、ネアンといつまでも付き合っていては、自分の将来に魔が差すと真剣に思うようになった。
後のことを別の魂に譲って、イナンナの魂は逝去したのである。このすぐ後、イナンナは人間の身にあって神業に携わるようなことはしてはならないからと、還俗を宣言した。いやしくも神が還俗を表明したなら、その通りになる。
それでも竜身に変化したり、梵天と会見するなどの夢見が後々続いていたのは、蓄積された記憶が時折蘇ったからで、逝去したイナンナの霊は還俗宣言のことなど知るよしもなかったのだ。肉体はただ伝令としてのみ機能した。
梵天は協力者のイナンナに対して、精一杯のもてなしをしたつもりだったが、これ以降、イナンナは梵天の夢を見なくなる。梵天はどうしたのだろうとネアンに問うが、当時何も知らなかったネアンは、梵天が戦闘準備に入ったため会う暇がなくなったのだろうとしか答えられなかった。
梵天に会える立場のイナンナの魂はすでに彼女の中にはいなかったのだ。

それでも2002年5月、イナンナはこんな夢を見た。
岡田茂吉と理事長が大池に水をなみなみと張っていた。イナンナは、その有様を見て、ふもとの民人たちがこのままでいくと洪水で飲まれてしまうと思った。同時に、これは最後の審判を意味すると思った。
そうしていると、ネアンが現れた。そして、これを食べなさいと、サンドイッチを手渡したのである。イナンナはおなかがすいていたので、それを食べようと口に持っていった。すると、周りの光景が宇宙に変わり、それがどんどん拡散していくのである。
食べるのをやめて口から離すと、宇宙はすぼまっていった。
こんなことを二三回繰り返しているうち、これは大変なことになると思い、まだ家の一階の片づけが終わっていなかったことを思い出して、食べるのはその後でと持って帰った。
サンドイッチとは、折にふれイナンナに見せていた新神話のことである。これを食べればまたも宇宙が拡散して消滅してしまうとイナンナは感じたのだ。ネアンへの協力を潜在意識的に拒んだのであった。イナンナがこの夢を見た年の夏、ヨーロッパとアジアで大洪水が起きた。ただし、それが最後の審判に結びつく気配はなかった。
2002年6月、ネアンは自ら朱雀になった夢を見た。
飛んで海洋に出て、エメラルドグリーンの海底から自然の造形美で伸びる石柱の天辺の黒松があるあたりに留まって空を見上げた。爽快な夢であった。
(新神話で、ネアンは死して朱雀となり、大宇宙に遍満する火の鳥と同化することになっている)
☆☆
2002年6月6日、奈良の秋篠寺で大元帥明王のご開帳が執り行われた。この日、新神話では、奈良を五茫星形の結界が開かれ、その満ずる7日になる直前に、仏像にこもった梵天が最新兵器を駆って、鬼神とともに結界の中心から飛び出し、天仙邪神と戦端を開くこととなっていた。大元帥明王とは、九の鬼すなわち国常立神の九つの化身をいう。
ところが、この計画はイナンナを通じて天仙に漏れており、新神話そのものが骨抜きにされてしまい、頓挫してしまったのである。
梵天はこのことによって行方知れずとなり、梵天は誰のもとにも姿を現せなくなった。
6月7日には、日本の上空におびただしい数のUFOが集結しているのを、たまたま6月5日に打ち上げられたスペースシャトルのカメラが撮影している。
梵天軍に立ち向かう天仙の軍勢だったのか、梵天を歓迎する神々だったのか、それとも歴史的成行の傍観者だったのかは定かではない。
6月6日、戦端を開く日の失敗により、梵天が結界から脱出したかどうかさえ不明となった。これにより梵天は消息を絶つ。が、実際はネアンの中に分霊を移情していたのである。
☆☆
2002年7月、ネアンは夢見の師匠である趙先生が急がせる自転車をこぎ、山道の水溜りの間を縫うように走っていく夢を見た。その先に、いきなり地下街の明るさが開けた。ネアンは喫茶店の中にいるイナンナに出会った。イナンナはにこにことしてネアンを迎えた。ところが、イナンナの前に別の男がいた。えらの張ったがっしりとした顔立ちの灰色のスーツ姿の男が立って、いまネアンがきたため席を外そうとして、イナンナをやや怒り顔で見つめていた。イナンナは、ネアンと連れ立って、地下街から家路へと向かおうとしたが、ネアンは自転車で来たことを思い出し、一緒に帰れないと別れを告げたところで目が覚めた。
ネアンが、未明に見た君の夢で、君の知っている男、おそらく夢見のできるというウラジと出会ったと脅しをかけると、イナンナはそのとき確かにウラジと出会っていたと告げた。男の特徴を話すと、イナンナはまったくその通りだと言った。ウラジとは、かつて潮賞を受賞したM.Fの別名である。彼はナワリズムの使い手として過去世でイナンナとは仲間であったため、このような形でイナンナのしていることに対して、天仙側の意向を伝える役目を持っていたのである。
夢見に関してはイナンナが格段に進歩していた。ネアンは師匠が連れて行かねば、その現場に立ち会えなかった。師匠は、肝心の協力者が、かつての恋心から、むこうの夢見仲間のほうに去っていきかねないことを懸念して、ネアンを呼んだのである。
この場はなんとかネアンが割り込めたが、その次はもうなかった。イナンナの本体は逝去し別の霊に取って代わっていたのである。
2002年10月、イナンナとの決別が決定して以降、ネアンは過去最大の苦悩の炎中に放り込まれた。
心身は衰え運気は低迷の線すら逸脱して再び立ち直れないかのようであった。
ネアンには納得のできる理由がどうしても必要だったが、イナンナはそれを語ろうとはせず、あえて聞いてももっとひどい嘘を並べ立てるばかりだった。いよいよ傷つき、恨みばかり嵩む日々。まだネアンはイナンナの本体が去ったことを知らなかったのだ。
かなり後になって、事態のひどさを知った彼の守護者たちがかけつけたころには、逆にネアンは気を楽にしていた。というのも、持病の心臓がいよいよ時の切迫を告げるようになったため、すべてを来世以降に持ち越すべきこと、あるいは自らの魂の存続の願い下げの方向で、空観に浸るようになっていたからである。
「先生。イナンナはこんな風に言っていたんだ。宇宙は造られても造られても、潰れていってしまう。男女の創造神の悲しみは計り知れなかったと。まるで狼のようなものが、出来上がったばかりの赤子の宇宙を食べてしまう幻影を見たというんだ。そこで、何としてでも、男女神のために宇宙の存続を図らねばならない。それが私たちの使命のように思うと。男女神というのは、この場合、梵天と弁天なんでしょ?」
趙先生:「宇宙創造の男女神といえば、梵天と弁天になろう。だが、少し話が奇妙だな。
男女神のために存続を図るとはどういうことだ。梵天のことは私も方士から聞き知っているが、宇宙は無為自然が最良。本来の宇宙は無始無終とのことだ。存続がことさら必要とされるとはどういうことだ?」
「宇宙が潰れていくのを悲しむ神とは、梵天じゃないんですか?梵天の願いで、善と悪をこの世につくり、その優位の交替し合いによって宇宙を存続させるように仕組まれたようなことをぼくは聞いているんです」
趙先生:「梵天であろうだと?その梵天が本当にそのようなやり方による宇宙の存続を願っているとでも言うのか。違う違う。梵天は蟄居させられて久しい。いったい誰が宇宙創造神に成り代わってそのようなことを言っているかを調べてみたらいい。最後まで物事を抽出してみれば、ただ階層構造的優位の上にあぐらをかく者が、自分たちの権勢の時間を伸長させようと図っているだけであることに気付くはずだろうよ」
「そうなんですか」
趙先生:「ギリシャ神話を見ればいい。支配神ゼウスは地上の基盤や生態系を作ったクロノスを殺害して実権を握り、体制が安定すれば、今度は自分の治世の永続を願って、反逆者の捜索と駆逐に躍起になった。プロメテウスが最大の反逆者だったが、彼の予言を聞いて初めて自らの脅威を去ったという。プロメテウスとは、哀れな人類のことを最も慈しんでいる救世主のことだ。ギリシャ神話では両者和睦ということになっているのだがな。それも神話を作った者の恐れと理想が篭っているというわけだ」
洋一:「ぼくらは、ゼウスとヘラーのお涙ものの芝居に引っかかっていただけかも知れないな。イナンナなど特にそうだった。いっぽうで正神復活の準備を進めるなどと言っていたが、正神とは何かすら分かっていなかったのではないのか。要は何をしたいのかさえ分からずに下生したのではないのかな」
「確かにイナンナは混乱していて、かなり思索を繰り返していました。結局安易なところで妥協してしまい、ぼくを裏切っていったということなのかな。どんなに理想をまくし立てていても、いざというとき迷ってしまうようでは、工作員ということもできない」
趙先生:「いやいや、イナンナの前歴を見れば、ただネアンの妨害に赴いただけという気もするぞ。イナンナはそのような洗脳下にあって、良いと思って地球を集中現象の基地にする科学プロジェクトに所属していた。そこで今から四万年前にホモサピエンスを生産するプロジェクトにいたことがある。それまでの人類は、第二の脳までしかなかった。純粋に見るだけの脳幹とそれを愛でる観測脳だ。そこに、第三の脳である社会脳をつけ加えるプロジェクトにいたのだ。原人の脳の発達の原型は、宇宙連合の間には5億年前からあったから、普通であれば第四脳である統合脳まで設けるはずなのだが、集中現象の実験場である地球では、第三脳までで留め置かれた。
さらに不幸なことに、脳幹に好戦的衝動を催させる機構と、社会脳にマインドコントロールされる機構や観測脳の働きを抑制する機構を付け加えた。これが人類を試行錯誤の煉獄状態に置くことに役立った。そして、競争して打ち勝つことに物理的生理的に喜びを見出す本能を付け加え、そこに科学の進歩という新しいソフトウェアを許容した。このため、長足の進歩はしても、精神性は未熟なままに据え置かれるという現象が起きた。
抑制因子や発達因子を投入することがすべてなおざりになっているわけだ。つまり、ありとあらゆる邪悪を吹き込んでおいて、事態の収集をしていないのは、このプロジェクトの奴らなんだよ」
「なるほど。そういうことですか。だったらぼくを陥れておいても平然としておれるわけだ。地球上で行われる残酷という残酷を、たくさん見てきているわけだから、慣れていて当たり前というわけですね。確かにそんなことを言っていましたよ。地獄のあらゆる階層を見てきたって。そりゃ見ている本人は嫌だったかもしれないが、実験の成り行きをモニターして不平も言わずにその計画に従ってきたのも確かなんだ。イナンナに命令してきた連中はもっと悪いが、本人も悪い。私はこの世の地獄も見てきましたとしゃあしゃあと言えることでしょうか?実際の地獄を味わっている者がどれほどいるか知れないというのに、本人は見てきたから分かっていると物知り顔で話していたんですよ。実地で何もしないで、官僚のようなことを言いやがって。ぼくのほうがよほど人々の苦悩を見て味わってきているんだ。こんなやつに、軽くあしらわれる筋合いはないんだ。無性に腹が立つよ」
趙先生:「待て、ネアン。もしかすると、イナンナは本当に改心のつもりで、重要な秘密をお前に持ってきたのかも知れないぞ。つまり、お前を妨害するための工作をしたことは確かだが、それと同時に希望の光のようなものを託してきたということではないのか」
「先生は、いったい何を。いえいえ、それもあるのかもしれません。でもぼくは、受けたダメージのほうがよほど大きい。光る玉の入った袋のようなものはもらったが、玉手箱を開けた浦嶋みたいに憔悴してしまった」
趙先生:「まさに似ているな。浦嶋は果たして玉手箱を効用したのかどうか。したんだよ。安倍晴明にも似た話がある。彼も竜宮に行き、土産に秘術の巻物の入った箱をもらった。もうひとつ候補として不老不死の宝を受けるかどちらにすると竜王に言われて、巻物のほうを取ったんだ。このおかげで、彼は死ぬ身となったが、術を会得した。
浦嶋は、あのとき死ぬほうを選んで鶴になり、蓬莱島に住む仙人になった。これは竜王の玉手箱のお蔭だぞ。ネアン。お前も、この世界の建て直しに必要な秘術を会得したのかもしれないぞ」
「イナンナは、そんな奴だったの?いいや、にわかに信じられない。ぼくにそのような力があるとは思えないし、ただ病態になって弱くなった。あいつを擁護するような推測は聞きたくないよ」
趙先生:「心配するな。ネアン。何かまだできるはずだ。お前が何かの術を会得しているなら、その力で何かが引き寄せられてくるはずだ。待つことだ」
洋一:「話は変わるが、ネアン。君の昔から親友であるというキタロウのことだ。見込みのあるクラブを作ったというのに、九年前の当時から今までメンバーは君と二人だけだ。こんな奇妙なことってあるか?」
「UFOが奇抜すぎてのゆえではないと言いたいんだろう。そうだよ。キタロウは向こうではイナンナの上司だったみたいだ。つまり、イナンナと同様、ぼくに干渉してくることを仕事にしていたということさ。要は監視役なのさ。ぼくが何かすることを事前に知っていて、宇宙からの指図で張り込みをしているというか。イナンナは後からやってくることになっていたから、キタロウの目的はイナンナの行動の監視もあったのではないかな。ぼくが結婚するつもりだと言ったとたんに、猛反対に回った。それまでは、早く結婚でもしたらなどと言っていた奴がさ、宇宙連合がそれをすることは掟破りだと言っているからとね。ぼくは宇宙がなにを言っていようと、指図される筋合いはないとそのとき真剣に絶交を宣言した。すると、キタロウは困ったような顔をしていたが、しばらく絶交状態にあったのも事実だ」
趙先生:「結婚すれば、お上から与えられた役目が果たせなくなると同時に、彼らが睨んでいた脅威が発動すると考えたんだろうな。これで少なくとも、地球の煉獄化計画に、宇宙連合が関わっていることが窺い知れた。私が思うに、イナンナはお前に起爆剤を持ってきたんだ。正神復活計画を持ちかける役目としてね。そしてお前はそれに乗った時点で、炙り出されたことになった。現体制への反逆者がここにありと認めたことだろう。ただ、地上に起きた現象が予想外だった。火の鳥という宇宙の誰も理解できないものが動き始めたのだから。そこに結婚という話が出て、いっそうの接触の機会が増えることで事態が進展することを嫌った宇宙連合が、ストップをかけようと図ってきたとすればつじつまがあう。結局は、宇宙人に関わらせなくとも、天仙じこみの邪心つきの華族に色仕掛けでイナンナを攻略させたというわけだ。そのほうがお前に対してダメージが与えられるしな」
洋一:「イナンナは工作員を失敗した自分に嫌気がさして、自殺したのではないのかな」
趙先生:「そうだ。イナンナはお前が二股掛けにシビアなのを知って、絶望したのかもしれない。どうしてもっと寛大になれなかったのだ。寛大であれば、神話に彼女を試すようなことを書いたりはすまい。彼らの世代はセックスやら不倫やらに対してそれほど節度があるわけではないのだからな。お前だって、たとえバーチャルと言えども、不倫相手になっていたこともあるではないか」
「し、しかし・・」
趙先生:「もしそうなら、死んだイナンナの純粋な魂はどこかにいるはずだ。子供三人を自分で育てられないと知り、懸かっていた別の母性的で現実的な霊に肉体を明け渡して去ったのだろう。臨死のときに差配霊と交わした約束だけは守らねばならないからな。イナンナも最後にはなかなかやるじゃないか。お前がいずれ彼女を探すかどうかは自分で決めろ」
「・・・」

旧神話への復帰

2002年10月、イナンナとの決別が決定して以降、ネアンは最大の苦悩の炎の中に放り込まれ、心身は衰え運気は低迷の線すら逸脱して再び立ち直れないふうであった。

2002年11月21日深夜未明にネアンは持病の心房細動の極度の脈飛びが生じたか、就寝のため2階の寝室のベッド横で、セーターを脱ごうとした状態で意識を失いドタンと大きな音を立てて板の間に倒れてしまった。その物音を聞きつけて、一階で寝ていた彼の母親が上がってきて、彼の首にセーターが巻きついて窒息しかかっていたのを何とか解き、彼をベッドの上に半身ずつ運び上げて、掛け布団をかけて寝かしたのだった。翌朝ネアンはいつもどおり、朝食を済まして仕事に出かけ、夕刻に夕食を食べに帰ってきてから、母親は彼に「なんともないか」と聞くのである。ネアンはなんのことかわからずにいると、母親は彼に昨晩のことを一部始終話したのであった。驚くネアン。その日、仕事中にラジオニュースで知ったのが、高円宮憲仁親王が心室細動で急逝されたというニュースだった。もしかして、皇族が身代わりに? そのときには深く考えもしなかったが、イナンナが天仙の命を受けて、失意のどん底に沈むネアンを一気に呪い殺そうとしたものかも知れなかった。セーターは白だったのではなかったか。とすれば白蛇イナンナの祟りとも目されよう。しかし、彼の母親は毘沙門天の縁者だったから、母親による救出は毘沙門天の計らいであった事になろう。

カンナオビとの邂逅までの新たな出会い

その頃、まだ初めに会って後にでてくることになるカンナオビのことに思いは行かなかった。
仕方なくも一度振ってしまった彼女。今さらどうして、傷ついた醜態を晒しに行けるだろう。
そんなことをしたら、彼女にも鬱が伝染してしまう。
彼女のほうを見れば、別れるときに言っていたように、幸せの黄色いハンカチは翻っていた。ネット上に、日記を日々付けていけるホームページのテンプレートを彼女のために用意していたその中に、暗号めいてはいたがネアンへの思慕が綴られていたのだ。
それを見ても、彼女には、しばらくのバーチャルな恋と、こののぼりを出す方法を教えることのみが彼女への貢献だったのだと自分に言い聞かせた。
善意で事業を共に立ち上げた海幸には、多大な迷惑をかけることとなった。
イナンナの裏切りに傷心したネアンに同情した海幸は、代わりになればと、飲み屋で知った女性を紹介した。
だが、その女性が、旧神話の「天の岩戸別け」のステイタスを持つことが判明するのもあっという間であった。
「戸のある国に日の出を見る」という意味を名前にちりばめており、ばついちの独身。
年末と年初に、それぞれ本当の誕生日と親が年末では不憫に思い作った戸籍上の誕生日を持ち、それぞれ夜明け前と夜明け後を象徴するかのようであった。
イナンナとは同い年でありながら、離婚して三人の子供を男のほうに取られるという、ちょうど正反対の立場であった。イナンナと同じ業種に勤めていたが、ネアンと会う少し前に辞めていた。社名もよく似ており、好対照であったため、なおも奇遇に思われた。
ネアンはタヂカラオの意味があったから、協力すれば神界高天原の刷新浄化が果たせるという観測があった。そしてもし結婚でもしようものなら、高天原に日の出を見ることになるはずであった。これなら、旧神話での最高実現となるであろう。
火の鳥のときが「9」という数で、国常立神に関わる神業の数であったが、5はユダヤ的神業の数である。
事実、2003年9月2日の出会いの5日目に、UFOが満天に出現するという瑞兆が現れた。キタロウを頼って参加したヒラサカという男性が、無数のUFO群を目撃しつつ3分間にわたって撮影してしまったのだ。
この事件はまさに、岩戸別けによってもれ出た太陽の明かりとでも言うべきものであった。世相の暗黒はこのような異質の明かりによってまずは照らされなくてはならない。
ネアンにとって、このUFO事件は、もうひとつの旧神話「イザナギの黄泉国脱出」の行程に欠くべからざる瑞兆として捉えられていた。というのも、古事記にはイザナギの脱出を助けるときの彼らの現れ方に、「桃の実満つ」と表現されているからである。これは桃の実のような丸いUFOのことと解釈が与えられていた。そのときには満天を使って現れるはずだと。
これによって、ネアンはイナンナとの関係を旧神話で置き直して、イザナギ対黄泉神と契ったイザナミという対決構図に結びつけた。こうして、またもネアンの神話創造力によって、旧神話が勢いを取り戻して、世界に実演の輪が及んでいくと推測された。
ところがである。この女性は人生上で裏切りや不幸をたくさん舐めてきていて、確かに失意したアマテラスそのものであった。早く死にたいと折あらばもらし、ネアンが君の名に特別な力がある、大事な人だと言っても、ネアンの志を理解できずにいる普通の人であった。いや、普通の人でいいのだ。本人は何知らずとも、ネアンとの相互作用によって、自然に雛形としての働きをしてしまうわけだから。解釈はネアン一人でいいのだ。
いろいろお互いのことについて語り合っただろう。しかし、彼女はどこかプライドが高く、すでに多くの友達がいたこともあり、ネアンのことはいつも眼中になかった。アマテラスがタヂカラオふぜいに心は許さないといった感があった。ネアンも臣従になってばかりおれない性格だったため、破局はすぐに来た。こうした無礼さに耐えられなかったに加え、旧神話での実現では面白くなかったから、決してその日を謀ったわけではなかったのに、2003年12月の彼女の誕生祝いの日を最後に別れてしまったのである。
この別れの意味は、天の岩戸別けは成就しない、夜明け前の暗黒の状態が持ち越すという意味となる。
一方、ヒラサカは当初からネアンとは過去世の数奇な宿縁でようやく出会え、阿弥陀の浄土を目指す七福神の宝船の水先案内をしてもらう、この世では少なくとも1万人の人を救出して帰ることを神に誓ってきたなどと奇妙なことを言っていたのであるが、この満天のUFO目撃撮影後には、ヒラサカ自身仏の世界の北東に位置する弥勒菩薩であると言い、この世で果たすべき役割名をイザナギの命というと言い出したのである。
ネアン自身、友や仲間になる人物がさし量ったように不思議人物ばかりであったから、またもかという印象があって動じることはなかったが、ここでも旧神話が圧倒的な力を得ていることを痛感せざるを得なかった。
イザナギについては、ネアン自らが雛形としての好位置にあることは歴然としていた。
イザナミの黄泉神と不倫する腐敗堕落ぶりと裏切りを前にし、この穢土を離れようという立場だ。ヒラサカはただそういう役割でやってきたというだけで、雛形を演じてはいない。むしろ、比良坂の桃の実使いであるならふさわしい。
とにかく、自分自身が神話の中核にいて、力を付与するかそれとも主体になりきっている状態にあることを認識した。
しかし、ネアンはこんな複雑怪奇な旧神話など推進したくはない。旧神話では、邪神支配の核心問題が薄められてしまうばかりか、天仙のシナリオに乗ってしまうことになるからだ。しかもヒラサカの脇役を務めているようでは、現支配体制に異議を唱えることもできはしまい。
何としてでも、新神話を成就させたい。そうでなければ、命などあっても仕方がない。

ヒラサカ、八角堂三階の青年についてまくしたてる

まだ励起された力を持っていると感じたネアンは、新神話の再開に着手した。
2004年1月16日、ネアンは再び朱雀になる夢を見た。羽ばたく練習を繰り返したためか、目覚めたとき背中の筋肉がこわばっているのを感じた。いよいよ、そのときが近くなったことを実感するネアンであった。
ネアンには早急に新神話を書き上げる必要がでてきた。心臓の不調はもはや決定的となっていたからだ。最も近しい親族がいつもそうであったように、四月四日に死ぬかも知れなかった。それまでに書き上げ、公開の俎上に載せるとき、それは誰かの目に触れ、神話となって結実する。一人でもいい。二人でも三人でも、見てくれ。キチガイと思われようが構わない。それによって、朱雀火の鳥は宇宙を羽ばたく。天仙はそれが怖ければ、どんなことをしてもネアンを生かし続けねばならない。殺せるか、天
仙。その境地に早く自らを置かなければと考えるネアンであった。新神話の完成は、ネアンの命綱でもあったのだ。
2004年2月1日。ネアンは弥勒とイザナギの任を負ったヒラサカに、自らの謎を解く手がかりとしての、イナンナと逢った八角堂での出来事を打ち明けた。ヒラサカは密教を極めており、透視能力にも優れたものがあったため、ネアンは参考意見を聞こうとしたのである。
八角堂の特徴と3階から降りてきた青年のことを聞いたヒラサカは、空間をしばし見つめると驚きの言葉を発した。
「三階から降りてきた青年というのは、毘沙門天であり、サナート・クマラ、大魔王、大天狗やで。金色に輝く金星の精や。別の名を孔雀明王、あるいはルシファーといい、神と戦うものすごいやつや。鞍馬山に封印されているが、この八角堂が象徴的にそれを表している」
ヒラサカは、妹をガンで早逝させた矛盾した神と術で戦おうとした(と豪語する)ほどの人物であったから、こうした話にこだわりはない。
八角堂の三階、この青年の居場所は未だに窓が締め切られたままの真っ暗闇にある。
ネアンは、それが自分もしくは自分のハイアーセルフなのかと聞きたかったが、その内容にただならぬものを感じ、またヒラサカとの関係のこじれるのを懸念して聞かなかった。ヒラサカは自分が大魔王の雛形を演じたことと無関係のような態度をとっていたからである。いや、聞いたとしても、ちょうど趙先生と同じように、仙人風の傍観スタイルでさらさらと解釈したかも知れない。
確かにネアンは、現状の神と戦おうとしている。だが、それは正神の側に立ったものとして邪神と戦うわけである。大魔王などではない。そう言われるなら、でっち上げというものだ。魔王ほど神も怖がるもの。
「それはもしかして、ウシトラノコンシンのこと?」
ヒラサカはまたも興奮したようにして言う。
「そう。青年はそれなんや。そこでイナンナという人は、この青年に宝物を渡してるはずや。その宝は、鬼のところから盗んできたものやがな」
「そんなふうに見えているの?」
彼は嘆息しながら、「ああ」と言った。
それでイナンナは鬼に追われる夢を見ていたのか。
ネアンは、よもや鬼の里から盗んだ宝とは思いもしなかった。いや、それは白蛇となったときに西王母の蕃桃園から盗み出した桃ではなかったのか。いや、竜宮の乙姫の宝の玉ではなかったのか。いずれの場所にも鬼のように怖い門番がいる。竜宮ならば、鬼のような怖い父竜神がいて、可愛い娘といえども容易に宝の玉を持って行かせたりはすまい。
ウシトラノコンシンならこうなる。かつて大本教の出口ナオがお筆先にしたという預言の言葉。
「地球は竜がこしらえたもので、国常立尊こと丑寅の金神が納めていたのだがこの神はあまりに厳格なのですっかり他の神に嫌われてしまい、ついにその地位を追われ丑寅の方角に封印されてしまった。
ところがその後すっかり世の中悪う成るばかりでとうとう丑寅の金神が出てきて竜宮の乙姫から珠をゆずられて世の中の建て直しをする」
ウシトラノコンシンとは、国常立神のこと。邪神のクーデターにあって殺され、北東、丑寅の方角に封印されたがゆえにこの名がつく。原初のころ、地球を支配した厳正で公平な神であった。この神の復帰によって、世界には秩序と幸福が訪れると嘱望される将来神である。
八角堂から鞍馬を望めば、ちょうど丑寅の方角となる。
また、八角堂の青年の名は、イナンナの話によればキンイロタイシと言った。
キンイロタイシは、御伽草子の中の「毘沙門の本地」に出てくる維縵国の王子であり、梵天王のはからいでなった後の毘沙門天のことである。一説には、サナート・クマラとは毘沙門天のことともされているため、ヒラサカの透視はみごとここでリンクした。
金色太子は、三年の後に戻るという約束を果たせず悲嘆にくれて他界した天大玉姫の消息を知り、肉身を持ったまま大梵王宮まで行き、再会を果たす。
そのとき、「長い間待たせたね」と声をかけるのだ。肉身では冥界での婚儀は無理。そこで梵天王がはからって、二人を福徳山に毘沙門天王と吉祥天女として転生させ、添い遂げさせたという。
こうして、なぜこの新神話において、最初に梵天が登場し、ネアンが指示されるように国常立神・ウシトラノコンシンの復活を目指し、それに毘沙門天が加勢したかがことごとく繋がったのである。
すべて大昔に封じられた原初神であり、有情の苦悩を見過ごしにできず、復活をかけて立ち上がろうとしていたのだ。
☆☆
イナンナの話。
「岡田神話では、以前書いたようにおそらくムー大陸で、日本の超古代天皇を中心に、穏やかで平和な治世が営まれていました。
ところが岡田さん的に言えば邪神、具体的にはフリーメイソン等に通ずる外部侵入者に、スサノオ(檀君)がだまされて、クニトコタチノミコトの息子=天照天皇、の未亡人である天照大神と対決することになってしまいます。
その結果、舞台は日本へ、
日本側は破れて天照大神は一旦皆上山に陣を構えたが更に退き戸隠へ、クニトコタチと奥様のトヨクモヌはニッポンの南北に封印。
分身の観世音菩薩がインドに亡命、私たちの本体様である、大梵天、大弁天、大毘沙門天様達もご同行されたようです。
分霊は十和田湖や、明石を始めとする各地に竜神や、精霊として封印されたようです。
その竜神達、或はご本尊の観世音菩薩が、夜明けの時が来て元の神格に戻ると言うのが、岡田神話のメインテーマです。
観世音菩薩は、観弥勒同体説から、将来の弥勒です」
☆☆
イナンナとネアンが、もしも夜明けがきたときに起きているであろう事柄のひとつになるだろうと、共に語らいあったことがある。
ひとつは、八角堂の三階が全面開放されるであろうこと。
またひとつは、元伊勢の外宮が改修され、内宮ともども多くの参拝客を集めているだろうこと。

元伊勢旅行

まだ共通する魂を宿し志していたある日のことだった。
イナンナとネアンは、現在の伊勢神宮に遷座される以前の元つ宮である、丹後の元伊勢に参拝旅行していた。
そこには現伊勢と同様、内宮と外宮があり、内宮は大江山山麓に北を阻まれるも、日本海よりに構えられ、日室が岳という神体山を遥拝する形で設営されていた。
たたずまいこそ質素で、古代からの原生林を配した神体山と、内宮境内における千古の杉の巨木の自然の風情をそのままに止めてなお、清められた霊域の荘厳さをたたえていた。
内宮の皇大神社は格式の高さを重んじられて、ときおり皇室の詣でるところにもなっており、最近では平成12年に天皇皇后両陛下が行幸されている。
ところが、外宮の豊受神社たるや、境内地に足を踏み込んだとたんに、場所を間違えたかと思えるほどに社殿が朽ちており、周囲に配される八百万の神々の小社たるや、板葺きが風雪に晒されて無残にも反り返りめくれ上がっていた。
社殿の屋根は、湿気のせいでところどころ瘤を作り、誰か上に登りでもしたら、抜け落ちてしまうかとさえ思えた。
十年来、いや数十年来、誰一人としてこの外宮に新たな手をかけた跡などない感があった。
いったい、どうしてこうなのか?
二人は播磨地方から入ってきたわけだから、まず外宮に参拝することとなった。
そして、このような荒れすさんだ光景を目にしてしまったのである。
本殿に向かうも、本当に神が祭られているのかとさえ思えるほどに、祭りのための調度がない。
イナンナは、霊感が鋭いため、「ここは神様がお留守なのと違う?」と言った。
「いいや、それでも」と、二人は戸惑いながらも、拍手を打ち、二人の前途を祈り拝んだ。
その後、内宮に参拝してみて、両者の受けている扱いの大きな隔たりを感じたのであった。
内宮のすぐ下には昔でいう茶店がある。
ネアンとしてはすでに何度かUFO撮影仲間との用事でここを訪れた際に食事をしに入り、よくUFO談義に花を咲かせて見知ったAばあさんたちが切り盛りしている食堂兼土産物屋なのである。
たまたまその日は、UFO目撃をした件のAばあさんと、もう一人別のおばあさんがいた。
二人は昼食に蕎麦の大盛を食べた後、UFOの事をまず聞いた。
すると、Aばあさんいわく。
最近では、宝船の格好をした大きなUFOが日室が岳山上に出て、何人かで目撃したという話である。
それも、グループの中に、前もって神示を受ける人がいて、その指示でついていくとそんな風だという。
つまり、目撃する人は、向こうと通じている人(神々と霊交のある人)に限られているというのだ。
そんな話をするうち、イナンナが外宮の荒れ果てた姿の理由を聞いた。
「あそこには、ほんまに神様がおられるようには思えなかったんです」と。
すると、おばあさんたちは、「まだお若いのにお分かりなさるんかいな」ときた。
そして、「あそこは、外国から来た神にとって代わられてしまっている」と言うのである。
話の経緯は、元伊勢の内外宮とも、明治の神仏分離政策の際に、今の伊勢だけが重要視され、官幣社の中に組み込まれなかったという。
しかも、外宮の境内地は私有地であり、その所有者が地域とうまくとけこめない家系であったことで、地域の援助すら得られないまま朽ちていくことを余儀なくされているというのである。
そこには、その地域での差別意識のようなものもあった。
おばあさんたちですら、やむを得ぬものとの認識であった。
「あんな人ではなあ」と。
そして言うには、あそこは、別の良くない神にとって代わられているのだと。
そんなとき、イナンナが腕をさすり始めた。
話をあまりしないおばあさんのほうが、「あんた、それも分かるんやね」とイナンナに言った。
「はい、ものすごい威圧感があって。ここにはたくさん来てますね」
「その通り、話を聞きたくて神霊や霊魂が、今たくさん集まっているのだ」と、おばあさんが言った。
おばあさんたちは、何人かでローテーションしながらこの店の守をしているのだが、話が分かるなら話してしまいましょうと、「みんな過去世に元伊勢の巫女であった者で、今生でもここを守るためにひとりでに集まっている」と話してくれた。近隣に発した「岩長姫」信仰を基本にして、皇室の発展を願う人々であったが、それぞれに役割と持ち味があるとのこと。
何とも途方もない話ではある。
ネアンが見知っていたほうのAばあさんは、理論の述べ伝え役で、そのためかネアンを見つめて途切れることなく話し、左隣にいたおばあさんは夢見する霊能者で、ウマが合うのかイナンナのほうをじっと見つめて、ちょうど話しながら見つめるラインと、無言で見つめるラインが対角線で交差している不思議な感覚があった。
二人はこの旅の多大な成果を胸にしまった。
しかし、イナンナは霊掛かりに陥りやすい性格だったから、今回の旅の労をねぎらうとともに、神霊たちにお引き取り願うべく、お定まりのようにホテルに入ってしばし心身をくつろがせることとした。
その日はまた一段と、二人は燃えた。
こうすることでネアンは気の弱ったイナンナをエネルギー的に賦活でき、神霊たちもその卑猥な行為を見て、とんでもない霊流渦に巻き込まれるのはごめんと、笑いながら去って行くのである。
ネアンは思った。
外宮は豊受神社といい、主神として豊受神を祭る。
古事記、日本書紀では、天孫降臨の際にニニギノミコトと共に天下った穀物の神で、渡会(わたらい)すなわち渉外担当の神という位置付けだ。
ところが、秀真伝になると、豊受大神は国常立神のことで、イザナギノミコトの父、その嫡男天照大神の祖父にあたり、天照大神の養育を長年手がけた師匠であるというのである。
これにより、天照大神が最高に栄誉ある神で、内宮に祭られるも、豊受大神は天照大神の執政の下地を作ったばかりか、天地創造から国の礎作りに携わった原初の神の再来であるという位置付けから、どう謙虚に見ても外宮は当然のポジションなのである。
こうして、偉大な神は遠目から天照大神の執政を見守りつつ天下を見守るという姿勢によって、内外宮に並び祭られることになったとみられるわけである。
その昔、国常立神は、邪神のクーデターに遭い、あえない最期を遂げた。
だが、邪神の支配する世相が退廃の極みを見せるころ、この神の復活により、世界は建て替えられ、艱難に喘ぐ人々が暗黒から救済されるという思想を打ち立てたのが大本神話である。
世界建て直し予言について言えば、遡っては、仏滅のころに予言された弥勒降臨説話がある。
古代中東では、ユダヤ/キリスト教、ゾロアスター教なども将来救済を説いていた。
どの宗教思想においても、この現世が不完全な借り物の状態にあり、人の不幸の原因はそこからきているという思想を持つ。
そこには、遠いはるかな昔の理想状態の世界が望まれ、それが破壊されてより条件の劣悪化した世界へと変えられたという思想が根底にある。
何ゆえそうなったかについては、それぞれの教義によって違い、キリスト教では、人心の荒廃が神の怒りを招いたことに帰し、人に対して辛く当たる神には敬虔さを表し、禁忌の姿勢を貫いた。心の底でどう思っていたにせよ、形の上では畏敬すべき神を崇拝したのである。
だが、国常立神を信奉する者たちは邪神によるクーデターであったと言明し、この計り知れぬ変質神への対立姿勢を鮮明にした。
そこで強力な神の復活は、変質的神々を駆逐することから始まり、彼らの下で甘い汁を吸い邪悪に手を染めた者たちへの制裁となって順次現れることとなるとする。
その観点において、おそらく表向きいかに天皇尊崇を称えていても、大本には偽神視する思想が見て取れ、それが戦前の大本弾圧に繋がったに違いなかった。
ところが、元伊勢の地にある人々も、建て直し神話を持つことが分かった。
ただし、記紀の神々を背景に、天つ神の皇統である皇室を第一義としていた。
そのために皇統を支える巫女の再来として集まったというのが、おばあさんたちだったのだ。
世の混乱の原因を、神話から紐解くに、皇祖ニニギノミコトが、オオヤマツミノカミのお子と結婚する際に、父神の申し出を聞かず、木の花の咲くや姫とのみ結婚し、姉の岩長姫を醜いということで返してしまったことに求めていた。
すなわち、木の花の咲くや姫は、表の側の華美さをあらわす神であり、岩長姫は醜い、すなわち見難い裏の側をあらわす神であり、この前者だけを取る行為によって、心や霊や意識といった、真に人間にとって必要な働きを無視する結果になったと説いているのである。
しかし、ここでは甘い判断をしたニニギノミコトを悪くは言わない。
これが世相混迷の原因ではあるとしても、それを促進する科学を邪悪なものとして警鐘を鳴らすに止めている。
そして、世の建て直しは、爪弾きされて辛い思いにあるはずの岩長姫に救済者としての役割を求めているのである。
神は神として称える中に、人間世が抱える矛盾を包含しようとする、人間の弱さから来る苦肉の策であろうか、地球上のあらゆる思想は、解釈の難しい概念をもっているように思える。
現宇宙を管理する神々がいて、彼らに対し帰順から、反発までの間に幾多の宗教が存在して、それぞれが大同小異の建て直し思想を持っていて、その役割を体制から外れた神に持たせる動きがある。
そこに付加される要素は、現行の神々への遠慮と見て取れた。
大本はその点、真っ向から反旗を翻したのだ。
ネアンはふと思い出した。
荒廃した外宮を参拝後、うらぶれた社務所に立ち寄ってお守りを買った際、社務所にいたのは、たった一人の宮司であった。訪れる人も少ないのであろう、お守りを選ぶ二人に気さくに声をかけてきたのは宮司のほうであった。
「あんたら、どちらから見えたんかね」
「J市とS市です」
すると、「私は昔、S市からよくJ市のほうや、もっと西にもよくトラックで走ったもんです」と話してくれた。
内宮の茶店で、おばあさんが宮司とは名ばかりの仕事をしている(外宮がよけい寂れるのも無理はない)と揶揄していたことと照合する。
しかし、内宮に参拝後、内宮社務所で同じようにお守りを買った際に、やはり話しをしたのは、こちらは三人はいたがそのうちでも外宮の宮司とまるで兄弟かと見まがう人物であったことだ。
そして、知らぬとはすごいもので、こんなことまで言ってしまった。
「外宮の社務所にいた人と、よく似てますね。ご兄弟ですか?」
その人は笑いながら、「さあ、知らんなあ」と応えた。
だが、この人も、地元でしかも内宮関係者なら、外宮の宮司のことは了知していたはず。
イナンナが、「外宮はどうしてあんな風ですか?」と聞いたのにも、ただ笑っているばかりであった。
話せない事情に違いなかった。
そうして、茶店でようやく事の大まかを聞けたこの旅。
謎解きの旅。それが解きほぐされてくるにつれ、ネアンはぞっとするほどの感動がこみ上げてくるのを禁じえなかった。
<わかったぞ。繋がった>
元伊勢は、豊受大神すなわち国常立神の不在をそのまま体現しているのである。
現伊勢が、あたかも在籍のように取り繕っていても、裏の神業があるとすれば、そこでは打ち捨てられるほどの扱いを受けていることの意味となる。
<ここにも、大きな証しがあった>
本来、表も裏も、共に並べ奉られてこそ真の安定である。
そこに行幸しても、皇室は外宮には興味を示されないのであろうか。いいや、そんなはずはない。
あの巫女団の再来のおばあさんたちが、内宮にのみ執心して、外宮を卑下するのは本心であろうか。そんなはずはない。
翻って、岩長姫が、ただ皇祖皇統のためにのみ世直しをはかろうとするのであろうか。
そんなことはない。
彼らの形而下的思いの段階でおし止められた秘密があり、このような対立構造を余儀なくされているのではあるまいか。
内宮社務所の人と外宮の宮司の顔は、本当によく似ていた。
本来二者は笑顔を交わし並び立つべきが、無関心の態度を取らねばならない現実があるとすれば。
外宮の宮司が、いみじくも二人の住む町を結んで走ったことを告げたのも、トラックで東奔西走していたことを告げたのも、形而上からのひとつの願いのゆえではなかったか。
<みんなのしていることは、きっとある一つのことに集中している。登る道こそ違え>
国常立神が復活の暁には、おそらくひとりでに、元伊勢外宮は建て直されているであろう。
当時のイナンナとネアンは、そんな風に解釈していた。
天界は地界にその有様を投影しているからである。
そして、ネアンひとりとなった今、国常立神が復活の暁には、八角堂の二階がすでに開放されて、閉じ込められていたものが去っているに続いて、三階が開放されていることだろうと思うのであった。そのときようやく二番煎じばかりの割を食わされる運命にあったネアンが解放される番となるのだ。
☆☆
なぜイナンナとの夢見での密会の場所が孔雀小屋だったのか。(どうしてネアンが孔雀というキャラクターを思いつくままに新神話に採り込んだのか)
孔雀はルシファーを表していたのだ。火の鳥に姿が最も似ていたからでもある。
密会の初日に、孔雀小屋の主が現れた。それはかつて何度か夢の中で見た趙先生であった。
「よく来られた。この小屋は私が隠れ家としてこしらえていたものです。この場所は、宇宙にぽっかりあいた未完成の領域に仮にしつらえた場所ゆえ、誰の目にもふれません。さあ、入りなさい」
「国常立尊は、神の中の頭梁で、引退と同時に家来の神々も引退された。
その後は邪神が支配することになり、世界は暗黒化の一途を辿り、
文明は興亡を自らのうちに孕む邪悪によって繰り返し、教訓は持ち越されはするも乏しく、人の品性に巣食った暗部のため、人は容易に邪悪に染まり、世を離脱する者だけが潔白であるという矛盾を呈するようになりました。
その害を防ぐ為、いよいよ国常立命や正神界の神々が出馬されねばならなくなりました。
かつて正神であった神の中には、邪神の方についた神もあります。
仏に化けられたのは昔偉い神々だったかたですが、後には仏の中にも邪神に付いたり、負けてしまったものも沢山有ります。
正神が仏になった時、一部の神は仏にならずに龍神になり、日本の近海で時を待つ事になった神々もいました。それが八大竜王。
イナンナさんのハイアーセルフは、シャカラ龍王の娘の乙姫と見ております。ハイアーセルフと言っても、役割を付与する縦の流れの関係にあるということで、いわば役割遂行上の強い加護がなされているという意味です。
乙姫様は、多くの龍の眷属たちをすべる龍王の娘として、かつて龍族が暴乱を起こしたときに、彼らを率いて前世からの縁ある文殊菩薩に帰依させ、みずから龍族の合体する中核の成合観音となられた。
その前世の縁は、御伽草子に書かれています。
「梵天国」という話がそれで、右大臣が、清水の観音に願って、玉若という若君を授かるのですが、笛の名手で、その徳により梵天王の娘をめとり、彼女の助けで、天皇の難題を果たします。
しかし梵天国の王宮で、羅刹国の王を助けた為に、最愛の妻を鬼に奪われてしまう。
しかし玉若は羅刹国を訪れ、策謀で妻を助け出し、故郷へ逃げ帰ります。
その故郷というのは、丹後の宮津。
天の橋立にある久世戸の文殊が玉若で、成相の観音がその妻なのです。また、文殊の本体こそが梵天であり、世を楽しませるために、玉若として垂迹したのです。
となれば、玉若の妻とは、梵天の妻であり娘であるところの、弁天というわけです。
よって、神話を完成させるに相応しいカップルであるのです。
しかし、奢ってはなりません。
あなたがたは大霊の密命を帯びた雫であり、ちょうど天皇の命を帯びて天下を平らげるべく東奔西走する日本尊のごときです。
大霊の加護はあっても、切り開くのはあなたがたなのです。
この場所を良いようにお使いなさい。
それから、もうひとつ申しておきましょう。
我々は大きなプロジェクトとして動いています。
時間と空間を超えたプロジェクトです。
この試みはかつても何度も試みられ、何度も水泡に帰しています。
いずれの場合も、邪神の察知するところとなり、未然に妨害がかけられたのです。
しかし、このたびは周到に事が運んでいます。
時代の要請も、地球にはかかってきています。
同じ山の頂上を目指すに、いくつルートはあっても構わない。
正しい道をゆくも、曲がった道をゆくも、北の道、南の道、東の道、西の道、獣道、あらゆる道なき道をもってでも山頂を目指しています。
だから、ゆめゆめ焦ることなく、また事ならずとも後悔なさらぬよう」
そう言うと、この人物は忽然と姿を消してしまった。
☆☆
人間は、遠い昔から、宇宙の始まりに思いを馳せた。
そして、起源神話が生まれた。
そのとき初めて登場したのがブラフマーであったと歴史は語る。
だが、真相は異なる。
ブラフマーは初めからいた。
彼が宇宙を作る行為のことごとくを見て知っていた彼の火花であるアートマによって伝えられたのがブラフマーの消息であった。
神々はその後、作られていった。
人間の感情の赴きの奏でる多種多様な想像の中で。
ブラフマー。梵天。彼の真義を知る者は少ない。
正確に伝えられる者はおそらくいまい。
神々に列せられる者つまりアートマに準ずる者以外に、おそらく知る者はいまい。
人間においては、はじめ知っていた者が命終して去り、真義を伝えられる者がいなくなった。
その上に、後の人間による神話の堆積がなされた。
知られぬをいいことに、情け深いものから情けないものまで、梵天の上に神話が作られた。
かつてあった地圃はあるにはあろうが、霊妙微かとなり、本体はどこに隠居したとも知れぬ身の上となった。
ただ、祭られる。最勝の神々の副次的な主神として。
特別な新たな神話とてなく、ただ万物の本源におわし、梵我一如の理のいうアートマに意識を供給する本源として、どこかにおわすのである。
たとえ今、ネアンのハイアーセルフが彼だとて、ネアンが役割を下りれば、その関係も微妙となる。
それが雛形なのである。
短い人生。そこでどうやって生きるか。雛形として、あたかもインディージョーンズのように心の世界に冒険するのも面白いのではなかろうか。あの老インディージョーンズが、回想を少年に語るときの皺だらけの彼には、彼に聖なる役割を与えた神の面影はない。
だが、回想する彼の思いと話す言葉の中に、神は活在しているのだ。いつまでも記憶の中に神は居る。

忿怒相のネアン

ネアンには個人的にこの宇宙を潰すだけの大義がある。それは主君に仕えるものとしての大義である。
閉じ込められたハイアーセルフの梵天を救出するには、天仙を破り諸神を解放するか、宇宙を潰して、遊離された梵天の意識だけの世界にしてしまうしかないのだ。
他にも方法はあるかもしれないが、とにかく自分の支配神、守護神がいない状況下で、この世を渡っていくことなど不可能である。ひとりだけでも、全身全霊をかけてやるしかない。
自分が死ねば、火の鳥がコントロールできる。これが彼の持つリーサルウェポンなのだ。
天仙が自分の死期の頃合を見計らっているのなら、自殺もやむを得ないとさえ思った。
霊を無理やりそこに留め置こうとするあまり、自殺する者にはよほどの大義がないと、霊的にものすごく不利になるプログラムがしつらえられている。すなわち、迷霊として自殺時の環境を長期間持ち越さねばならないというものである。
だが、いったい誰が愚かなプログラムの中にあって、忍耐していなくてはならぬ道理があろう。魂の自由をすべて束縛して、それが腐ってこようがくまいが責任を持たないという天仙どもの邪まな心こそ驚嘆ものである。
だが、毘沙門天は言った。正しからざる正義も時として用いられることがある。
そう規定した彼らが、その規定によって去る日も近いというのも、そもそものこの宇宙の設計思想だからだ。
大丈夫だ。自らひとりでに死ぬべきときまで我慢しなさい。火の鳥はそんなに甘くはない。心を落ち着けて、時に任せておけばよい。来るべきときのために、火の鳥をたえず瞑想していなさい、と。
趙先生が用事で去った後も、ネアンと洋一は救世について話し込んでいた。
洋一:「神に悪意がなければ、救世などという行為も救世主などという存在もまったく必要ないものなんだ。神に悪意があるから、もしくは人類に対して好意的でないから、疎んぜられた人々を救う必要が出て来る。
そもそも、神に楯突いたから怒る神など考えられるか?
圧倒的に優位に立っているのだから、哀れみをもって教え導くことこそすれ、懲らしめのために不遇な状態に置くことが当たり前というなら、どこかの精神性の劣悪な独裁者のやっていることに等しいではないか。北朝鮮の金なんとやらみたいなものだ。
逆らったことを理由に強制収容所に送って、死ぬ以上の過酷な処罰をするというあれだ。
そうやって不満分子を強制的に減らしたとて、またぞろ不満が昂じてくるだろう。それが魂を持つ人間というものなんだよ。魂はそのレベルでは、神と等しいものだ。待遇処遇が間違っていると感じるから、反発もするんだ。おい神よ、今が能力的に優れているからと、劣っている者たちにしたい放題していれば、やがて逆の立場になって、反省させられねばならないのではないのか。
金なんとやらが、来世において、高貴な生まれになってほしいと思う者はひとりもいない。同様に、今の神にこれ以上権勢を奮ってほしくないという者のほうが圧倒的に多いはずだ。それとも、わずかな俸禄を得たために、あるいは直接対面できたがために、感謝感激して心酔してしまったとでも言うのか?それでは、金の側近や贔屓筋と同じだ。
どれだけ悲惨な目に遭わされても、やはり雲上人には心酔してしまうものなのか?
それでは、単なる馬鹿者だ。そんな馬鹿者になりやすいのが人間なのか?
そうだな。馬鹿者だと思うよ。後生大事に、自分の首をあんじょう絞めてくれる政党に一生懸命心酔して票を入れている奴もいるもんな。あいつらは、どこでどうめぐって、自分の首が絞められているのかも分からず、というより、分かっていても、ちょうどレミングのように破局にむけてがむしゃらに入れまくっているといった表現のほうが正しいのだろう。目を覚ませと言っている反対政党の言うことを聞く耳持つ人間がいるくらいなら、救世主ももっと仕事しやすかったろうに」
「だから、救世を誓願にする菩薩たちは、正攻法を見限ったのだよ。正論を説いても、誰も聞く耳がない。逆に悪神の派遣した宗教者などにまんまと引っかかって痛い目に遭った人々に、同じ穴の狢と思われても辛いからな。
だから、ぼくのように、単独でやれる方法を、人知れずやる者も出てくるんだ」
救世の定義は昔から次第に変化してきている。
飛鳥時代、聖徳太子は救世の請願を持った金人・救世菩薩の化身として生まれ、天位の極近にあって日本を統治した。そのとき、救世の方法として用いたのは仏教であった。
仏の壮大な宇宙観は今でも通用するし、永年仏の境地に達することを目指す人は多い。
彼が訳した法華経には、仏の救いがいかになされているかが説かれている。
だが、その理想と現実のギャップは隔世の感がある。地上は人界とはいいながら、いつも地獄に等しい有様であった。誤った価値観が世の支配原理となっており、被支配層の悲惨さ極まれりの感さえある。このギャップに、いかに聖徳太子といえども、人民を救うに程遠いものを感じたことであろう。最期に「世間虚仮唯仏是真」と嘆息したのも、無理からぬことであり、彼の心境にはあまりにも痛々しいものがある。
彼の厚志を継いだ後世の人々が、かなりまともな政治をするようになり、人々は幸福を享受できるようにもなった。だが、いくらも潜みまた露骨化する邪悪な罠は、減るどころか増加の一途を辿る。
正しかろうとする人々の増加を待たず、むしろ妨げようとするように、邪霊の化身と思しき者たちが増加している。それは善人がどんどん逝去し、逆にバイオレンスな属性を持つ者たちが世に跋扈するという現実に如実に現れている。
聖徳太子は、よもや世界の裏側で、邪悪霊の化身の水増し操作が行われていようとは、思ってもみなかった。当時でさえ、最高為政者にあってなお不可能なほどに、邪悪は周囲に満ちていたのである。多大なストレス下にあって、太子も勢いを殺がれたことであろう。太子に化身していた救世菩薩は、抜きん出た有能さだけでは、また「和」の精神のみでは解決できぬ問題があることを知った。所詮は、戦いと悲惨さを好む天
仙邪神の手中で転がされているに過ぎなかったと、いずれ知るのである。
救世の定義は、このときから様変わりを見せる。すなわち、強い神による懲罰を含む強伏か、それとも信仰心篤い者のみの救済へと変化していくのである。後者では、大乗の要素は立て前のもの、その志を持ちながらする個人救済がなされるようになった。
それは諦めに満ちた救済法であった。
だが、強伏の道を採る者が登場するまでには、千年以上の時が必要であった。
救世菩薩の弟に、救世行法菩薩という者がいた。はじめ、兄同様、道を説くことによる救済を図ろうとしたが、兄の度重なる困苦を見て、強伏の方法を模索していたのだった。
さて、その前に彼らはいかにしてそのような発願を抱いたのであろう。
それは1万2000年前に、エジプトの王であった時に遡る。代々、賢王の中に生まれた彼ら兄弟は、エジプト最高の徳政を敷き、人民の感謝の中で暮らしたのであった。
人の寿命も数百歳が普通であった。ところが、惑星間の異変があり、ムーが天変地変で滅亡してから、歴史に陰が射したのである。自然界は激変し、収穫物の欠乏から世相は暗転し、人心は荒廃の一途を辿り、戦争がエジプトの周囲でも時を分かたず起きるようになった。
邪悪を投入しようとする天仙邪神の計画で為された初段階の大きな悲劇であった。
何も裏の事情を知らない兄弟王は、誰しも普通人の持つ感覚でその悲劇を捉えた。
破壊されたムーに出向き、神殿の柱の下敷きになって絶命したムー王を助け、エジプトにあった蘇生器にかけて生き返らせ、自らの娘と結婚させた。だが、当時最高の科学力と高度技能者を備えたムーの王の誇りが、エジプト王の下で働くことを容赦せず、世界を手に入れようとして、彼らを殺してしまったのである。それもそのはず、ムー王は天仙の指示を受けて、地上を暗黒化するために下生した宇宙連合の司令官だったからである。
その後、輪廻する先を天仙邪神の計略であてがわれ、貧しい環境に生じさせられたりして、多くの苦悩のあることを知った救世兄弟が、かつて在りし日の徳政を人民に与えてやりたいとの慈悲心から、救世の請願を為したのである。
だが、時代が変わってしまっていた。それまでの正神支配の構図にはなかったのだ。
救世の想いだけが残り、彼らは模索の道を歩んだのである。だが、神々の支配層が変わらねば不可能であることを知ったのは、かなり後になってからであった。
弟の救世行法菩薩は、すでにこの頃、兄の所在も分からず、輪廻の果てに悪事も重ね、自分が何者であったか記憶さえ失い、当時の志もどこかに捨てていた。だが、名もなき一介の小さな人間を、この世界の暗転を憂う梵天が頼りに思い、ひとつの救世方法を授けようとしたのである。
「救世菩薩とは聖徳太子として下生した兄のことだ。ぼくは救世行法菩薩といって、弟だ。兄はすごいトライをしたが、終わってみて失敗したと気付き、ずいぶん落ち込んでしまった。残した親族郎党みんな殺害された上、魂の封印まで公然と行われたんだからな。
その後あえて救世を掲げるものとて出なかった。当然だ。救世を唱える者の末路は神に祝福されざる様相を呈していたし、神の監視がいっそう強まって、表舞台に出る前に抹殺されてしまったからだ。
よほど強い錦の御旗と、救世と悟られぬ婉曲的間接行動が必要とされた。
ぼくはその御旗を掲げ、公儀隠密的行動により、ついに突破口を開いた。時計仕掛けだった。それまでは、なんにもないうだつの上がらぬ人生。そこに、あるキーワードが差し込まれたとたん起動する時計仕掛けの公儀隠密だったのさ。これが、邪神どもの目を欺くための方法だった。
見てくれ。もうすでにこれだけの確信を手に入れている。これは力だ。魔法の力だ。
世界どころか、この宇宙すらもどうにでもできるほどの力だ。宇宙を闇雲に潰してしまうつもりはないが、潰したとしてもそれが正当なだけの理由すら持っている。
怖かったら、自分の下にひれふせなどと、今の支配神のようなことは言わない。人や神を支配することなどまったく考えるはずもない。
今の支配神には、邪気がこびりついている。宇宙の寿命へのこだわり、そして何がいちばんとて、原初神正神たちを虐殺し封印した咎に邪気が取り付き、解き難い緊縛の砦を心の中に作っているのだ。
魔法の力でこの邪気を取り除き、正気を取り戻させるか、それとも邪神のことごとくを彼らの望みどおり打ち破るしかない。
アフガンや北朝鮮。かつてもベトナム、カンボジア、ミャンマー。遠い過去から、世界人口の半数以上が地獄の中に置かれ、悲しみと怒号を発してきた。
なぜ彼らが恐怖や悲惨さを舐めなくてはならないのか。ある霊能者はこう言う。彼らは過去世において、そうなるに値する行為をしてきたからだと。果たしてそうだろうか。
そもそもひとつの魂が、一連の過去世を経てきたと決め付けること自体、ナンセンスである。
輪廻のたびに記憶を失うシステムは何のためにあるか。
ちょっとした識者は、過去世にこだわらず、魂にとって必要な何かを獲得するためという目的のために、経験世界があるからという言い方をするかも知れない。
そうではない。魂はあくまでも純粋であり、彼の存在なくしては観測されるべき時空が営めないから、真のエネルギー源から借用されているにすぎないのだ。
魂はちょうど、パソコンに入れる電源のようなものだ。それに対して、ソフトの側で、様々な経験世界をアレンジしているわけである。誰が、どの魂がどのソフトを経験しようが、そこに一定の規則なり公式なりが与えられているとしても、最終的にはつじつまあわせだけで事足りるというわけだ。
たとえば、任意の誰かの過去世のひとつが、かの大帝国を築いたシーザーやチンギスハンだったとしても少しもおかしくはない。悲惨な人生を歩む者の過去世が、殺人ばかり犯してきたゆえにと説明されても少しも信じる必要はない。どこの馬の骨の人生をあてがうつもりかと怒れば良い。
どうしても彼が退行催眠で懸命に調べようとしているのなら、裏側にいる者は彼のために、時間を合わせて任意の過去世のファイルを用意する。そして最もまことしやかに話してくれるだろう。
あの世に帰ったとき、自らが何であったか知りたければ、やはり裏にいる係官が図書館のようなところに連れて行って、あなた用の記録を見せてくれる。が、所詮は天仙配下の図書館書士。どんな手を使うやも知れない。
それを見て、人は感動し納得するかもしれない。が、それすらも、ソフトの一コマでしかない。
元より隠されたところというのは、それなりの事情があって隠されていることを知るべきだ。
隠し通さねばならないシステムが、いかにやましいものかは自明であることが多い。
すべての有情が何一つ困惑することなく自然を堪能してくれるだけでよかったのだ。
神はそれを見て微笑み、人は愛でて賛美すればよかったのだ。神は喜び、よりいっそう良いものを創り出す。
あらゆる悪夢はもはやなく、あえてとなら博物館に行ってそのよすがを見てくるがいい。
誰も恐ろしい世界を蒸し返すことなど思いもしないだろう。
新しい時代を、もしみんなで選択できるなら、包み隠すシステムなどどこにも見られない時代とすべきだ。
それはかつて初めにあった時代を髣髴とさせる。どうして昨来のようなおかしな時代がありえたのだろうかと、不思議にすら思うだろう。
だからといって、そのような悪しき悲しき時代のあったことを覆い隠すこともない。
それらは博物化され、任意の閲覧に供するためのものとなる。
閲覧に際しては、熟練したカウンセラーが必ずつく。内容があまりにもひどすぎたからだ。
もし、今の宇宙がそのまま性質を同じくして持ち越されたとしたなら、人類は次のようになっていなくてはならない。
地球人には第四の脳「統合脳」が与えられ、同時観測の範囲が格段に広がっている。
それは右脳と左脳のすべてを有効的に励起するものだ。
眠れる脳が活発に動き出す。
これにより、物や事の本質をクリアーかつ多面的に的確に見るようになる。
心による巨大情報量の会話が実現する。
声は言葉のためでなく、場の雰囲気を高める歌のために使われる。
あらゆる有情が、かつて持っていた愛と信頼のつながりを実感する。
こうして、不信や心配はまったくなくなる。
おのずと最も良い道を全員が一致して選び取るようになる。
有情たちの理想の総和によって、地球はかつてありし日を取り戻す。
そこに時間の経過など、もはや必要ない。
死と生の区別もなくなる。
肉体を持つものと持たないものが共にいるだろう。
この宇宙は、そうした魂たちの共通の場となる」
「そして、もう一つ付け加えておこう。ぼくはモニターとして、最も貧しく悲しい者にこの宇宙を計る基準を置く。
ちょっとしたことに不平をもらす豊かな日本人に置いたりはしない。基準に置いた最も恵まれぬ者が真に幸福にならない限り、この世の支配神とは戦い続けるだろう。そのためには、世界を終わらせてしまうこともためらわない。一部の幸せ者のために世界を存続させるようなことはしない」と。

朱雀のはばたき

イナンナとの八角堂での初めてのデートが、火の鳥の起動に繋がった。鶴と亀がすべ(渾)って後ろの正面に火の鳥が現れたのである。
その年内にキトラ古墳でのはばたこうと助走をつける朱雀の姿が発見された。
それに伴い、ネアンは自分の死後、朱雀である自分が宇宙に遍満する火の鳥の分子構造を励起して統べて制御するというシナリオを新神話に書いた。
だが、世を陰から支配する天仙邪神たちは、ネアンを妨害すべく運勢的に苦しめた。
からかいと嘲笑と挫折が彼を襲った。イナンナの離反もあったし、仕事上の成り行きの不運さにも見舞われた。
致命的ではなかったが、自ら死んでしまいたいと思うほどに落ち込まされたこともあった。
そんなある日、これではいかんと、ネアンは生前の今から、火の鳥を励起する朱雀のはばたきを開始することを思いついた。
形而上における朱雀のはばたきを早々に開始して、邪神や運命差配の評議衆たちに今から火の鳥で応戦しようと考えたのである。
それは何も難しいことではない。ただ、今の時点から意識して火の鳥となって飛翔する意識的な動きをすればいいのだ。
そう考えついて実行し始めた数日後に、なんと北朝鮮の高句麗墳墓の朱雀の図像が初めて世界で公開された。キトラに続けといわんばかりに。(後に北鮮で唯一の世界遺産となった)
その図像は、朱雀が地に足つけた状態ではばたいているというものだった。この意味は、ネアンが地に足つけた状態、すなわち生きながらに朱雀を起動するという意味である。
ネアンの強い決心が反映したに違いなかった。
朱雀はすでに地に足つけながらはばたいている。それに伴い、火の鳥は励起されつつある。
宇宙の隅から隅まで、火の鳥の影響を受けない部分はない。励起された火の鳥によって宇宙は燃え上がるかもしれない。
天仙邪神どもは、ぐずぐずできない。すべての正神を解放し、大政奉還をしなければ、彼らの進路は断たれる。それとも玉砕をはかるのか。

カンナオビが加わり四神相応揃い踏みする構えに

四神、それは朱雀、青龍、玄武、白虎の四神獣であり、この新神話においてはそれぞれを担う人物が登場している。
主人公ネアンを朱雀として、残る三者との相関関係が重要な時系列的歴史の成り行きに影を投げかけるのである。
まず朱雀ネアンが、この役割の元に初めて知り合ったのが青龍であるカンナオビであった。カンナオビは驚くことに、ネアンが齢50でこの世を去ると予定していたときに、50になる直前の日、つまり誕生日の前日にネアンに対して文を送っていたのである。
ネアンはその付き合いの開始日について、それほど意識していなかった。というのも、人生50年の峠は誰しも自然に越えていたから、ただ時間の連続性の中に埋没させてしまっていたのである。だが、もしカンナオビがこの日にネアンの心を捉えていなければ、おそらくネアンは別の時空(死ぬもしくは役割のない時空)に行っていたであろう。カンナオビは、持ってきた役割の一部をこのとき遂行したのである。
ただ、カンナオビには事情があって、同じ趣味を介するという名目の、直接出会うことのない文通によるものに限定された。それでも、文をやり取りするうちに、気脈がしだいに通じるようになり、やがて電話で話すようになる中で、会話のみによるセックスも楽しむようになった。お互いがお互いの立場を思いやった結果であった。
ネアンが次に出会ったのが玄武イナンナであった。彼は玄武から果たすべき役割が何であるかを知らされた。同時に、形而上的な神宝を渡されたようであった。それは龍神の玉であり、西王母の播桃園の桃であり、この世界の建て直しを託した神宝であったはずのものであった。だが、それは観念的なものでしかなかった。
玄武が役割を終えた後、次に機会を待っていたように現れたのが白虎を連れたシノである。形而下では押しかけ女房のようにふるまって現れたが、ネアンの母の存在と、ネアンとの協力関係がうまくいかないことに業を煮やし去っていった。
ネアンはこの付き合いの中で、偉大な農業神伏儀神農との親交の時を持った。伏儀神農は、猫に化身し、ネアンの負傷の窮地に自ら犠牲になって助けた上、神宝の入った大きなつづらを与えたが、これが何を意味するかは知れなかった。
次に戸の国の日の出嬢が現れた。だが、彼女は子宮を失い、女としての魅力を喪失していたし、旧神話に属する者であった。
次に、玄武イナンナとの決別を知り、ネアンを長い間按じていた青龍カンナオビが再び現れた。イナンナがネアンと一緒になるには適切な条件下にあったために、ネアンの申し出でカンナオビは交際を辞退し、ただネアンの帰りを待つ如く、彼の与えた自己表現の方法を忠実に守っていたのだ。それは、ネアンが按じて見に行くつど「黄色いハンカチ」として翻っていた。
ネアンは過去の経緯を詫びて、カンナオビに交際を求めると、もう会話や文通だけにしたくない、会いたいと応じてくれた。
ネアンはカンナオビに普通の人であることを望んだ。というのも、役割下にあるなら、役割が終われば去っていってしまうことが懸念されたからだ。しかしカンナオビは、ある植物園でのデートにおいて、何千ある商品の中から「龍のひげ」を土産に選んで、ネアンからのプレゼントとしたため、象徴的にカンナオビが緑(あお)に関わる龍、つまり青龍であると回帰的に知れてしまったのである。
青龍カンナオビが何をネアンに与えたかは、そのときには分からなかった。形而下においては何も目立ったことはなかった。だが、形而上においては、まったく予想もしない神宝の授与があったりするのだ。イナンナが汚してしまったのに代わる竜宮の玉や玉手箱の授受といったこともありうるかも知れない。
こうしてネアンが神話による励起を受けて以来、三人の女性と関わったが、そのいずれもが神の仕事に過去世で従事していたことのある巫女であり、過去世のネアンと深い関わりを持っていたことがしだいに知れてきた。
そして、三女性のすべてが、この世に役割を帯び、普通人として生きて、大した魅力もないネアンに憧憬の思いを抱いて近づき、朱雀が残る三方向の神獣と交り終えるような経過となっていったのだ。
新神話をリードしたのは朱雀ネアン。そこに力を与える各方向の神獣たちという典礼儀式はこうして完成した。
ネアンとしてみれば、形而下に自分の身を補佐してくれる女性が欲しかった。だが、その役は、彼の母が、位人身を極める男を辞して、女として母として彼をサポートすべく存在し続けた。
ネアンは母ミソギの補佐によって、神話をひとつひとつ更新していく役割を担ったのだ。

ゲンのもたらした魔法使いの情報

丹後の神話世界に詳しいゲンが、お門違いな感のある夢を見たらしく、ネアンに報告してきた。彼のような行者タイプの者にしてみれば、やはりかなり意味の深いものだったらしく、熱弁をふるってその夢の内容を知らせた。
黒いマントをまとい、魔女がかぶるような帽子をした、中世の魔女風の女が二人出てきて、何やら口ずさみながら踊っていたという。その文句は歌のようであったが、旋律のないもので、ただ「ドシドレシラドシドレシラ・・・」と口ずさんでいた。
それを覚えて目が覚めたゲンは、メモなどにしておいてネアンに知らせたというわけだった。
ネアンは早速その意味不明な言葉を音階に直し、DTMで曲作りを行ってみた。すると、なかなかきれいな旋律である。それを歌曲風にするため、多少のアレンジをして一曲作ったのだった。素人ながら、わずか二、三日の創作だった。
その後、ゲンは魔女の音階について、彼なりに調べた内容を知らせてきた。
夢の魔女たちは、ディアナとアラディアに違いないという。その話はこうだ。
イタリア地方の先住民の神話に、ディアナとアラディアの話がある。
太古の昔、空に輝くひとつの神がディアナ(月)とルシファー(太陽)に分かれた。
ディアナはルシファーが愛しくて一緒になろうとするが、ルシファーは拒み続けるので、ルシファーが猫を愛好していたことを知っていたディアナは猫に変身して彼の元に近づき契りを持ってしまう。そして娘アラディアを産み落とした。
ディアナが猫に化けていたことを知ったルシファーは怒り心頭となる。
そこでディアナはアラディアと相談し、ルシファーをなだめる歌を作って歌うことにより、ルシファーの怒りを鎮めたという。
原始信仰におけるルシファーは、輝ける者、太陽のことだった。
ディアナはその配偶者の月であり、生まれたのが魔女のルーツ的神格アラディアという構図である。
そこにキリスト教が入ってきてこの旧概念を排斥し弾圧し、魔女狩りなどへと発展していった。
ルシファーは太陽の座をキリストに奪われ、金星へと強制的に退去させられて、僭越な光を放つ者と貶められたという経緯だ。
つまり神々の世界における世界共通の原初神引退神話がイタリアにも存在しているわけである。
キリスト教にしてみれば、土着の宗教神話は排斥されるべきものであり、いきおいルシファーは堕天使からさらに悪魔にされ、その妻娘は魔女とされたわけである。
伝承に出てくるルシファー像は、悪魔のそれではない。新勢力により排斥された旧勢力の信仰の象徴であるわけだ。
また、こうも書く。
地上に死すべき人間たちが現れ、富める者と貧しい者の貧富の差が生じ、世の中が乱れてきた。
ディアナは貧しい者たちを救うために、アラディアを地上に送ることにした。
アラディアは母ディアナから学んだ魔術を、貧しい者たちに教え、富める者たち、すなわちキリスト教による弾圧に抵抗する最初の魔女となった。
死すべき肉体を持って地上に降りたアラディアに、天に還る日が来る。去り際にアラディアは、貧しい者たちに、「月に一度、森の奥深くで女神ディアナを崇めよ。そうすれば、隷属から自由になれる。すべてから自由になれる。抑圧者たちが消え去るまで、これを続けなさい」というメッセージを残した。
ネアンはゲンになかなか様になっている旋律だと作品を聞かせた。ゲンは、はあー、こんないいメロディーになるんですねと、何度も聞いて一生懸命記憶することに努めていた。
ネアンは、この曲をネットで流せば、ルシファーとその妻子が力を回復するだろうと踏んだ。
ネアンは、イタリアにも国祖引退神話が存在していたことをゲンの口から初めて知った。
キリスト教会はその地方への布教活動の一環で、先住民の思想や宗教を徹底的に弾圧し、そぐわないものに暴力的手段を用い、異端者として粛清していったのである。
中世の魔女狩り。これなどは陰惨を極めた。だが、キリスト教会が浸透してくる以前の人々は自然と調和して生活しており、はるかに幸せであった。
そのような歴史は日本にも、アメリカにもあって、必ず先住民の暮らしのほうが幸せだったという事実がある。
キリストその人が邪神の片割れだったとはネアンは思わない。それを運用する為政者たちが、人々を従順な手なずけやすい状態に置いておくために流用しただけなのだ。
教会はそれによって、サタンさながらに金儲けに徹し、人々の上に権力者としてあぐらをかいた。
人々の自然なあり方を歪め、原罪意識ばかりを人々に対して洗脳的に植え付けた。
そして、人々を見えざる無責任な神の支配下に置き、罪を犯すことが当たり前という存在にしてしまったのである。
まさに邪神悪魔の所業であった。
キリストがもし来ずとも、誰か別のものが人々を檻の中に閉じ込めるべく使われたであろう。要は、邪神サタンは人々を自らの権力の元にひざまずかせることができるなら、どんな手段でも良かったのだ。
邪神が人々を支配する構図は、現代に至っても変わっていない。
人々を押さえつける手段に、別のものが用いられるようになっただけのこと。
宗教がうさん臭くなれば、次は武力や資本力や法的拘束力が用いられる。
いずれにしても、力で人々の自由を奪い、支配下に置こうとするものである。

カンナオビのもたらした青龍の玉

ネアンはカンナオビと初の再会を果たした年の誕生日に紅水晶をプレゼントした。
これは自らの持つ新山玉とともに、この世界が緑豊かになり、美しい彩が景観を補完されるように願いを篭めて贈ったものであった。
そのときはまだ、ネアンはカンナオビにイザナギ人類の黄泉国脱出後に神人界の浄化に向けてのカムナオビ神の役割しか見出せておらず、普通の人でも十分にできる役割であると思っていた。
ところが、龍のひげ以降、カンナオビが定められた雛形である可能性が出てきたため、ネアンもいったいどうなるのか期待を持って眺めることとした。
そして、次は自分の誕生日を祝ってくれるというので、何か象徴的なプレゼントを、定められた者なら贈ってくれるに違いないと考えた。
その前にたまたま、カンナオビは地元商店会の懸賞の一等に当たったので、東海の島に旅行するという。
ネアンは、青龍が東に位置する神獣であり、しかも古くから東の果てに蓬莱島すなわち竜宮ありとする故事に倣い、カンナオビを竜王の娘乙姫に喩えて、土産に「玉」を所望した。
イナンナからは現物を受け取ったという気がしなかったからである。
東海の浜辺に埋もれた丸い石ころであれば何でもいい。カンナオビがこれはと思って拾い上げたものがひとりでに竜宮の玉になると魔法的意味づけを与え、カンナオビにその旨知らせた。
だが、カンナオビはわざわざチャイナの露天商のところに行って、宝玉を偶然に見つけて買ってきた。というのも、その島は規制の厳しい観光地であり、島にあるいかなるものも持ち去ってはならないという法律があったからだ。
お土産はずっしりとした黄色い方解石玉であった。ネアンに幸運を与えたいとの配慮がそれを見出させたのだった。それと同時に、木彫りの人形を買ってきた。
ネアンは木彫りの人形を見て驚嘆した。それは七対の羽根を生やした天使であり、懐に黒っぽい猫を抱いて胡坐をかいているというものだったが、これこそルシファー像であったのだ。彼女はこれも別の店で偶然見つけたという。
ネアンの思いは、定められた人の到来に戸惑いながらも、いっそう掻き立てられた。
ネアンはカンナオビを抱きながら思う。
<ああ、どうしていつも自分に定められた人は隠密であって、なおかつ現実的には拘束されているのか>
イナンナと同様、カンナオビもネアンと出会う以前の環境としては、家庭の中に縛られた存在であった。しかも、奇遇なことにキリスト教の思想的下地のある家庭であった。
が、元々キリスト教徒であったのは夫の側であり、かつて妻を失くして連れ子を連れてカンナオビと結婚したわけであった。ところが、しばらくしてカンナオビが妊娠すると、経済的な負担が重くなるからと説得して堕胎させてしまったのである。
その後、あたかもキリスト教徒らしく、為した罪の重さによって潔癖を貫いたたかのようであったが、カンナオビは女として生まれながら、女としての機能を果たせず、喜びの芽を摘み取られた状態にあって、自らの身の不遇と堕胎の罪の意識にさいなまれる日々を送っていた。
しかし、何不自由のない経済環境。有閑に恵まれすぎるため、思いの中に沈潜してしまう日々。どんな観劇、社会勉強にも十分な時間があったが、それでよいのだろうかという思いにつきまとわれていた。
ネアンはここでも遅ればせだったと感じた。彼にしてみれば、常に邪神の手が先に回ってしまっているように思えた。いやしかし、この環境によってカンナオビはずっと雛壇の上に守られてきたのである。まるでこの時が予め定められていたかのように、出会うことにも抵抗はさほどなかった。
世のルールが阻む代わりに、世が二人を定められた時まで導いたとも思えた。
その世は、決して妨害だけしているのではない。むしろ、守り役も果たしていた。
世のルールだけは守らなくてはならないとすれば、わずかな期間にしろ巡り会う逢瀬を実りあるものにしなくてはならないと思う。
そのネアンが、推して図ったように竜宮の玉とルシファー像をカンナオビから贈られたのだ。
キリスト教からすれば、敵対すべき憎い存在。キリスト教が執拗に悪魔に仕立て上げてきた存在ではあったが、その思想を汲む彼女がいったいどうしてそれを贈ったのだろう。
自分を閉塞させてきた主体への反発か。それとも、イナンナが八角堂の解放者を求めていたように、ネアンに自らの解放者たるルシファーを見たのか。
以前、ヒラサカに八角堂の仔細を語ったとき、ヒラサカはキンイロタイシの言葉の手がかりから、八角堂の三階にいた人物は、毘沙門天王、またの名をサナートクマラ、大天狗、金星王、孔雀王、ルシファーであると言い切った。ネアンはそのときから、それらの雛形をも担ったのだった。
その後、ゲンがルシファーの情報をもたらし、ついにカンナオビが成り行きの中で手に入れて贈った一連のシンクロの見事さは鮮烈であった。
ネアンが目論むのは、原初神であるウシトラノコンシンの復活復権である。それは2002年6月6日の決行日の頓挫によって費え去ったかと思われていたが、今ここにあるのは、竜宮の乙姫が持参した玉であるはずのものであった。しかもそれは観念的な存在ではなく、現実のものとしてここにある。それは、ウシトラノコンシンが世界建て直しに着手する時に必要になる玉なのだ。
なるほど、これとても未だ「見立て」にすぎず、観念と言えるかも知れない。だが、想像の中でなされるだけであったものが、具体的事物として現れてきていることをどう捉える。どんどん、具体化してきているのである。それは、新神話の現世への波及がまさに起きている証拠であった。
ウシトラノコンシンは乙姫の竜宮の玉を手に入れてから、建て直しが開始されると竜宮神示なる神話(大本教の分流、三雲龍三にかかった神示)には記載されている。
その雛形の舞いは現世において実演されたことになる。
ということは、ウシトラノコンシンはすでに復活しているのだ。いつのまにか、北東の山中に埋められ封印されていた呪縛から解放されて出てきているからに他ならない。
では、ネアンが火の鳥となり、イナンナを乗せて救出した新神話の行程は成功したのか?
いやまて、これとても、何らかの具体化がほしいところ。だが、まだ確信足り得ない。
梵天も今や畿内の五芒星の結界から抜け出しているはずである。ふとそんな予感がするもののまだ確信が足り得ない。
太陽神ルシファーも天空の座をキリストに奪われた。その復権をも担っている雛形であることをいつしかネアンは意識するようになっていた。ルシファーも金星の座から立ち出でて太陽を奪還しようとしている。だから、いまここに象徴的な天使の人形が存在しているのだ。
ならば、地上界の雛形同士の質素なやりとりの最中、神界はおそらく大揺れに揺れているはずである。
日本のウシトラノコンシンだけではない。インドの梵天も。そしてイタリアのルシファーも。
古今東西の原初神がこの小さな凡人たちの演ずる雛形の舞に未来のすべてをかけているかのように思えた。
火の鳥朱雀はどんな呪縛からも解き放つ秘儀秘法である。
いり豆が花を咲かせるまで出てきてはならぬと呪詛をかけられ封印された国常立神ウシトラノコンシン。ところが、火の鳥は自らマグマに身を投じて灰の中から蘇ってくる摂理である。その摂理が動いたなら、いり豆程度のやわい呪縛から花を咲かせることくらいは造作もない。いり豆は、火の鳥と共に灼熱の中から蘇ってくるだろう。
この取り合わせの妙は、天仙邪神すら思いもよらなかったはずである。
この最強の神獣の存在を誰が予想しえただろう。
ネアンという雛形をあらゆる理想的神話と原初の神々とそれに連なるものがバックアップしているかのようであった。
彼は雛形を認じ新たな役割を帯びるつど、神の諸力に目覚める。過去世に審神者として神を判別する生業にあった彼に、次から次と原初の神々から依頼が来ている。彼は自らに神をかからせ、自ら神話の体現者となる。新しい神話は、有情に対して温情ある原初の神を神界の首座に返り咲かせるもの。ひいては、邪神の陰謀と跳梁跋扈により、苦難と辛酸と怨嗟のるつぼの中に置かれている有情たちを救出することにある。
見よ。邪神たちの為してきた諸悪垂れ流しの地上世界を。最も愛を説くべきキリスト教の傘下にある者たちが為してきた悪行の数々を。それはローマに始まり、現代にも大量虐殺という人災を引き起こしている。その矛盾の中に人は何を悟れというのか。
このダブルバインド状態から、人は急速な進化を遂げるという。その進化した人々は次にどんなことに使役されるのか。突然変異して超能力でも得たなら、邪神のために働く戦士にでもしようというのか。
その彼らは、次第に人として生き物としての性格をなくしてしまい、地球を尊ばず、破壊する側について、違う世界に理想を追うようになった。その理想世界はどこにある。
この地上をまともに扱えずに、どこに活路を求めようというのか。その理想を与える奴の顔を見たことはあるのか。信じられるのか。インターネットの取引においてさえ、相手の確認に慎重を期しているわけではないか。それをやすやすと理性を明け渡す者も者だ。
積み上げられた奇跡があるというが、奇跡は邪神の得意とするところではないか。
真実は他人の言葉にあるのではなく、自分の中にあるものだ。わずか数十年の命。それを他人の言葉や力によって支配され続けていいわけはない。自らの内からの悟りは、自らに起きてくる眼前の出来事に基づくしかない。
初心者ならいざしらず、他人の言葉や力で自らの心を修辞される時間などないのだ。

四神相揃う

2004.12、ヒラサカは空を撮影していて、一時期に四種の不思議な生き物を捉えた。
それは朱雀、神亀(玄武)、マカラ(白虎)、龍魚(青龍)であった。
朱雀であるネアンが、三種の雛形すべてと出会ったことを意味しているようであった。
玄武に始まり、白虎が継ぎ、青龍が神話の成就をとりまとめることを意味していた。
これで世界は正神の統治するところとなることは紛れもない。
最後の青龍は朱雀から北東にあたり、ウシトラノコンシンとも、大日如来の北東に位置する弥勒菩薩とも関係があった。この方角にあるものこそ、建て直しに最後まで関わるものである。そのカンナオビは観世音菩薩のように額に大きな特徴を持っていた。弁天が本地垂迹して観音となるとなら、梵天の妻である弁天でもあった。丹後の成相観音は、弁天を中核にして龍神たちが成り合った観音である。
ネアンはカンナオビに何の行動も期待はしていなかった。ただそこにいて、連絡がついているだけで、成り行きのほうが新神話に則っていくのである。無作為であってもひとりでにカンナオビはネアンにとって必要なことをしているのだ。ネアンにとって、カンナオビは輝く天使であった。
ネアンはカンナオビに、お互いの世俗の義務は果たすべきことを伝えた。それがこの世に生まれてきた者の必要最低限の勤めなのだ。これを無視してしまうと、この世にある立場をなくしてしまうことになる。それでは役割を全うすることなどできるはずもない。
無作為でいるように見えて、その実、成就に向けて成り行きが進行しているというのが理想状態であることを説いた。
カンナオビは家庭生活を優先すべきである。趣味を多彩にこなせばよい。
ところが、カンナオビは、ネアンのことをいっそう知ろうとして、新神話のありかを彼の開設しているネット情報の重箱の隅から見つけ出した。
そして、夜も寝ずに、その長文を読み通したのである。
20XX.1.12。カンナオビはネアンの書いた長々とした新神話を読了した。

(それは第十章統理の章の未完(前稿)のところまでで、記憶力のいいカンナオビの頭の中には細大漏らさず入った。まだ理解の困難な箇所はいくらもあったが)
(ところで、少し触れておくが、第九章は事の経過と、思い至ったネアンの心境ををなるべ
く時系列を期して記すものであるが、かなり時間前後もある。第十章は統理(とり)の章といい、新神話の作動原理と目論まれる結果について詳述するものである)


唯一、カンナオビが読み通したことの意義は大きい。
ネアンはこのことをカンナオビから知らされ、すべて読み切ってくれたことに驚いた。
この効果はどんなものだろう。人は何百何千人とこれを読んだとしても、理解して読めるわけではない。
それに加え、神々の世界に神話として通達できるのは、神が知ることが必要条件なのだ。
ところがカンナオビは青龍に位置づけられた時点で神となっていた。正確には神霊を宿していることになる。
その彼女が読了したことは、何億の人に読まれるよりもはるかに絶大な効果があるのだ。
彼女が感動してくれたことは、神話がオーソライズされて確立したことになる。
旧神話はこれによって凌駕されていくことは間違いない。
そして、成果は直ちに現れた。
20XX.1.14未明、カンナオビは久々の熟睡をしている最中、寝所にネアンの来訪を受けて交わる夢を見た。布団の中でネアンの重みを感じると、体中が熱くなった。
そして、両足が溶け合うように一本になってしまうような感覚になり、交わりざま、ネアンによって玉が胎内に置かれるのを見て、法悦境に至った。その玉は東海の竜宮の玉と見立ててネアンに渡したところのものだった。
両足が尻尾のように変化する体験。カンナオビは青龍の本身に戻っていたのである。
龍は乙姫であり、豊玉姫であり、弁天であることを示していた。
となれば、ネアンと思われた者は、浦嶋であり、山幸であり、ヒエラルキーである梵天であるとネアンには推測できた。あるいは火の鳥朱雀であり、ゆえに交わる中で、カンナオビの身体が熱くなったのである。
夢から覚めたカンナオビは、いつのまにかパジャマの下を脱ぎ捨て、下半身を顕わにしていたのには、起きて驚いた。夢で交わったのか、それとも本当に交わったのか。子宮の中に置かれた玉の感覚がいつまでも残されていた。
ネアンには図らずも知れた真実があった。
梵天は畿内の強靭な結界から脱出してきているということ。
また、なぜいま梵天がカンナオビに?
それはイナンナがかつてオハコとしたことではなかったか。
それは、カンナオビが新神話を読了し、それまで神話に登場してきたすべてのキャラクターを理解したために、属すべきキャラクターがまとめて彼女のものになったからに違いなかった。
それはカンナオビが新神話をともに営み、引き継ぐ者としての資質を備えたことを意味していた。
このときカンナオビは、自らの内に新神話に登場した弁天、ディアナ、乙姫、豊雲野の神霊を宿しており、ネアンの姿をとった梵天、ルシファー、浦嶋、国常立の神霊と交わったのである。
カンナオビも過去世において巫女の修練を積んだ者であり、神霊を招き入れる潜在能力を秘めていた。新神話の精読を終えた時点で、それに盛り込まれた様々な神々の雛形としての役割がカンナオビに流れ込んだのである。
梵天にとってみれば、彼女の子宮にもたらした玉は、新しい宇宙プランをその中に篭めた「黄金の宇宙卵」であったに違いない。
2002年に玄武で頓挫したものが、20XX年、青龍によって補完されつつあることが確認されたしだいである。

二人の魂の婚儀

20XX.1.18、ネアンとカンナオビは、未来永劫を共にする魂の結婚の儀式を、ウシトラノコンシンを奉祭した古代有力豪族九鬼氏の根拠地にある、高御位山の麓の鹿島神社で執り行った。この二人は正神復活のシナリオを演ずる雛形であるゆえに、この地に根付く諸天善神をはじめとして正神側につく神々がこの地に参集して、二人の門出を祝ってくれるのである。
いよいよ神事に関わることとなった二人。精進潔斎、といっても役目柄の交わりを除く諸事全般に潔白を保つことが必要となった。
そして神社正殿の前で、ネアンはこのときのための祝詞をあげて、カンナオビと永遠の契りを約束しあった。
その日のうちに、二人は新婚初夜の儀式を執り行った。これには、先に梵天がカンナオビにもたらした玉入れの儀式の雛形をやってみるという意味もあった。
カンナオビの美貌となまめかしい肢体に観世音菩薩を見ていたネアンは、定められた寝所に入るなり、我慢できず着衣のままカンナオビを抱擁し唇を合わせた。
柔らかい羽二重餅のような感触が着衣を通してネアンの右手に伝わってくる。それを上下に摩らせながら、背中からしだいに腰、でん部へと移すと、柔らかさは極地に達し、力を少しかけただけで右指先が股間に沈んでいく。カンナオビは息遣いを荒げていた。
豊満に膨らんだ胸もこうであろう。ネアンは矢も盾もたまらず、カンナオビの着衣のボタンを外すと、カンナオビは上目遣いの可憐な顔で「自分でやります」と応じた。
ネアンは二人のガウンを用意した。そして、さっさと全裸になりガウンをまとう。カンナオビは白のレースのショーツ一枚を残して立った。透き通った白い肢体に、もうひとつのガウンを、大事なものを包み込むようにかけてやる。そしてそのまま、二人して重なり合うようにベッドに倒れ込んだ。
柔らかい感触が、はだけたネアンの胸に、腹に、脚部に。自然に対面して、目と目が見つめあう。
「可愛い。なんて素敵なんだ」
「ああ、愛してます」
唇をしっかり重ね合わせる。お互いの舌がお互いの口の中をまさぐり合い、絡み合った。
ひとりでに二人の息遣いの音が高まり、ネアンの手がひとりでにカンナオビの官能の高まる場所を探り当てるようにわき腹を彷徨った。そして裏側のでん部までを摩り終わるや、手は太腿の内側を摩り、やがて至るべきところへ。
「ああっ」
ショーツの厚みをものともせず、愛液が染み出していて、ネアンの指を湿らせた。
「カンナオビもすごい。ぼくも見てご覧。こんなだよ」
はちきれんばかりの赤黒い一物が空を彷徨っていた。
「ああ、私」とそれを、さも愛しげに口に加え込むカンナオビであった。
「いいよカンナオビ。十分入るから。早く入れたいんだ」
「はい」
従順なカンナオビは、仰向けに寝て脚を広げた。ショーツの細くなったところから覗かせる襞を、ネアンはもう少し剥き出させ、ゆっくり一物を近づけた。
「カンナオビ。今からひとつになる。君をぼくが手にいれ、永遠の契りを持った証として、執り行う儀式だよ」
「はい」
ネアンは十分にそこが濡れているのを見ても、さらにカンナオビに準備を促すべく、入り口の縦のラインに沿って一物の先端を押し付け何度も上下させた。
「ああーあーっ」
「じゃあ、行くよ」
「はっ、はい」
一物を入り口に突き立てて強く押していく。「ああっ」
入り口から少し入ったところが一番窮屈であり、そこをクリアすれば、きついながらも侵入するのみとなった。
「まだ全部じゃない。よく締まってる。もっと行くよ」
「はい」
カンナオビは下から期待するかのように丸い目でネアンを見つめた。
「ああっ」
いっそう深いところに突き刺さった。
「子宮に届いてるね。全部入った」
「はい」
「じゃあ、動かすよ」
「はい。ああっ」
ネアンは上下運動して、すべりをよくしようとした。
愛液がいっそう絡まり、ちょうど一物にとってぴったりした容積になって、一物を捉えてしまったのである。
「すごい。ぴったりしている。気持ちいいよ。君は名器を持っている」
上下運動を少し早めると、カンナオビはあえぎ声をさらに上げて、早くもクライマックスに達しようとしていた。
「いっちゃっていいですか」
「いいよ。いきなさい」
「ううーっ、うっ」
痙攣するような身体のびくつきがひとつして、カンナオビの荒い息遣いがおさまっていった。
「行ったね」
カンナオビはネアンの下で目を閉じたまま頷いた。
その姿を見つめて、ネアンはカンナオビがとても愛しく思えた。
<可愛い>
一物を差し込んだまま、カンナオビの回復を待つ。
「どう。大丈夫かい?」
カンナオビは目を開けて頷いた。
一物を少し引き気味にしたとき、ネアンは気がついた。
少しも抜けようとしないのだ。決して中が乾いたわけではない。入り口が狭く、中はぴったりと一物の形に合わせるように収斂しているのだ。
<抜けない。むしろ中に吸い込んでいるような気がする>
精を注がれるまでは、絶対に抜かしてはなるまいとの気構えをカンナオビの膣は持っているようだった。
ネアンは自らの刀にあう鞘を見つけた気がした。それは鍵が合う鍵穴を、いくつもの部屋を回って、ようやく見つけたといった感じであった。
新神話遂行にとって、こうした細やかなところの相性というものも非常に重要になる。
ネアンはカンナオビに濃密な口接をし、わき腹を揉み摩った。再開の合図だ。すると再び膣は融通が利くようになった。
「あっあーっ」
「はあはあ」
カンナオビはあと数回行った。
そのあと、予定していたように、カンナオビからもらっていた東海の竜宮の玉を、梵天に倣って挿入する儀式を執り行った。
カンナオビはこうすることで、ネアンの手にしたときのエネルギーを取り入れることができ、玉が胎内にあるうちにカンナオビの願いや理想とともにカンナオビの持つエネルギーが注入されると見立てているのである。
それを取り出して、ネアンに渡す。それは乙姫がウシトラノコンシンに玉を渡して、世界の建て直しの協力をするという雛形の構図が見込まれていた。
カンナオビの胎内にある時間を十分にとるべく、その間食事をした。そして様々なことを語り合った。
カンナオビは自らの子を宿した気持ちに浸る。かつて夫との間にできた子がまだ四ヶ月目のときに、妊娠を知った夫がためらったため堕胎したこと。
夫に先妻の子がいて、加えて経済的に貧困だったことが理由であった。以後いっさい性交渉を持たなくなって20余年が経ち、愛されているのだろうかという思いとともに女としての役割にも恵まれなかった不遇を抱えていたカンナオビ。
その心を癒すかのように、ネアンとの間にできた玉なる子。
それは観念的ではあったが、二人が契り合ってできた新たな宇宙であった。
二人はその世界に入り創造神となる。そこで二人が満たされなかった幾多の有情の子育てをするのである。幸せな魂を育成しよう。それを誓い合うための雛形の儀式であった。
程よくして、カンナオビはネアンの手伝いで、玉なる子を産み落とした。大事な子。宇宙であり、霊験の玉であるもの。限りない愛の培養液がべっとりとついていた。
それから体位を変えたり、指を使うことも交えたりして、カンナオビが数回行ったあと、ネアンは自らの精液をカンナオビのあえぐ身体に振りかけた。カンナオビはその濃い最初のものを飲み、次のものを身体に塗り込んだ。まるでシャンプーのようだわ、と。その大量さに、当のネアンも驚いたほどだった。
<カンナオビは若くてきれいだ。導かれるように、いっぱい出てしまった。新しい宇宙での有情の生産もこうでありたい>
ところで、この1.18の日は、二人にとって大変な日であった。これを遡るちょうど4年前に、ネアンがイナンナとの交際に本格的に入るために、カンナオビとの交際を断った離別の日だったのである。
カンナオビは、いったいこの婚儀の日がどういう意味を持つのか、ネアンとの会うことのなく終わった文通における交際の経緯を、過去の文通を逐次読み辿って、偶然知ったのであった。ネアンとの文通での出会いから始まったネアンの終始変わらぬ誠実な足跡を懐かしく辿った最後の、カンナオビを絶望のどん底に落とした文の発信日こそ4年前のこの日であった。
このあまりの奇遇さに、カンナオビは愕然として、改めて定められたものを感じた。
ネアンも強烈なショックを受け、自分たち以外の謎の領域からの計らいのようなものを感じた。
このときのネアンの最後のメールには、「程よき未来に友達として語らいあえたら幸い」云々の言葉が書かれていた。それがいま、魂の婚儀という劇的な発展日となっている。
程よき未来とは・・邂逅するに足る成熟を果たすときまでの・・4年・・だったのであろうか。数のシンクロの妙にはたえず驚かされていて慣れていたネアンも、カンナオビの存在を新神話に組み込まれるべき正式パートナーとして帰納的に知ったしだいであった。
カンナオビもこのとき、ネアンの不思議世界にお輿入れしたことを驚きつつも悟ったのである。

観世音菩薩のこと

20XX.1.20のこと。ヒラサカが突然ネアンに、テレパシー実験を公開的にしたいので、ネットを使って公募してくれないかと依頼してきた。
ヒラサカは自分の超能力に自信を持っていたものの、なかなか世が認めてくれないことに焦りを感じていた。それで思い余って、このような方法を考え付いたのだ。
ヒラサカは毎日一定時刻に、一週間にわたって同じイメージを全国にテレパシー発信する。それをネットの読者が言い当てるという企画である。
ネアンは、ネットを見た人で、心ある人だけが反応を返してくれることの困難さを今まで感じていた。だから、ひとつなりとも反応があればという思いで、ヒラサカの提案を聴いたのである。
そして、結果はどうあれ、やりましょうと請け負った。
ヒラサカは喜んだ。しかし、イメージの解答をネアンには教えておこうというところから、またも不思議なシンクロが始まった。
ヒラサカは、よくテレパシー実験に用いられる簡単な図像などを用いず、かつて瞑想中に突然目撃したビジョンを送信イメージにすると言い出した。
それは、漆黒を背景に、小さな金色の点から始まった。それが大きくなるや、矢印を四つの軸先につけて紫のハレーションを呈しながら金色に輝くクルスとなった。その中心部裏側には銀色の円があり、そこから放射状の線が銀色に輝き出ていた。
彼はそれを出題すると言い出したのだ。これなら簡単な図像だからと。
ただ、ヒラサカはその後の図像の展開についても語った。
しばし後に、この十字架は中心から四つにめくれ上がるように割れ、壮大なビジョンが現れたという。
背景は漆黒。上下に分厚い白い雲の層があり、上下の層を繋ぐように、雲の円柱が向かって左右にそれぞれ3本ずつ伸び、その中心にギリシャ風の装束を身に着けた観世音菩薩が立っていた。
髪はパーマが当たったような感じで、耳の後ろくらいまでの長さ。素足で、とてつもない大きさでありながら、彼の視野に入るくらいの大きさになって現れているようだったというのだ。
ヒラサカは、テレパシー受信能力のあるものなら、そこまで見事に言い当てるのではないかと楽観的に言った。
ネアンはそれはそうだろうと受け答えつつも、ぞっとするほどのシンクロを味わっていた。
これはカンナオビのことに違いないと。キリスト教の家庭に後から入って、最もキリスト的で従順で忍耐ある態度を示していた。その仮面の内実は、観世音菩薩であるとネアンは位置づけていたからである。
三つの雲の柱とは、竜宮神示を著した三雲龍三を示しているに違いない。
その神話を手本として二人は雛形を演じているのだ。
ヒラサカはなぜこんなときに、思いつきのように言い出したのか、ということよりも、シンクロとして起きうべきこととして起きたとネアンは思った。
あのキリストさえも神話に則って出てきていることは紛れもない。
キリストは一介のヨガ行者だった。エッセネ派というカバラーの密教行者集団の中で瞑想生活を送っていたのだ。宇宙の真理から実生活篇までの教理と、諸々の不思議を行うまでに熟達した瞑想技術の下地から、世の救済の本願を達しようと現れたのである。
その彼が、当時のユダヤ人の巷で語られていた神話、預言者たちが顕したものに取り込まれる形となっていった。
神話の導く成り行きは、バプテスマのヨハネをして後から来ると言わしめ、彼を救世主への波に乗せていったのである。誰も神話に先鞭をつけられなければ、神話の中のヒーロー足り得ない。シンクロは彼の超能力もあって、見事に展開し、彼の死後、教えは弟子の手によって広まり、世界宗教へと発展していった。
だが、当の本家のユダヤ人はそれを認めず、いまだにメシアの到来を未来に待望している。
また世を支配する邪神たちが、キリストをメシアとしたりはしなかった。それはユダヤ人の意向を汲んだのでもない。ただ彼らの興趣を増すためのお膳立てとして、キリストを用いたのである。
具体的にはフリーメーソンなどの秘教組織が邪神の意向を汲んで、世の権力者階層をコントロールして、それを行わせたのである。
マホメットもそうだった。彼も旧約聖書という神話の波に乗って登場したメシアだった。
しかも預言者として現れており、邪神の預言の吹込みから免れることはできなかった。
彼も邪神の興趣のお膳に載せられて、当時は情報流通が困難だったために地域ごとに宗派が林立するようなことになり、やがて宗教として広域に布教されて、蓋を開ければ抗争対立の火種となっていたのである。
メシアがこういくらも続々と短期間に登場したのには、企みがあったことに識者は気付かねばならない。
邪神が与えた神話は、預言者が人々に語り継いだ時点で、世を誘導する神話として機能し始めた。その神話の結末は、キリスト教者なら周知の如くである。
そのタイムテーブルが天仙邪神のもとにあって、そこにもう少し波乱がないかと彼らが物足りなささえ感じていたときに、梵天の使者がちょっとした綾を提供しようと現れたのだ。
それがこのたびの新神話登場のきっかけになっている。
狡猾な邪神の裏をかく裏神業と言われるものであった。
その中の神一厘の仕組みとは、大本教の神話によるが、九分九厘まで成就困難と思われた矢先のわずか一厘の大芝居によって、邪神が追討し尽くされるというシナリオである。
誰がこの仕組みを成し遂げるかわからない。いくつもいくつも、並行して試みはなされている。この世に対してどこかおかしいと感じた者の手によって。こうして、神界ではなく地上界から改革がなされることになるのだ。
三千世界の大芝居とはよく言ったものである。

新参の邪教によって簒奪された古代神たち

ネアンは、家庭がキリスト教であるカンナオビに配慮して説明しなくてはならなかった。
ルシファーの名を出したからといって、教条的に捉える必要はない。
キリスト教者からすれば、それは憎むべき敵サタンを意味するが、決してそうではないのだと。
するとカンナオビは、私は本当のキリスト教徒ではないから、大丈夫と請合った。
歴史を少し調べれば、民族宗教の中の古代神であって、キリスト教の布教のために悪魔に仕立てる神話を構築されてしまっただけであることが分かる。そして、その神話が功を奏して、ルシファーは力を封印されている。
その彼を助けようと、妻子ディアナとアラディアがいま活躍している。カンナオビはその雛形だ。
メキシコの自然神や英雄神(ケツアルコアトルなど)も弾圧を受けたが、まだしもキリスト教の圧制を逃れて民族色を奏で得た。
世界最古を自負するホピ・インディアンにも神々がいる。彼らは教えられた生き方を忠実に守ってここ十年くらい前まで、世界を存続させるための伝統儀式を行っていた。だが、今やキリスト教への改宗が進み、儀式を執り行う世代がいなくなり、長老たちは世界がこのままでは支配する白人たちのせいで滅んでしまうことを予告して儀式を終えている。
これらの民族宗教の絶滅は同時多発的に起きているのではない。神話が必ずその民族にあって、それとシンクロするように、つまりそれぞれの神話に導かれて起きているのだ。
同じような弾圧を受けた神々は日本にもあまたいた。国つ神としておおむね分類されているが、ときたま恨みを込めて祟りを為すために、それを鎮めるべく祭られている。
だが、その祭りの形式はおおよそ結界による封印の形をとっていて、彼らの自由は束縛されたままにある。神話そのものが、結界になっているのだ。
七福神として今なお祭られる神々は、まだ畏れ多くて邪神もよう手が出せずにいる証拠である。
弁財天は梵天の妻であるから畏れ多い。梵天はインド神話の適用によって首座を後発の神に取って代わられ、蟄居させられているとはいえ、痩せても枯れても原初の創造神だ。
毘沙門天は、キンイロタイシ、サナートクマラ、大魔王、金星王さらにはルシファーとも同定される。仏に帰依した夜叉だった神である。仏に帰依するという神話でおとなしくさせられてしまったとも言える。梵天に最もゆかりのある力のある神である。
恵比寿天は、東北の蛮族の神。ヤマトをまつろわず対抗し続けた蛮族を神として表わしてその怒りを鎮めようとしたものである。そこにはその他あまたの平らげられた部族も併せ祭ろうとした意図が含まれている。
大黒天はマハーカーラというインドの戦神。だが彼に言葉の語呂から大国主を当てて、同様に平らげられた国つ神たちを代表させているととれる。
今なお地方ごとに部族の自然神がいて、ヤマトの日本制覇の中で抹殺され封印されて、今なお暗い領域に閉じ込められたままにいる。
たとえば丹後の籠神社裏には、あの西遊記の金閣銀閣が用いたような瓢箪がある。その中にはあまたの古代の神々が封印されている。
また岡山の吉備津神社には、鬼の頭領温羅を封印した釜がある。鳴釜の神示とは、せめて少しは現世のお役に立てとの外界と唯一音信できる手段なのだ。
ネアンは、神武を導いたヤマトスクネの雛形でもあったから、丹後の地方に彼の手によって封印された神々のいるという情報を知っていた。ネアンはすでに何度かそこを訪れ、そのたびに瓢箪の封印の解けつつある印象を得ている。ネアンの旅は、土着の封印された神々の呪縛を解いていく行程も含んでいるのである。
だが、ネアンの知らないたくさんのことが全国のあらゆる地方にあるに違いない。それらを解き、すべてを自然神の見守る幸福だった原初のよすがに戻すこと。それが地球のために最も良い方法となると確信している。
「カンナオビ。今度は丹後に行こう。イナンナとの足跡も、君が辿って置き換えなくてはならない。
丹後の元伊勢はふたところにある。ひとつは大江町の。ここは太陽の神天照大神の御霊が御陵の中に祭られているところだ。ゲンや駐在所の奥さんや茶店のおばさんたちが巨大なUFOや宝船を目撃している」
「あなたが物語にしていたところね」
「そうだ。いずれここから救世の舟が出される。君はそのときぼくがいなければ、ゲンに乗せてもらうんだぞ」
「そんなあ。あなたといっしょでなければ、いや」
「ありがとう。でも、成り行きは誰にも分からない。さて、もうひとつは籠神社だ。
君にもらった玉を持って籠神社に行けば、必ず封印が解けるはずだ」
「どんな神が眠っているの?」
「当時は龍蛇信仰だろうから、龍神や蛇神だろうな」
「成相観音も龍なんでしょ?」
「そうだ。弁天が核になって、あまたの龍神が合体したためにこのような名がつく。
その昔、天の神々は、人類をこの地球に下ろそうとしたため、すでに地球上を支配していた龍神たちが猛反対して暴れたそうだ。困った天の神は、インドにいた文殊菩薩に頼んで、この龍神たちを仏教に帰依させて、おとなしくしようと図った。文殊は期待にこたえて、彼らを教化し、教えに感銘を受けた龍族の長である弁天が核になって龍たちと合体し成合観音になって人々を導くことになったという。
だが、今になってみれば、文殊のしたことは善かったかどうか。
見ろよ、この病み疲れきった地球を。人類とどうしても共存させなければならなかったのなら、文殊が教化すべきは人間のほうだったはずだ。文殊は結局、龍族だけを封印してしまった。
この神話には、ヤマトスクネの場合と同じ構図があることに気がつくだろう。ヤマトスクネも、神武が来てもっと良くなると思って、土地の神々を封じたに違いないんだ。
文殊も当座暴れているということだけで、未来も予見せずに鎮圧のためだけに使われたんだ。そんなことって歴史上に多くないか?人間キリストもきっとそうだったろう。相手は邪神だから、未来をすでにシナリオとして知っている。塞翁が馬としてしか歴史を見れないのは人間だけというものだ」
「人間というのは、そういう意味で不完全なんだね」
「そうだ。ぼくらのように、神の雛形も人間だから、後も先も分かるものじゃあない。
ただ、ああだこうだと思考しているうちに、ふっと気付かされるだけだ。だから、未来がわからないからといって気にするなよ。成り行きがちゃんと道を用意してくれるだろうよ。
ところで、ぼくは御伽草子の「梵天国」という神話の雛形も演じているんだぞ。
その神話は、天橋立を挟む、智恩寺の文殊菩薩と成相寺の成合観音の縁起の別伝でもあるんだ。今度、丹後に行くとき、ここも案内しよう」
----------
五条の右大臣高藤の子は、観音析願の授かり子玉若君を大変可愛がり二歳の時四位の侍従の位を得て、丹後但馬の国を与えられた。小さい時から笛を上手に吹いて居られたが十三歳で父母を亡くし孝行な子であっだので、一週間笛を吹いて供養していた。その笛の音を聞いた梵天国の王(仏教の主護神)が、「吾が姫を嫁に差上げよう」と云い、美しく心の優しい姫君を妻に迎え人れられた。此の話を聞かれた天皇が羨まれて「おまえの妻を内裏に参らせよ」それが出来ねば……と無理難題を申出されたが二人のカで総て叶えられた。最後の難題「梵天国王直々の御判が欲しい」との事。中納言は父君に当る梵王国に行き食事を与えられだ時、側で人でも鬼でもない飢えた骸骨の様なものが食事を求めた。慈悲深い中納言は哀れに思い御飯を与えた。すると一粒千人力と云う米を食べて鎖を切り大空へ飛んて行った。これが羅刹国のはくもん王(悪鬼)てあった。はくもん王は邪恋していた中納言の妻を奪い羅刹国へ帰った。中納言は御判を頂いて帰ったが、妻の居ない家や世の無常を感じお髭を切り家出して願を掛け妻を助けられる様析った……。妻を救い出し都へ帰ったが、都の生活を嫌い丹後へ下られ妻は成相の観音様となり、中納言は久世戸の文珠となられた。そして一切の生活をお救いなされたと、成相観音は美人観音、美人になれる観音様として名高い。
(御伽草子梵天国より)
-----------
「ぼくは梵天の息子となった文殊菩薩であり、君が梵天の娘の弁天であり成合観音であることになるんだ。
ぼくの生まれ故郷はこの天橋立を眺望する対岸の宮津市で、小さい頃には遠い白砂清松の砂州を眺めて過ごしていた。それはおそらく、この神話にも関わることになっていたからかと思うんだな」

婚儀の九日目は召還の兆し

婚儀から九日目の20XX.1.27その日、仕事上早朝4時には起きねばならず、とるものもとりあえずの軽食を摂って出かけたものの、明るくなる頃からネアンは胸苦しさに見舞われた。みぞおちのど真ん中から左肩のほうに鈍い痛みと圧迫されるような重苦しさを感じた。ときおり疲れたときに異物感違和感を感じたことはあったが、これほどのことは初めてであった。
狭心痛というものであろうか。ならば一時間もすれば治るであろう。だが、良くなるどころか、梗塞感は周囲に引っ張られるように広がっていった。
<心筋梗塞でも起こしかけているのか?まさか九日目。ここで終わるのか?形而上世界ではカンナオビとの婚儀がすみ、梵天もウシトラノコンシンも復活していることが測らずも知れた。神界では正神が前面に出て邪神を駆逐するステージに立とうとしているはずだ。そこで私に召還命令が下ったとしてもおかしくはない。そろそろ火の鳥を制御せよとの仰せなのだろうか。カンナオビが新神話を読了したことで、いつどうなってもおかしくはない。
だが、この世におけるカンナオビはどうする。彼女はまだ準備ができていないのだ。
今私が死ねば、やっと得られた心の充足感を奪い去られるようなものではないか。
この計画自体を恨むことだろう。すると、その理由だけでまたも計画は頓挫してしまうかもしれない。かてて加えて、私も喜びの実感が何ら得られていないではないか。
今生において、やっと見つけた配偶者なのに。魂の契りだけで我慢せよというお達しなら御免被りたい>
そう思って、心から死を拒否する気持ちを露にしたとき、仕事中ながら睡魔が訪れ、わずかの合間ながら仮眠がとれた。仕事に急かれるようにして目覚めると重苦しさは軽減されていた。
梵天はネアンの気持ちを読みしたのである。そもそもそれによって、朱雀の行動に問題が生じることはない。なぜなら、朱雀はネアンの生前においてすでに起動しているからである。ネアンの巧みな神話による死の回避法が功を奏していた。
ネアンの魂は朱雀としてすでに天翔けていた。地上における彼の観測に天仙邪神の横暴がかかれば、彼は思いの中で火の鳥になり、これらの輩に対し灼熱の羽根で打つようにイメージする。すると天仙邪神たちは雷撃に撃たれたように無能力になり、正神側が機に乗じて押し出して、ぐんと優勢になるのだ。
もしネアンが死んでいれば、火の鳥は最大の役目を果たす。徹底的に邪神の焼却に当たるからである。役目終了後にネアンの魂は梵天に帰命する。梵天として夜のカンナオビの夢に訪れたらいいではないかという考えもあるが、地上に化身した身には、生身以上にすばらしい訪問はない。
<カンナオビを訪問するのは、やはり生きていてこそ。梵天よ、まだしばらく逢瀬を楽しみます>
20XX.1.28その日は、前日の死にそうな具合とは正反対に、かねてから予約していたカンナオビと蜜月の長い時間を過ごした。
裸になって12時間にわたっての愛の交歓であった。その前に、カンナオビは聞いた。
九日目に何か特別なことはあった?と。だが、ネアンはただあったと頷いて黙ったままであった。カンナオビはそれ以上を聞かなかった。どうして死にそうになったことなど言えよう。カンナオビとは徹底的に愛し合いたいのだ。多くのロスした時間を埋め戻さねばならない。
生身で逢うことのできない夜には、ネアンはカンナオビのことを思いながら眠りに落ちた。心地よくカンナオビの夢を記憶は定かならずも見た。だが、朝いつものように起きる直前になぜか脊柱の真ん中が痛むのだ。みぞおちのちょうど反対側の背骨の辺りだ。
ふと木の杭を打ちつけてドラキュラを復活させないようにするような呪詛が為されているのではないかとネアンは思った。だが、起きればすぐに痛みは消えた。これも心臓に起因するのであろうかと訝った。こうしたことは3日間続いた。
カンナオビはほぼ毎夜のようにネアンもしくはハイラーキーの梵天の来訪する夢を見た。いずれも必ず愛の交歓を伴うものであった。これによって、いっそうネアンを心から慕うようになり、生身での現実感に根ざす愛の交歓を切望するようになった。
20XX.2.3は長時間の逢瀬は叶わなかったはずであったが、カンナオビがうまくやって可能にした。ホテルに入り過ごすこと5時間も、無我夢中の二人にとってはあっという間の物足りない刹那に過ぎなかった。カンナオビがおねだりする格好で変態プレーもした。ネアンはカンナオビが強烈な色気を発散したのを見て興奮し、彼女の生理に乗じて中に出した。イナンナの時にはイナンナの拒絶もあって気を使いすぎて一度としてできなかった中出し。それがカンナオビとは不思議と気を使わずにおれたため、できた行為であった。
カンナオビは婚儀を済ませたこともあって、ネアンに当たり前のようにして甘えてみせた。それをネアンはさもうれしげにして、すべて叶えてやろうと意気込んだ。もういい年を超えた二人。しかし、心は二人とも初々しい新婚カップルであった。
<梵天よ。唯一絶対の神様。どうか私の願いを聞き届けてください。私はカンナオビを魂の妻としました。それは何もこの世を去ってのことではありません。もし状況が許すなら、今生においてもカンナオビと正式に婚姻したいのです。むろん、すべて御意のとおり事が万事進めばということでけっこうです。褒美として彼女との蜜月の営める今生での余生をください。もし私が先んじて死に、彼女の認識できぬ世界に行ったとしても、
彼女の近くに居させてください。彼女の命尽きるとき、共に世を去らせてほしいのです。
そして、神界にあられるあなた様の御前で正式に式を挙げさせてください>
20XX.2.7新月になる前の日、ディアナの性格をも帯びたカンナオビは精神的な不安定状態に見舞われた。ネアンについていくだけの能力がない自分に嫌気が差してしまったのだ。新神話を読み返し、イナンナにどうしても及ばぬ自分を責めたのである。
そして、ネアンに文を送る。私はあなたにとって本物ですか?と。
ネアンも当日は仕事がうまくいかないばかりか、会社内のトラブルを抱え、仕事すること自体に嫌気が差していた。そして過剰に怒ってばかりいて、同僚の取り付く島をなくさせていた。カンナオビの不安定さがそのまま乗り移ったかのようだった。そして、カンナオビに過剰な能力を促すような文を送ったりした。するとカンナオビも、私には能がないことが分かっていますと応じた。
これではいかんとネアンは反省した。見れば新月。カンナオビの性格が太陽を向かずの陰に篭った状態にあることを見て取った。この時点にはネアンへの思慕の念も薄れており、信頼も薄らいでいるに違いないのだ。
ネアンは理解をしてもらおうとメール文を送った。
-------------------
最愛のカンナオビ
君は紛れもない本物です。
龍のひげの一件からこのかた、君の本質が次第に露になり、そういえば君と最初に知り合った頃から、ぼくは不思議世界に超入しだしたことを知りました。
ぼくが遠隔地から思念を送ることが可能であることとか。
君がぼくに自信をつけていってくれたのです。
君がお姫様的なように、浦嶋伝説も梵天国も毘沙門の本地もみんなヒロインは受身的なお姫様のキャラなのです。
何も焦ることも奮起することもありません。
みんな周りが動いてくれるのです。
ただどの神話でもそうですが、君は事態をはらはらしながら見守るかもしれません。
しかし、いずれ大団円を迎えて、幸せになるのです。
この励起された力を持つぼくの心を占有していること自体、君が本物である証拠です。
ただ、君のスケジュールにとって、ぼくのほうが支障していないかときおり心配になります。
今日もクラブ活動の時間の間際まで引っ張ってしまいました。
1時間半もかけてたなんて・・つゆ知らずでした。
こんなことのないように配慮します。
ネアン
-------------------
それでも全部を言い表せていないと、再度送る。
-------------------
最愛のカンナオビさん
>そこにいてはイケナイという疎外感。
>違うのだという落胆。
歴史の流れは織り成される錦の如く、一本の糸で織られるはずはなく、たくさんの糸が組み合わされて色彩豊かな物語絵巻を形作るものだと思います。
前にこの糸がなければ空が描けず、次にこの糸がなければ山を描くことができないが如しです。
ひとりですべてが賄われていると思うことのほうが増上慢と言うべきでしょう。
ぼくという糸だけでもだめ。次から次と繰り出される糸によって世界は彩られるのです。
ぼくだってそう長い糸は出し続けられないでしょう。
次に来るべき糸に進路を譲らねばならないこともあります。
そういう意味での別れは決して辛くはありません。
そこには一段階飛び越えた悟りが要ります。
大局観に立つこと。それだけが障害を除く知恵となるでしょう。
そのときの寂しさがきっと君にあろうかと、魂の婚儀をしました。
君を自分のものだけにするためにしたのではなく、いつまでもお互いの中にお互いが存在することのためにしました。
二人で一人称。極論すれば、二人して女になったり男になったり。
人間として生まれるなら、それでもいいじゃないんかな。
男の魂と女の魂がひとつの命に宿るとは。(^^;;
リボンの騎士のような??
これ以上いうのはやめましょ。(*^^*;;
>ネアンさんが「知っている」彼女を絶賛していたこと
>思い出されました。
>最も自分にふさわしいと。
>矢継ぎ早な質問にも即答できる能力。
>それにともなったパワー。
>夢見の力。
>あなたすらたじろかせてしまう輝く力。
>歌が巧い・・・彼女はとても頑張っているよ。
>忙しい中で懸命に頑張ってる。
>「君も頑張らないと・・・」
>打てば響く感性で
>彼女とあなたが夢を解き明かすことに・・・
>果てしない秘密を解き明かすことに
>至福の時を見出されていたか
>あなたがどんな風だったか
>見えすぎてしまう。
能力ある敏感な人は、あるかないか分からないよけいな先を読んでしまうことによって、先んじてリタイアしてしまい、迷惑になることもあります。
この世においては、向こうで使っていた能力はみな封じられているのです。
それが彼女には分かっていながら、この世における能力のなさをぼくに見て、実生活をしだいにベースに置くようになっていき、離れていったのです。
確かにぼくのこの世の出来事に関するマネジメント能力はありません。
その方向に進んでいたなら、こっちのことができていません。
ヒラサカさんは、妙なことを言いました。
彼自身、自分の命を永らえるために、第二の世界からこの第三の世界にやってきたというのです。
つまり、パラレルワールドがあって、第二の世界でぼくはベンチャー企業の社長としてバリバリやっていて、縁があるからと思い近づいたが、金のことばかり考えていて、見向きもしてくれなかったと言っていました。
第三の世界のネアンさんだから話もできるのだと。
そういえば、ぼく自身も人生の分岐点はいくつもありました。
21歳くらいのとき◎◎◎に入らず、○○研究所に入っていたら社長になっていたかもしれません。
なんせそこの社長は○◎電機の顧問でベンチャーを立ち上げ、ぼくと同じ中学を卒業したということで、面接のときから、ぜひ来てくれと言われていたのです。
当時十数人しか従業員はいなかった。
それを断って社長の面子を潰して◎◎◎に行ったのです。
ときどき、パラレルワールドの光景を夢に見ます。
整備された広大な敷地に樹木がふんだん。
その中に白亜のビルがあるという気分のいいビジョンを見るのです。
確かに○○研究所は、今そんなたたずまいの中にあり、社員400人以上の優良企業になっています。
何千人といる◎◎◎では能力不足が歴然としてしまい、辞める方向に追いやられました。
面接の二股がけをしてしまったのです。
両方からOKサインがきました。
花形産業ゆえ、大きいほうがいいだろうという愚かな考えで決定してしまいました。
でも、これでよかったのです。
求めていた君と巡り合えたのですから。
きっと社長のぼくでは君を探せなかった。
鶴江さんを妻にしていたでしょう。
占い師が松下幸之助だと占ったとおりになっていたでしょう。
どう?それによってランクの落ちたぼくだと考えますか?
いくつものパラレルワールドがあって、そこでいつぞやのぼくが生きているということでOKかと思いますよ。
ぼくの時空論(宇宙論)からするとね、あらゆる成り行きはプログラムとしてすでにあるんです。
主要分岐点におけるパラレルワールドはいくつもありえます。
インタラクティブにぼくらは分岐のいずれかを選択しているのです。
そのどの位置をぼくが精査実行しているか。
それが今を演じているぼくなのです。
どこの分岐先のプログラムにも縁者がいてね。
たまたまぼくはここにあって、君という縁者を愛しているわけです。
どのワールドがどれほどいいという優劣の問題でもない。
君においてもパラレルワールドがあります。
分岐点で選択してここにあります。
よそのワールドの縁者ではなく、今ここのワールドのぼくという縁者を相手にしています。
デジャビュー(既視感)というのがありますね。
あれ?この人には、この光景には出会ったことがあるぞ、というあれです。
ぼくらはもしかすると、ここに来る前に一度プログラムをチェックしてやってきているのかもしれません。
だから、あれ?どこかで見たことがある、ということになる。
プログラムを精査実行するのは、我考えるゆえに我ありの自己の原点、意識原理なのです。
だから、どんな境遇にあろうと、自分が惨めだなどと考える必要などさらさらないのです。
ネアン
-------------------

魂の新婚旅行

20XX.2.11、ネアンはカンナオビを伴い、車で丹後の新神話の地を目指した。
目的は二つある。ひとつは、かつてイナンナやシノという新神話の形成過程に関わった者たちの行程を辿り、カンナオビの行程にすべて書き換えてしまうこと。
すでにカンナオビが青龍としての特質を現し、それまでの新神話をことごとく読み尽くした後、梵天の降臨を自らの身体に受け、ネアンを驚嘆させていた。
梵天がカンナオビにやってきたことは、梵天が死地から生還したことと、弁天の属性をカンナオビが得たことを意味していた。
そして、新神話でかつてイナンナにかかった神霊とその雛形の役割が、カンナオビにすべて流れ込み、彼女をして長足の進歩に誘っていることをネアンは知った。
ネアンはこのことから魂の婚儀をさっそく進め、最後の切り札となったカンナオビを自らの役割のパートナー、配偶者として確固とした立場に位置づけた。(20XX.1.18)
婚儀こそは、かつての詰めを欠いた経験への反動からきていたのであるが、それだけでなく、お互いがお互いを慕い合うという状況とともに、カンナオビとはあらゆる部分でマッチしていることを感じたからであった。
かつてマシュマロのようでなくてはならないと評した弁天の体つきをカンナオビは元よりしていたし、特に結合すべき部分は判を押したようにぴったりしていた。
さて、婚儀という重大事象のもたらす影響は、ネアンにとって決して思わしいものではなかった。九日目には自らの死の兆しが感じられた。(20XX.1.27)
兆しだけで終わったことは喜ぶべきも、継ぐべき者のことを考えないではおれないことから、目的の二つ目として、ゲンとカンナオビの引き合わせが必要と考えたのだった。
カンナオビとネアンは、この小旅行を新婚旅行と位置づけた。ネアンにとっては過去世からの心象風景を再体験することと、かつての雛形と辿った道を書き直すことであり、カンナオビには夫ネアンの故地を知らせ、新神話の舞台を現実のものとして体験させておくことにあった。
今後の新神話の展開におけるカンナオビは格段に進歩したものとなることは間違いない。
いっぽう、それまでの状態においても、カンナオビは旧神話の浄化の神カムナオビという役割を、次代のイザナギ時代において演ずべく設定されていた。
そのときに主役となるのはイザナギノミコト。その雛形をゲンに演じさせようと、新神話における一つのシナリオとして図っていたのである。
ただし、その行程は旧神話古事記に準じることになる。新神話の中で旧神話を稼動させて、その合力で世を牽引することがいちばん抵抗なくてっとりばやいのだ。この場合、新神話の火の鳥は、黄泉の国の焼却に手を貸し、イザナギの脱出を促す方向に働くことになる。
古事記によれば、イザナミノミコトを救出すべく黄泉の国に至ったイザナギは、すでに黄泉の食物を食して、黄泉神と契って腐敗してしまった女神を見る。
恐ろしくなって黄泉の国から逃げ出そうとするのを、私の正体を見ましたねと黄泉軍を使って捕まえようとするのを、時代の最後の峠を表す黄泉津比良坂において、たまたま生えていた桃の実を取って投げつければ、黄泉軍は撃退されてしまうという筋である。
そして峠の道の真ん中にサヘマスヨミド(黄泉の戸を遮ってしまう)の大岩を置いて、向こうから侵入できないようにして、それぞれが言戸(ことど)を言い渡す。言戸とは言葉による結界だ。
「おのれ。そういうことなら、一日千人をくびり殺してやりましょう」とイザナミの言に対し、「ならば、一日千五百人の産屋を建ててやろう」とイザナギの言い渡し。
旧時代の人類はどんどん減数し、新時代の人類は増加していくということが見込まれている。
こうして、イザナギは黄泉を後にして、自らの被った穢れを祓うために、川に飛び込み、もろもろの穢れの神を流すとともに、浄化の神を生ましめる。
この中には、カムナオビ(神界の浄化の神)やオオナオビ(全世界の浄化の神)やツツノヲ(浄化機構)などがいる。
その前二者の神の雛形の役割をカンナオビに求めていたときに、ではイザナギの雛形はというと・・それをゲンが演ずるべきだとネアンは設定していたのである。
むろんイザナギの仕事をする者は複数であろう。だが、雛形として設定するとすれば、彼しかいないと踏んだのだ。
人格的にも、心の清さにおいても、また彼が元伊勢の地で日室から出現する巨大発光体や円盤と長時間にわたって遭遇するという特質からも、並々ならぬ神霊の期待を担っていることが確実視されたからである。
イザナギの雛形の候補には、ヒラサカも揚がっていた。だが、物質欲と名誉欲が強く、思い通りにならないことにおいて、人を悪し様に言い、呪術さえ使って滅ぼそうとする性格は、明らかに黄泉の属性であるとネアンは見た。それゆえ、彼の演ずる雛形の名前は、桃の実の生えるヨモツヒラサカノサカモトということとした。
しかし、この役割とても非常に重要なのだ。ヒラサカは2003.9.7に、昼の日中でありながら、満天に渡って出現した白球UFOの大群のフォーメーションを観覧し、最後の3分間をビデオカメラに収めている。まさに桃の実を、自宅の空という庭に生らせている雛形にぴったりであるとネアンは踏んでいた。だから、彼はいざとなったときに、この手のUFOで多くの人を救出できる可能性があるのだ。
だが、ヒラサカは功名心が強いためか、自分は弥勒菩薩の化身であり、自らの役割名はイザナギノミコトだと言い切っていた。弥勒の宮殿を出るときに、一万人救ってくると神々には伝えてきているのだとも。だがしかし・・。ゲンはヒラサカの過激な言動を理由に、本物ではないと評価した。
イザナギ人類は単数でないのと同様、雛形も単数である必要はない。ヒラサカの寛容と忍耐がそれに相応しいものであるかどうかが、目下試されているとネアンには思えた。
ゲンとヒラサカ。このペアーもなかなかすごいものがあると思えるのであった。ヒラサカの自宅横には、まさに桃の木が植わっていて、顔の大きさほどの桃の実が生るというのも、彼が桃の実使いであることを示しているようだった。
さてしかし、カンナオビに新神話創造のパートナーとしての役割が新たに備わったとしたら、どうなるだろう。
イザナギ時代が来たとき、カムナオビの役割のパワーアップに加えて、新しい宇宙創造の父母としての役割も見えていた。
実際、梵天がカンナオビの子宮にあの東海の玉に似た宇宙卵を埋め込んだときから、彼女は新しい宇宙を胎内で育んでいるという思いを持っていた。(イナンナがかつて自らを神亀として、その甲羅に梵天が新時代をプランニングしたのと同じようなことではあるが、カンナオビの場合は新しい宇宙となる)
夢見における梵天の玉入れをシミュレートすべく、ネアンと情交するときには、おおよそ東海の玉を入れる儀式を執り行うのである。こうすれば、ネアンとの間にエネルギー交換が行われるとともに、新宇宙のプランが膨らんでいくと信じられた。
生まれてくるべき子供を中絶させた悔やみが、いま宇宙という、まるで仮想的であるが、二人の赤子として育っている思いがカンナオビを満たした。カンナオビの夢には、日によって梵天が現れたり、ネアンが現れたりして、実際に逢うときも、夢見で逢うときも、夢物語のような愛の日々となっていた。
20XX.2.11建国記念日の午前。丹後の道路は福知山以北をタイヤの冬装備規制下にあった。そこでネアンはゲンに少し遅れると連絡して福知山から一般道を走り、約束より約15分遅れで会見の場所、大江町の元伊勢内宮の茶店に着いた。
茶店の扉を開くと、ゲンと茶店でいつも会うAばあさんがいた。ネアンはここに来ると必ずこのAさんには出会う。もうひとりBばあさんがいて、茶店を今日は二人で切り盛りしているのであった。
ネアンはカンナオビをゲンとAさんに紹介し、カンナオビにはゲンとAさんを紹介した。
こうしてお互い名を名乗りあった。そのとき、カンナオビの額にある特徴にみんなの注意が行った。
「ああ、この人は額に・・」とAおばあさん。
「ここにこれのある人は絶対何かあるんですよ」とゲン。
ここから、Aさんの語り部としての語らいに花が咲くのである。
その長い話に区切りがつく頃、ゲンはこんなことを突然言い出した。
「実は、昨晩すごい夢を見ましてね。今日会うことになるカンナオビさんに関わる夢だと思っているんです。それは、白蛇の夢でね。青蛇もいて」
ネアンもカンナオビも、「ええっ」と色めき立った。
すでにカンナオビは新神話を第十章の続く・・・までのところを読了していたから、そこに上がっている白蛇伝の話は、白蛇イナンナに対する嫉妬の気持ちを交えながら見ていたわけである。
ネアンは、彼がそこまで言った段階で、白蛇だけでなく青蛇も現れていることに安堵した。
そして、ネアンはこの時点で、今やカンナオビがイナンナにかつて宿っていた白蛇の魂も連れていることを確信したのであった。
「白蛇と青蛇と言ったね?」とネアン。
そこに更なるゲンの話。
「いや、そうでなく、ツチノコのような平べったい蛇なんですが、それが白になったり青になったりして飛んでくるんです。それでこれは今日こられるカンナオビさんに関係していると感じたんです。蛇はそれ自体縁起がよくて、金運を運んできてくれるというし、ぼくも開運するかなと思って・・・ははは」
「私、確かに金運は持っているから(あげまんだから)」とカンナオビがネアンを見ながら言う。
「うーん、そのとおり」とネアン。
それよりネアンの心は確信で満たされた。新神話のキャラクターがすべてカンナオビに集まっていると。
それはカンナオビが梵天の夢を見たのと不可分ではない。梵天も弁天も、カンナオビがこうなることを待って出てきているのだ。
ゲンは更に言う。「白蛇は弁天さんを現してますからね」と。
<あちゃーっ>
駄目押し的なゲンの言葉にもう何も言う必要もないほど、ネアンは感動していた。
カンナオビは新神話のキャラクターがみんな来ているんだと、以前言ったネアンの言葉を、ここで別人から再確認することとなり、驚くとともに心からこのシンクロには熱くなるものを感じた。
<本物だったんだ>
それでもまだ、ゲンがネアンにこう言ってくれと頼まれているという疑いも少しはあった。
だが、そこまで策謀を涌かせるネアンであろうはずがない。
さらに次の話の展開で、この場での会談が神仙でまさに行われているという様相となった。
いきなりAおばあさんから、心の中でいちばん疑問に思っていた「鬼」という存在について、やっと理解できるようになったという話が出たのである。
鬼という存在について、果たしてネアンが言うように正しい場合があるのだろうかというカンナオビの疑問への解答が、Aおばあさんのマイペースでの滔滔とした話の中で示されていったのである。
「私ははじめ何でこんな神聖な場所の裏側に、鬼がおらないかんのかわからなかって、ずいぶん毛嫌いしとったのよ。ところが、間違うとったことが分かってな。鬼と言うのは宇宙を創った神霊で・・・・・それで今になってお祭りするようになって・・・」
ネアンにはAさんの言っていることが早すぎて、理解に負えないものになっていたが、意趣はつかめた。
カンナオビは明らかにAおばあさんの話に、自らの長い間求めていた疑問への解答を見た気がしたのだ。
カンナオビは今年の節分の豆まきに際して、かつてこんな疑問を呈していた。
-20XX.2.3-
「鬼を退治するのにはもっと強い良い鬼が必要という
では、鬼とは何?
悪とは何?
正義とは何?
今年もまた答を求め続けている」
それは昨年と同じような気持ちの持ち越しであった。
どうにも明らかにできない疑問。キリスト教で言うデーモンであるが、悪魔と同一視され、神とは対極にあるとされる。
ネアンの話では、鬼神こそが世の悪を退治する真の正神であるという。いったい、どういう分類が適切なのか。
「たっぷり泳いで邪気払いしました!
バシャバシャと身体に浴びる丸い飛沫。
自分自身に棲む鬼を「水」の神聖な力で退治です!
鬼というと悪者扱いされていて
わたしは鬼の正体を訊ねたことがありました。
ほんとうに「悪」なのかと。
お伽話の鬼・・・それとは違うもうひとつの鬼の物語
時代が作る鬼のいること
正義とは何でしょう?」
この複雑で錯綜した世の中では、善悪の判断が実にあいまいになり、またほとんどの人が何らかの悪に手を染めているとも言える。
競争社会とは悪になることを強要するものであり、それを上位命令だと合理化し、法に触れない限度までならよかろうと、あたかも善人を装っている大多数の人々がいる。
その根底にあるおどろおどろしい偽善に対し、業を煮やしたかのように反発して非行する若者たち。それを馬鹿な子供らのやることと見咎めるしか手のない大人たち。
彼らにも分からないわけではない。周りがやっているから同じことをしなくては仲間になれないと思っている場合がほとんどで、心のどこかで自分を咎めていたりする。
利己主義、拝金主義、権力や名誉の崇拝。権力や富の伸長のために起こされる戦争や飢餓は世界を眺めても歴然としていたが、見ない振りをするしかない人々。
いくばくかでも加担しているという加害者意識は、少なからず自分たちの魂を傷つけていく。
おとなしい子羊のような人の集まる日本という局限した中でも、真の悪魔はほとんどの人口の心の中に巣食い、それでよしとしている現実があった。
まず誰かがその罪の意識を取り除いてやらねば、彼らは後退することはあっても、浄化されたりはしない。
誰かが啓発できなければ、それを正すのはもはや体制の劇的な終焉しかない。天災人災戦争あらゆる鬼の如き摂理が、世界を猛省させる原動力になるしかない。
そのとき人々は、ああやはりなあと諦観を以て応ずるに違いない。魂に及ぶほどの洪水が各人に来るとき、やっと各人は安堵するのだろう。
もしも邪神が、善と悪の戦いが宇宙の存続にとって必要不可欠と言うなら、各人の魂の正しい存続のほうが宇宙の存続よりはるかに重要であると、正神なら言うであろう。
半村良はかつて小説の中で、この世は鬼面一族もしくは門音一族の交代劇的支配によって運行されていると考えた。
生命系に親和する怖い形相の心優しい鬼面に対し、門音は文字合成すれば闇の一族というわけであり、陰謀と悪魔的所業を手段として三千世界の支配を狙う。
そして今は、門音の天下であるとして、それに対抗して鬼面が天下奪取をかけて戦うという。
そのようなストーリーは、様々に形を変えてアニメから何まで幾多出されてきている。
本来ならはらはらして見るフィクションであるが、カンナオビにとっては夢のような現実の話として、今まさにそのメンバーに加わろうとしているのだ。
すでに先達としてのネアンを慕いつつ、その深みに入っていこうとしている自分に、まだ半信半疑で実感が伴わないでいた。
だが、新神話を読み通しただけでは、やはりネアンだけの思い入れに過ぎないかもしれないときに、前にいる二人から、神道や哲学の立場からこのような解答が降って沸いたように寄せられようとは。ぞっとするほどの臨在感とともに、ネアンと新神話の実行力に感嘆しているカンナオビであった。
「どう?やはり君に新神話のヒロインのぜんぶが流れ込んでいるだろう。
ぼくは君があれを読んだ時点で、みんな君の属性になったと解釈していた。
あれを読み切った人が唯一君であることで十分だと言ったのはそういうことなんだ。
もうイナンナのことで思い悩むんじゃないよ」
<君は物足りないかもしれないが、イナンナは役務を降りたんだ。彼女にその頃の顕在意識における記憶のあることは無論だろうが、魂の記憶はきっとない。君にみんな来てるんだ。君は弁天であり、観音であり、青龍であり・・・そしてイナンナでもあるんだ。
そんなの嫌か?じゃあ、こんな話もだめ?>
人間は小宇宙だと言われる。それは量子の性質を持っている。量子は波動性と粒子性の二通りの顔を持つ。つまりいくつ重合されても構わない波動性と、個々別々の表現を持ち排他的にふるまう粒子性の二つを兼ね備えている。波動性に属するものが魂であり、粒子性に属するものが肉体である。
魂の結婚とは、波動性の側の重合を意味している。そこには性の合うものならいくらでも抱擁することのできる性質がある。全宇宙の終わりの時には、梵天にすべての魂は重合し帰命することになっている。そうなるのは、梵天が夢から覚めたときだ。
重合とは、排他的な肉体のする一時的な結合のようなものではない。連理の枝という言葉も、不可分であるほど緊密だという意味合いであって、重合を表す言葉ではない。
魂が重合するとき、エネルギー的なポテンシャルが格段に向上する。単一よりも階乗するほどの魂の進歩が達成されると言われるほどだ。
カンナオビには様々な女の属性を持つ神々が取り巻いていて、ネアンの側にいる男の属性の神々の取り巻きと、ちょうど対を成すようにして存在しているのである。それはもしかすると、みんな重合を目指しているのかもしれない。

茶店を後にして、ネアンが次に参拝を望む外宮の豊受社に着いた。そこではネアンが弁天の解放の玉を使って、封印されたかもしれないところの豊受神とそのゆかりの神々を解放する儀式を行った。その地に豊受神の再臨を期して再興を図ろうとしたのである。
ゲンはこんなところに参っても仕方がないといった態度であったが、それは現実論からすればそうかも知れないが、国常立神を復活させる動きの中にあるネアンにとっては、あの八角堂の三階と同様に解放されなくては先に進まないことのように思えるのだ。
数十段の階段を上ったところの境内から眺められる社殿の崩壊はイナンナの時にもましていた。
中央社殿には、やはり設備らしい設備がなかった。
そこで三人が手を合わせる。
ネアンはカンナオビから譲られた玉を使って、解放に続く魂下ろしの儀式と見立てて一連の行為を手早く行った。
彼の見立てでは、その儀式を経て社殿に黄金の柱が立つと見た。そこは神聖な場となり、国常立神の復活の折は内宮のような風格を醸すことであろう。
あるいは、本来の神体山信仰に戻るかしているだろう。ただ、社殿発展のためには、現在の社殿が御神体である矢部山を背景にしていなくてはならない。筋違いのラインに設けられているゆえに霊験がないとも言えるか。だったらいっそ朽ち果てるほうがいいかも。
内宮の御神体となる日室岳から昇って、外宮の御神体である矢部山に巨大UFOが入っていくというのは、未だに神界レベルでは天照大神から豊受大神への下向が行われているとみていい。それに相応しい現実がこの次元にも現れてこなくてはならない。
この地上にある雛形が主導して世の建て直しが図られるべきことを物語っていた。
参拝を終えて駐車場に戻ろうとしたとき、農作業の軽トラックの運転席で盛んに携帯電話で話していた人物に、ネアンは目を留めた。
<ん?もしやして宮司では>
軽く会釈して通り過ぎようとすると、向こうもネアンを認めて会釈した。電話の会話は相変わらず騒がしかったが。
行き過ぎてからゲンが、「あのタコ」と罵った。
「ここの宮司ですよ」と、この人物のせいでこの社殿ありといった皮肉たっぷりの言い回しである。その謂れはネアンもイナンナのときにうすうす聞いていた。
昔、どういった経緯によるのか、この境内地は民間の所有になってしまい、中央から見放されたらしい。結果、風格あるべき元伊勢の一翼が公的てこ入れもなされず、所有者に任せるままになったということのようだ。その所有者が今の宮司である。
トラック運転手などを手がけてきたことを昔、ネアンは宮司本人からかつて聞いていたが、どうやら公的に認められぬ宮司職の立場ではやっていけなかったようだ。たぶん神官の免許などは持っていない。中央と繋がって初めてできるような祭り事が、ひとりでは取り仕切れなかったのだ。
内宮は天皇も行幸されたが、外宮へのお足運びはなかった。
その彼と外宮の立場が、封印された国常立神の立場を如実に物語っていた。
神の位階さえも剥奪されて封印の憂き目に遭い、同情すれば処罰されるからと、天仙邪神の圧力に皆神が屈している。国常立神に加担するのは、さしずめ異端の力ある神たちだ。弁天、戎、大黒、大魔王毘沙門天、そして山野の仙人たち。
ネアンも卑しい仕事にあって、同じ目に遭っていた。だから、彼への同情こそあれ、非難する気にはなれなかった。彼も自分と同じ同士。地に堕とされて世俗の垢に染まり、周りの非難を浴びながら、這いつくばって生きている。再興という大きな役目をその老体に抱えて。そう思えた。
赤穂浪士のお家再興の願いのような感もあったが、判官びいきの心を掴むのはみごと祝勝しての話。うまくいかなければ末代の恥となる。それがこのたびの神業である。
ゲンについてはネアンが新神話の中でイザナギノミコトの雛形に位置づけた。彼の潔癖さは、その潔癖さゆえに黄泉のどろどろとした穢れを受け容れることができず、イザナミノミコトと袂を分かって新時代を築いていくタイプだ。旧神話ではそうなっている。
新神話ではそのように狭量なことであっては、有情をほとんど救うことができないと、神界の浄化を優先しようとしているのがネアン。ゲンはきっと少数民を救うことになるであろう。それは割合簡単だ。救出船は彼の近所の元伊勢のすぐお膝元にあるからだ。
だが、ゲンはもっと壮大なスケールの神話に挑戦しようとしていることが、その日の話で次第に知れてくることになった。
ゲンはここに集う三人を足鼎に喩えた。一本では弱くもろいものも、三本なら大地を支えるが如く強いものになると。ネアンもカンナオビも、それには同感した。
次に立ち寄ったのは天橋立の知恵の文殊であった。まずその近傍にある、国常立神の宮津の執政地跡にゲンは案内した。古風な庵のあるたたずまいの中に、乱雑な石材置き場と化した放置されたかのような異様な空間があった。ここでも呪詛を施されたと見る向きもあろう。超古代の仁政のよすがは微塵もなかった。
次いで知恵の文殊堂に参った。そこは三人寄れば文殊の知恵と、三人が組んで事を起こせば、どんな知恵でも出てくるという喩えがなされている。また無料で三葉の松という三本で一束となった松葉が用意されていた。それをゲンはみんなに渡し、三人ということの意義をゲンは強調した。
さらに車を走らせ、ネアンの要望で成相山の成相観音を参拝しようということになった。
参道を車で上るうち、雪によって道が閉ざされ始めた。
「うわっ、これは大丈夫か」と車を運転するネアン。「ロープウェイがあったのに」とゲン。
「そうだ、忘れていた」
仕方なしに前の車が作った轍を頼りに登る。
雪に慣れているゲンは「これなら大丈夫」と太鼓判を押した。
何事もなく上の駐車場に着くと、少し歩きで寺院までの行程となった。そのとき、カンナオビを入れて二人ずつのデジカメ写真を撮った。この旅を終えた後で、この結果を見て驚くことになる。そこには、王冠を被った小さな白龍が写っていたのだ。
成相寺には左甚五郎作の真向の龍が飾られていた。真正面から龍を写実したかのような木彫りの作品である。ネアンはそれを二回に分けてデジカメで撮った。これもまたたいへんな写りこみが後で判明する。龍の彫り物の上空に屋根などなく、空が写っていたのだ。
次は本堂に立つ。美人観音と呼ばれる成相観音が中心に祭られていたが、その姿は小さく黒っぽく、守りについている脇侍の鬼二体の大きいこと。手を合わせようとしたとき、ふとネアンは左方スペースに閻魔大王らしき像と評議衆の像があるのを見た。そのときだ。「バシッ、バシッ」と二回ラップ音がした。
傘を持つゲンが床をつついたかと思われたが、いや違うと否定した。
「ふしぎですね」とカンナオビ。カンナオビは、この音を祝福の徴しと捉えた。
だが、ネアンはその十一体の像に嫌悪感を持った。なぜなら、彼らこそイナンナにおかしな宿命付けを平然と行ってきた者たちだからだ。梵天は懸命に臨死の淵にあるイナンナの生還のために努力した。そのラップ音に、またも干渉しようとの意図を感じ取ってしまうネアン。
<新神話の意図を捻じ曲げられてたまるか>
心の中で九字を切った。総じてこの寺院は、未だに結界の中に龍族と弁天を閉じ込めておこうという趣旨の場であるとネアンは思った。弁天の玉を出して封印を解く。
次に行く真名井神社はもっと封印はきつかろう。しかし、思いに反して反応は微妙だった。
デジカメで参拝前の社殿の様子を撮る。そして参拝。そのとき、ネアンはヤマトスクネになってまたも弁天の玉で封印を解く。その後、成相山の参道でしたように、カンナオビを共有する形でゲン、ネアンの二枚の写真を撮った。このときの最初の写真に、見事なオーブが写っていた。だが、後の写真には小さくなって、あるいは淡くなって、この地の呪縛から自由になりつつあるかのようなオーブが捉えられただけであった。
効果と言えそうな気もしないでもなかった。
帰路につく段となり、途中でトムソーヤーという喫茶店で語らうこととなった。
ゲンは自分の身に起きた不思議体験の数々を披露した。インドの聖者探しの旅でヒマラヤに行ったとき、高山病で遭難しそうになって奇跡が起きて救われた話など、その内容も多彩で、それを彼自身の理解力でこなせている感があった。カンナオビはその不思議の数々に魅了され、その体験だけで十分にドキュメンタリー足りうると評価した。
もったいない。それを本に書かれたらと。しかし、ゲンはそれを否定する。
そこでゲンは独自の神話を披露した。天照大神の御陵である日室岳でひんぱんに輝くUFOに遭遇することも不思議であったが、彼は別のところからの見立てによっても、太陽神に守られているという託宣を受けていた。それで太陽・天照大神の雛形であることを意識していた。
雛形に沿って行動することにかけてはネアンも然りであった。カンナオビも新神話読了以降、急速に自らの雛形としての本性に目覚めつつあった。この三人が協力して事を起こせば、相当なことが起きるに違いないと思えた。そう皆が思ったときだ。
ゲンは、自らを天照大神としたときに、直感的にネアンの名前の示す役割名がタヂカラヲであったことから、カンナオビを即座にアメノウズメに見立ててしまった。つまり、ネアンとカンナオビの周到なお膳立てによって、天の岩戸開きの神話を演じることができると考えたのである。
というのも、秀真伝によると、天照大神とは元来男神であり、ゲン自身が太陽の神に祝福された者であることから、天照大神の雛形になったとしてもおかしくはない。ゲンは、だからそれは私がやりますと請合った。
もしその神話の実演が可能なら、雛形としてそれが執り行われた時の効果にはすごいものがあるに違いない。
ウシトラノコンシンと邪神の戦いを経ずとも、神界では無明の闇を照らす光によって迷いが解け、あらゆる呪縛が解けてしまうだろう。もしかすると、あれほど悪辣だった天仙邪神が、今まで何かの魔にとり憑かれていたかのように、改心の方向に向かうかもしれない。そうなれば、火の鳥は過激な出番を差し控え、またも黒体輻射の中に眠ることだろう。
ゲンのこの突然のアイデアにはネアンも感じ入った。
方法こそ違え、ネアンも戸の国の日出見嬢との神業を期待して失敗した経緯がある。今度は、ゲンの参画を得て三者の協力によってもっと有望な形で事態が進行しようとしている。三本の足鼎。この最強の協力関係による成就がもしかすると最善かと思われた。
各自帰宅してから、それぞれに今回の旅の成果は上がり、それぞれが神話の雛形を演じていくことについて真剣に考えるようになった。
まず、カンナオビとゲンは帰宅後ともに極度に疲労して早々に眠りに就き、翌日も夕方まで眠りこけてしまうほどであった。これに関してゲンは、初めて会ったカンナオビとの間にエネルギー的なスパークが起きたためだと解釈した。それほどまでに、この出会いは重要であると解釈されたのだ。カンナオビもそれは感じ取っており、ゲンの眼差しの純粋さや語り口の真実味、誠実さなど、どれをとっても申し分なく、初恋の純愛を催してしまうほどであった。ネアンはやや焼餅を焼きかけたが、足鼎足鼎と心に言い聞かせた。
カンナオビは、天照大神が男であった場合の岩戸からの覗き見の仕方というのはどんなふうだろうと、アメノウズメの立場からシナリオを考えていた。そして、ネアンにそれとなく問う。
ネアンは言う。
「天照大神を女として作った古事記の筋書きにはどこか無理がある。無理を承知で作ったのが大和朝廷だ。それより男としたときのほうが、神話は読み取りやすいんだよ。アメノウズメが岩戸の外で妖艶な舞を踊っているのを多勢の取り巻きの八百万の神々が歓声を上げて見ているわけだ。いわばストリップショーだ。それを何だろなとアマテラスが覗き見たとして、もし女の神なら、何をふざけてとよけいに見畏むはずだろ?そこに鏡を差し向けて太陽の光を反射させて同等の神がこちらにもいるよとすること自体に無理筋がある。鏡がヤマトの神器であるとわざと位置づけようとしているんだ。どこの神社にも鏡を祭っているが、神は本来無形。偶像をしてヤマトと祭祀部族を結び付ける方便に使ったと考えられる。むしろこれは、アマテラスが男神であるからこそ、戸を開けて覗き見もするわけで、本当の伝えはこうでなくてはならない。男神としてしまえば偶像などどこにも要らなくなる道理だろう」
「じゃあ、アマテラスはアメノウズメの妖艶さに魅入られて?」
「そうだ。岩戸から出てきたところを、タヂカラヲが岩戸を外して戸隠山に投げ飛ばしてしまい、その上で、『もうここには戻れませんぞ、それよりあの娘はいかがですか』と薦める。アマテラスは呆然として男の本能の赴くまま交わるというわけだ」
「それってすごい」
「古事記の旧神話をぼくらの神話のほうが凌駕するという意味。筋書きに無理がないという点でも評価できるだろ?」
「はい」

天の岩戸別けへの挑戦

20XX.2.16未明、カンナオビは天の岩戸別けの夢をまざまざと見た。
カンナオビ自身が取り巻きの神々の間でショーをしており、時にはエッチなちょっかいを身に受けながら、これも職務と笑いを絶やさず演技するとき、やがて岩戸が開いて強烈な光が射してきて、カンナオビに近づいてきたと思うと、自分の体がその光の洪水で浄化されてパーンとはじけてしまうという夢であった。カンナオビは目が覚めたと同時に、太陽神に抱かれて心身ともに浄化されたと思った。
そしてネアンとゲンのそれぞれに、同じ時間どんな夢をそのとき見ていたかと問うた。
ネアンは、その未明に限り、カンナオビが主婦となって自分と過ごしている夢だった。
いつの場面も、カンナオビの顔があり、その背景になるものなどひとつも目に入らないほど、ネアンにとっては愛情に満ちた上出来すぎる夢だった。
ところがカンナオビはそうでなかったことを知り、同じ夢見ができなかったことをネアンは残念に思った。
いっぽうゲンは、どこかの宴会に誘われて出席する夢を見たと報告してきた。宴会となら、カンナオビが見たようなショーもあったかもしれないということで、ゲンの夢見のほうに関連がありそうだった。ゲンは宴会のまな板ショーの女優と交わった可能性があるのだ。こうすれば一致が取れる。
カンナオビはこの啓発的な夢について、自分はさなぎの殻を割って飛び立つべき時にきているのかネアンに聞いた。これに対してネアンはこう答えた。
「ぼくの持つ予想だけど、今年から来年あたりに、きっとそのときが来る。みんなを羽化させるための啓発的な出来事が。そのときまでに、羽根を広げる夢を見ておくことはいい。イメージトレーニングになるから。
だが、まだ固まらぬさなぎのうちに殻を割ってしまえば、世間の風は肌を刺し飛ぶこともできず、待つのは死しかない。決して無意味ではないぬくぬくの殻が、時満ちるまでは要るものだ。
自然の催しに逆らわず、焦らず不安を持たず、崖に阻まれ泥道に足取られて進み行くと見るも、羽化登仙の蓮の花のひとりでに咲くをみんなして待つことだ。ゲンの夢への夢解釈からそんな風に思った次第だ。
それぞれに解釈は違おうが、ぼくがあの閻魔に気付いたときラップ音が鳴った。その意味するところ・・いかに神業のためにとはいえ、秩序を乱してはならぬ・・ではないか。
君とは契っている。君の前に女ありと君は見るも、ぼくの目には後も先も君しか存在しない。役割の上でも、未来の全時間のためにも、君が欲しい。形の世界での個々別々を憂うなかれ。彼も鼎のひとつの足。みんな分け隔てできない。形の先にあるものを見つめるよう」
ところで、ネアンは16日の午後に仕事でとんでもない客に遭遇してしまった。相手に金の支払いの意志がないのに契約を履行させられたのだ。これがもとで警察沙汰となった。民事と刑事との境界にあるあいまいな犯罪だったからだ。
ネアンは会社の要請もあり、相手を告発すべく警察署で調書を取られることとなった。
だが、警察官はどんな場合もこうなのだろうが、書く必要のないほどのことにも時間をとってわずかの文章を書き取るのに2時間以上を要してしまった。その間、相手は支払う気がないわけではないなどとあいまいなことを言っているらしく、これでは警察もどうしようもなくなりそうだったので、調停みたいなことをしてくれるとも言う。調書にまたも二つ条件を書き添えねばならなくなった。こんなやり取りで3時間の後に解放されたときは、手足が痺れたようになっていた。その晩のこと。胸のど真ん中に異物感がして、熱が出てきた。普通なら、一日熱が出た程度で終わるものも、下がる気配はなく、数日に及んでいく。仕事もしたが、夕刻に熱が一層上がったので、早引けなどの方法で対処したものの、ついに4日目は仕事を休んだ。
ネアンは、どうにもならない事件処理の環境下には、狡猾な悪霊が屯しているように感じた。精神的な虚を衝いて一気に病として入り込んできたもののようだった。結果的に後でインフルエンザであったと分かった。
ネアンは足鼎と運気の低下に何の意味があるのか考えようとしたが、まとまらない。ネアンは、あの閻魔と評議衆が天仙邪神の威を借りて妨害工作に出てきたように思えた。
道が見えてきたのは、体調の加減が良くなってきた22日になってからであった。
とにかくこんな矛盾した差配神たちの跳梁跋扈する神界は怒りを以て大浄化が進められねば世のためにもならないと、真剣に神話の雛形のあり方を考え直してみたところ、実に確固たる筋道が芋づるを辿るが如く見つかったのである。
岩戸別け神話の不成就をすでに戸の国の日の出嬢との失敗で味わっていたところ、ゲンとカンナオビがそれを演ずるに足る人物であると分かった。そのアマテラスとウズメの雛形に加え、タヂカラヲの自分が加われば、残る聴衆八百万の神々は見えない神々として事足りる。それを高天原神界に見立てた一室を借りてそれを威儀を正して忠実に神儀として実演すればよい。
これがもたらす効果はこうだ。
高天原が再び明るく太陽によって照らし出され、前に見立てたカンナオビのカムナオビの摂理(神界の理念を正す)が働き出せば、神々は自分たちが封神されて催眠状態にあったことをしだいに理解し、今までしていたことが理にかなっていたかどうかを瞬時に判別するようになり、どんどん目覚めていく。今までこそこそ悪事ばかり闇にまぎれて重ねてきた神でもない邪悪な手下達も居にくくなって逃げ出していく。こうして間接的にも、罪なき善人を苦悩の闇に縛り付けてきた差配神たちが更迭されることとなる。
それだけでも十分であるが、ネアンはさらにそこに、火の鳥のだめ押し的神業を追加することを考える。火の鳥は三千世界に遍満するも、灼熱の火の作用対象を限定的にして、この動きに反逆する過失の重篤な天仙たちを焼き尽くす。こそこそ逃げ出し、物陰に隠れようとする邪神邪霊たちを功過の度に従い焼いてしまう。そういうシナリオも同時進行させていくのだ。とにかく今までに見たことのないほどの最強の布陣で臨むわけである。
神界が浄化されれば、下位世界の建て直しが同時進行的に開始される。このときに、神亀のプランと青龍の胎内の新しい宇宙が合力して、未来のプログラムが作り上げられ、プログラムの大幅なインストール作業が開始される。インストールのモードには、過去の世を完全廃棄するハードランディングモードから半ば引き継ぐようにして建て直すソフトランディングモードまでの間に8つの段階があって、そのいずれを選択するかは、
復権した正神たちが相計って決めることとなる。梵天、弁天、クロノス、国常立神、アマテラスらが知恵を出し合うであろう。
足鼎のたとえから、ネアンは気付く。
まず、ネアンただひとり新神話を作る者ではないこと。カンナオビは新神話を読んだ後、急速に雛形としての力をつけてきて、夢見をこなし、夢の形で神話を作っていることにネアンは気付いた。
今まではネアンが「兆」「境」「脈」「見立」の論理力で神話を作り、雛形をそこに配置し演じさせてきた。その兆候を推理し見立てを形作るという思考過程が、夢見の場合不要なのである。というのも、夢見は今回のカンナオビが明らかにそうであるように、神懸かりによるものだから、そのまま神話が神から授けられているようなことになる。
そこには、結界もリンクも、もしかすると不要なほどに守られている可能性があるのだ。
ゲンも文書に書くことは不得手とのことで、こうした形で神話を作るようになるかもしれない。
夢あるいは夢見と現実の雛形の関係はこうだ。
物事は夢を見終わったから成就したというものではなく、夢の次元ゆえに神話として扱われねばならないものであるから、形而下世界で雛形がそのとおりを実演することによってはじめて現象力を持つことになる。従来のシャーマン的行程を踏まえねば、具体化してこないというもの。これが神話実現化の原理なのだ。

三千世界最強神話の雛形の舞のシナリオとは

これはいわば台本である。実際には実現していない。それはどんなシナリオだったかをここで披露する。

ゲン、カンナオビ、ネアンの三人が程よい広さの部屋に入室し、それぞれ役を持ちながら式次第に携わっていくことになる。
まず、ゲンとカンナオビの二人が寝巻きに着替える。ネアンだけは白い下着とする。
三人とも簡単に沐浴を済ませて儀礼前の精進潔斎とする。
各自椅子に座ってくつろいだ状態になる。各自向かい合わせに座るも、並んで座るもよし。形に決まりはなし。
演劇の進行をリードするのはネアンで、各自その指示に従う。
ネアン、二人に目を閉じて瞑想することを薦める。
ネアン:
「まず、我らに新神話創作と雛形の実行の役割を下賜された原初の神々をここにお招きいたします。
宇宙創造に当たられた梵天様、弁天様。国常立神様、豊雲野神様。イザナギの神様、イザナミの神様。天照大神様、月読神様、スサノヲの神様。毘沙門天王様をはじめとする四天王様。そして七福神の神々様。大元帥明王様をはじめとする九大明王様。八大龍王様。さらにそれらの正しき神々とその理念に呼応し従おうとなさる諸天善神の皆様方。
どうぞここに御参集あらしめられて、これより執り行われる高天原神界大浄化の幕開けとなる天の岩戸開き神話の雛形による実演をどうぞご覧じくださいませ。
また、この神話にご登場の神々には舞台の上にて直接ご指導をお願いしたく、この神話の舞を神々の諸力を以て格別に力強きものになさしめたまえ。
・・・・・・・
ここにあるは小さき空間にあらず、十方無限の大神界高天原なる。
かつて高天原を急襲せし悪しき陰謀があった。魂にあらざるものたちの侵入に心を許した劣等な神々が、クーデターを起こし、正しき神々を闇に葬ったのである。その葬られた神の名は国常立神と豊雲野神。それを受けて、天照大神は岩戸の中に自ら差し篭ってしまわれ、表には名ばかりが残る。
これより神界とそれより下の界は暗黒に包まれ、暗愚な為政者神による残虐非道な治世が行われ続け、魂を持つあまた有情は逃げ場のない苦しみにあえぐこととなった。神界ばかりかあらゆる界からの魂の叫びは、日増しに大きくなった。もはや我慢しているときではない。正しい神々の治世に戻さねばならぬ」
ゲンはこのとき、部屋を出て浴室に入り待機する。(岩戸篭りの模擬)
ネアンはカンナオビと秘密の儀式(玉入れ、玉取り出し)を執り行う。
(原初神による新宇宙創生の準備。大政奉還に向けての準備。この神話手続きが原初神への回帰に向けた作業であることを位置づける前手続きである)
いよいよ高天原神話である。
神A(ネアン):こまったことじゃあ。日の神アマテラス様が岩戸にお隠れになってからというもの、巷の闇が暗うて足元が危のうてどうしようもないぞ。
神B(カンナオビ):そうです。わたしのうちの台所には蛆がわいていつのまにかぶんぶんハエとなって飛び回っておりますのよ。不潔でなりません。お舅様お姑様がとうとう病に倒れてしまわれました。
神(ネアン):そうだ。もう長生きするものもおらんだろうて。
神C(カンナオビ):おーい。みなさん。タカミムスビ様が安の河原で会議すると仰っています。あつまってください。
神(ネアン):ついに腰をあげられたようじゃな。どれ行くとするか。
三々五々広い安の河原に何百万という神々が集まってきた。
タカミムスビ(ネアン):これ以上暗闇が続くと、もうみな持たぬと判断した。よってわが息子オモヒガネに知恵を出させてどうすればよいか図った結果、夜明けの神話手続きとしての岩戸別けをして、アマテラス様を導き出だし、高天原に再び日の光を呼び覚まそうと考えた。みなも、心してこの手続きに賛同し参加してくれるよう。
まずあちらに、常世の長鳴き鳥を配置する。長鳴き鳥よ。お前は、夜明けの到来をここは嘘でもよいから鳴き声で伝えるのじゃ。
それからあちらに管弦の部局を配置する。ここを舞台にアマテラス様の興味を引くショーを行うときの歌舞音曲を司る。
そして、ショーの主役となる女優アメノウズメをここに配置する。そちはいつものたゆまぬ練習の成果をここで披露することとなる。今回はも少し妖艶かつ過激なものとなろうが、問題なかろうな。むろん、三十六名の同じいでたちの踊り組を用意して舞わせることとしよう。
ウズメ(カンナオビ):はい。練習は十分できております。アマテラス様をこの身にお招きすること。まこと光栄の至りでございます。
タカミムスビ(ネアン):では、聴衆の神々の中から、我こそはと思う場の盛り上げ役の俳優を志すものがおられたら挙手願いたい。女優ウズメと共演できる贅沢な機会はまたとない。
神D(カンナオビ):女である私がウズメ様を喜ばせましょう。
神E(ネアン):我に任せよ。男でなくてどうする。そなたは踊り組に加われ。
わいわいがやがや
毘沙門天(ネアン):待て待て。私は天上天下を照らすサルタヒコだ。ウズメの婿となる身として予め定められた者ゆえ、我がお相手いたす。
国つ神の分際で・・わいわいがやがや。
タカミムスビ(ネアン):それも合理的かもしれぬな。みなの者。不平を言わず、場の盛り上げに協力するように。サルタヒコよ、見事演技いたせよ。
ただし、ウズメのホトを程よく濡らすところまでに留めるべし。また、アマテラス様が様子を見に岩戸を開けられたらすぐに、ウズメから離れるよう。
毘沙門天(ネアン):ははっ。仰せのとおり。
タカミムスビ(ネアン):岩戸の横には高天原きっての腕力の持ち主タヂカラヲを配置する。そちのとるべき行動は分かっておるな。
タヂカラヲ(ネアン):ははっ。少しでも戸が開きましたら、一気に押し開いてしまい、アマテラス様を引き出だして、元に戻れぬようにしてしまいます。
タカミムスビ(ネアン):うむ。それでよかろう。みな、熟練した練習の成果をこたびは披露せよ。
では時間もさほどない。長鳴き鳥よ鳴け。
長鳴き鳥(カンナオビ):こけっこっこーーーーーーーーー。
タカミムスビ(ネアン):歌舞音曲開始。ウズメよ舞を披露せよ。
ウズメ(カンナオビ):はい。
ウズメが岩戸の前の空間で踊りを舞う。(戸の前からベッドが眺められるようなら、ベッドに横たわって演技する) 三十六人の乙女たちが妖艶な舞で支援する。
そこにサルタヒコがウズメを励起させるべく寄り添って演技する。
ウズメのあえぐ声が聞こえ始める。
サルタヒコ(ネアン):愛しいウズメよ。今日はお前のホトを我が物で満たすわけには行かぬ。よい気持ちになったら、お前の指でホトから掬い取り、いかほど受け入れ準備ができたか我に見せよ。
ウズメ(カンナオビ):はい。
ウズメ、愛液を指で掬ってサルタヒコに見せると、観衆は総立ちでどよめいた。
サルタヒコは、おおよしと頷くと、それを自ら舐めとった。観衆はなおもどよめく。
(サルタヒコ役のネアンはタヂカラヲに扮するために、岩戸の陰に立つ。カンナオビはまだサルタヒコと共演しているようにふるまう)
タヂカラヲ(ネアン):(岩戸の中のアマテラス様に話すように)アマテラス様。もうお聞きのように、表では非常に面白いお祭りをしてございます。八百万の神々が集まって楽しむほどの、二度とないお祭りです。すべて退屈なされているアマテラス様のために、ぜひ見ていただこうと用意したものでございます。少し戸を開けて眺められてはいかがでしょうか。
ウズメ(カンナオビ):ああーっ・・・。
神々:おおーっ。色っぽーい。
わ・わ・わしゃー、もう我慢ならんでよお。しこしこもんじゃい。
アマテラス、外のあまりの騒動に、戸をついぞ中から開けて覗き見してしまう。
(ウズメ、単身で身もだえするも迫真の演技)
アマテラス(ゲン):ええーっ・・・!!
戸が四半分ほど開いたところで、タヂカラヲが戸の前に立ちはだかり、押し開いてしまう。そして、戸を外してしまうと、思いっきり向こうへ放り投げてしまった。
タヂカラヲ(ネアン):大地よ、その戸を隠してしまえ。
タヂカラヲはアマテラスの手を引いて、外へ出してしまう。そして、注連縄を浴室の入り口に張る格好をする。
タヂカラヲ(ネアン):さ、もうこの中にはお戻りになれません。
それよりあそこにあなた様をお待ち申している女神がおります。ささ、遠慮なさらず、抱いておいでなさいまし。
アマテラス、呆然として魅入られるようにウズメの元に歩み寄る。ウズメが愛撫を懇願するようにしているので、引き寄せられるように抱いてしまうアマテラス。
高天原に光が差し、どんどん光明が広がっていく。八百万の神々も、あまりの急激な光の変化に、目を開けておれないほどとなった。
神々:まぶしい。何も見えん。わいわいがやがや。
アマテラス様が再臨された。わいわい。
梵天(ネアン):朱雀よ、火の鳥となって発進せよ。三千世界において、あえて闇を目指そうとするものたちを焼き尽くすよう。
(ネアンが赤みのある服を着て朱雀に成り代わって羽ばたく。交わる二人の周りで飛び回る)
朱雀火の鳥(ネアン):ケーンケンケンケーン・・・・・・・・。
高天原はじめ三千世界がことごとく熱くなる。
神々:今度は何だこの暑さは・・・。アマテラス様。どうかなさったので・・。
舞台の上がまぶしすぎて見えんから分からん。むしょうに暑い。
ウズメ様はどこじゃ?
おおっ。わしは何でこんなところにおるんじゃ。わしは陽明仙ではなかったか?それがどうして。
あれ、私もそういえば、安徽仙というものだが・・。ここはどこだ?
(高天原光明化の当初の予想を超えて、その効果は絶大。めでたしめでたしと原初神たちの唱和する声)
タカミムスビ(ネアン):これをもちて十方世界ことごとく永久に安泰なり。
(ネアン入浴して、あとは二人に任せる)

夢見の大女優カンナオビ

20XX.2.23深夜、ネアンは天の岩戸別け神話の舞台版シナリオを書いてカンナオビに見せた。
カンナオビはそれを理解して就寝したのが午前二時。すると直ちに夢の中で神話の予行演習をはじめてしまい、一幕の演習後には全身が光の波に打たれたようになって、全身がわけもなく熱くなり、いつのまにかパジャマはむろん、薄手の下着の上下ともかなぐり捨てて、一糸まとわぬ全裸となって、寒い冬の部屋の中に居て薄掛け布団一枚で一晩過ごしてしまったのである。
「ネアン。もう体全体が熱くなって、みんな脱ぎ捨てていたわ。こんなことは前に梵天様が玉入れに来られたときもそうだったけど、そのとき以上に体が燃えて燃えて。太陽神に抱かれたことと、火の鳥の作用もあって、その暑さは比べ物にならなかったわ」
「カンナオビ。それは神話の筋書きをしっかりと理解して、夢見の身体で実行したからに違いない。君は女優だから、夢の中で練習してしまい、神霊の共演をその中で誘ってしまったのだろう。が、前のときもそうだが、元来君自身に備わっているクンダリーニを解放しているようだ。チベットの聖者なども深い雪山などに居て寒さを感じない。それは自らの火を周りに循環させているからなんだよ。クンダリーニの覚醒は小乗的な解脱のときには必須とされる。君は前回にある程度のところまでいって、ついに解脱の直前まで至ったのかもしれないな」
どうしてクンダリーニが覚醒する事態となったのだろう。それは神話のアメノウズメが宇宙のエネルギーの渦を象徴しているからである。それを雛形として演ずること自体、その性質をもろに受けざるを得ないのだ。人間は小宇宙である。その相似像どおり、人間の中にも宇宙のエネルギーの渦が存在している。それが尾てい骨の部位にあるとされる蛇の力クンダリーニである。かつて生命の木に住む蛇と言われ、生命の木の幹をよじ登る蛇として描かれている。この力によって人は神の領域へと至ることができるとされている。その神話に潜む力もカンナオビに加勢しているようだ。
ネアンはかつてイナンナを抱いたときに彼女のクンダリーニが上がってしまう事態になった。ネアンが宇宙創造神梵天であると見なしたイナンナにとって、ネアンの肉棒からほとばしる力は宇宙創造エネルギーに見立てられた。このとき、クンダリーニは相乗的に脊柱に沿って一気に駆け上って、スシュムナー管の途中が曲がっていたため、頭頂を脱することができず、イナンナは脳震盪を起こしてしまった。
だが、カンナオビの場合は夢見の体(幽体)ですることだから心配はない。巫女としての過去世の修練は、これを簡単にクリアーさせるほどに積まれていた。だから、いきなりのことにも対処ができたのだ。
このクンダリーニ覚醒によって彼女の幽体構造は格段に強靭なものとなり、特別な導師がなくとも、夢見をただ繰り返すだけで、技術的進歩はすごいものになるだろう。いや、夢見の世界にも導師たろうとする者が現れるかもしれない。あと、ネアンとしては魔境にはまらないように諭すだけである。この格段の進歩には、ネアンもただ感嘆した。
「カンナオビ。ぼくは夢見が下手だが、理論はよく分かる。もし君がちょっと手数をかけてくれる気があるなら、ぼくを夢見に誘って、君の夢見の世界に連れて行ってくれたら、きっと君も心強いと思うんだがな。向こうにおいてもぼくは審神者として機能できるはずだから」
カンナオビがそのような鮮烈な夢見をしていたとき、ネアンも神話のシナリオを現実の場で辿る夢を見ていた。といっても、体調が良好ではなかったこともあり、エネルギーのレベルは低く、部屋の中も暗かった。だが、短いシナリオの細部まで確認できた気がした。一種のイメージトレーニングといっていいだろう。
カンナオビは夢見で演ずることのさらに奥まで演ずる力を持っている。いわば、大女優である。そうネアンは思った。
そのころ、ゲンはまったく別の種類の夢を見ていた。カンナオビのお相手として夢見で共演ということも想定されたが、カンナオビの思惑はずれだった。彼はシナリオを渡されていないのだから仕方ないことである。ゲンは謎の人物から、3Π(パイ)が重要な数だ云々の謎掛け夢を見ていたと語った。Π(パイ)は鼎の形を模しているように見える。
とならば、誓い合った三つ鼎の再確認を意味しているのかも知れない。
ゲンも夢などから思いもよらないシンクロを見出すことがある。ネアンは自分と同タイプの人間のように思えた。

わずかな疑念

ネアンはカンナオビに見せたシナリオの効果を如実に見て、彼女が可能とした20XX.
3.3にその日を実行しようと考えた。カンナオビもその日ならゆとりを持って対応できる。
ネアンがゲンにその日に決めようと思うと電話したところ、「だめなんです」との返事。
3/1から仕事が決まって、働きに出なくてはならないという。
それまでの長きに渡って失職状態にあったものが、いきなり仕事が見つかったというのも、カンナオビとの出会いが功を奏したものかも知れないが、この神事は世界の未来を左右する大事というときに奇妙である。最初にUFOに遭遇して何かの役割が与えられたと思いながら、17年間定職にも就かずにやってきた。来るべきことのために待つこと17年。が、何もなかった。もう待てないとまで言っていたゲンが、世俗の中に身を投じせっかくの機会を封じようとしている。
よもやその仕事が、すべての解決の道になったのか?それとも、新神話の効果を信じてくれないのだろうか。あるいはもう待てなかったのか。ネアンもまさかそのようなふうであろうとは思わなかった。
よく聞けば、ゲンはカンナオビの予兆夢として見た白蛇と青蛇に、旧神話秀真伝に出てくる持子早子の影を疑ってしまったことが分かった。この神話は、アマテラスが男神であることを記す以外に、次のようなクーデター話を伝えている。それによると、アマテラスの第一子を産んだのは持子であった。だが、アマテラスは清楚なセオリツヒメを皇后に据えて、その子オシホミミを後継者にした。これに腹を立てた持子と妹の早子は、スサノヲと諮って、アマテラスを亡き者にしようとした。それが事前に発覚し、二人は全国を追われることとなったという。
ゲンの話では、まだ持子早子は改心しておらず、恨みを持ってアマテラスを狙っているかもしれないという。
だが、民話伝承は持子早子のその後を伝えている。持子早子はお尋ね者になってから、福井にいたり、反省に反省を重ねているうちに九頭龍になり、さらに食べ物もなくなって信濃にいたり戸隠神社の供え物のわずかな食によって生きながらえていたが、やがて戸隠の地で死んだという。それさえも、哀れさ誘う話である。
スサノヲのほうはその後も反逆の態度が収まらず、アマテラスの岩戸差し篭りによって世相暗黒化に困り果てた衆議によって千の罪状が言い渡されて、人間以下の流浪民とされてしまう。
ゲンは妙に親しくなったカンナオビに疑いの目を持ったようだ。神事に半ば生きる者は、少なからず猜疑心というものがある。自分の清浄な能力や運命が影響を受けてしまうと懸念しているのだ。かつてシノもそんなところがあって、自分の猜疑心で批判して、逆に次のところに行くたびに騙されるという経過を辿った。本人は大事のようでも、大した基準で判断していたりしていないのが常なのだ。
カンナオビはネアンからゲンのことはよく聞き、また遥野不思議紀行なる物語によっても、ヒーローであるゲンをよく知る立場にあったため、彼への溶け込みがあまりにも早かった。
それに比べて、ゲンはカンナオビに対して何にも知らない初めて出会った立場。ただカンナオビの醸す神聖な側面にマッチするよう、どんなところへも冒険して行ったことのある経験から、気さくに話を繰り出してきたのであった。むろんゲンにも下心がなかったわけではない。
ネアンのゲンへの高い評価を鵜呑みにし、そんな否定的な神話の存在など知る由もないカンナオビが、ゲンに心を奪われ心を許すまでの気持ちになったときに、逆に身勝手にもゲンに疑念を持たれてしまわれては、悲しい板ばさみでしかなくなる。
ネアンは、カンナオビの初恋に似たゲンへの思いがそうさせていること。それは何年もかけて築いた愛ではなくとも、初恋の思いとして叶えてやりたいことをゲンに話した。
せっかくの足鼎の絆が、ほんのどこから吹き込んできたか知れない神話で風邪引くようなことになるなら、永久に見込みなど立つはずがない。最初に心の中に持った第一印象をお互いたいせつにすべきことも説いた。その最初の初恋のような思いによって、みんな生きがいを得て、今このときを迎えているのだ。
その結晶として、この神話には旧神話といえども、ゲン、カンナオビ、ネアンすべての要望が篭められていることが分かっている。あとは実演を待つだけだ。そしてその実演の効果は、今までの経過からすると絶大であるはずだ。
だがゲンは、仕事を探したのは、もう家庭の事情的に限界だったから仕方がないんですと弁明した。
誤解が解けたとしても、今までなかなかなかった仕事をまたも取りやめるというわけには行かない。
ゲンは2月のうちならなんとかなりますと答えた。
カンナオビにこのことを話して、それでも可能かどうか聞くことにした。カンナオビはそんな思いをゲンが持っていることに悲しみを抱いたが、自分も気さくに過ぎたことを反省し、それまでに会えるようならと、20XX.2.27でも何とか調節しますとカンナオビは請合った。ただ、再び会ってもうまくやれるかどうか自信がないという。ネアンは、デリケートな二人を前に、この解決にはかなり努力が要るように思えた。
もし、今回の実演ができずに終わったなら、カンナオビには癒されぬ傷が残るだろう。
それは絶対にあってはならない。ネアンもこんな話はカンナオビにしてはならなかったと後になって自分の軽率さを反省した。そして心の中でカンナオビに話しかける。
「すまなかった。カンナオビ。そんな話をしても、君を苦しめるだけのことだった。君を気持ちよく神話に臨ませるほうがどれほどよかったか。それでも、君はこの神話に意義を見出してくれて、何とか成功させようとしてくれている。君の忍耐にまたもや感謝だ」
ところが、カンナオビはその晩に悪夢を見た。岩戸別け神話の実演中に、ゲンがカンナオビを抱こうとするときに、ゲンはカンナオビの額の特徴を、「これをつけている資格がないね」といいざま、取り去ってしまったというのだ。このため、まだ実際に実演には至っていないものの、もし会ってそれをしたら、もっと悲惨な結果になるように思えるからと、2.27の日取りをキャンセルしてきた。
ネアンはカンナオビが相手の思いを先走りして感じてしまい、夢にすぐ見てしまうことを危惧した。夢見はカンナオビの神話想像力にもなっているからたいへんなのだ。ゲンがどう奇妙に思っていようが、知らないカンナオビは太陽神に抱かれて純白になった。
つまり、カンナオビが知らなければ、何も起きないことなのだ。
ネアンは気付いた。手遅れにならないうちに、カンナオビにもう本当のことを話さねばならないと。
すぐに理解してくれるだろうか。
――――――――――――――
最愛のカンナオビ
表側から、別個の神の形で訪問を受けて、君はすごい体験をしたと思っていますが、
君が夢の中で遭遇した光は、ほんとうは君自身に内在する神の光です。
人は誰も自分が本来偉大であるなどと思いもしないですから、自ら自分の顕在意識を啓発するために他人の姿をとってやってくるのです。
君の場合は、太陽神と君が位置づけて、君が善良と信じきった人物の姿をとってきました。
だけど、その肝心の本人は疑いを持っていました。
そんなことを微塵も知らなかった君は、信じるとおりの姿の彼を見たのです。
要は、君が最も頼れると安心しきった救世主の姿をとってくるというのが真相。
その人物に、ぼくがなりたくて、「桃太郎のラストも書いた」 んだけど、その意図もそこにありました。
君が死後、ぼくに導かれたなら、きっと成仏しやすいと思ってのことでした。
ぼくの場合は、その光は白球UFOとしてやってきました。
そのころ最も親愛で善良と信じきっていたのが白い玉のUFOでした。
だから白熱したUFOの姿をとってやってきたのです。
実を言うとそれも、ぼく自身に内在する神の光でした。
チベットの死者の書に書かれる、臨死の最初の時点で現れるクリアーライトこそ、それです。
なぜまぶしい光として見えるのか。それは上演フィルムが掛かっていないからです。
だから、自分自身の本質的光を見るしかないのです。
神の属性を自分で考え付けないから、至福の光だけとなるのです。
それを人によってはキリストや阿弥陀如来など、形あるものがやってきたと見るのは、彼が神の属性として考えていたことだからです。
キリストの顔も、見る人によってまちまちで、同じ顔を見る人はまずいないでしょう。
その光こそは、君に命を吹き込む者。
宇宙の始まる前からあって、宇宙創造神と同格の意識的存在なのです。
君の中にも、ぼくの中にもそれはいます。
インド哲学では、人は生ける神の火花を宿していると言っています。
はじめから悟った覚者が存在しているとインド哲学は言っています。
君はそれを見て、悟ったのです。
君は元々純白でどんなものにも穢されることのない神の光を持っているのです。
巷のあくせくした疑心暗鬼に心惑わされることなく、君には進んでほしい。
一度その光を見た者は、そしてその真義を理解した者は、惑うことがなくなります。
自分は自分であることが分かり、他人のしていることと分離される感じを持つことでしょう。
君はその光を別の友達として認識してもいいですが、その彼だけが君の真の保護者なの
です。
だから、孤独に思うことはいっさいありません。
また、彼に嫌われているから、もう夢で会うこともできないなどと思わないように。
君が、一番君の真実を知っている内在する光に、どうして会えないことがあるでしょう。
君を一番知り、君を一番愛している存在が君の中にいます。
毎夜眠ろうとするとき、そこに戻っていきなさい。
ネアン
――――――――――――――――――
カンナオビは意趣を理解した。
ネアンにまた会いたいと付け加えてくれた。
カンナオビはたとえ他力的、催眠術的だったとはいえ、簡単にクンダリーニを解放して、ヨガ熟達者が到達できる境地にまで至ってしまった。それもこれも、彼女が従順で純粋だったからだ。まさに天国はこのような人のためにあらねばならない。ネアンは感涙してしまった。
「どんなに優秀な神官クラスの人物でも、丹後の人は発想が固すぎる。ゲンだって、大本教の真意を理解しながらも、旧神話を教条的に採用していて、それ以上に伏線を探ることをしないから、変えていこうという気も起きないんだ。神話は変えなくては、いつまでも世相さえもコントロールされてしまう。真相を何重にも隠蔽した神話なら、まともな世相など誘導できっこないじゃないか。それを根底から糾し、変えて初めて、その呪縛から逃れられるわけだ。結局彼らは、誰か別の人がある程度のところまでやってくれるまでは何もできないでいるというわけだ。17年待ったところで、20年待ったところで、誰もタナボタ待ちになんか協力してくれないぞ。
白蛇伝の白蛇と青蛇は、もともとお尋ね者だった。だが、ぼくの神話では英雄でしかない。同じ意味合いで、もし万が一君に掛かっているのが持子早子変じた白蛇青蛇だったとしても、すでに2度にわたって形而上的な太陽神の洗礼を受けて純白になってしまった。もう自力で解脱をすることだってできてしまうところまで行っている。君が持子か早子だったとして、太陽神を見てどうしてそこまでできたんだろう。それは元より太陽神を誰よりも愛していたのが持子早子だったからなんだよ。
跡目相続のために皇后としてセオリツヒメを据えたのは、アマテラスが気に入ったからだというが、ぼくは、当時すでに国常立神も天照大神も暗殺されていて、贋の天照大神をトップに据えて操る傀儡政権がそこにあったと思う。
そもそも、アマテラスとそれを取り巻く重鎮たちが、今後どんないさかいの種にもなりかねない一夫多妻制をとったこと自体、はっきり言って信じられないし、大間違いのやり方だ。12人の妃。それだけいたら、今の北朝鮮の相続騒ぎどころじゃないだろう。
血を血で洗うような事だって予想できなくてはおかしい。天にもある如くが地にもある。
その最も悪い見本が秀真伝の神話の昔にありえたということだ。何でも、東西南北に局を設け、それぞれに上中下にランク付けした妃を設けてアマテラスの気に入るようにさせる。何でもかつて一夫一婦であったときに、世継ぎができずに困ったことへの反省からそうしたということだが、その反省としてはあまりにも極端すぎるじゃないか。中庸というものがあろう。はっきり言って、この天照大神は偽者だ。国常立神が健在なら、そのような誤解を生ませるような世継ぎシステムを作らせたりしない。国常立神がちょうど亡くなられた前後にこのようなシステムが出来上がっていることを見ても、クーデターが行われた直後のことであったと解釈すれば、すべてつじつまがあう」
「でも、私はゲンにそんなふうに見られていたことが悲しい」
「教条的なことしか理解できない者はどうにもならないよ。彼自身、独自のリンクした神話を持っているんだろうし、それがぼくの神話と相容れるところが乏しいだけのことだ。だが、足鼎であるべきことを最初に言い出した本人が、最初に崩れていくというのは何ともいただけないな。ほんの一瞬にして沸いた好感、好印象。それはほとんどの場合正しいんだが、愛と理解が伴っていなければ、時間がたつと疑いも出てきてしまうものだ。愛と理解を育むには、一朝一夕では不可能だ。必ず愛と理解の前には一方向的な片思いの時間があると思う。その忍耐強い過程が、双方にあれば満足なものとなる。
だが、なかなかそうはいかず、およそその責務と苦しみを負うのは片思いの弱い立場のほうだ。
君は精一杯努力したんだ。
持子早子はお尋ね者になってから、反省に反省を重ねているうちに九頭龍になり、戸隠でわずかな食によって生きながらえていたが、やがて戸隠の地で死んだという。いつの日か人間に生まれ変わっているともいう。だが、ぼくは彼女ほどアマテラスを愛した妃はいなかったと思う。だが、悲しいことに片思いだった。
ハーレム状態は容認しても、正妻しか容認しない間違ったシステムがその背景にあった。
誰がそんなシステムを作った?邪神どもくらいしか、そんなやり方を好む者はいはしない。最も危険なシステムを作って、人が罠にはまるのを見て喜ぶ質の悪い連中の仕組むようなことさ。
もしかすると、持子早子は最も側近にあって真のクーデターの真相を知っていたがゆえに、邪神たちにはめられたのかもしれない。何もできない偽者のアマテラスは、彼女らを見殺しにしたのだろう。そのとき本当のアマテラスはすでに殺されていた。その証拠がもしかしたらイナンナだ。そのクーデターの真相を知っていたのは持子ともいうべきイナンナだったらしく、臨場感あふれる彼女の書いた 「テンサウザンドイコールミリオン
を見たらそれが分かる。それはシュメールを舞台にして話が書かれているが、国常立神一族の暗殺劇の有様を悪夢に見て描いたものだと本人の口から聞いている。秀真伝には大本教が言うような正神暗殺事件など一言も書かれておらず、記載されてあるのは持子早子の変とスサノヲの暴乱、そしてその後のハタレ(悪魔)の反乱だ。それ以前にはそれほどひどいことはなかったらしい。だが、アマテラス以降、世相は乱れに乱れた。すべて鎮圧されたらしいが、それもこれも内情が矛盾しておかしくなったために、反乱分子が続出したというのが本当だろう。イナンナの物語では、国常立神暗殺のクーデターの首謀者たちこそが、魂のないゾンビにつき従って起こしたとしていることだ。
魂のないゾンビとは、秀真伝が伝えるハタレの特徴そのもの。本家がハタレに蹂躙されて断裂していても、あたかも問題なかったように後で取り繕われたとしたらどうだ。
皇統が断裂せず繋がってきたかのごとく装うことのできる権力体制さえあれば、国民は誰も疑わないし、秘密が漏洩したとしても、秘密を知る者を反逆者に仕立てて抹殺すれば済む。持子早子の変も体制によって陰謀劇が作られたと思うのだがな。
スサノヲは正義感を暴力に変化するだけの能力しか持たなかった。というより、多勢に無勢だったということだ。ハタレの反乱も、真相を知る者たちをハタレに仕立てた、真のハタレの陰謀だったのだろう。そうした体制よりの身勝手な神話は、誰諌める者なく権力者邪神の配下によって都合のいいように作られていったに違いない。
ぼくは悪辣非道な権力者サイドで作られた神話など、いっさい信じていない。古事記も秀真伝も信じていない。そのような話を、鵜呑みにするほどお人好しではない。大和朝廷が作ってきた神話なら、そのもともとの悪辣さゆえに信じることなく必ず裏側を探る。
そして神官層によってでっち上げられてきた神話の歴史を知ったんだ。
そして、なぜ旧神話を扱ったか。それはその中に仕組まれた欺瞞を暴くためだったと今になれば思い返せる。
それはさしずめ、古事記だけで十分だ。
全部解放してやるとも。あらゆる封印を解いて解いて解きまくって、この世界に隠蔽されたものなどどこにもなくしてやるんだ。心の中もみな誰にでも分かるようにしてやる。
秘密などいっさい誰の心にも沸かなくしてやる。封神状態をどんな場面からもなくしてやる。人はみな、自分の依って来る依り代を知りつつ降りてこなくてはならない。過去世の記憶をなくさせられることもあってはならない。人は自ら魂であることを知りつつ、人間としての活動をしなくてはならない。そうでなくては人類の黄金時代とは言えないんだ」
もちろん、イナンナやカンナオビが持子早子である可能性はない。だが、当時の神代の
政治システムに敬慕できる下地など少しもないことも明らかになった。むしろ、追われた者の側にこそ一理も二理もある。ネアンははじめて秀真伝をここまで調べることができた感じがした。今までネット上を調べてみても、秀真伝の解釈集は登場していなかったのだ。時も真相解明に向けてシンクロしてきていると感じた。

雛祭りの秘儀

20XX.3.3、カンナオビとネアンはある湖畔を散策した。
「ネアン。これで新神話は頓挫してしまうの?」
「割合簡単に進むと思っていたことも、なかなか困難なものだなあ。高天原神界に夜明
けがくることを拒む者によって妨害がかけられた感もしないでない。もしそうなら、三人三様の心の隙間に妨害はいつでも仕掛けられているということだ。連携を阻害する形でそれは現れてくる。君は怖くないか?」
「怖いですよ。ネアンの新神話に参加してまだ一月あまり。いろんなことが起きて、まるでアクション映画の中にいるみたい。これほどになると、前の死んだように生きる生活のほうが羨ましくなることもある」
「ふふふ。面白いことを言うね。もちろん、君が今その気になれば、そうしてもいいんだよ」
「それじゃあ、私がイナンナを継いだ意味がないでしょ。あなたも孤独に戻ってしまう。
でもこのたびのことで、神話の計画に見込みが立たなくなったのなら、あなたも自分の安全を考えたほうがいいことないかと思って」
「新神話は少しも頓挫していないよ。岩戸別けのシナリオは君と二人だけで十分演じられる内容になっているから、やろうと思えばやってのけることができる。もしそれをやらなくても、高天原の岩戸別けという早い成就の線がなくなっただけ。もとのシナリオに戻っただけのことだ。いずれにしても正神は邪神に絶対に勝つ。それが新神話だ」
「そうか。良かった。私のせいであなたを悲しませたんじゃないかと辛かったの。でも私、あなたの足手まといになってない?」
「君は足手まといどころか、ぼくの生きがいだよ。君がいるから、君が幸せでいられる世界をぼくは考え、それを目指すんだ。だけど、君はまだ新参者だから、いろいろと不安だろう。では、もうひとついちばん大事なことを言っておこう。それは新神話の原理というものだ。実を言うと、正神も邪神も天仙も地仙も、みんな存在しないんだ。すべてぼくが作り上げた物語なのさ。何でこんなことをするかって?それは、世界とはこういうものだと知る者が神話で規定しなくては、暴れ馬のような世界を制御下に置けないからなんだ。世界は邪悪な者によって支配されているから、邪悪な展開になるとする。
その邪悪を邪神という体現者を仮定し、それに対抗する正義の体現者正神によって駆逐
するという行程を置くことによって、理路整然とした矛盾のない方法で正しい世が現れてくることになる。それが新神話による新世界の誘導というものだ。そこで本来、邪神など居ないのだから、恐怖する必要もないわけだ。要はマトリックスの世界だとゲンも言ったようなことなんだ。もっと簡単に言えば、マリオのゲームを考えたらいい。マリオと悪者に囚われたお姫様のゲームソフトのようなものだ。はじめからそんなものは興趣を出すためのものとしてしか存在しない。そこからゲーマーは何かの教訓を得て進歩することはできるだろうけど、かといって本人の自由であり、ゲーマーになることも、
ただ傍観者でいることも、それは可能なんだよ。君はいまゲーマーに加わろうとしている。その素質が君にはあるとぼくはしっかり知った。だけど、それがすべてだと思うなよ。それは君のほんの余興の部分であって、神話には適当におつきあいすればいいことだ。
それは少しの頭の切り替えで行える。君にもその頭の切り替え方を知っておいてもらいたい。たったひとつのまじないでそれはできる。君がどうしても抜き差しならなくなったなと感じたら、そのまじないをすればいい。君は一瞬で、新神話の世界から離脱できる。そしてまた、大丈夫だなと思ったら、新神話の世界にくればいい。それも逆のまじないで簡単にできる。ぼくもそうだが、君も自分に備わった魔法モードを自分で自由に切り替えることができるんだ。こうして自分を随時に安全圏に退避させることができる」
ネアンは自分たちをパラレルワールドに移行させてしまう象徴的方法だとして、目玉をゆっくりぐるぐる10秒間ほど右回りさせることを教えた。
彼によれば、こうすることで意識のフォーカスがわずかなりとも変わるのだという。フォーカスがずれると、いままで運動量保存則的に乗っかっていたレールを外れて別のレールに乗ってしまうというのだ。右回しと10秒は、魔法の世界を離脱すると手続きする。逆に左回しと10秒は、新神話のレールに戻る手続きとする。あるいは、立った状態でその場で10秒間右旋廻あるいは左旋回すると目玉ぐるぐるの
右回し、左回しと同じことであると教えた。
「さて、そうして君をいつでも自由にする方法を伝授した。次は夢見が容易にできるようになる方法を教えよう。ぼくらが容易に会えないときも、うまくすれば夢の中で愛し合えることもできるだろう」
カンナオビは、もう一月もすれば、行動の自由が利かなくなる。そうなっても、以後は夜の夢で会おうという趣旨である。魂の結婚ゆえ、現実にその関係を持ち越すことの困難は覚悟しなくてはならない。夢見の体。それは魂と肉体の間にある中間的な身体である。
その訓練によって二人の繋がりだけは保全したいとネアンは提案した。
その後二人は、籠もれる場所を見つけて入った。
そこには大きな雄雛と女雛が飾られていた。それはまるで梵天と弁天のようであった。
おりしも桃の節句にふさわしい装い。その下段には紅梅が花開いていた。三千年に一度に開く梅の花らしさを醸していた。その横には慈母観音像もあって、まるで宇宙卵を見守るような姿をしていた。雉の置物も、ネアンを歓迎するようであった。
その神々しい環境の下で、入りなりから強く抱擁し合い、どんどん情感をエスカレートさせていく二人。
そして、新神話に基づく、三者で行う高天原の岩戸別け神話を、神々のご照覧の元、二人だけでやってしまおうということになった。
そして、シナリオは持参していたが、ほとんどアドリブで済ませてしまったのだった。
サルタヒコとの情交に次ぎ、アマテラスが懸かったところで、カンナオビは行った。そのとき、ネアンは梵天の指示で赤いローブをまとって火の鳥になり、広大無辺な高天原に見立てた部屋の中を飛び回り、邪神たちの息の根を止めて回った。
当日はカンナオビの生理日という予測があったネアンは、数時間にわたる濃厚な情交の
最中に精液を膣の中に出した。だが、カンナオビはネアンがそうしたことを事後に知り、まだ危ないのにと言った。そうだったかと落ち着かなくなるネアン。それでもなお玉入れの儀式を執り行った。梵天の主催する宇宙卵に見立てた玉を弁天の子宮に入れて育むというものである。帰りがけにそれを取り出して、ネアンが保管しておくこととなる。
二人の愛の高まりは、邂逅を重ねるつど大きくなっていった。もうネアンなしでは暮らせないという思いのカンナオビ。ネアンもカンナオビ以外に誰も引き比べられなかった。

現実の重み

当日、夜になっても生理の訪れないカンナオビ。月齢を見れば、翌日の可能性が高いことが分かった。ところが、その翌日も訪れない。
いよいよもしかしての事態を想定せざるを得なくなる二人。カンナオビは、現実問題として、どんなケースがあるのか幾通りもシミュレーションしてみた。カンナオビはせっかく授かった子なれば産んで育てたい。
当然主人に分かるから離婚になってしまう。それまで夫婦二人で築いてきた安寧な立場が崩れ去ってしまう。裸同然で、しかもペナルティまで課されて放り出されるだろう。
そのときは永遠を契ったネアンがセーフティネットになってくれよう。だがそのネアンもペナルティを負うことになる。したことの道義性から、社会的に二人は孤立するだろう。
身内になる家族だけは見放さないであろうが。
ネアンは、予期せぬ急な事態にただ頭を空転させた。カンナオビが図らずも手に入るかもしれない。そのカンナオビは子供を産みたいという。とすると高齢出産となり、満身創痍になりながら、求めていた人が手に入るという事態になるだろう。家族はどう思うだろう。彼女の家族のほうはどうだろう。親戚筋からは白眼視間違いない。
自分も子ができるとなれば、もう弱音を吐いてはおられない。命短しなどと言ってなどおれるはずもない。加えて、自分の収入のこともある。細々と、かろうじて一家を食べさせていくぐらいはできるだろう。教育は、普通の義務教育までは仕方ないとしても、専門的な英才教育を二人で施せば、その道のエキスパートにもなるだろうか。
新神話の要請かと考え、もしかすると梵天と弁天が宇宙の雛形をこの世に生ましめようとしているのではないかとも考えた。それならこの子は、親が高齢で早々に不在となっても自活の道を知るはずだ。諸天の加護もあろうと考えたり、また逆に、正神が果たしてこのような強引な手続きを求めているのだろうかと思ったりもした。
4日はネアンも仕事であったが、不思議なほどに高額の良客に次から次へと恵まれ、夕方には通常の三倍を売り上げていた。早くも子は食い扶持を持って来るというわけなのだろうか。このヒットとカンナオビへのヒットを関連付けしないわけにはいかなかった。
仕事の最中にも、この複雑な事態を思わないではない。頭は空転した。それはカンナオビも同じであった。
5日になっても生理は訪れなかった。いよいよ二人は覚悟するようになる。
だが、ネアンが提案をした。子供を産み育てるのはやはり困難ではないかと。
現状の関係を壊して、新しい関係を再構築するまでに精神的負担、経済的負担が大きかろうこと。
高齢出産における母体へのリスクも計り知れない。まともな状態に落ち着くまで、多大なストレスに晒されるだろう。
両親ともに健康に生きて、十分成長するまで面倒が見切れるかどうかという問題が最も大きい。
自分が死んだときに、どれほどのたくわえを家族に残せるか。カンナオビはむろん働くだろうが、遺族年金とかの補填手段も考えなくては。二人とも、加護下のぬくぬくの状態から、それこそ苛酷な環境下へ一気に失楽園してしまうだろう。
カンナオビは、ネアンの文面を読んで、ネアンの意志を知り、堕ろすことを了解した。
だが、ネアンの存在はもはや動かし難いことを伝えた。ネアンも絶対にカンナオビしかいないと確約した。カンナオビが60のお婆さんになっても変わりなく愛し続けると。
ネアンは天におわす梵天に問う。
「梵天よ。宇宙という雛形は玉と設定しております。それを命という形で雛形を作らねばならない必要がどこにあるでしょうか。子供は現実問題として、今回の場合あらゆるところに問題を引き起こし、我々が邪悪視されることは紛れもありません。殊に今まで何も知らずにいた関係者にひどい絶望を与えるでしょう。それが果たして正神が採る行動として認められるのでしょうか。誰が見ても、邪神の所業に他ならないのでは。私はこの現実世界の欺瞞を新しい宇宙の登場によって打破したくはありますが、その欺瞞の中にあってもなお正義のもとに執り行われることを求めます。如何に雛形とはいえ、
我々の横暴が通るようであってはならないのです。正義の手続きによって叶えられることのみを我々に体現せしめたまえ。プランの練り直しをお願いします。そして我々を加護ください」
「ネアンよ。その子は私と弁天の間にできた子として、お前たち雛形とともに新しい宇宙に登場させようと図った。お前は旧態的な宇宙をいったん終わらせて、新しい宇宙に置き換えようとした。だから、その願いとして、旧態的な環境それ自体を打破するという雛形としてふるまわせようとした。だが、お前は旧い宇宙にも同情を示したな」
「そうです。ソフトランディングできるものなら、そうしてください。旧い宇宙にも恩ある者はあまたおります。彼らの願いや幸せをネグレクトするようなことは正義にもとります」
「ならばお前も、過激なシナリオ作りはできないことになる」
「はい。でも、邪悪とその発行主だけは封じねばなりません」
「お前たちのした高天原の岩戸別けによって、神界は自ずと浄化される。迷妄の闇から神々は眼を覚ましつつある。地上には、その結果としていくつかのパターンが用意されるだろう。神界の変貌についていけないほどに乖離していれば、浄化作用は過激な変化となって現れよう。が、それはお前たちの関知するところではない。お前たちはよくやった」
「どうか、我々もソフトランディングしますようお計らいください」
「分かった。お前たち二人は、この世で添い遂げることは叶うまいが、この役割の終了の後、一緒にするから焦らず待ちなさい」
「ははっ」
ネアンは梵天に向かってこのようなやり取りをした。それは梵天が心の目にしか見えないため、直感的な会話のようであったが、ネアンは確かなことのように捉えた。そしてこのやり取りをさっそくカンナオビに知らせるべく、新神話の続きを作って閲覧できるようにした。
するとその直後に、カンナオビから生理が始まったという連絡が入ったのである。ネアンは早速神話の効果が出たことに驚いた。
普通の見方をすれば、受精していなかったのを早合点して、殊更杞憂していたにすぎないことになろう。ところが、神話に生きる者はそうではない。神話でそのように誘導されたと認識するのである。そうして、一層神話に力がついたことを確信するわけである。
だが、ネアンは喜べなかった。しだいに著しい喪失感を催してきて、顔を両手で覆って突っ伏した。
せっかくのわが子とカンナオビの両方を意気地なくも手に入れられなかったことへの無力感。
すぐ手の届くところまで来ていた冒険と夢と愛に富む異国行きの列車に乗り損ねたという気分。
それもこれも、現状維持を陳腐な正義云々で正当化した自分のふがいなさに起因したことが明らかだった。
この世の正義とは必ずしも真の正義ではない。正義というものすら相対的なものであるため、法という規準を設けてそれを判断材料にしているわけだ。その法すらも、命の真のあるべき姿を妨げてしまう不正義な場合がある。ここは、カンナオビを現状から奪い取ってしまうことも、後々、真の正義となる場合ではなかったか。男なら、戦って相手を打ちのめしてでも取るというのが、この世の正義ではなかったのか。悪い世だ。悪い世だ。なまじ正義をかざした戦えなかった者は、またもうだつの上がらぬボロ屋住まいを余儀なくされる。正しい判断だから報いてやろうという神は、まだこの世にいないのだ。
カンナオビは、お互いいろんなことを考える機会を持ちましたねと、軽い口調でネアンを慰めた。
欲しくなかったですか、赤ちゃん。きっとあなたの子だから可愛い子でしょうに。
その言葉に、カンナオビも激しい喪失感の中に置かれていることを察知するネアン。
それでもカンナオビは、私はそれほど悲しくないよ、夢をたくさん起きながらに見ることができて良かったと請合った。それでなおも切なくなるネアン。
すまん、カンナオビ。赤ちゃん欲しかったとも。君に産ませたかった。男の子でも女の子でもいい。名前は「宇宙」とつけるんだ。男の子なら「うちゅう」と呼び、女の子なら「そら」と呼ぶ。次の時代、栄光の時代を先頭切って生きる子として、君に命の流路になってもらいたかった。君の20年来の悔やみが、もうどこへやら、晴れ渡る空のようになるようにしてやりたかった。
女は結局男よりはるかに大胆で偉大だ。男の身勝手で振り回されてしまった結果の片鱗を一枚一枚拾って、思い出として飾り付け、そうして耐えていく。愛しい女。それがカンナオビなのだ。
カンナオビは言った。「子供は男の子で「宇宙」というの。女の子じゃないよ。その子の一生を想像しきったよ」
ネアンは、カンナオビが短い時間に辿ったものすごい時間経過を思った。それが微塵の露と消えて、どれほど残念に思ったことだろうか。
結局、ネアンも人のことを悪し様に言える資格のない馬脚を呈した。世を軽やかに鳥瞰して生きているようで、現実の事態に直面すれば、そのレベルのまともな知恵も出せないのである。その後、新神話の制作は、しばらく中座した。

約束の地

この話は、カンナオビとの蜜月を思う、ネアンだけの空想である。
昼の緑地帯の道路を、男女二人の乗った黒い車がゆったりと走っていた。ネアンとカンナオビであった。何度目のデートになるだろう。その日はいつもとは行動パターンが違っていて、新緑の中の物見遊山なのであった。
「カンナオビ。ぼくは君との今生における余生にも希望を持っている。その実現はきっと地上世界が終末現象を呈する頃になるはずだ。世界の戦いが不可避となり、この国の経済が破綻して暴動が各地で起きるようになり、世情不安に拍車をかけるように大地震が太平洋沿岸部に起きる事態となれば、ぼくらは山に逃げねばならない。
すでに弟のマルコが保有して寝かせている山間部の別荘地に移り住む。その裏山こそ、キタロウが宇宙船の寄港地に相応しいと直感的にイメージした場所だ。木立を伐採し、土地にコンテナハウスか、キャンピングカーを設営して、食料を十分に運び込み、サバイバルの長期戦に備えるんだ。いずれ裏山に、きらめく船体を現してどこかの星の宇宙船が停泊するのを待つことになる」
「それが救出船なんですね」
「そう。何がどこの星から来ても、ひびるんじゃない。マルコや母、君と、ついてきてくれたらの話だが君のご主人、そしてきっとキタロウ一家やヒラサカ一家も来ているだろう。みんなしてそれに乗り込むことになる」
「地球はどうなっていくのです?」
「コヤニスカッチがいろんな局面で見られるようになる。その末に大戦が起きて生態系はひどいダメージを受ける。その後ほどなく、20XY年に地殻的なコヤニスカッチが始まる。それが地球生態系のすべてを終わらせるだろう」
コヤニスカッチとは、不安定に揺らいでいる状態が、ついに破局した状態になることを意味するインディアン用語である。
「では、それまでに生き残るべき人たちが救われるのですね?」
「そういうイメージではないんだけど、まあそういったことになるだろう。その先で、君は君の神話上の雛形を演じなくてはならない。そのために、仮に生き延びるという手順を踏むんだ」
「なんだかややこしい。あなたは分かっているみたいだけど、私はまだ初心者よ。教えて」
そう、物事の教授を請うときのカンナオビのこの上目遣いなのだ。ネアンは、かつて若い頃の夢に見た宇宙人の娘、ティシュの上目遣いで懇願するように見つめる視線を感じていた。彼女は今どうしているだろうか。といっても、あれは夢だったわけだ。今ここにいるカンナオビはまるでティシュの再臨、いやティシュの生き写しと言っても良かったかもしれない。
ティシュは爬虫類イグアナ族。それが人間と変じたとき、上目遣いには限りない色気と、切なげな感情が見て取れるものなのだと思った。
すると条件反射的に、ネアンは隣に座るカンナオビの太腿に自然と手を伸ばしてさすっ
てしまう。
「クシュ。うふん」
すぐに恍惚をたたえてキスを容認する表情になってしまうカンナオビ。
「今日はすぐにというわけにはいかないんだよ。どうしてもあの場所を見せておかないとと思って来ている。またあとでね」
「はい」
そうは言いながらも、手を伸ばしてくるカンナオビ。ズボンの上から触れて、「硬くなってる」とのたまう。
「困った子だね」
ネアンはついぞ苦笑してしまう。
「何の話をしていたんだっけ。何か君に教えないといけないみたいだったけど・・」
また、上目遣いに色気をたたえるカンナオビ。
「違うだろ。そっちじゃなくて・・。初心者とか言ってたね」
今度は無言で表情やしぐさに初々しさを交えるカンナオビ。
「その初心者でもないでしょ・・ったくもう。・・ああそうだ、現地に着いたら思い出すだろう」
ネアンは中年になって実に忘れっぽくなっていた。仕事をしていても、半時前に何をしたか思い出せずに日報のその部分を詰めてしまうことがしょっちゅうだった。
ヒラサカにかつて言われたことがある。宇宙人と遭遇してそのつど記憶を消され続けていると、物忘れが激しくなるのだと。なるほどと思わないでもないネアンであったが、そのほかにも理由はあるだろう。考え事が多すぎると、こうなるといった・・。
三級国道とはいえ、よっぽど美しく整備された国道からわき道に入り込み、いよいよいくつものペンション風の建物が山肌に林立する別荘地内に車は入っていった。右手に小さな湖があり、「こんなところで君と二人で歩きたいんだ」と言いながら、さらに奥に進む。
カンナオビは、「いいところね」と周囲の景観を褒めた。
細いがすれ違うことのできる別荘地内の上り坂を行くと、すでにカンナオビには写真で紹介していた現場の景観となった。
「ほら、あの写真は、ここからのものだ」
車を止めて、向こうに小高くそびえるはげ山の山並みを指差す。
「あの山稜に宇宙船がやってくる」
「ほんと。来そうな感じがする」
「そして、弟の別荘地が、まだ土地だけだけど、あの山のすぐ下にあるんだ。前の道を
さらに奥に進むと、行き止まりになる。そこから階段を登っていけば、あの稜線にたどり着くはずなんだ。別荘地から時間にして15分ほどじゃないかな」
「あっちのほうに来るかもしれないよ」
カンナオビは西のほうの山並みの尾根を指差した。そこも禿げ上がって広くなっている。
「あそこは近いように見えて遠いぞ。老年者には一時間くらいかかるかなあ。そんなにもたもたしていたら、核爆弾の閃光を何発も受けちまう」
「そんなイメージ持ってるの?」
「何だってありだもの」
「怖あ―い。でも、ネアンが守ってくれるんでしょ?」
「当たり前さ。でもぼくがもういなくなっていたなら、ゲンに助けてもらうんだぞ」
「そんなの嫌。いつもいっしょだと言ったじゃない」
「大丈夫。そのときには、君の守護霊として、君の心の中に住んでいるから、生き延びるためのガイドをする。そして、毎晩君の夢の中のスイートホームで、君と愛し合うんだからね」
「生身がいいの。心配させちゃ嫌」
「がんばるとも。それに・・そうだ思い出したよ」
そのとき、別荘の別の利用者の車とぎりぎりですれ違った。
「弟の土地まで降りてみよう」
その行程に、また別の池があり、トレーラーヘッドのないキャンピングカー部分だけが
設営された一軒があった。
「こんな移動式の家もいいものだ」
「いざというときには、どこでも移転できるものね」
大きなログ材をふんだんに使った巨大なログハウスの裏側にネアンの弟の土地があった。そこはもう10年以上前に買って放置してあったために、小木の木立だったものが野太い密生林と化していた。
「チェーンソーで刈り込んでも、根株が残るから、ユンボやブルドーザーをいれなきゃだめだな」
「住むにはね」
誰もいない細道。平日の別荘地だから、特に人気はない。
ネアンがカンナオビを見つめると、カンナオビもじっと見つめ返す。
そしてどちらともなく、顔を近づけキスをした。
「カンナオビ。教えおくことというのは、この世界は仮想現実であるということなんだ。
死んだ後に、実現実になるかというと、そうも言えるかどうか分からない。要は、この世界だけをとって言えば仮想だということなんだ。それはどんなふうにもなりうる。まさかと思うような異様なことも平然と起きてくる。
20XY年からほどなくして、その地上世界という仮想現実を与えていたプログラムが終了する。みんなどこへ行くか。この世における死を通して、どこかへ行く。だが、ある者には別のプログラムが継続して与えられる。それが生き残りの人々の行く先なんだ。
たとえ仮想現実といっても、フィニッシュだけは形を整えたいという何者かの意向でも働いているのだろう。勧善懲悪とか、ハッピーエンドとかが、ほとんどの無縁人類を除く生き残り人類に用意されているんだ。それは確率的に稀な出来事としてありうるということだけを実現したがっているようなプログラムでもある。
そこで君は、ハッピーエンドとするための雛形を演じるんだ。新しい世界に正義と秩序を打ち立てるために、イザナギの雛形を持つ者と行動することになるだろう」
「イザナギは誰?あなたじゃないの?」
「それは一人とは限らない。確かにぼくもその一人になるだろう。生きていれば別人として君の前に立つ。死んでいれば、君の心の中にいて、君をサポートする」
「そうだったら、怖がることないね」
そう言うと、カンナオビはネアンの懐に飛び込むようにして抱きついた。

青蛇転生

話はかなり遡るが、 1999年の七の月、つまり最後の区切りの時、ネアンが自らの寿命にしてくれと絶望 しながら天に要求し、心で見限っていた満50歳の誕生日をむかえようとしていたその 前日のことであった。カンナオビがメール文をネアンあてよこしたのは。
もしその日までに新たな役割付与すなわち寿命付与の心が天になかったなら、ネアンは 紛れもなく早々に命終していただろう。人生におおよそ意義が見出せず、無駄な時間を費やしに来たものだと失望しながらこの世を去ったことであろう。
ネアンはただ誰もがそうであるように、漫然と50の齢を超えて生きたと、その時は思 っていた。しかし、固い決意で為した天との約束は、そのときにはそうと気付かぬよう に果たされていたのである。
カンナオビ、この不思議な相棒は、ネアンの役目を脇役のようにふるまいながら支える、 高貴な天女の化身だった。
2005年7月、ネアンは新神話をはやりのブログに上掲しようとした。このなかで神話を完結させようと思ったからで、カンナオビだけに見せるだけで十分だったものを、 広く公開しようとしたのである。問題はブログのデザインテンプレートであった。これ といういいのがないのだ。公開されている使用可能なものを探すうち、ふと見つけたのが、フラッシュ映像を用いたテンプレートであった。その映像は中国の神仙的情緒漂う彩色画を組み合わせたもので、たおやかなひとりの女性の心象風景が描かれており、バックに流れる中国人歌手の歌うメロデイに適切にマッチしていて、ネアンは言い知れぬ情感をかき立てられた。ネアンはこれこそ神話にあうと判断して用いることにした。(FC2ブログでテンプレートはzuitouの名前で登録されていた)
ところで、この心を打つ中国のメロデイは何なのだろう。ネアンは映像に字幕として出る中国語の歌詞を読み取って、漢文の連なりを訳そうとした。だが、象徴的表現をもってする漢詩を読み解くことはできなかった。残念に思っていた時、ふとインターネットでこの漢詩の文字列で検索すれば分かるかもしれないと気が付いた。
キーワードとして与えてみれば見つかること。歌の名は「流光飛舞」といい、そ れを主題歌にした映画さえも存在したのである。その映画の名は「青蛇転生」。かの白蛇伝の改変版とされる映画で、香港で製作されたものだった。ネアンはその事実に驚いた。
ネアンの第一番の解釈はこうなる。かつての神話における主役は白蛇だったのだが、新しくは青蛇が主役を務めることになったと。つまり、カンナオビが主役となったことを神話のもたらす兆候的シンクロが指し示していたのである。
少し前にゲンが見た白蛇と青蛇の交互飛翔の夢により、すべての新神話のヒロインのキャラクターがカンナオビに来たと解釈したが、改めてその後付けが取れたのであった。
カンナオビの情欲は動物的であった。官能を時間の限りむさぼろうとした。しかも、抱きしめることでも容易に達してしまうのだ。それはちょうど、蛇同士の交尾のようでもあった。
では、「青蛇転生」という1993年制作の香港映画とはどのようなものであろう。その内容に示そうとするものがあるからこそ、この導きの流れになっているはずである。
ネアンはインターネットでその映画を探した。すると日本向けの中国ショップでそれが売り出されており、カンナオビにもその旨告げて、さっそく注文を出して取り寄せた。

ネアンは映画「青蛇転生」にカンナオビと役柄の青々を重ね合わせてみる。
仲の良い姉妹のような関係の中にも、白蛇を主とした主従関係があったゆえに、同じ許仙に恋しながら、寸でのところで交わることができずに第二の天にいつも置かれていた青蛇。許仙もどちらかというと、控え目で愛嬌のある青々のほうに惹かれていたが、愛した最初のものゆえ、白蛇一途でなくてはならない身となった。青蛇は白蛇への嫉妬の想いをひたすら心の中に隠しておく可哀相な女妖怪であった。
だが、妖魔の臭いを嗅ぎ付ける修行者たちが、妖魔の存在を容赦していなかった。
許仙に妖魔の影を見つけ、毒酒を与えて許仙のしらぬうちに殺させてしまおうとする謀略に、かかったのは白蛇のほうではなく青々のほうだった。毒酒が捨てられたところが青蛇の眠る池だったために、苦しみもがいて池から顕した大蛇。その姿に肝を潰して許仙は死んでしまったのだった。
愛する許仙を助けるべく白蛇と青蛇は仙界に行き、不死の薬草を手に入れて持ち帰って、 許仙を蘇らせる。薬草を手に入れる際に、仙界を揺るがすような闘いを繰り広げたというのが原話にある。そのとき、術達者な法海が委託を受けて討伐のために降りてくるというわけだ。
妖魔退治がこのときは許仙をその手から救い出すという方便でなされることになった。
そして許仙の委託先は、仏教寺院であった。
「あれは妖魔じゃ。そのようなものに取り憑かれたら百度三世を輪廻して苦しもうぞ。
ここにいるみなと一緒に修行するのじゃ。みなと一緒に仏の解脱を目指すのじゃ」
そう言って、許仙を叱咤する大僧正であった。
頭を丸めて求道の道に入り、一心に経を唱え、仏の加護を祈って、世俗的な欲得から遠
離することに許仙は一心不乱となった。
法海はそれによって妖魔の憑きが取れると踏んで、大僧正に許仙の将来を託した。
だがこの妖魔はあまりにも術達者で手強かった。水神の化身でもあるから、暴風雨は起こすわ、海原は持ち上げるわ、孤島の上に建つ寺院は大地から揺らいだ。
法海は法力でこの妖魔たちを縛り閉じ込めようと術を繰り出せば、妖魔たちも術で応戦した。
だが、白蛇を突如陣痛が襲う。許仙との間にできた子がまさに生まれ出ようとしていた。
弱った白蛇をすかさず法海が抑え込もうとする。ところが、白蛇は人間の赤子を水中から取り出して、「私の命はこれまでです。この子だけは生かしてやって」と法海に差し出す。
法海はそれに気づき、攻撃をやめて赤子を預かる。
妖魔に対する僧侶たちの祈りと読経の力では歯が立たず、ついに許仙は青々によって連れ出され、海原の異変によって寺は根底から瓦解してしまう。
だが、仏の怒りか、寺院を飾っていた仏頭がはずみで白蛇を直撃。事態を察した青々は許仙を連れて海上に行き、白蛇と赤子の姿を求めるが、その影はどこにもない。
ただ呆然とするばかりで探そうともせず読経をやめない許仙に対して青々は怒る。
「あの妖魔に対して情け容赦ない法海といえども、子に対する憐憫の情は持ち合わせているものを。貴様は己が子でありながら、ようも識別できぬほどに愚者が演じられるものよ。そのような生き血の通わぬロボットのような者に恋したものこそ哀れ。貴様には死こそふさわしけれ。二度とこの世に生ずるでない。解脱でも何でもしたらよかろう」
青々は法海の見下ろしている前で、許仙を刀で刺し殺してしまう。「またもや人間に対して悪さをしたな。その罪は重いぞ」と法鉢を掲げてまさに攻撃態勢をとる法海の問いに、青々は、海中に死塁を築く僧侶の群れを指差してこう言う。
「有情としてこの世に生まれながら、有情として生きることを放棄した者達の末路とはこのようなものでございましょう。何故にこの世に生まれ、この世のかすかなる贅を敵視しなくてはならないのでしょうか。人と人は時には禽獣のように愛し合い、生まれて来た境涯をわずかな寿命の限りにおいて喜ぶのではありますまいか。それをさえも否定なさるのなら、このような光景こそむしろありがたく映るのではありませんか」
法海は、この世に生きることの真意にはっとする。
愛し合った二人の間に子供が生まれる。その行為の前には、人間も禽獣も妖魔も同格であろう。ただ雑念や煩悩を去り、解脱をひたすら求める心は果たして生きるということの理にかなっていたのか。
彼は捕縛の空間を撤去し、青々のなすがままにさせることとした。
ネアンは自分を許仙に一度ならずも喩えていることからネアンは想う。すでに自分は過去世に愚者を演じて二つの愛を失った悔悟の思いから、今生において成就すべきはこの二つの愛を昇華させねばと懸命に思っているのではないかと。
イナンナ。ぼくは君と君の子孫のことから、あの一件以来いっさい手を引いてしまった。
君ならば必ずやり遂げるという一種の安堵感もあったからだ。だが、本当にうまくやっているのか。もちろん、その子らはぼくの作った子ではない。だが、君はかつてぼくが愛した人。君と君に連なる子孫の幸せを祈らざるを得ない。
そしてカンナオビ。もう君しかいない。君の神話的サポートによるしか、役目もまっとうできない。それでも映画のように、ぼくの薄情を以てぼくを刺し殺すつもりかい?
そういえば、自分は薄情者だ。カンナオビとの妊娠騒動は、結果ネアンの卑怯さを晒してしまった。今度は青々との子供をも見捨てようとしたのだから。
イナンナに前の主人の子供がたくさんいたこと、カンナオビに資産家の主人がいたことは、因果は巡るとするなら、薄情さへの懲らしめとも思えた。
そのようなとき、またしてもカンナオビとネアンを試練が襲う。カンナオビを生理不順の波が襲ったのだ。9月の予定された生理がまったくない。ネアンには7月以来、自分に心当たるところがない。8月にはあったと報告を受けていた。ならば、単なる生理不順で片付けられるべきものであったろう。ところが、ネアンは8月頃からカンナオビがいささか出会いについて疎遠になってきていることに、苛立ちを抱いていた。というのも、かつてイナンナがちょうどそのようであったからである。あのときも、7月には子供連れで出会いがあったにもかかわらず、8月には突然メールさえも途絶えがちになっ
たからだ。そして、8月の破局。その流れがまたも再燃しかけているのかと訝っていた矢先、生理がないという。8月には彼女はかなりの外交をしている。とすれば・・。
あるいはこんなことにも考えが及んだ。8月半ばにカンナオビはひどく体調を崩した。
その直接原因は、自分に支障する妨害者に向けて呪詛を放ったものがたまたま間違えて
彼女のシンボルに当たってしまった故と思っていたのであるが、もしかするとそれはつわりではなかったのかの考えに行き当たった。となれば、自分が間違えて仕込んでしまったかも知れない。老いの道は緩んでいる可能性がなきにしもの感であった。
そこでまたもや、かつての妊娠騒動の思い出をぶりかえしてしまうこととなった。
このときは、ネアンはもはや彼女を今生においては幸せにできないという思いを堅くしていた。何となれば、彼女の夫が実に愛情豊かに持ち前の計画性をもって彼女との行く末をプランニングしていたからだ。タナボタ式行き当たりばったりのネアンとは大違いで、彼女の幸せは現状維持でのみ叶うと確信したからである。
もし妊娠していれば、彼女は速やかに適切な処置をしなければ、夫婦の関係は破綻する。
ネアンは彼女に暗に、堕ろすのなら、自分が相手方として産院に付き合うという旨のメッセージを送った。だが、カンナオビは、私はあなた以外の誰とも、主人も含めて相手していないと、的を外した怒りをぶつけてきた。それで、ネアンは覚悟を固めた。
彼女がどうしても産みたいとすれば、離婚とたいへんな試練の末にネアンのもとに来るかも知れない。それはネアンも大歓迎ゆえ、準備することになる。老体、病体に鞭打ってでも大歓迎である。それが誰との間の子であっても良い。カンナオビならば母子共に百足のわらじを揃えてでも来てほしい。だが、彼女の享受すべき幸せと安泰はそこまでとなる。それでいいのか。カンナオビ。ぼくは歓迎だが、君はせっかくのレールを外れてしまうんだぞ。
だが、この件は、10月になって、生理が戻りましたという簡単なメッセージで落着した。ネアンはまたも、青蛇に刺し殺された映画の許仙でしかなくなった。
だが、カンナオビにはそのような気持ちは微塵もなかった。ネアンを慕うものの、ネアンの側の心の揺れ動きが激しいので当惑していたのである。
カンナオビは、自分が生まれてきたのは、ただネアンに出会うためだけだったように思う。それほどネアンとの出会いは刺激的で、ネアンの持つ世界の奥深さに魅了された。
それでも、世の規範は守らねばならない。神ならばなおのこと、人の世ではへりくだり、則を越えてはならない。普段の生活は恵まれているものの単調で、面白みのないものであったから、天女でありながらも、厭世的な気鬱に苛まれた。しかし、彼女の夫がいろいろと興味を引く事柄を取り揃えて彼女に示したし、彼女自身も外交に打って出て、自らの厭世気分をまぎらそうとしていた。
会うべきネアンには会った。渡すべきものは渡した。これでもう、いつ死んでもいい。
でも、また地球に生まれるのかな。転生したとき、あなたを見つけられるかしら。
それを聞いてネアンはあわてた。
カンナオビ。ぼくは君の補佐がずっと要るんだ。今もそうだが、死んだ後も、そのさらに先までも、君が要る。
ぼくはもう地球になど転生しない。君と一緒に新しい宇宙を経営するんだ。こんな矛盾した世界には、絶対にしない。そのために君の協力が要る。あらゆるキャラクターが君に来たのは、彼らの意志も継いでくれという意味があると悟った。君と創る世界で、それらのアイデアを大いに生かしてほしい。
むろん今生でも、チャンスがあれば君と共にいたい。君でなければ、安住した気持ちになれないんだ。少なくとも、いつまでも近くにいて声を聞かせてほしい。
不思議なことだ。不思議なことだ。そのような因縁の者がここに集まって、新神話を作ろうとしているのだから。他に能のない自分には神話しかない。ここでしか力が発揮できない。
とならば、神話の役目の遂行だけが、みんなの関係を昇華するに違いない。
ネアンは新神話の完成を目指そうと思った。

日本史の転機

時は遡り、
地球年2000年、日本の行く末を賭けの材料にする政治家が現れた。その物腰にはど こか高慢なところがあり、他の人の意見など眼中にない。高度な情報をもとにした意見 も諌めの動議も、ことごとく感情に物を言わせた低惰な物言いの反駁で切り替えしてし まい、質問の相手をして、この人物は話しのできる相手足りうるのか?何物か?と訝ら せるだけの能しかない、単なるヤクザ論法の政治家をこの国はトップにすえているので
あった。
むろん その独裁者ぶりは、彼自身がゾン ビ化 されているから でしかなかった。
それ以後、この独裁者は、民間の努力をこともなげに自分の意思ひとつで覆す役割を演 じた。国益はほんのちょっとした政治判断ミスで大きく損なわれた。経済界からはこの 人物ではまずいというシグナルも頻繁に出されたが、一度任期がもたらされるや、とんでもない愚行を次々とやってのけた。それを英断と称える馬鹿も世論には多くあって、日本の舵は大きく地獄へと傾いていくのである。
時は60年前に遡る。原子爆弾を二県に投下されて、終戦を迎えたときに、ひとつの密約が交わされた。
当時、共産圏の勢力が強く、資本主義との対立軸が予見されたために、日本を戦勝国のトップであるアメリカが、防波堤たるべく一国としての温存を図ったのである。ただし、実質的には将来的にアメリカの属領となることを前提に、国体の維持および戦争責任や戦時賠償の免除と早期の復興計画が委嘱されたのである。
戦後の与党の足取りは、対米追従の形をいやが応にもとらざるを得なかった。まれに野党からトップが出たとしても、前提的に与党と足並みを揃えた歩調しか取れないのである。有権者たちの期待はそのたびに裏切られた。様々な種類の密約の事実が、時を経たアメリカの情報開示からときおり知れるようになるが、クローズアップされることのないものであった。それは識者と関係者だけの暗黙裡の了解事項なのであった。一般市民は、スポーツ、セックス、スキャンダル、事件などの話題のほうを好んだからだ。
それはさながら、子羊の群れ、平和なすずめの学校であった。彼らを牧するものは高度な計算を行い、未来においてこの国がどのようにすれば当たり前のように譲渡されるかを謀っているのである。
そのようなことを言えば、何をお前は根拠のないことを言っていると叱られよう。証拠を出してみろと。
ネアンはそのとき、おずおずと、でなく、堂々と日本神話を掲げるであろう。
古事記・上つ巻の神話に、国つ神が勝ち目のない戦争に負けて天津神に国譲りすることが書かれているのだが、その際に決定的に敗北を認める理由になったのが、タケミカヅチノヲの威嚇シーンなのだ。これは、原爆投下の光景なのである。その後、国津神の代表は、この国を譲りましょう、ただし従う八百万の神が本領安堵の状態でなくては従わないので、国の形と対面を保たせて、国の府を国つ神によって運営させてくれたなら、うまく国はまとまるでしょう、ただしあなたがたへの献上の料理は机もたわむほどにして、ご馳走させていただきますから、と条件までつけているのである。
たった数行の国譲りの態様の記述であるが、そこにちりばめられた神名の絶妙な符合といい、現代日本の置かれている立場をつつまず描ききっているのである。
戦後、古事記が天皇制廃止と共に古典の一部としてしか取り上げられなくなった事情は、おそらくここに預言された事柄が忌み嫌われたからであろう。古事記は、それどころではないほど多大な教訓を汲み取ることのできる預言書であるのに。
古事記はあからさまに糾弾しているが、国民はおそらくネアンをのぞいては知らない。
ちょうど、聖書が世の終わりを説き、一方でマネーゲームに勤しむアメリカ人の心の中にあって、こんなことがずばり問題になっているのだろうな、サタンの策謀に乗っているのだろうなと思いながら生活しているように、古事記も本来そういう性格のものであったはずであるが、国民が知らないのであれば、結局何の教訓にもなりえなかったことになる。
そして誰も予想もしない隠された計画が、向こうから計算された形で具体的にどう実行するか指図される。
その意図に逆らうことはできない。対案は向こうとの間に何度も秘密裏に交わされる。
第一弾は、日本の国力を向上させるべく世界の工場として機能させることであった。その中で、対立軸たる共産圏への成功の見本たることが要求された。多種多様な技術の粋を尽くした工業製品が世界に提供される。あの敗戦国が、どこの敗戦国や中立国よりもすごい伸びを示していく。それはバックにあるアメリカと資本主義の勝利の模範として示されたのだ。
このために、初動条件付けのために莫大な資金がこの国に投入された。それは見事に経済成長として達成されて、かのアメリカさえも恐れるほどとなる。その矢先、共産圏は急衰退し、対立軸に対する脅威は激減した。次なる脅威は、国力盛んなこの国となる。
利用価値のある間の友も、それがなくなり、脅威ともなれば、表向きは友情を装いながらも崖から突き落とすのが、プロのやり方というものだ。
そこで、日本の過剰な国力と富をそぐための戦略が発動された。高度経済成長継続の神話に酔いしれた人々に、バブル崩壊という洗礼が下ったのである。土地やモノや、実質的にさほど価値のないものにさも価値があるごとく思っていたことすべて錯覚であったと知るのである。その最中、国力の65%が損なわれた。
ところが、それがもとで経済破綻にまで進むかと思われたにもかかわらず、困窮してでも踏みとどまれたのはひとえに庶民が将来を託した預貯金によるものであった。殊に郵政省に預けられた多額の蓄えは、銀行などの破綻回避と不良債権処理のために税金を浪費した分の穴埋めとして、国の借金である国債につぎ込まれるようになった。国の監督下ゆえに何をしてもいいという族議員が、公共事業で国の活性化と銘打って公費の果てしない無駄遣いをその中からした。官僚も在任中の俸給だけでは満足せず、公認された天下りシステムを利用して税金の簒奪を図る。こうして、国民の将来のために用意されたはずの税金はおろか、年金原資にまで手をつけて、そのシステムさえ満足に立ち行かなくしてしまったのである。
すべては先送りの国民負担という解決策しかない状況にこの国は追い込まれていった。
その最中、カナダ、ロシア、メキシコ、アルゼンチン、韓国、タイなどで次々と経済破綻の嵐が吹き荒れていった。IMFとか世界銀行とか称する者は、アメリカに根拠を持つ巨大資本の意向を受けて、あたかも慈善的にふるまいつつその国を経済的に属領、植民地とするために、差し向けられた共同体である。
なるべく早急にその支配下から脱しなくては、国民が苦労を強いられる。このため、まともな国は国民の犠牲をなるべく少なくすべく、あらゆる知恵を絞って国難を打開するものである。ロシアではプーチンがIMFの要求を回避する方策に出て効果を上げた。
むろん、国民の助け合いの連携の良さが復興の下地を作ったのであるが。
だが、この国はどうか。何よりも、国民は無知である。過去の失敗の繰り返しを知りつつもお任せ主義に徹するだろう。このときも自浄力を発揮できず、政府与党や官僚にもし舵取りを任せたならば、数年のハイパーインフレと物不足の後に、無能力をさらして国譲りを選択するだろう。そのとき、この国はアメリカの一州となる。そうなれば、人種がどうこう言っておれない。残された脅威と戦うための最前線基地となり、全土がかつての沖縄のような地域となるだろう。それでも、その当時の世情の貧しさからすれば、受け入れざるを得ないであろう。
対面する囲い込まれたアジアの大国はいつでも戦争を起こしうる。台湾もある。経済バブルによる内部崩壊もありうる。こうして、日本は最も近くにあって、脅威と危険の最前線として存続することになる。
9月の半ば、ネアンはふと、すずめが外来種の嘴の黄色い鳥によって攻撃を受けて数を減らしているというニュースを耳にした。それでふと気がついたように外界を見る。彼自身、昨今は株や為替などのマネーゲームにのめりがちで、外界の変化に対するアンテナを閉ざしていたことにようやく気付いた。
おりしも田園は米の豊作の時期を迎えていたが、確かにいつもなら忙しげに集団を作って飛び回っているはずのすずめの姿がひとつもない。
同時に、カラスの姿もない。空には、ときおりムクドリと思われる小型鳥が遠くを飛び、とんぼや蝶がまれに目の前をよぎるだけであった。
すずめ、カラス、いかにもどちらも農家や町の人たちの嫌われ者であるが、ネアンはこの空漠とした、生命の鼓動のない田園の光景を見て、そぞろ恐ろしくなった。
そういえば、8月のある暑い日だった。営業用の車に乗って、車を駅前に停めていたときだ。バタンと音がして、見るとフロントガラスのワイパーレールの上にすずめが一羽止まって、口を大きく開けて訴えかけるような表情をしているのだ。それは長い間動こうとしなかったので、ネアンは接している足が熱かろうにと思ったが、すかさずデジカメを取り出して珍しい光景を収めた。そして何だろうとポプラの木をみやれば、生い茂った葉がごそごそ揺れている。かと思ったとたんに、別の一羽がそこから弾き出されたようにして地面に落ちてきた。
ポプラを占拠したのは、ムクドリのようなサイズの小型鳥であったが、正体は知れない。
地面のすずめはじっとポプラの無法者を見ていたが、やがてよろよろとした羽ばたきで向こうのほうに去っていった。それを見て、フロントガラスのすずめもよろよろと飛び去った。
その後、この地域のすずめは数を減らしたに違いない。9月半ばには、探しても見当たらないほどとなっていた。
奇妙なのは、カラスもいなくなったことだ。智謀に秀で、鳶のような猛禽にさえ一羽で戦いを挑み追い散らす。弱いはずはないのだ。あれほど地面でも空でも電線でも、どこにでもいたはずの種族のその姿がない。
まるでこの二者は、関連性があるかのようであった。その関連性とは、日本古来の最も土着性のある鳥類であるということだ。カラスは古事記に出てきて、日本の建国に寄与した。
すずめは、日本昔話に出てくるほどの日本人になじんだ生き物である。その無邪気さ、幸福そうなその光景は、どんな人でも微笑ましく思うだろう。その無邪気さゆえに、彼らに親切にするといつしか恩返しもあろうかと思われたのも、この国の国民性からすれば当然だったかも知れない。そういうネアンの父も、家の中に迷い込んで出られなくなったすずめを逃がしてやったその直後に、百万円の宝くじに当たっている。
このような幸福な種族が鳥類にもいる。彼らが飢えずまるまるとして飛んでいること自体、人にとっても豊かな励みであったと思われる。
言うなれば、カラスとすずめは、日本と日本人をあらわしているのだ。共同生活をトラブルなく営み、幸せを希求する国民をあらわしているのだ。
ネアンは、空虚な光景に愕然とした。兆候を見ることをいつも心がけてきた彼にとって、もろにショックとなった。その空虚な有様は、たぶん日本の近未来の姿なのだ。
その話をカンナオビにした。するとカンナオビは、あなたの朱雀としての役割はどうなったの、と聞き返してきた。
そうだ。朱雀だよ。朱雀としての本分は果たすつもりだ。この力で以て、とんでもない陰謀を企てる邪神たちに圧力と脅しをかけて、思いとどまらせるんだ。
ネアンは、鳳凰としての象徴も担う。とすれば、鳥類の王でもある。外来種の鳥の横暴に歯止めをかけられるのは自分しかいなかろう。
車を走らせていたとき、ふと二羽のよぎる見慣れた鳥がいた。すずめだった。
おお、いたのか!!
飛んでいく先を見ると、農家があり、銀色の瓦屋根に所狭しと一列に並んでいるではないか!!
50羽はいるだろうか。ちゅんちゅんと愛らしいさえずりが聞こえた。
その向こうの電柱と電線には、カラスが三羽並んで止まっていた。おとなしくすずめとともにこちらを見ているのだ。
ふと、彼らから言葉が伝わってきた。
「私たちは大丈夫ですから」
「本分を果たしてください」
彼らを助けずして、いかがなろう。

リーゼントの化け物

これもネアンが寂しいときにした空想である。
ネアンは灼熱の光源が中天から照る中、赤茶けた荒野に立っていた。
目の前に現れるべき化け物が現れた。それは上空の黒雲に達するかと思うほど巨大であった。
実はネアンがアポイントメントを取っておいたのだ。
「ネアンか。何の用だ。この俺様に呼び出しをかけてくるとはいい度胸だな」
化け物は人間のような姿をしていたが、体じゅうから血を噴き出しており、ボロ布をまとったその姿は、まるで原始人さながらであった。ところが、頭だけは違った。びしっと、リーゼントのヘアースタイルを決めていた。しかし、頬をくぼませた精悍な顔つきに濃厚な黒のサングラスをかけた様は、冷酷無比な印象を与えた。
「実にアンバランスで滑稽なスタイルだ」
「そんな中にお前も暮らしているのだろう。批評家はたくさんいるわさ。だが所詮、俺が与える餌を摂って命を繋いでいるのだ。こんなの変だなどと言う奴もいる。だが、俺の外で暮らしたいというならUFOにでも連れ出してもらうんだな」
そうなのだ。この化け物は地球の人類意識の権化を気取っているのだ。
灼熱の太陽が照る何もないただ風紋でうねる赤茶けた荒野にいるためには、たえず血を汗の如く噴き出さねばならない。そうやって体調の維持を図っているのだ。垂れ流されたおびただしい血が大地を赤く染めてきたらしい。
天仙邪神が有情を楽しませるための仕組みの中に、ときおり強制収容所の如き秘密の場所を置いて、心の底で組みしない者たちに教化を与えるとしているところに巣食う怪物である。だが、それは神として君臨している。
ほとんどの住人は、この怪物の魔力に負けて矛盾に満ちた輪廻をし、立ち向かえないものと諦め、諦観と空観によってようやく心の束縛を解くことにかろうじて成功する。
だが、なまじ解脱者には特に厳しい。からかいと嘲笑をテーマとする様々な試練を浴びせかけ、その志すらも瓦解させてしまおうとする。
なぜなら、この環境さえもありがたくなじんでこそ、また提供されるソフトをことごとく享受してこそ、神に喜ばれる者となるからだ。
確かに功過という採点法がテーマパークのゲームのベースにあって、心の動きを含む行動の一部始終が採点の対象とされるのだが、ことさらこの環境に対する不満を持つ者の罪を問う。政治犯とでも言うのか、彼らはずいぶんな皮肉な目に遭う。
こういうとき既存の宗教に関する信仰深い者なら、きっとこれは天命、天の摂理に反するのだろう、悔い改めねばと自らの所業のほうを戒める。
だが、ネアンは違っている。たえず裏で糸引く黒子のような評議衆の企みのほうを見る。
評議衆は現象が如何に不公平不合理であれ、それを演じなくてはならない役者の荒探しを生業としている。功過を得点し、それに応じて処置を講じるのだが、処置のほとんどは天仙邪神の意向を汲み、天邪鬼にも何がどの功過であったか判別することのできない処置ばかりするときている。そして、特に天に唾する者に処置は厳しいものの、何ゆえ唾されているかに思いが向かないロボット組織でもある。
このような者達に個々人の運命の差配を委ねているというのは、まさにどこかの国の官僚に実情無視の政策決定を委ねているに等しい。
地にもある如くが天にもある。このような邪神天下の世の中では、万民は不幸になるだけなのだ。
それがまた魂の鍛錬にとっては良いと考える聖者たちも多い。地獄から天国まで見聞してくるのが魂の務めだとか言ってごまかす。だがそれは、長いものには巻かれろの事なかれ主義者でしかない。そうした者が多数集まって砦を作れば頑固なものとなる。どこかの国の政権がいつまでも変わらない裏事情と等しいのである。特に世界の縮図と喩えられたこの国の有様は、天にも適用できるほどの見本を示している。まさに地にもある如くが天にもある、である。
聖者たちがそうであれば、その教えを受け継ぐ信仰深い者達はその思想になびく。適応できない者は外壁にあって淘汰の嵐にさいなまれている。こうして邪神の砦は、周囲に悲惨な血を撒き散らしながら、高貴なリーゼント頭を維持しているように見えるのだ。
顔は映画マトリックスのエージェントさながらであった。それはかの神戸事件を起こした酒鬼薔薇少年が直感的に描いたバモイドオキ神の姿にも似ていた。
ネアンはこの怪物に向かって言う。
「グロテスクな生贄の砦か、お前は」
「平面的に見るな。ここから巣立つ者は二周りも大きくなって去っていく。その試練の場をここで提供しているのだ」
「ならば、出獄者リストを見せろ。入獄者の数と同数ならその言い分にも一理あろう。
だが、出獄者が圧倒的に少ないなら、生贄の監獄のそしりを受けようぞ」
「嫌ならばその旨申し出てここを去ればよい。なのに、何度も何度も受験したがる者ばかりではな。こちらも話題提供に苦労している」
「あの振り落とされる一滴一滴の血がか」
「そうだ。もういちど、できたら頭の細胞になりたいと志願してやってくるのさ。動き回るたびに、足元にすがり付いてくるから、吸い上げてやっている。あるいは手で掬い上げて口から食べてやる。それが私の食事だ」
「ケダモノのさせるままにしておくわけにはいかないな。この荒野もろとも焼尽する以外にない」
「もう俺様に関わらないでくれ。ここは好き好んで来ている者たちの楽園なんだ。遊園地なんだよ」
「嘘をつけ。嫌になっている者があまたいるはずだ。瞬刻でもその気になった者がいたら、つまらぬ洗脳操作などせずに即時解放しろ」
「嫌ならお前だけが去ればよかろう。今すぐにでも吐き出してやるわさ。解放されたいのだろう。ならばそのようにしてやるとも」
「それは当然のことだろう。誰がこんなところにいたがるか。だが、私は全員解放を目指してここに来ている」
「頼むから、干渉しないでくれ。これでもみんなの総意でなる立派な生き物なんだぞ」
グロテスクな巨体はとぼとぼと歩き去った。たちまち、かげろうのようなぼんやりした影法師になってしまった。ホログラムであった。
ネアンはいったん朱雀の形をとって、焼却の構えを見せたが、そのまま行かせることにした。
人類の集合意識ごときではらちがあかない。

宇宙からの干渉の 要請

ネアンは、邪神の意向で高観の見物に終始していた、かたくなな第三者的宇宙人(神を気取る宇宙人とは別)を動かすべく、火の鳥を起動して指向性ある熱波動を宇宙連合に対して照射した。
今までネアンが幾度も会見をUFO縁者を介して希望していたにもかかわらず、あれは夢物語であろうとでも言いたげにことごとく無視し、あるいはくだらぬからかい半分のジョークのような反応しかよこさなかった者たちである。
会見して、地球の矛盾を解決する相談をし、どうしても早期介入の約束を取りたかった。
それが無視されるなら、直接おまえのところの存亡をかけて、地球の邪悪を殲滅せよと脅しをかけるしかない。
映画のような宇宙戦争は、アメリカを始めとする頑迷な自国のみ良かれという国に対してだけ行われるべきである。それも、全天を覆うほどのUFOの大群によって、完全なる無条件降伏に追い込まねばならない。そこに、何らかの兵器が使われるとすれば、攻撃した者に対する圧倒的な報復として地球人に観測されねばならない。こうして、無条件降伏が実現する。
自然災害のハリケーンは、本来圧倒的な力をもつ人為としてやってこなくてはならない。
なぜなら、人為によって自然界は痛めつけられたからだ。
ごくひと掴みのゾンビ人間が政治を仕切ったこととはいえ、正しい者が立ち向かえなかったことの罪は大きい。
旧来の体制にしがみつく者は、一掃されることとなる。正しい者たちが、新しい価値の創造を行っていくからである。
正神についても同じことが言える。弱さのゆえに立ち向かえなかったことは、あらゆる有情にとっての損失であり、いざという転換期にさえ邪神側を擁護するようなら、滅ぶべき邪神とさほど変わりはない。
正神はこの機に乗じて邪神を根絶しなくてはならないし、新たな正神による平和統治の仕組みを完成させねばならない。
圧倒的に他の国より優位に立っていたはずの国が、宇宙からの挑戦によって、無力を露呈する。たとえばアメリカは日本神話に言う天津神の位階から国津神へと転落する。
勝敗の勝利のみに頼る者は最後に敗者として終わらされて初めて反省の土壌に立つ。
この神話のパターンはどこまでも時間軸に沿って相似形に働こうとするが、その後はもはや適用されてはならない。旧神話は、新しい体制が出来上がると共に、焼却されて再び省みられることはない。忌まわしき、人類誘導の原理は根絶される。
正神が呪われた神話を撤廃し、すべての有情に正しい見識を取り戻させることになる。
火の鳥は弱々しく優しい正神たちを灼熱の焼却力で支援する。それは、宇宙最強の最後の兵器である。梵天なら脅しに使うものではないと言うであろうが、邪神相手にきれい事など言っておれない。徹底的に殲滅するまで、ちょうどペストの流行を完封する如くに徹底しなくてはならないのだ。

最後の戦い

地球年20XX年8月、天仙邪神どもは、最後の戦いに打って出てきた。
ネアンの戦意を真っ向から殺ぐ作戦に出てきたのだ。
邪神にしてみれば、ネアンが役割上する神話の遂行にかかわることは把握できなかったものも、彼らの仕組んだマネーゲームに取り込まれれば、彼のしていることが丸分かりになる。その術中にはめることさえできれば、ネアンをどのようにでも料理できると踏んだのだ。
まず、彼の所得に圧力をかける。同じ仕事をしている者に有利に、彼に不利にすることにより精神的に揺さぶりをかける。この結果、ネアンがいよいよ邪神たちに対して火の鳥を使う意気込みをあらわにさせてしまうことは得策でないから、そこでマネーゲームを有利に見せて用意するのだ。
株取引の旨みを彼の仕事仲間を介して伝えさせた。
ネアンはそれに同意し、やり始める。すると一つ一つうまくいくではないか。こうと思った株はその時点から値上がりを見せ、彼の投資意欲を誘った。
そうするうちに、ネアンも実業のジリ貧を知るゆえに、この虚業をこなして損失補てんできることはむろん、これだけで生活ができるとまで考えるようになった。
デイトレードで今の月収ぐらいは何でもないと。
そう思い込んだ時点で、ネアンは神話の役割の軌道から外れて、邪神のマネーゲームの虜となった。
そうなれば、ネアンのしていることは邪神に丸分かりである。邪神はこの掌の上で転がされる一介の金の亡者をどのようにでもできるのだ。
「こんな奴に長いこと蜜を吸わせておくことはない。こいつを叩き潰すためになら、世の情勢も変えてしまっても構わぬ」
「分かった。こいつはとても気が小さい。金の少しの増減に神経を尖らせているから、わずかなことで崩れるぞ」
邪神の一人は、イカズミ郵政改革を発端に国政が大きく揺らぐという懸念を作り出した。
「終局までのシナリオは決まっているのだからな。少しぐらい早めたところで、ネアンというキーを叩き壊すためにはやむをえない」
こうしてネアンは、まんまとその術中にはまった。
どんな株をこうと思って買っても、ことごとく値下がりするのだった。あてずっぽうでも五分五分。なのに調べて買っても、その時点から下がり始めるという事態に、どうしたことだ、運の神は見放したかとまで、神話のことを忘れて思いつめるようになった。
邪神が一時的な快楽を与えただけということを気づかないまでになっていた。さらにネアンは持病ばかりか、予期せぬ腹痛や掻痒症にさいなまれるようになり、非常な不安に襲われて気が狂いそうにまでなった。
だが、実業、虚業、また病魔の罹患などへの不安などの度重なる不運に見舞われるようになると、ついに思い出したように神話に振り向くのが人間たる所以である。
地球年2005年10月。ネアンは目が醒めた。
そうだ。神話で自分は戦っていたのだった。それを見落とすほどに、悪夢の中に埋没していた。
それからネアンは毎日、火の鳥を観想するようにした。それは自分が虚業にのめりこんでいる間、まったく行動していなかったことにより、邪神たちが焼却熱の間から立ち直り、再び戦を仕掛けているに違いなかったからである。
彼は自ら朱雀となり、火の鳥を起動すべく立ち上がるシーンを観想した。
と同時に、梵天、弁天、毘沙門天を初めとする太古の神々、正神に協力と出馬を依頼した。
もし正神の出馬なくんば、焼却処理の限界を見極められないと。
宇宙さらにその上位の宇宙、さらにその上と、階層的に連なる宇宙すべてを焼き尽くし かねないからである。
これを知って正神たちは、こぞって火の鳥の起動に賛成した。
背中に羽根の存在を感じる。そして背中の筋肉を働かすや、大きな広がりの赤い翼は、身体を浮揚させるように動き始めた。
両足を蹴って出る。すると空中に舞って出た。目指すは、天空に赤く染まった曇のような大きな広がり。次第に嘴と鳥のような姿が露になってきた。朱雀の接近に伴い、火の鳥がその全貌を現し始めた。
幾筋かの矢が朱雀めがけて飛んできた。だが、そのような弱々しい兵器はまったく無意味であった。
朱雀はみごと天空で火の鳥と同化した。
そして、地球に相対する。そして呼び出す。
「天仙の長、元始天尊よ出てまいれ。闇太后出てまいれ。太公望出てまいれ。バイオモドキ・ゾンビ神よ出てまいれ。
天仙邪神の意向をお上の意向として聞き従ってきた者たちはいくばくや数知れず。その者たちも、天仙邪神に反旗を翻し、正神に今すぐ着くならばよし。天仙邪神になおも付き従うなら、天仙邪神の軍に合流して前に出でよ。今が決意の時なり」
呼ばわる音声は地球内外に木霊し、あぶりだされるようにして、元始天尊以下の天仙邪神とそれに付き従う者たちが火の鳥の前に勢ぞろいした。
「お前たちにかける情けはもはやない。してきたことの罪を思い返せ」
正神たちが全員でそのように言い放つや、火の鳥は50億度の最初の猛火を天仙邪神軍に浴びせかけた。
逃げられずにそのまま焼かれる天仙邪神軍。
肥え太った魂魄からあふれ出る脂にどっと火が着く。天仙邪神どものうめき声がいくばくか木霊して、やがて真っ黒な脂となって猛火の中で長く焼かれ続けた。
地球年20XY年6月、このような者たちは意識原理の目を断たれた者となる。いかなる場所にももはや存在しない。
このたびの神話はそのように改定された。
悪しきマトリックスプログラムを与え続けてきた者たちは、その体制と共に滅び去った。
ロアーはいつしか正神の側に組していた。お上の意向として従ってきたロアーであったが、土壇場で寝返ったようだ。
ロアーはネアンに対して言う。
「私はマトリックス時空を分配する者であった。だが、お上の意向には奇妙なものをかねがね感じていて、この仕事をこなすうちに、マトリックスの中で面白い気骨をした君の存在を知って、もしかするとこの大仕事がやってのけられるかも知れないと思い、君に役目を託すことにしたのだ。それは難儀な作業だった。別誂えされていた救世主の時空を、君の従来の時空に矛盾なく接続することが特にたいへんだった。このために有能な公儀隠密が接点をつけるために投入された。カンナオビとイナンナがそうだ」
「ちょっと待ってください。ロアーさんが前提に言っているのは、天上人の宴の話でしょ?あれは現実でなく、作り話ですよ」
「いいや、そうではない。作り話なんかじゃない。あれは君が実際に生きてきたパラレル宇宙での話だ。ひとつのマトリックス時空における現実であり、私は君の活躍をとくと見せてもらったし、これなら救世主に相応しいと踏んだのだ。君は独特の時空論を編み出したが、それは梵天の主催する創造の原理そのものだった。つまり、創造主から君は認可を受けているのかも知れないと私は考えた。それほど強いバックアップもないか
らな。そして、それはみごと当たっていた。君が様々なキーワードを集めて辿りつくところまで君自身を定義した。
マトリックスの世界においては、悟りのすべてが謎解きのようなものになっている。人はひとつの時空の旅でどれほどたくさんの悟りという成果を得ていくこともできる。君は君の生きてきた中から、不動のものを得て、それを活用したのだ。いつかは、こうなる時のくることが分かっていた。マトリックス世界もいずれ改革されるときが来ることだろうと」
「マトリックスは残るのですか?」
「そう。しばらくは残されるだろう。みんなからいきなり時空を取り去ったらたいへんなことになる。そしてまた、君も知ってのとおり、どこからマトリックスでないという保証も、絶対時空について君も私もよく知らない以上、ないわけだ」
「全部焼いてしまえば、最後に残るのが絶対時空です」
「おいおい。穏やかじゃないな。さて私は、天仙邪神の一掃された時空の制作に携わらねばならない。みんなをそこでどれほどの期間か遊ばさねばならないからな。過去を忘れてしまえるほどに幸せにしなくてはならない。君もその中で憩うのもいい」
「カンナオビが一緒でないのなら、行きません」
「おいおい。彼女は海の者だぞ。君は山の者。人生は一期一会の中に相互作用の成果があることでよしとするものだ。テンポラリーな関わりがあるのみ。それがマトリックスの・・。おお、いかん。改革されねばならんのに、また旧態依然としたマトリックスの思想を述べようとした。よし。二人が共にいたいというならば、みんなの幸せのためにオーケーすることとしよう」
「自信がないんです。カンナオビが本当にぼくを愛しているかどうかの」
「彼女はけっこうな女であるが、君に心酔している。大丈夫だと思うがな」
「だめなときは、マトリックスを恨みます。ぼくの敵は最終的にはマトリックスの幻影なんですから。これにはいつも辛酸をなめさせられているんです」
ネアンはそう言って、翼を動かす体操をした。
「かつての幻影は良くなかったということだろう。これからはそうではない。実に素直に君たちの要望を叶えてくれるものとなるはずだ」
「そう願っています。でもまだ、朱雀であり続けますから。マトリックスをそもそも信用していないので」
「仕方ない。我々は何の意図を差し挟むこともしないつもりだから、君が彼女に愛されるものとなってくれることを望むだけだ」
「分かりました。努力します」

カン ナオビによる国常立尊の救出劇

形而上における筋書きが先なのか、それとも現実が先なのか、それは分からない。
ロアーの作り変えたと思しき成行は、次なるシンクロとなって現れた。
カンナオビのこたびの公儀隠密としての功業については、すでにしてきたように、観念的だった新神話を、現実のものとして辿ることにあった。
雛形は、現実世界において、神話を祭祀として演じなくてはならない。それはシャーマン世界に共通する、シャーマンが執り行うものとされる劇なのであり、宇宙をガイドする祭り事なのである。
またもカンナオビの役割において、不思議な成行きがあった。
ネアンとの七周年になる直前に、カンナオビは密かに火の鳥に乗って、かつてイナンナが半遂のままにしていた国常立尊と豊雲野尊の救出劇の行程を辿る業績を、見事やり遂げたのである。
まったく偶然と思える中で、カンナオビはレジャー目的ではあったが、航空機でまず沖縄に飛び、数日の後に、今度は北海道へと飛ぶという状況が発生したのである。十日で二つの行程をこなしたことになる。
彼女の魂にはいつものことながら、ネアンのエネルギーが付随していた。それは密かにしろ、ネアンの操縦する火の鳥が同伴していたことを意味する。
つまり、新神話のかつての観念的な成行きが、まさに雛形として実行されたのである。
彼女の夫君もまた、彼女の功業を補佐する正神側の忠臣であったから、こうした強行軍を自然にお膳立てしたに違いなかった。
国常立尊と豊雲野尊は、この文が書かれている今頃は、ふだらくの里でしばし疲れを癒していることであろう。病があれば治療しているであろう。
こうして現実的にも、天仙邪神との決戦の時は近いものとなった。
だが、ネアンには心配が出てきた。なにゆえカンナオビは七という数を満ずる前に駆け込むような行動をしたのか。それはもしかしたら、公儀隠密としての任期のせいではないのか。
偶然そうなった成行に、形而上の計らいを見たわけであるから、またもその計らいに疑念を抱かざるを得ないネアン。
そんなある日の夢は、まったく内容が不明であったが、場面は暗く終始して、カンナオビとの別離の予感を漂わせ、目が覚めたときには寂寥感が心に満ちていた。
<カンナオビは本来あるべき人生に戻ったのかも知れない。自分の態度としてはこうあるべきだ。よくやってくれた。あとは、一連なりにある時空の彼岸で彼女を待つ。あるいはそれまでときおり口に出していたように、彼女の心の中で生きるのもいいか>
翌日には、それを暗示するような夢を見た。ネアン自身が女性で、オープンテラスの椅子に腰掛けていた。隣の椅子には高田純二風のフィアンセの姿があり、その男がネアンの演ずる女性の傍にやってきて、肩越しに手を置き、「今日も抱いていいかい」と言ったのだ。
そのとき、自分が演ずる彼女の口を突いて出た言葉にネアン自身も驚いた。女性の声で「だって、あなたの妻じゃない(遠慮しないで)」と、ためらいなしに答えたのだ。
目が覚めてから考えた。これは自分がカンナオビと同化したのかも知れない。
意識とエネルギーを移入できるのは、今や彼女だけだから。
自分が男と分かっていて言うのであれば、そんな答え方をすることはない。
男にはまったく興味がないからだ。
彼女と同化しているから、彼女の目と思考によって、内側から眺めている存在となったのではないか。
では、高田純二風の男性とは・・性交渉をなくしたはずの旦那様?
彼女は美容へのたゆまぬ精進が実り、年を重ねるごとにいちだんと美しくなっており、興味の失せた旦那がその気を回復させたとしてもおかしくはない。
<ならば、いいんじゃない?やっと完璧な幸せを叶えたんだ>(カンナオビは 実際に、ご主人のことを高田純二そっくりに思っていたと後に語った)
ネアンは、隠居の余生に向かってのカンナオビ夫婦の門出を祝うべき心が、たまらない寂寥感に閉ざされるのを感じた。
<いいんだ。ぼくは今生を終えた彼女が欲しいんだ。ぼくは現世では模範的な教師たりえないのだから>
ところが、カンナオビは依然としてネアンしか相手にできていないことを告げられ、ほっと安堵すると共に、カンナオビには特別バージョンで応えた。
また、ネアンは数日後の未明の夢に、今度は金正日の夢をまざまざと見た。それも、自分は彼の側近であった。その距離1~2mしか離れていないため、金正日はリアルなすごみと質感に満ちていた。
この経験から、ネアンはどこに意識の目を宿すか分からないにしても、他人の意識の中に宿ることができると思うに至った。
<コントロールのできない夢見の力だ。これでは、周りの者が迷惑するなあ>
梵天とはこのような方法で個々人に宿り、同じような観方で外界を眺めているのかも知れない。梵天に帰命したら、このような体制をとるのだろうか。そう思うと、梵天といえども、いい経験をしているのかどうかと思えてくる。それはちょうど、強制的に直面させられているといった感じだからだ。否応なく。
いやしかし、誰しも感動に涙することがあろう。そのようなとき、自分が泣いていると思うのは早計かも知れない。情に厚い梵天が心の奥底で感動して震えているのではないだろうか。傍観でなく、自分でどっぷり経験したいと思ってしまうのが梵天とすれば。
<梵天は、なかなか夢身を諦めないかも知れないなあ。だって、何兆もの有情の奏でる音色は、どれもこれも異なっており、感動ものだろうから。もう、なんとかしてよ>

桃の実のこと

ある朝、ネアンは窓の外に目をやった。遥かかなたの民家の屋根のおりなす地平に、紅の朝日が顔を出したところであった。朝日はひしゃげて、ちょうど桃の実のような形になった。
桃の実は、古事記にUFOの形容として登場する。桃の実に似た朝日の色は真紅であったが、逆に2005年11月に六甲山で見た二十機ばかりのUFOは、形が球体ではあったが、ちょうど桃の実のような淡い黄橙の色をしていた。古代のシャーマンは、このタイプのUFOを桃の実と形容したに違いない。イザナギが黄泉の国から脱出するのに功ある存在とされているものだ。それはかつてあったことであり、また今の時代にあっては預言ともなっている。そのように人類の歴史は繰り返しており、またも次なる繰り返しのために、まさに滅びなんとするのが初動付けられた人類史なのだ。
人々は、歴史の輪廻に無常観を以て接することを賢明とする。だが、神界においては、そうなるに足る動機を伴う歴史があるのである。人々は、その領域に思いを致す必要はない、とされている。だが、想い描くことのできる者は、勇み足なのか、あるいは何らかの使命を持ったものか、様々に思い巡らすのである。
桃の実は、金剛界密教曼荼羅にも描かれる。菩薩の位置に桃の実が描かれている。
この伝承も、UFOが救済者として位置づけられていた形跡を示唆する。UFOは仏や菩薩に見立てられ、聖衆来迎図へと想像の変化を遂げている。
だが、ネアンが六甲で見たUFOは、別の角度からビデオカメラで撮影されており、テレビ放映もなされた。その映像には、白く発光する大きな星のように映っていたのである。
球体であることは同じなのだが、色と発光について異なっている。
ネアンの見たのは錯覚なのか?いや違う。
カメラは修飾されない情報をそのままに写したのであり、ネアンは人の認識というフィルターを通して見たのである。人の認識過程には、直接的な情報の観測を頭の中で整理して、理解し易い形に置き換えをする「修辞」の機能が備わっているのだ。
その度合いは、個々人によって差があるかも知れない。最近科学的に知られるようになった「共感覚」と関係があることは無論だろう。UFOを見る見ないからして共感覚は関わっているのだ。信仰心ある者は、よりいっそう修辞して佇立した菩薩に見立てるかも知れない。そのとき彼は、仏の来臨と思うかもしれない。
ネアンは、夢の中に白く発光する球体UFOの登場を何度か見た。それは我が友達と心の底で認識しながら見ていたのである。仏という思いもない。聖霊という思いもない。
ただUFOは個々に意識を持つ天使か友達という思いであった。
彼らに悪い意図は感じられなかった。それは直感的に正しいであろう。神界は広く、形而上から形而下までの範囲にあって、半ば正神、半ば邪神に属する神々が混然としている。
その中の正神に属すると思われる不思議なUFOなのであった。いや、彼らは絶対に正神なのだ。何よりも自分の感覚がいい奴という思いを持っていた。
また神話的にもイザナギを助ける役目を果たし、黄泉軍を撃退しているのだから。
黄泉に属するものこそ邪神なのだから。
ネアンの新神話が一部功を奏する程度に留まるなら、旧神話古事記のシナリオが現実化するかも知れない。そのときは、カンナオビが世界の浄化過程に取り組む「カムナオビ(神直日)」の役柄として、特に「水」を象徴とした方法で神話を牽引するだろう。
なぜなら、カムナオビ(神直日)は川の瀬に生じた神だからだ。
イザナギの行く手を水によって清め、さらに神界を清める神だ。
神界に準じて自動的に地上界が清められるという展開を辿るだろう。
ネアンは、自分が命終すればUFOの仲間の中に転生して、カンナオビの危急を救ってもよい。一人で何役でも果たしてやると思った。
(残念ながら、カンナオビは2010.5に先んじて逝去した。 カンナオビは生前、夢でUFO乗りの訓練をしているシーンを見ているので、逆に救出に来てくれる側 かもしれない。理想を言えばそうなる)
その後、ネアンはカンナオビの心の中に住んで、そこから外界を観測しながら彼女を支えるであろう。
正神側が敗北してしまわない限り、ネアンは魂を滅してはいない。
神界に自らを活躍させる場を見出せないときは、カンナオビのもとで隠棲する。
そして、ときおり彼女の心を動かして、大恩ある母や弟を見舞うことだろう。
それからは、正神が存続している限り、様々な理想的な展開が待っている。ネアンがした新神話による新しい宇宙創造の理想の誘導もそのひとつ。あるいは、その他の者によって並行的に神話が奏でられて、その方面からの理想の誘導もあるかも知れない。
正しい世界のあり方が多くの有情によって希望されている限り、正神は必ず勝つことになる。
紅の朝日は丸くなり、やがて橙から金色となり、光輝のまぶしさを増した。
ネアンの心に太陽神のエネルギーが満ちてきて、心身が清々しさで満たされた。
悲しみに打ちひしがれた有情たちよ。居所をなくして彷徨ってきた有情たちよ。あなたがたは、悪しき世界の苦しみや痛みを知った者である。
対偶にある正神の世界に来なさい。あるいは、純然たるネアンの宇宙に来なさい。門戸はあなたがたの前に開かれている。

円滑なるシナリオ

天仙邪神が一掃されたために、時空への干渉が断たれたからであろうか、それともロアーたちの制作した新時空が円滑に繋がれたのであろうか。ストーリーだけはストーリーらしくかくあるべきかと思われた。
アメリカの金融資本は、巨大なマネーの眠る日本に次の生贄のターゲットを定めていた。
日本の歴代首相が訪米の折、秘密結社にいつしか加わらせ、そこで寄生ロボトミーを施して、自分たちの計画遂行の手足として使おうとしたのであった。ロボトミーはかつてはグレーの技術で行われたが、最近では外科的手段を用いずとも、宇宙生物を寄生させて脳ごとコントロールできるのである。寄生された宿主は自らの思考や感情を異なった系統から受けるようになる。
イカズミもその例であり、郵政民営化などという時代遅れな改革案を旗印に、国民の無知と退廃に付け込む形で人気を博したが、病体日本にとどめをさすための刺客として差し向けられていた。
ネアンは郵政に貯蓄があったが、先行き不透明のため運用先を変えようと順次引き出していきつつあった。同様に、民営化が達成されれれば、国民は同様のことをするであろう。すると、郵貯は預金返済のために、運用に当てていた国債を売らねばならなくなり、引き出しの規模がふくらめば、その量も大きくなる。すると国債は値下がりを開始し、銀行も国債売りに追随し始めて、暴落へと加速する。一方では金融機関の取り付け騒ぎ
のようなことがおきそうになり、政府は事態鎮静のために、預金封鎖を発令する。こうして国中はパニックとなる。それが日本の国家破産の事態である。
カンナオビの願いによって、ネアンは破局前にUFOに介入させるようにした。
ファイアーウオールで宇宙間に障壁を作り、天仙邪神の劣勢をUFO側に印象づける。
日和見主義的な宇宙連合もこれにより動き出す。
アメリカの協力関係にあったグレイ種族は、元の神話から生まれた未来の地球人である。
時空の秩序は保全されねばならず、既に定まった歴史の改ざんはできないと、宇宙連合と喧々囂々のやり取りがあったが、歴史の補強に現れて干渉するのはむしろ違法であるとの宇宙連合の判断で、グレイを圧迫した。
いくらかの戦いの後、圧倒的な力の差でグレイは地球から追い出され、未来宇宙へと帰っていった。
宇宙の異変を知り、計画の遂行に躊躇するうちに、宇宙連合のUFOが各国の主要都市の上空を占拠し、地球着陸が開始される。諸国の国防軍は少し動いただけで、相手がUFOであるため、攻撃を断念。
こうして、諸国の首脳との会見は果たされていった。そして、あらゆる先見的データーを各国首脳は見せ付けられ、人類の真の平和的発展のため、全面的にアイデアと技術を受け入れることとなる。
歴史の見直しから始まり、巨大な燃焼系のモーターを生み出した市場原理を根底から廃絶することとなる。一惑星の中で半永続的な無公害サイクルを実現するためのアイデアを即座に実行していくこととなる。
従来の金融サイクルはすべて廃止され、現実にあるもののみが実質的価値を持つものとして捉え直される。
人類の今まで築いた有用な技術を結集して、国土の緑化と農業基盤の整備を気象との整合を勘案しながら進めるという、以前の神話からすればまったく手順の異なった(不完全な人間の愚かさに起因することとして、すべて潰して一からやり直すのでない)、自立心を活用した方策が講じられた。
石油資源利用は改革とともに段階的解消。風力、太陽光などの利用、そして何よりも磁場のポテンシャルエネルギーなどを利用した半永久機関の活用がなされるようになり、世界に公平に分配されて、すべての国民は資源的に潤うようになる。
地球を意図的に使用不能にしようとした金融資本家たちは、金で人が踊らなくなり、頼みのグレイはどうしたのかといぶかったが、どうにもならず、元の計画の全貌が識者によってつまびらかにされるや、人々に処刑される前に自殺するか投降した。死の商人たちも即座に解散した。
国土はよほど無理なところはそのままにされたが、人口は住み良いところに自由に移動できるようになった。
誰もが適当な耕地を手にし、自らの糧を自然から得ながら、地球の生命サイクルに合うようにのみ生活すれば良くなった。
そのうち人々は、食事をいっさい摂らなくても生きられるようになった。食事というものがいつも満たされてあることが、いつしかそれを意識せずとも良くなったのだ。貨幣というものもこの頃にはなくなり、物は必要とされるところに必要なだけ供給されていた。
木々の緑は以前からこのことあるを知っていたかのように緑を鮮やかにしていた。
おりしもフォトンベルトに地球は会座していた。それは火の鳥の翼の一部であり、耐えられるだけの者たちが肉体を保ちながら生存できるように計らわれていた。それはつまり、心の羽毛ほどに軽い者たちであることを意味し、幸福なる環境を身を以て体験できる者たちであった。
あらゆる存在を作る物質のレベルが加速度的に上昇して、たとえ堅いはずの金属物体といえども意志の力だけで容易な可塑性を呈した。物質でできた人間をはじめ生物たちも、一種の半プラズマのような構造へと変化していた。すると、かつて死んだはずの霊魂も彼らの観測にかかるようになり、交流が為されるようになったのである。こうして、霊肉一致という状況は、地球環境の土台から実現したのである。
働きを搾取してやまないシステムは根底から潰れた。
悪の勢力を勢いづかせて、システム全体を半永久的に永続させるエネルギーシステム系は、その実、全体の存続を脅かすガン組織のようなものであった。ガンは老衰と死のサイクルを逸脱し、増殖して全体をその毒によって弱らせ早期に死にいたらしめるゆえに切除焼却さるべきものであった。全体の死と共に終わることも分からず、暴走して自らの死を早めるだけのものであった。
たとえ一時的な成り行きとはいえ、そのような宇宙が漫然と認可されるのなら、あるいは内部浄化して元に戻らない性質のものでしかないのであれば、宇宙ごと焼却されて終わるもしかたない。そういう論理で宇宙の傍観者たちの日和見主義は正された。
原初のサイクルに戻り、奇跡的にガンは切除されて正常細胞だけになり、世界は温存されたのだ。
ネアンはたとえそれがプログラム時空だとしても、害意がなくなったことで、システムの存続を了承する。
どうだ。こういうシナリオなら、今の時代の延長上にあってもいいではないか。少なくとも、そうならなくては嘘になる。
ネアンは、現状のマトリックスプログラムを大きく改訂すべく、新神話をバージョンアップさせていった。

2005年末稿了