奥人の夢見超常体験記 2000年以前(50歳になる以前)の夢

はじめに

私は、夢見で啓発されることを多く体験しておりまして、けっこう特殊な能力なんだろうと思っていたのですが、ヘミシンクという方法によって非常に簡単に夢見体験ができることを知りました。その方たちは、夜の眠りの時間帯を、レム睡眠、ノンレム睡眠の一周期ごとに、明晰夢で異界体験をして、そのたびに日記をつけるごとく、夢の内容を記述していかれているそうです。いや、実にすごい時代になりました。

やはり、明晰夢というのは、肉体ではない別の身体での体験であるようで、現実を総合的に別世界からの視点で捉えることのたいせつさを教えてくれるように思います。

ヘミシンクは夢見世界の体験ツールとして体系づけられていますが、私は長年にわたる人生の中で、不意にやってくる夢見の機会を大事にして、しっかり記憶し、何らかの書物にしたいと思っておりました。よって、夢見は数少ないです。

しかし、とても示唆に富んでおりまして、私がこの一生を謎解きに充てたと仮定しますと、謎解きのヒントを提示してくれたのが夢見の内容だったことが多いのです。しかもそれが後で線形の繋がりを見せてくるものですから、希少な経験ではあっても、その時点で逐一、分析を自分なりにしておくことが大事になり、その謎解きをするのがまた面白いという繰り返しでやってまいったような次第です。

私は自ら夢のコントロールをすることはあまりできません。しかし、おそらく守護霊といいますか、何者かが、啓発すべきことの必要に応じて私を特殊な視座にいざなうもののようです。

ノーコンなれどけっこう的確な夢見。これが私の夢見のモットーになっているように思います。

よく夢で大災害の夢をご覧になる方がおられます。ほんとうにそれが起きてしまった場 合、つまり正夢だった場合、ご本人もそうとう苦しまれるのだろうと思います。 私の場合は、大災害の夢は、そう、一度だけ大津波がやってきて、私自身が呑み込まれてしまう夢を見たことがありますが、自分自身は何の恐怖もなく、おお、やってきたという感じでぼおっと見ていたのを憶えています。

むろん今までそれが正夢になった経験は無いのですが。 (すでに死んでますわな) しかし、選択肢の中のパラレルワールドでのタイムラインの出来事なのかもしれないことなどをつらつら思ってみたりするのは、奇人の私ぐらいかも知れませんね。

事が私事に関する夢では、多く正夢になった経験があります。正夢というより、同時並行的に私の知らない事象が進行していて、それを知らないはずなのに、象徴夢として見てしまうといったものがあります。中には予知夢もあります。
主だったものは憶えているので、備忘録として、なるべく時系列を期して挙げていくことにいたします。

 

死せる父、夢枕に (1980年)

父が死に至る症状で倒れたとき、ちょうどその時刻に、下顎の臼歯がひとつ、前後に真っ二つに割れて、内側が取れてしまうという出来事が発生しました。
病院で、父の臨終の間際、ベッドの向うになにやら揺らめきのような、ちらつきのようなものが立ち上るのを目撃。
父の死の二日目の未明に鮮明な夢を見て、そこに父が現れました。その内容をむかし書いたものがあるので、参照願えたらと思います。
「死せる父、夢枕に立つ」
そこでは、父がうちの家系の菩提寺にいて、赤銅色の丸柱の横の黒電話から電話してきたわけでした。(電話している父の様子がこちらには見えている)
私が「今どこに居るん」と問うと、「しんしょうじに居る」という父の返事。それが、母も私もその時点では知らないはずの父の田舎の菩提寺の名前であることは、実際に関わることになって初めて分かったことでした。丹後伊根町の振相寺がそれです。住職はしんそうじと呼んでいましたが、しんしょうじと呼べなくもなく、 父は若い頃にそう呼び習っていたのかも知れません。赤銅色の柱は実際にありましたが、そこに黒電話はありませんでした。

それから数か月後に、今度は母が、「やっとお父ちゃん、夢に出てきたわ」と話してくれるに、父は「今晩の七時半からテレビに出るから見といてくれ」と言ったそうです。

さっそく私は、朝刊を持ってきてテレビ番組欄を見ると、メジャー局ではそれらしい番組はなかったですが、ローカル局のサンテレビで夜の七時半から「丹後の伊根はパラダイス」という別荘地分譲会社主催の番組が載っていたのです。

これだれこれだと、母に説明すると、「それなら今晩見とくわ」とのこと。私もポータブルデッキ型の録画機に録画予約して仕事に出ました。(この録画機・シャープのマイビデオは、小西六カメラとセットで初めてUFO撮影して成功した機材です)

さて、仕事から帰って母に問いますと、母は「じっくり見とったけど、出てこんかったよ」と言います。

まあたぶん、幽霊だから無理だろうとは思いつつも、録画機を再生しますと、やはり発見できませんでした。

霊能者ならば見えたりもするのでしょうが、そんな資質もなく、しょうがないなあ、またお父ちゃん、夢に出てきてや、で終わったわけでした。

父は、たぶんいちばん懐かしい故郷の地に戻っていったのでしょう。そこは父がまだ子供の頃に、野山を駆けたり海に潜ったりして、友達や兄弟や両親や村の人と過ごした土地でした。

その後、墓は神戸市のほうに移転しましたが、父には故郷が離れられなかったのではなかったでしょうか。

父よ、ご苦労様でした。ゆっくりしててください。

 

先祖の御霊を移転したとき (1981年)

私は名古屋で仕事していたため、それを理由に神戸の家のことはほとんど母と妹に任せていました。

母は、父をねんごろに弔うために、先祖の墓を神戸に移転することを計画。

私にはそのようなことを内緒にしていたのではなかったかと思うのですが、私は墓の移転する直前の未明の夢に、青黒い空間に、芋とその 根のつながりのようなシルエットが、横たわっていた状態から縦に起き上がり、それが何体か連なって立ち昇るという気持ちの良くない夢を見ています。
むろん、芋と根のつながりというのは、あちらでは土葬のゆえに頭蓋骨と脊柱がこのように見えたという次第だったかと思われ、魂抜きが抜かりなく行われたことを示すものであったと分かりました。

現実には土葬された実体を掘り起こして持って行ったりはしません。墓所の移転に伴う、形而上的な観念世界における儀式上の魂抜きなのです。それを実体的夢として見てしまうとはいかなること。夢とはいえあまり気持ち良くないものでした。

母が生前戒名を受けたとき (1981年)

父が亡くなったときの戒名を、神戸に先祖の御霊を移転した際に、新しい菩提寺にもう一度付け替えてもらったのですが、そのとき、母も生前戒名を作ってもらったのでした。
ちょうどその頃のこと、私は名古屋にいて、未明の夢に、浄円月を右肩に載せた白衣両翼の天使が、きれいな群青色の空に満天の星とバックコーラスを背景に出てきて、その肩の満月で私をピカピカ、ピカピカと照らしたのです。

天使の顔を見れば、まぎれもなく母の顔でした。
私はその頃から、インスピレーションが頻々と沸くようになったことを覚えています。
母の生前戒名は「智円妙定大姉」です。それを知ったのは、私が4,5年経って神戸に舞い戻ってからのことでした。
ちゃんと戒名どおりの現れ方をしていることになりませんでしょうか。名は体を現すとは、私の実名においてもそうでしたが、母もそうです。名は「禊」というのですが、まさに親、夫、子の三代に身を尽くした、カルマを消すような人生でした。

さらに戒名にいたって、月の天使として現れたこと。まだ母は当時ぴんぴんして生きていましたが、私に前もって正体を見せてくれたに違いないと思っています。と同時に、戒名さえも(霊)体を顕すのではないかと思ったことでした。

そういえば、よく「月よりの使者」を小さな 声で口ずさんでいた母でした。きっと本人が月よりの使者だったのでしょう。(母は倍賞千恵子にも似ています)

白球UFOがすいすい出てくる夢 (1976年)

白球UFOがすいすい出てくる夢は、実際にUFO観測会に参加して、初めて実際に目撃した赤いブーメラン型UFOの”続編”として見ています。

UFOを初めて目撃したときの、きっかけとなったと思われる行為は、中天の夜空に向かっての「私を友達にしてくれますか」の問いでした。その相手は大きな赤橙色 の三日月形UFO(ブーメラン型UFO)で、視野のど真ん中に現れました。

その数日後の就寝時から、夢に白球型UFOが登場するようになりました。たいがい夢に出てくるときは、満天の星の夜空を、複数機でみずすましのようにすいすい飛び抜けるシーンでした。それはまさに、私を友達として誘うかのようでした。

詳細は「奥人のユーホー体験」をご覧ください。

また、ホームページにもあらましを載せています。 ⇒ UFO撮影同道記

また、この話には後日譚があります。夢で見た白球UFOが実在することがわかり、またそれに関わることになるのです。

その後の展開

白球UFOが本当に存在していることを確認したのは、同じようにすいすいとまではいかないまでも、ゆっくりと群れて飛んでいる映像や写真を見てのことです。 中でも、身近なところでは坂本廣志さんが、フジテレビ系の「100年後の超偉人伝」の取材ロケ日の前日の午後3時過ぎに白球UFOの大群を撮るという快挙をし、番組で放映されています。
彼は当時、武良さんと私の二人でやっていたUFOビデオ撮影友の会に新入会した人でした。UFOや宇宙人、伝説上の話題たっぷ りの人でしたが、これで彼の真実味が格段に増したことは言うまでもありません。

いかに夢の白球UFOが私たちの傍に現実化してきているか。むろん自分でも単体でなら目撃しながら撮影していますし、撮りっぱなしのビデオカメラになら8機の白球UFOが写っていたこともあり、目撃だけなら2005年11月の六甲山におけるGの嵐のロケの最中に、終盤で多数の白球UFOの出現 (私の肉眼では肌色に見えたが、テレビカメラには白球UFOとして写っていた) を目撃しています。

そして、最近では、武良さんが、たけしの番組で白球UFOを呼び寄せ、「UFOを呼べる男」として、マスコミデビューされるようになりました。

追記

2016年には米国でコーリー・グッドとデビッド・ウイルコックのテレビ対談によって宇宙的情報開示が開始され、2017年にはその邦訳がネット上に出されて、「よくある質問」コーナーにスフィアビーイング(球体存在)とのファーストコンタクトがいかなる手順で行われるかが載せられておりました。

質問者に対するコーリー・グッドの解答によると・・・

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Q47  スフィア・ビーイング・アライアンスは地球上の人達と夢を通じてコンタクトを始めるのですか?

A47  はい、それが彼らからの「ファースト・コンタクト」のプロトコル(手法)です。

どんな場合であれ、夢を通してコンタクトを受けます。未知のソースからチャネリングやテレパシーでのコンタクトを受けることはまずありません。

潜在意識・ハイヤーセルフレベルでコンタクトや交信を受け入れると、さらなるもしくは拒絶すると、さらなるコンタクトが他のプロトコルや標準的な活動プロセスに従って確立されます。

これはいかなる場合であろうと例外はありません。
2015年8月22日

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とのことで、私はどうやらスフィアビーイングとのファーストコンタクトをしてしまい、さらに後年に瞑想中に眉間から飛び込まれるという衝撃的なセカンドコンタクトをしてしまったようです。

詳細はこちら ⇒ 奥人のユーホー体験

 

英国紳士風宇宙人の訪問の夢 (1977年)

私が名古屋にいた27歳頃のこと、シンバル状UFO2機に乗ってやってきた二人の英国紳士風宇宙人が、神戸の実家(ここには小学~大学の頃に住んでいました)に訪問してきて、歓談している夢を見ました。
これは私が中学三年のときに宇宙人の訪問を実際に受けていたものを、記憶の消去が毎回なされて、後日、フラッシュバック的に夢で思い出したものであると解釈できています。

それが単なる夢でなく、確実にあったことであることは、当時私の妹が、私が受験勉強で部屋をチェンジした際、山高帽の英国紳士のお化けが出たという恐怖体験を語っているからです。
妹が霊視するようなことは皆無ですから、まさに宇宙人の実体を見たに違いなく、また本人もほんものの英国風紳士だったと主張しています。

なんとその当時の神戸の家は、二戸一長屋のうさぎ小屋で、やってきたとするなら2階のベランダからだったでしょう。そのときの夢は、母が一階からお茶を運んできたので、家族ぐるみで付き合っていたのかなあといった印象です。

詳細は電子書籍「奥人のユーホー体験・拉致体験もか」をご覧ください。下手ですが図解入りです。

 

天帝様にお会いする予定の夢 (お会いすることは未遂 1979年)

かなり昔、30歳頃ですが、奇妙な夢を見たことがあります。

何かの催事場に正装して参ったのですが、その入り口で縦長の短冊形のパンフレットをいただきました。
手渡されたパンフレットの表には、「天帝様へのお会いの仕方」と書いてありました。
たったひとりでそのまま通路から向こう側に出ますと、大きな野球場のグランドです。
その真ん中に行こうとして、そのとき右側一塁側観客席に、陽光を浴びて白銀に輝く、けっこう分厚目の十字架が縦横整然としてたくさん重なり合うように、観客席を埋め尽くしているのを目にしました。

野球場をプレーヤー側から見ているといった感じで、私はグランドの真ん中に行くと、どういうわけでそうなるのか、あらかじめ決められた手順のように、私は右手に持っていたパラソルを開いて、その浮力で天に昇っていこうとしているのです。
タキシードで頭にハットを被り、手にパラソルといったいでたちでしたから、まるでセーラームーンの漫画のようでありますが、その当時あの漫画はまだなかった頃です。

私は上を向きますと、空は若草色(薄緑:映像を加工したときになるような)に、和紙のようなうす雲がかかり、私は広げたパラソルを浮力 にして、上空へと揚がっていき ます。(パラソル持ってても空が見えてるんです。夢ですなあ)

空からは微妙に天楽(コーラス)らしき音もしています。
と、中空まできたとき、私はまだ行くべきときではないと思い出したところで、上昇が止まってしまいました。そして、目が覚めてしまったのでした。

さあそれから最近になって、といっても2001年のことですが、その不思議な夢の話をさせてもらった女性から、驚いたように、それってシンクロだよと衝撃発言が・・・。
ある精神修養の道場(断食道場)で同席した、アメリカのベティさんという女性が、かつてロサンゼルスの野球場の外を通行していたとき、スタジアムの中からたくさんの十字架が次から次へと空に向かって揚がっていく様を目撃したという話をした、というのです。ベティさんという方はきっと霊能者で、幻視されたのでしょう。
その道場というのは、兵庫県高砂の高御位山の下麓に今もあり、どんなところか、そのあたりまで私も行ったことがありますが、昔話を蒸し返しにいくわけにもいかず、その程度で終わっているわけです。

「天帝様へのお会いのしかた」というパンフレット。

そして一塁側観客席の白銀色に光って整列していた十字架群。

分厚い十字架群は米国の墓地に見られるような大理石(ですか)で作られた、まさにそのようでしたから、プロテスタント系のキリスト教徒で亡くなられた方たちを表しているのでしょう。

しかも、白銀光りですから、清純なキリスト教徒の故人の方たちではなかったでしょうか。

では、天帝様とはどなたなのでしょう。
もし元始天尊(盤古)だったら、対決せねばならないかも・・・。
盤古は地上の人間たちに幻術を仕掛けているヌシなのでね。(と新神話では解釈)

しかし、十字架群はみんなキリストに会いに行くと信じて待機しておられたのではないでしょうか。
まあ、あのときの夢では、私と十字架群は別行動するようでしたから、どこかでルートが異なることでしょうが。
ただ言えそうなのは、私の方が先に行くのだろうとは思います。
その関連性からすると、黙示録に言う最後の審判の督促のような用向きになるのではないかと思います。

昨今、サンドレアス断層の崩壊が間近だと囁かれていますが、ロス地震などが起きて多くの方が天に召されるときには、私の方が少しばかり先に逝ってることになるのかもしれませんね。

つまり、不吉な話ではありますが、私が逝っ た少し後ぐらいに何らかの災害が起きるのかも知れないと思ったりします。
それも、もう間もなくのような気がします。

 

 

幽体離脱後の夢見で自分の未来(今日)を見た (1990年)

もう昔のこと、40歳過ぎの頃(1990年頃)、仕事の性質と、住居していた場所柄によるのかも知れませんが、俗に言う”金縛り”から”幽体離脱”に至り、さらに”夢見(夢と意識している夢)”へと入っていくことが、しばしば起きました。

そのようなことが頻繁でしたので、興味して幽体とやらの性質を調べたりもしたものでした。

壁の通り抜け、伸縮自在かどうか、感覚はあるか、など。そして、幽体離脱させて夢のコントロールへと入っていくのです。

金縛りが起きるときは必ず、脳の中の周波数変化が感じられ、いつもは潜在している”シーン”という音が、周波数を落として、猛烈な爆音に変わって存在感を一気に高 めてくるのです。

ヘリコプターの近くにいるような音で、大概その音に人は異常を感じて恐怖するもののようです。しかし、何度も金縛りをしているうちに、 爆音もさほど大きくなくなりまた柔らかくなり、慣れのようなものができてきます。

金縛りのままでは、まったく動けない。しかし、意図して力をそれなりに入れて抜こうとすると、まず腕が割合簡単に抜けます。最初のころは、そんなことを繰り返して、幽体の性質を調べる実験を始めるわけです。目を開けての金縛りですから、幽体の掌を目のところに持ってきてかざして見ますと、視野の周辺部でのみ、うっすらとした輪郭が確認できるのです。視野の真ん中では見えません。もし皆さんも幽体離脱がおできになるなら、確かめてみてください。

次の実験としては、幽体の全身を抜くのですが、このときばかりは目を瞑って行いました。というのも、抜けたときの自分の目で、何が見えるか怖かったからです。(やはり怖さはあります) それに、目を瞑っておれば、そこから幽体それ自体の目による観測、つまり夢見が開始されるのだから、安全に思えるわけです。

全身から幽体を抜くときには、意志が力になります。最初のころは、まるでゴム糊をバリバリとはがすようにして、抜けたものでした。しかし、それも繰り返している う ち、粘りつきが少なくなります。これも慣れなのでしょう。

いつものように全身から幽体を出して、いろいろと夢の世界を散策するに、その色彩の度合いは、鮮やかで生き生きしているのが常です。光と三原色が生きているといいますか。それから比べると、現実のほうがどんよりしています。だから、本来、どっちの世界が本物かというなら、あっち(夢見の世界)のほうがよほど本物ではないかと思うほどです。ただし見る内容は荒唐無稽になりがちです。

さて、そのような中で、夢というものは自分のコントロールが効かないことで知られています。しかし、夢見の場合は、自分の立ち位置がわかっているため、 どこへいってみようかというアクションが起こせるのです。

その日の夢も、そうでした。展開は荒唐無稽にも、妙な登場人物があったりするものですが、それでも自分が保てているだけに、意図した光景も出てくるようになります。
私はどう意図したか知れませんが、人跡の少ないところに行きました。途中で馬かロバに乗った見知らぬ二人連れに出会い、周囲がまるで西部劇シーンのように、夕日が当たり赤茶色の山肌を照らしていました。

さらに進むと、自然そのままのせせらぎがあり、そのほとりには、チューリップのような花が咲いていました。しかし、空は濃紺色で、太陽が出ている にもかかわらず、ふつうに見る薄い青色などではないのです。

ちょうど、高度1万メートルほどの上空の成層圏から空を眺めたような感じでしょうか。

太陽がせせらぎに照り返してふわふわ揺れていても、水面全体が濃紺を反射していて、まるで夜中に月の照り返しを見ているようで した。

さらに進むと、四角い建物がいくつか建っていて、それが古いせいか、周囲に苔のような灰色のものを垂れ下がらせていて、どの建物もそんな感じでした。苔らしきも のの色は淡いグレー。ビルのようでもあるが、どれもビルというには小さい建物です。そこに人が向う側から花の植物の鉢を持って上がってきました。

見るとその人物は、ベレー帽にメガネ、茶と黄のチェック柄のセーターを着て、いま植物をそこに植えようとしているようでした。屋上緑化のようなことかと思えました。

私はそこでその人に問いました。「いつごろからここにいるのですか?」と。
するとその人は、「もうかなり前になります」と答えてくれました。

そこで儚くも夢から醒めたのですが、夢から醒めるときというものは、いちばん大事なポイントを醒める直前に置いていることが多いものですね。
実は、その人物は、私と顔と姿がよく似ていたのです。

それから、25年が経って今があるのですが、数年前から山暮らしのために移り住んだこの地で、物置倉庫をいくつか作り、その屋根を葺くのに、ホームセンターで売っている厚手のUVシート(シルバー)を使っているのです。

別のいいやり方はいっぱいあるとは思うのですが、安価に済むため素人判断で偶然そ うしてしまったのでした。

いかに素材が強くて防水性に富むとされていても、劣化はします。が、少なくとも2年の耐久性はあることから、今後もこのやり方にしようと思っています。倉 庫の フレームは単管組みにして、屋根の下地をコンパネにして屋根用の防水シートを敷いていて、その上にUVシートという具合で、屋根の上にいちおうは上れるようになっているのです。

そして、今目下、屋上で野菜や花をプランター栽培しているところです。

下の露地で栽培したなら、鹿や猪が来て、たいがいは食い荒らされてしまうのですが、屋上だと彼らはよう上がってきませんから、囲いなどする必要もないのです。この界隈の民家は、栽培したくとも、動物の食害があって、よほど強固な囲いをしなければやれません。

こうして、この倉庫はマルチ用途を好む私の合理精神を如実に表すものとなっているのです。他人の目からは奇異に映っていると思いますが。

ある時、UVシートがあの苔に相当するのではないかと、その奇妙な符合に気づき、夢の人物は未来の自分(今の自分)だったのかも知れないと思うようになりました。夢に合わせるべく、ベレー帽も購入しました。該当色のチェック柄のシャツやセーターはすでに持っていましたし。

こうして今は、奇特な「いつごろからここにいますか」というキーフレーズで問うてくる訪問客の来訪を待っているところなのです。

追記

そうしているうちに、とうとうそれらしい人物が現れました。ここに書いています

しかし、それは 還暦ほどになる韓国人のお姉さんでした。ということは、私はこの女性の視座を借りて夢を見ていたことになるのかなあ。2014年11月に達成したことになりますか。

なお、一度目は、ベレー帽を被っていませんでした。ところが、滅多に被らないベレー帽姿を偶然目撃されてしまったのも、この女性によったのです。ふつう山暮らしでベレー帽などしません・・・いつもは無帽か野球帽なもので。

二度に分けて実現するとは。しかも、性転換? いやいや、私の意識は任意の誰かの視座に入って、その人の視点で物事を見てくるようなのです。

さてさらに、2013年になって飼い猫のトラブルから山奥に廃屋付土地を安価に購入したのですが、そこに夢で見たような”せせらぎ”が流れているのです。廃屋に入る階段がそのせせらぎをまたぐようになっており、もしこの廃屋がなかったら、夢の光景に近いことでしょう。廃屋は当初から未登記状態なので、ないに等しいといえば、そうなるかも。

2000年以前の段階での顕著な夢見はそれぐらいだったように思います。収録元はhttp://p.booklog.jp/book/97441/read