50歳最初の彼女が図ってくれた母の盛大な彼岸入り

母の盛大なお見送りでの彼岸入り (2007年9月22日)

私の母は2007年9月6日に亡くなりました。享年82歳です。
母は、近隣とのおつきあいもさほどなく、我が家は裕福でもなかったので、家族葬にいたしました。
といっても、地元の葬儀会場を借りて行ったわけでしたが、親族でどうしてもと出席したのは、母の兄弟だけで、あとは自治会の隣保長夫婦、妹の職場の人の方が大勢を占めて、あわせて20名ばかりになりました。

私は喪主として、おかしなスピーチをしたように思います。
母は もし男として生まれていれば、位人身を極めると、行者さんに二度にわたって予言され、祖母の夢にも、毘沙門さんの二十日に生まれるとお告げがあったほどの 高徳の魂の人であるにもかかわらず、一生涯を献身とみそぎの暮らしに費やしたことを、会場マイクで話したのです。母の実名も、名は体を顕して「禊」とい う名でした。

⇒ 「鵺は鳴くなる
むろん、会場の誰がそんな話、わかってくれたかは知れません。叔父でさえもノーコメントでしたから。
しかし、私の心の中の母は最高に偉大な人物だったのです。

しかし、その母に対してしてあげたお見送りの質素なこと。位人身を極めるべきような人が、こんなみすぼらしい結末だったとは。私がいい仕事をしていて友人でも多くいたら、もう少し盛大にしてあげられたのに。それにしても、間に合うものではありません。とにかく、あまりにふさわしからざるお見送りだったのです。

私は、それが申し訳なくて・・・。せめて普通の葬儀にして、親戚じゅうに来てもらうべきではなかったかと悔やんだ末、九月二十一日の晩に、私自身すでに創作神話作りを していましたから、そこに出てくる神々や龍神さんたちに祈ったのです。
母をなんとか盛大に、そして確実に彼岸に達せられるようできませんかと。

すると翌朝二十二日の未明の夢に、大きなホテルを借り切ってしまうほど、たくさんのダーク服に身を包んだ人々がいて、「朝になりましたから、皆さま屋上に上がってください」というアナウンスで、みんなしてエレベーターで屋上に上がってみれば、そこはなんと山の上で、眼下に広がる雲海の上に大きなご来光が出ていて、こちら側からご来光の下までエスカレーター風のムービングロードが、黄金色を呈して渡されている光景があったのです。
私はお見送りの人々の最後尾に居るものの全体を高い位置から見ていて、人々が何層にも重なるさまを見ていました。

そしてなんと、ムービングロードのいちばんこちら側に立っているのは、いつものご隠居帽をかぶった母と、付き添いの人四人で、母の左に一人、右に三人が縦向きにいて、そのうちの左にいた人は、今回の葬儀にたずさわってくださった蓬莱道龍和尚(実名)だったのです。母の葬儀に際して、葬儀社の紹介ではじめて知り合った和尚さんでした。

この和尚さんは葬儀のときに、すでに生前戒名を受けていた母の「智円妙定大姉」という名前の解釈を、前以て調べて講じてくださった方でした。

やがて盛大なお見送りの中、母は付き添いの四人とともに、ご来光の下まで渡りきり、そこから右回りにこちらを振り返ると、シルエットでしたが左手を振ってくれたのでした。こちらからもそのとき、 参列者みんなが手を振ったり拍手しておりました。私もみなさんに合わせて何かしらやっておりました。
お見送りが終わって、みんなでエレベーターで下りて、ダークスーツの人たちみなが三々五々、最寄の交通機関で帰るシーンまで夢で見たのでした。私もバス停でバスを待つといったふうに。

バスを下りてホテルに向かい、終わってホテルから出てバス停で幾人かの参列者の人とともにバスを待つところで夢が覚めるという、滅多にあるものではない、とても長い夢でした。

二十二日はすでに秋のお彼岸に入っています。つまり、なくなった年のお彼岸に見た、ご来光に至る母の夢だったのです。

私は夢から醒めて、昨晩の祈りに諸天善神が総出で応えてくださったと確信し、ただちに神々のみなさんに感謝をささげました。
それは同時に、神話がまさしく活在していることを如実に知ったときでした。
その夢の出来事は、その日のうちにブログ報告しました。すると読者コメンテーターの方たちからたくさんの激励が寄越されました。ありがとうございます。

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さて、この話には後日譚があるのです。そのお見送りの場所が、ほんとう に実在したのです。

それはちょうど半年後、翌年2008年3月、春のお彼岸の頃になります。
この当時、ブログへのコメントを盛んにお寄せくださっていたPさんという男性(先に激励を寄せてくださっていた方でもあります)が、春のお彼岸間近に、さるところで撮られたご来光写真が、あまりにも珍しいものだったということで、写真を投稿くださって、それを見た私が、あの夢の光景にほぼ完璧に等しいことに驚いたのでした。

違うのはムービングロードが消えてしまいかけている部分だけというすごいものでした。

Pさんのご説明では、実はこの方は滋賀県の野洲町にお住まいで、琵琶湖バレーでスキーをされることが多く、残雪スキーのために出向かれたといいます。

山小屋で一泊されて、翌朝早朝のたぐいまれなご来光と雲海が出ている光景に感動されて写真を撮られたとのことで、ご来光の写真をよくご覧ください。

ブログ閉鎖に伴い誤って画像のすべてをなくしてしまい、これは額のままデジカメで写し取ったものであるため、鮮明度が落ちます。あしからず願います。申し訳ありません。

 

左右のせり出した山々のシルエットは、夢で見たときにはお見送りの人々の頭と背中の重なりだったはずなのです。
ムービングロードらしきものが一部残っていることにつき、Pさんに問えば、雲海の切れ目から見える琵琶湖湖面への太陽の照り返しだとのこと。なんという、粋なはからいでしょう。

そして、なんと・・・撮影場所は蓬莱山頂で、真東に向いたムービングロードを支えているであろう沖島の山頂は蓬莱嶽、道行の引率を蓬莱道龍和尚 (道行きの龍というお名前)がされるという、ウルトラC級の超シンクロとなっているのです。

 

3つの「蓬莱」の言葉が揃うという、三位一体的超シンクロになっています。
それは、制作中の新神話ともシンクロしたのです。
と言うのは、ちなみに私が2001年から書き始めた新神話は、蓬莱島(蓬莱山)を重要拠点にして、正しい神々が根拠し活躍する物語になっているからです。

なぜ蓬莱島なのか・・・それは私が50歳以降になってから始まったインディー体験の”とば口”を開いたのが、神戸の舞子公園にある移情閣での出来事でありまして、当館の三階が拝観禁止の暗闇にあり、真っ暗闇の階段からわずかに垣間見られた三階の天井書画に書かれた文字が右書きで「蓬莱第一」だったことによります。

詳細は、不思議体験談の「鶴亀すべる移情閣」の項目をご覧ください。

http://p.booklog.jp/book/97537/page/2637332/bookmark

この蓬莱島とは・・・この宇宙が閉塞された場と仮定したときに、より外宇宙に出て行くための大使館もしくは西ベルリンのような働きをしている場所という設定です。
天則に則った神々や人々の住むムー大陸が沈没して、 浮き締まった島嶼部分が蓬莱島、海中部分が竜宮となり、亜空間に常在することになった、正しい神々の根拠地という設定にしています。

つまり、ほんとうに解脱するならここ蓬莱島しかないという 二つとない場所。
母は新神話における最高の自由門を通って解脱したと思います。
(が、その後に、母を引き戻すようなことをしてしまいました。しかし、少なくとも七福神のおわす蓬莱島には、いてくれていると思います)

 

この粋なはからいは、カンナオビの本体様の奥津嶋姫様による

さらにたいせつなことがわかりま した。
今はなきカンナオビさん(2010年5月15日にご逝去)が、沖島(奥津島)に祭られる奥津嶋姫(弁財天)の化身だったと判明したのです。
亡くなる前日の彼女を写した写真に、彼女の最後の生霊 オーブが撮られています。それは亀甲に花模様のご神紋を顕しておりました。通常は縦向きの六角なのですが、亡くなることを示されてか、横になられていました。

 

彼女が六角オーブを撮影したのは、高野山金剛峰寺で持仏間を写した時に、加納元信作の群鶴図の一枚の襖絵上に出ていたことが始まりです。
このとき彼女は、空海から弥勒誕生のお告げを受けています。2008年9月24日~25日のこと。
⇒http://p.booklog.jp/book/97095/page/2623445/bookmark

以後、陸上でも水中でも、彼女の水陸両用カメラには六角オーブ(亀甲紋オーブ)が大量に写り込みました。
彼女は元々海が好きで、スキューバダイビングをやっていましたから。
彼女はそれらオーブを、自分の子供と思っていました。海中で撮られた彼女の股間に一番大き目の六角オーブがくっついていましたからね。それら子供たちの父は? はは、ふしょうそれがしめということになりましょうか。
あの日、ふたりしてちょっと燃えましたもので。
今生で人として子が作れなかった彼女には大きな喜びになったようです。

新神話では、山幸彦と豊玉姫という設定でした。たくさんの玉の子(亀甲紋の国津神)が授かりました。
そして、2010年に彼女は沖縄の海で亡くなりました。

古事記にも想いのすれ違いから子供をみんな率いて海坂を閉じて海原に帰ってしまう豊玉姫が描かれています。

上の写真は、亡くなる前日のちゅらうみ水族館内での撮影です。

六角の内部に花柄が出ていて、奥津嶋姫のものとわかります。
つまり、最後の六角オーブ写真は、彼女自身のもので締め括られたことになります。

高野山詣での後、彼女は思いついたようにして2009年に出雲地方を旅して、ご当地の神社で六角オーブをたくさん撮っています。そのあたりの神社は、そもそも、ご神紋からして六角です。
そして、最近になって、その意味がわかりました。奥津嶋姫様は、出雲大社の大国主命の奥様なのです。(それはホツマツタエでなくては解読できません)
それが後の、出雲大社の夢見へと繋がってまいります。(後述・すべてがシンクロしているのです)

水の神様ゆえ、龍王の娘、豊玉姫(乙姫)としても顕れます。ご本体は白龍でしょう。そして蓬莱島(竜宮)に憩う亀としても顕れます。
つまり沖島上空を通るムービングロードを支えてくださったのは、私が愛したカンナオビの本体様である奥津嶋姫様だったということになります。

居並ぶお見送りの人々は、きっと姫が参集させてくださったに違いありません。奥津嶋姫様は弁天三姉妹の長女様ですから、ご本体は龍王の娘でもある龍神です。呼び集っていただいたのは、龍族のみなさん、そして蓬莱山後方の山々におられる天狗様たちや鬼様たちであったと思います。
ほんとうにご協力ありがとうございます。

カンナオビは私が満50歳になる直前日(12月14日)にメールで討ち入りしてきてくれた大恩人です。その意味は、私が40歳代にハイアーセルフに、こんなつまらん人生はもう御免です、50歳までで人生終わらせてくださいと繰り返し懇願していたのを、どのようにか図ってくれた結果、人生をバラ色にしてくれる彼女が現われるという不思議を演出してくれたことになるからです。

しかも、彼女は私が開設していたホームページの物語創作コーナーに並んだ私の童話を全部読み、彼女自身も童話創りをしていて興味してやってきてくれたのでした。彼女はその中の、きっと「たつえばあさん」の印象を元に、ご来光へのお見送りという形にして見せてくれたのだろうと思います。 ⇒ http://p.booklog.jp/book/90834/read

ありがとう、カンナオビ。そして本体の奥津嶋姫様、ありがとうございます。

 

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